第8話 忘れ物はありませんか?

「う~ん・・・」

「お?気が付いたか?」


僕はアルを連れて自宅に戻っていた。

慣れない環境と何より暑さがこたえたのだろう。クーラーの温度をできるだけ低くし、冷たいタオルを額にあてがった。普通の人間なら腹を壊してしまいそうだが、アルにはむしろちょうど良いらしくしばらく穏やかな寝息をたてていた。


「気分はどう?」

「少し気持ち悪いけど、大丈夫。俺、どうなってたの?」

目を覚ました彼にこの炎天下の中で倒れていたこと、偶然自分が見つけ自宅へ運んだこと、キラが守ってくれていたことなどを話した。

「ありがとうございました・・・。キラも、ありがとな。」

ふさふさの尻尾をピンと立てて、愛おしそうにアルの足に額を擦りつけていたキラを彼は優しく撫でた。

「大事には至らなかったし、まぁいいさ。ただ聞きたいことは山ほどある。何で黙って出て行ったんだ?しかも一人で。」

「だって言ったら絶対反対されると思ったし、一人で行きたかったんだ。こっちのお金も少しだけどじいちゃんが持たせてくれた。電車のことだって聞いてたから、ちゃんと乗れたし。ちょっと迷ったけど。」

「なんで君のおじいさんが『外』のお金を持ってるんだい?」

「じいちゃんも来たことあるんだって。」

たしかに作中にもアルの祖父はよき理解者として登場させたが、僕の知らないところでそんな過去を持っていたとは。何とも不思議な気持ちだ。


「俺のこと、連れ戻しに来たんだろ?」

考えこんでいた僕に、アルが唐突に聞いた。

「知ってたのか?・・・白状するよ。後1ヵ月したら君の物語がまた世に出るんだ。このままじゃ読めないし、発売が危うくなる。君の冒険を待っている人がたくさんいるんだ。」


しばらくバツの悪そうな顔をしていた。

しかしおもむろに、アルは静かに話し出した。

「あなたが創ってくれた、俺の人生・・・物語に不満があるわけじゃないんだ。『外』の人が使えない魔法もちょっとはできるし、移動も楽だしね。でも俺は肝心なところで守れなかったりしくじったり、弱いところがたくさんある。最後には上手くいくけど、じいちゃんや母さんの手を借りなくちゃできないこともある。今回だってあんな生意気なメモ残しといて、結局この様だ。俺はもっと色んな世界を見て、勉強して、強くなりたいんだ。守りたいんだ。支えてくれる人達を安心させたい。自信がもっと欲しかったんだ。だから俺の知らないところに自分自身を放り出してみようって思ってここへ来た。」


言葉では表せない感情がじんわりと僕を支配した。

「今、僕はものすごく複雑な気分だよ。君の言いたいことはよく分かるし・・・なんていうか、そうしてあげたいと思ってる。こんなこと言っていいか分からないけど、やろうと思えばできる。僕が強い人間として書けばいいんだもの。でもまだそうはしない、君は若いからね。弱くたっていい、いつか殻をぶち破る力を秘めた弱さだから。僕の勝手だけど、それを描きたかったんだ。本の世界も僕らの世界もそこはきっと変わらなくて、僕らはむしろ小説の世界に、救いというと大げさだけど、理想とかそういったものを求めてると思うんだよ。おこがましいけど僕の本を読んで、特に若い読者が君と一緒にほんのちょっとでも前を向いていってくれれば、こんなに嬉しいことはないよ。」

自分の作品に出てくる少年に、何を言っているんだ。いや、彼にじゃない。僕は自分に言い聞かせていたような気がした。


こんな話を聞かされてさぞ混乱しているのではないかと、アルの様子を窺ってみた。

しかし以外にも晴れ晴れとした顔をしていた。

「わかった。俺がいなきゃ始まらないんだろ?もっとたくさん見て回りたかったけど、きっとじいちゃんやリーヤも寂しがってるだろうし、そろそろ帰るよ。俺の家はここじゃないしね。」

「ほんとにいいのかい?それにどうやって帰るんだ?」

「それは秘密。あ、でも最後にお土産買っていってもいいかな?どっかいいとこ案内してよ。」

財布は少し軽くなりそうだが、アポロ書房へ良い知らせも持っていけそうだ。




物語を編んでいく中で生まれた登場人物達は、その瞬間から過去と与えられた役割を背負う。彼らの運命を決めるのは書き手である僕たちだ。けれどその手を一度離れ読者の手に渡り、物語が読者のものになった時、彼らにしか読めない新たな物語が動き出すのかもしれない。

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