心霊スポット探訪《京都の心霊マンション》検証

 幽霊の存在を信じること。それはすなわち、幽霊の存在を疑わないこと。

 人が死ぬと、その魂はどうなるのか。この疑問は、もはや使い古されたと言ってもいいぐらい、普遍に語られてきたものです。人は死んだあとに、ただ無になるのか。それとも、心だけは残るのか。

 次男が私に言ったことがあります。

「オレが死んだら、幽霊になって、また戻ってくるからね」

私はそれを聞いてうれしかったし、おそらく、同じように、近しい人の死後にその霊魂を感じて幸せになる方はいるでしょう。

 だから、

「幽霊なんていない」

とは、私は言いません。私の体験が、たとえ、自分自身でも懐疑的に感じてしまうものばかりだったとしても、幽霊の存在を疑うという方向性は、私にはありえないことなんですね。


 ただ、そうは言っても、私は、自分の体験に確信が欲しい。数々の現象が、ただの妄想ではなく『本当に幽霊が起こしたこと』だと証明したいのです。

 方法は、なくはない。というのも、幽霊というのは、実際に、かつて生きて暮らしていた人々です。だから、その生前の痕跡が見つかれば、少なくとも、私自身は、妄想ではなかったと納得することができる。


 もちろん、それは周囲に自慢して吹聴するようなことでは、ありません。かつて「自分には他人についている守護霊が見える」と人さまのご先祖の正体を言いあてるのを得意としたスピリチュアルの大家たいかが、じつは、裏で入念なリサーチをしていたというような、みっともない行為がありました。『霊感がある』『自分は見える人』と公言することは、古今東西で行われてきたそれらのインチキな霊能力者に、自分を同化させてしまうということでもあるのですから。

 でも……。


 たとえばですが、私が九月六日と七日に遭遇した男性二人、この人たちの生前の正体を知りたいと思った、と、しましょう。

 調べ方はわかります。彼らはメ○ボ広沢からやってきた可能性が高いので、あそこを再訪して、住んでいる方に、

「こういう特徴の自殺者がいなかった?」

と尋ねればいいのです。

 ただ、これ、やり方はわかっても、簡単なことではありませんよね。だって、自殺は、いまの住人の前だけで行われたわけではないのです。過去に退去した方々しか知らない情報もあるでしょう。それに、もし最近の自殺者という条件にしぼったとしても、現在、お住まいの人たちに、まったくの他人の私が、不躾ぶしつけ

「ここで飛びおりた人の話を聞かせてくださいよ」

と尋ねることができるでしょうか。


 そんなわけで、いまの私にできるのは、せいぜい、ネットで流れている、できるだけ信用が高そうな情報を見つけて、

「あ、やっぱり、同じ経験をした人がいたんだな」

と照らしあわせることぐらいなのです。

 そして、プラスして、それらの調査内容を公表し、心霊マニアの方々に読んでいただくことによって、さらに広い情報を手に入れられる可能性をめざすことぐらいなのです。

 ということで、共有できるものがありましたら、ぜひコンタクトをお願いします。


 では、ここより、ネット情報を元にした検証に入らせていただきます。


  ※  ※  ※


 メ○ボ広沢に関して、私がまず体験したのは、音、でした。八月三〇日の訪問時に、バスを降りた直後と、建物の外周を回っているときに聞いた、あの落下音です。

 音質自体は、鉄骨がコンクリートに当たったような、ちょっと人間の肉体によるものとは思えない響きだったので、あれが心霊現象だったのかどうかの自信はありません。

 ただ、音が連続したという事例は、類似のものが、NE○ERという情報サイトに載っていましたね。そちらは、夜な夜な飛びおりをくりかえす女性が現れるというもの。


 それが、最初に自殺したマンションのオーナーの娘さんの残像だったとしたら、彼女は、なぜ、死んだ瞬間をなぞってしまうのでしょうね……。

 いつか、落ちることに慣れて、魂が開放されると信じているのかな……。

 それとも、自分を忘れてほしくなくて、ショッキングなシーンを、生きている人間に見せつけてしまうのかな……。


 というわけで『くりかえし』というキーワードは、メ○ボ広沢においては、ある、と思っていいでしょう。

 余談ですが、以前にも、……つくばの研究所だったかな……、同じく、飛びおりをくりかえす霊の目撃情報が頻発ひんぱつしたという、うわさがありました。

 高いところから落ちるというのは、死ぬまでに時間がかかる行為だと思うので、もしかしたら、自殺者たちの霊魂は、何度もやりなおすことで『今度は助かりたい』と願っているのかもしれませんね。


 次に私が疑問に思ったのは、女性が真っ白なワンピースで出現したという現象です。

 みなさん、特に女性の方々にお聞きしたいのですが、真っ白なワンピースって、ふつう、着ますか?

