幽月邸の主
どうして誰もいないんだろう。いないはずはないのに。どこかに隠れているんだろうか。
一階の部屋を開けている時はだんだん勢いがついてどんどん開けていけたのに、長い緩やかな階段を上っていくうちにまた緊張してきてしまった。
だってもう残りの部屋は数が少なくなってしまっているのだから。
最初の部屋の前で一度立ち止まって、女の子の顔を見た。女の子も黙って僕の目を見返す。怯えたような顔で縋るように見られると、よし、僕が頑張らなきゃ、と思えてくる。心配ないよ、というようににこっと笑って頷いてみせた。本当は全然大丈夫じゃないけど。
一つ目と二つ目は、また寝室だった。一階と同じでまた誰もいない。
そして三つ目の部屋。ここは今までの中で一番大きな寝室だ。トイレとバスルームの他に小さいキッチンと服がいっぱいの部屋が繋がっている。
服の間からばぁーって誰かが顔を出したらどうしようって思ったけど、そんなことは起こらない。
一体全体、どうなってるんだろう。
外に聞こえてきていたピアノの音は幻聴だったのかと思うほど、全く人の気配がない。
そして、とうとう次が最後の部屋だ。
「そういえば、ピアノはどこにあるんだろう。……この部屋にあるはずだよね? それなら、今度こそここにいるはずだよね?」
緊張がこれ以上ないほど高まって、声が上ずってしまう。
玄関扉を開けた時よりももっと緊張している。
これでもう後はないんだから。
僕は何度も何度も深呼吸した。
そして。ゆっくりと扉を開けた。
今までの部屋の中で一番大きな部屋。窓もずいぶん大きくとってあり、そこから満月が部屋の中を覗いているのが見える。
部屋の中央にはグランドピアノ。
そしてその椅子に腰かけているのは──手を繋いでいる女の子をそのまま大人にしたような、とても綺麗な女の人。
「乙葉」
鈴のなるような澄んだ声。
その指先が不思議なメロディーを奏でる。
と、はじけたように女の子がその人のもとへ走り寄り、胸に飛びこんだ。
「お母さん!!」
ああ、やっぱりここの家の子だったんだ。
よかったねと思いながらも、僕は羨ましそうな顔をしていたと思う。
僕にはもうあんな風に抱き合うことはできないから。
ほんの少し、涙が出そうになる。
「弦お兄ちゃんがね、連れてきてくれたの」
甘えた声で報告している。
「ありがとう」
乙葉の母親がにっこりと微笑み、歩み寄ってくる。
「合格よ」
「え? 合格って?」
いきなり合格と言われても、一体なんのことだかわからない。
当惑している僕のもとに乙葉が戻ってくる。
「お母さんったらひどいの。毎回わたしの記憶を消しちゃうのよ」
「えっと?」
「自分の願いだけをかなえてもらおうとする人の願いをきくわけにはいかないって。他人を思いやる心を持っている人じゃないと嫌なんだって」
なるほど。僕は試されていたというわけだ。
合格ってことはつまり、主のお眼鏡にかなったということか?
「それじゃあ」
「あなたの願いをかなえてあげましょう」
幽月邸の主は貴婦人のように淑やかに、僕に手を差し出した。
そして僕は願いを口にした。
「父さんと母さんに逢わせてください。伝えたい言葉があるんです」
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