 私は、比較的、淡色の衣類を好みますが、それでも、全身、白というコーディネイトは、勇気が入ります。手入れがめんどうなのと、やはり「貞○子みたい」と揶揄されてしまうので。

 だから、女性の幽霊だって、生前はその手の着衣を持っていなかった可能性が高いのではないかと思うのですよ。

 では、この白い女は、なぜ、わざわざ、生きていたころの自分とは関係のない姿を取ってまで、その服装にこだわったのか。

 そこが、私が、自分の見た彼女を「妄想じゃない」と言いきれない理由なんです。幽霊は白いコーディネイトで出てくるもの。自覚しないままに、そんな偏見へんけんが、私の脳に幻影を植えつけたのではないでしょうか。


 これに関しては、ある芸人さんがネットで上げた動画の中に答えがありました。

 失礼ながら、あまり有名な方ではなかったので、お名前を忘れています。つまり、どの動画でその事実が語られていたのかを、ここに提示することができません。もうしわけない。

 提供の媒体は、たしかYOUTUBEだったと記憶しています。内容は、複数の芸人さんたちがメ○ボ広沢に肝だめしに行ったあとの報告、というもの。

 彼らは、夜にメ○ボ広沢の内部に入りこみ、写真を撮影しながら、上階に上っていきました。そして、何階のことだったか定かではないのですが、そのフロアを見まわり終えて階段に戻ったときに、目前に白いワンピースの女性が立っているのを見たと言うのです。


 ちなみに、実話怪談の代表作とも言える『新耳袋』という本の中には、メ○ボ広沢に実際に住んでいた男性の体験談が掲載されているようです。

 その中からの抜粋ばっすいで、こんなエピソードがありました。


 幽霊が出るとの事情を知らずに、メ○ボ広沢に住みはじめた、とある男性。

 彼が引っ越してきてから三日ほど経った、その日。

 夜、寝ぐるしさを感じて目を覚ますと、窓の外に、非常に美しい二〇歳ぐらいの女性が立っていたのだそうです。寝ぼけていた彼は、最初は、

「なにしてるんだろう?」

程度に思っていたのですが、やがて、そこが、ベランダもない八階の中空だということに気づくわけです。

 女性のいでたちは、真っ黒な服に、長い黒髪だったとのこと。


 前述した若い芸人さんが見た女性は、白いワンピースを着ていました。

 新耳袋の記述では、メ○ボ広沢に出る女性の幽霊は、黒い服をまとっていました。

 いろいろな情報を統合してみると、どうも、この女性は同一人物、しかも、メ○ボ広沢で最初に投身自殺をしたというオーナーの娘さんらしいのです。

 彼女は、なぜ、姿を変えたのでしょうか。


 たいへん馬鹿馬鹿しい推察ながら、私には、密かに信じている答えがあります。


 これも『新耳袋』からの参考なのですが(著書自体が未読なので、ネットから情報を拾っています)、メ○ボ広沢に住んでいたというくだんの男性は、ある日、仲間と、

「幽霊の出る部屋で怖いビデオを見よう」

と盛りあがったそうです。

 で、そのときに見たのが、当時、レンタルが開始されたばかりの『リング』。


 それまで、黒い服で登場していた、女の幽霊。

 彼女は、かなり強い自己主張をする霊らしく、その住人の男性に、

「この部屋が気に入ったから、お互い、干渉しないように、一緒に住みましょう」

と持ちかけるような、人間臭いところがあったとか。

 そんな女性だから、リングの中で、非常に不気味な姿をさらす貞子を見て、こう思ったりしなかったのかな。

「こっちの格好のほうが幽霊らしい」

と。

 そう考えると、私は、笑いとともに、彼女に対しての愛情を感じてしまったりします。


 ところで、またまた余談ですが、幽霊って、なぜ、白い着物や白い服で登場すると思われているんでしょうか。

 単純に考えれば、白い衣装が死に装束しょうぞくだからですよね。亡くなった方を、生きている人間と、より区別するための演出。

 でもそれ、生きている私たちが、

「幽霊は死んでいるんだから死に装束でしょ」

って押し着せているだけで、幽霊自身は、それに納得しているのかな。

 亡くなった方は、お葬式を経て、生者の世界と決別します。そして、そこから、死者としての立場を自覚します。

 けれど、幽霊としてさまよう霊魂は、むしろ、死者の立場を否定するか、もしくは、死者となったことにすら気づいていないような気がしませんか。だから、この世に留まって、生前と同じ、人間としての自我を保ってしまうのではないでしょうか。

 だったら、彼らがみずから死に装束を着ることは、本来、ないことですよね。白い着物や白い服の幽霊が目撃されるのは、矛盾しているように感じます。

 そんなわけで、私は、いままで「白い服を着た幽霊が出た」という話を、一笑に付してきました。実際に、私が見る霊たちも、ほとんどは、日常着で現れますし。

 でもね。

 もしかしたら、幽霊たちの中には、自分が死んでいることを充分に自覚していて、なおかつ、肉体がないという現実を楽しんだり、利用したりするやからもいるのかもしれないと、最近は考えるのです。

 そういう霊魂は、自らの死にとまどう他の数多あまたの同胞たちとは、おのずと違う姿を取っていくんじゃないのかな。

 白い衣装は、死に装束。

 死んでしまった人間は、やがて、死者の国に行かなければなりません。

 だから、自分が死んだということをわかっている彼らは、心の片すみで、その運命を受け入れる覚悟を、まず身なりから体現しているのかもしれない。


 余談が長引きました。では本題に戻して、三つめの検証に入ります。

 最後に残った疑問点は……。


 メ○ボ広沢に関連した心霊現象。その中で、体験していた最中、または、あとから思いかえしてみたタイミングで生じた、

「これってちょっとおかしくない?」

という要素は、個人的に『落下音が連続すること』『死に装束(白いワンピース)で幽霊が現れたこと』、そして、これでした。

 共用廊下に幽霊が出現する時間帯が、いつも、午前四時。

 一般的にいう、怪奇現象が多発しはじめる時間帯は、『丑三つ時うしみつどき』と呼ばれる午前二時前後です。我が家に関しては、〇時を回ると、ラップ音が鳴りはじめます。

 それなのに、このメ○ボ広沢からの訪問者たちだけは、そのセオリーを破って、すでに明るくなりかけた明け方に出没しました。

 私は、この時間に意味があるような気がして、ならないのです。


 自殺した死人にとっての、四時という時間の価値。

 それは、あるいは、朝を迎えるのが怖いと感じる絶望した人間にとって、自殺への背中を押される時間なのか。

 それとも、もしかして。

 メ○ボ広沢の噂の原点である『人の落下する音が聞こえると言われる、オーナーの娘さんが飛びおり自殺をした時間』に該当がいとうするのか。


 これに関しては、答えをとても知りたかったですね。だから、ネットをあさりまくりました。

 でも、残念ながら、確証はどこでも得られませんでした。そもそも、オーナーの娘さんの話は、先に出したメ○ボ広沢の住人男性が、ご近所の喫茶店のマスターから教えてもらった事情らしいのです。何人もの人づてに伝わってきた話なので、詳細な時刻等は正確性に欠ける部分もあり、その過程で省かれてしまったのでしょうね。

 ただ、関係性は低いのですが、こんな体験談はありました。


 昨今、エンターティメント化している、心霊というジャンル。前述の『新耳袋』はその草分け的存在でありますが、その他にも、このジャンルには、かなりの著名人が参加しています。

 その中で、穏やかな人物像と、さまざまな不吉な目に遭いながらも、けっして音を上げない精神力の強さを持つ、私の大好きな怪談作家さんがいます。

 その彼が、二〇一〇年、とあるネット放送の中で、このメ○ボ広沢に関する怪奇談を披露していました。詳細は、以下に。


 怪談作家のNさんは、二〇一〇年の放送時よりさかのぼること五年ほど前に、オカルト書籍作成のために、メ○ボ広沢を訪れたのだそうです。

 彼の所属するチームの取材スタイルは、事前の取材交渉と本格的な機材を持ちこんでのプロ仕様。なので、無責任な突撃取材を嫌う私でも、抵抗なく、愛好することができます。

 メ○ボ広沢において、内部取材まで完了し、当日の宿であるホテルに戻ったNさん一行。さっそく現地で撮りためた画像を確認したところ。

 ほぼ、すべてがエラー。真っ黒な画像の羅列られつだったそうです。

 それでも、バックアップ分と、希少に残った画像を持って、都内の自宅に帰ってきたNさんは、疲れから、その夜はすぐに床につきました。

 そして、夜中。

 違和感を覚えて、Nさんは目を覚ましました。

 自分の腹部のあたりに、なにかの気配を感じます。正確に言えば、寝ている布団を踏みつけるようにして、何者かが、Nさんの上に仁王立におうだちになっているのです。

 おそるおそる、まぶたを開くと、自分を見おろすようにして、真っ黒な人がいました。部屋には常夜灯がいているので、本来なら、その人物の姿は、もっとはっきり見えてもいいはずなのですが、Nさんには、完全なシルエットとしてしか、その人は認識できなかったそうです。

 男とも女ともつかないその影は、不動で、Nさんを見つづけています。

 Nさんは、恐怖で、思わず謝罪をくりかえしたのですが、影はいっこうに消える様子はなかったとか。

 パニックになり、万策尽きてしまったNさん。

 そのとき。

 表の通りを走ってくるバイクの音が聞こえたのだそうです。

 そして、そのバイクは、Nさん宅の前で停まり、すぐに、ドアポストに新聞を投函する音が続きました。

 その瞬間。

 影は消えさりました。一瞬で。

 それで、Nさんは、事なきを得たのだとか。


 朝刊の配達って、地域や場所によっても違いますけど、だいたい四時から六時ぐらいのあいだですよね。

 Nさんの話では、この一連の体験は暗いうちだったとのことなので、やはり、これは、闇が白んでくる前の四時前後だったんじゃないのかな。

 そして、もう一つ。

 Nさん宅に出た幽霊は、完全なシルエットと化した風体をしていました。


 シルエットの人物が、明け方の四時に現れる。

 ちょっと物たりないけれど、我が家の共用廊下に現れた人物と時間帯の謎は、この偶然を持って、納得の結果としてもいいかな。


 私がメ○ボ広沢を訪問したのは、昨年の八月三〇日。

 その後、怪異が集中したのは、一〇月の頭ぐらいまでです。それ以降は、メ○ボ広沢ではなく、別の現場の心霊とのつきあいが濃くなっていったので、自然にフェードアウトしていきました。

 だから、私は、白いワンピースを着た女は、もう我が家にはいないのだと思っていました。彼女も、いつまでも、本拠地を離れて、こんなところに残る意味はないのだし。

 そんなことをつらつらと考えていた、今年の三月。

 もうすぐ中学生に上がる次男が、友人と遊んで帰宅したあとに、こんな話をしました。

「今日さあ、友だちと霊感ごっこをやったんだよね。知ってる? 目をつむって、自分の家を歩きまわるイメージをするってやつ。その途中で誰にも会わなければ、霊感はなし。でも、誰かに会ったら、それは幽霊だから、霊感ありの証拠なんだって」

 この遊びについては、私も知っていました。信ぴょう性がどこまであるのかは定かじゃありませんが、私自身が試したところ、いつやっても、仲たがいしたまま亡くなった祖母が険しい顔で出てくるので、あながちデタラメでもないような気はしています。

 そんな苦い記憶を思いだしながら、私は、息子に、先をうながしました。

「で? おまえは誰かに会ったの?」

すると、息子は、首をかしげながら、自分でもなぜそんなものを見たのかわからないという感じで、こう答えるのです。

「オレの部屋の前に立つ、髪の長い、白いワンピースの女の人がいたよ」

 どうやら、彼女は、まだ、我が家に居すわっているみたいです。

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