1 忘却(2)

 暗い話になるが、と前置きをして、


「ナナの死の直接的な原因は、魔力の生産機能異常による身体への過剰負担だった。これは魔力を生み出そうと意識していなくても、身体が勝手に生産を始める病だ。そうなると身体はどんどん浪費される。その頻度や時間が増えていくとやがて身体はもたなくなり、最後は息絶える。そんな突発性の病気だ」


 本当に辛かったと思う、と悲痛な顔でつぶやく。


「この病気は発症の原因も分からなければ、治療法もない」


 えっ、とアルトが驚き声を上げる。


 そもそも魔法使い自体人数が少ない上に発症もごく稀な病気のため、解明が進んでいないのだ。


「私はーーー死にゆくナナを見ているしかできなかった」


 魔力の生産異常による身体の疲れを、ナナリー自身最初は過労だと思っていたが、朝目が覚めて横になったまま動けず、病院へ運ばれすぐに入院した。


 そして一ヶ月後、精密検査でそんな病気だと告げられた。


 時々身体が重く、体調も悪かったけれど平気そうに見せていたのだと、後に病床で力なく笑った。




「私ーーー死んだらあの部屋に入るね」


 病気のせいか、魔力の生産を抑える対症療法の治療のせいか、日々痩せていくナナリーがつぶやいて、セルシオがバッと顔を上げる。

 あの部屋、とはチューブの並んだ磁場形成室のことだとすぐに思い至った。


 セルシオは歯をくいしばって、


「絶対にだめだ」


 そう言うと思っていたのだろう、ナナリーがふふんと鼻を鳴らす。


「だってチューブの中なら、ずっと若くて綺麗なままでいられるんだよ? 女性の永遠の願いが叶うんだよ?」


 いつものおちゃらけた調子で言うが、セルシオは辛そうな顔でうつむいている。


 ナナリーは優しい声で、


「大好きな街と大切な人のためなら、私は入るわ。この街の役に立ちたいの。だってーーー」


 そっとセルシオの頬に手を添え、顔を上げさせる。


 にこっと笑って、


「愛する人が暮らす街だから」


 セルシオはしばしナナリーを見つめ、また下を向く。


「愛する人と、だろう……」


 声を震わせるセルシオにふふっと微笑んだだけで、ナナリーはそれ以上何も言わなかった。




「それでも今あの部屋にいる魔法使いが減らなければ、ナナがチューブに入ることはない。だから入ることはないだろうと……そう思ってた」


 無表情で淡々と話しているように見えるが手が震えているので、アルトがそっと手を重ねた。


「けれど何の偶然かーーー。魔法使いが二人同時に倒れ、階層が一つ崩落した」


 アルトが目を剥く。

 前に見た、崩れ落ちた獅子の階だ。

 スフィアは磁場が持たなくなったのだと言っていた。


「街中パニック状態で研究所も大混乱だったが、それに紛れて私はすぐ病院へ向かった」




 獅子の階の崩落後、セルシオは怪我人でごった返す病院に駆け込んだ。

 幸い病院は揺れただけでどこも崩れなかったようだが、衝撃でベッドから落ちたナナリーは腕と肩を複雑骨折していた。

 それほど彼女の身体はもろくなっていた。


 セルシオが来たのに気づいたナナリーが、薄く微笑む。


「もう、時間がないね。私も、この街も」


 嫌だ、とセルシオが叫んだ。嫌だ嫌だ嫌だ! と子どもが駄々をこねるように何度も。


「あの部屋なら、ずっとセルシオのそばにいられるし」


 ベッドに縋りついて泣きじゃくるセルシオの頭をそっと撫でる。

 すっかり細く、冷たくなってしまった手でセルシオの頬に触れると、


「ありがとう、セルシオ。……ごめんね?」


 そう申し訳なさそうに笑った。




 それからもセルシオは毎日病院へ通い、ナナリーのベッド脇に座り続けた。


 ベッドが空になるその日まで。


 ーーー忘れないで。




「……何もできなかった。ただ隣に座って見ているだけで」


 アルトが黙って首を振る。

 そんなことないと言いたいが、涙がこぼれ、喉がつかえて声が出ない。


 セルシオがそばにいるだけで、ナナリーは心強かったはずだ。


 涙を拭い、無表情の横顔を見つめる。


「その後はひどく荒れてーーー色んな人に迷惑をかけた。家中のありとあらゆる物を壊したし、食べることも仕事も、何もかもを拒んだ」


 一度言葉を切ってうつむく。

 アルトが不安そうにセルシオの腕を取る。


「ーーー生きていたくない、と思った。時間が流れることでナナが過去になり……離れていく気がして」


 ナナリーのいない世界に、何の希望も持てなくて。


 生きる気力を失くし、憔悴し切ったセルシオの家に、所長の奥さんやレナードソンの母、後からセルシオの母も世話をしに来て、徐々に食べることはできるようになった。

 彼女たちは毎日交代で訪れ、一時は井戸端会議の部屋になったこともあったな、とセルシオが思い出して小さく笑う。

 アルトが少し緊張を緩めた。


「……研究所はナナといた場所だから戻るのは辛かったが、地下室で眠るナナのそばにいたいと思って仕事に復帰した」


 短く締めくくって、セルシオが口を閉じる。


 アルトは青い顔をしていた。

 そんな辛く苦しい過去を抱えながら、セルシオは今まで生きてきたのだ。


 時の流れを拒み、笑顔を失くして。


 自分の過去というより物語を朗読するような調子で静かに話していたが、当時は相当苦しい思いをしたはずだ。


「大変……だったね」


 掠れる声でつぶやき、セルシオがああ、と答える。


 それからはどちらも何も言わず、沈黙が痛かった。

 背中を冷たい汗が流れる。


「怖いか?」


 尋ねられ頭を上げると、間近にセルシオの顔があった。

 覗き込んだその目には、怯えの色も含んでいる。


 アルトが目をそらし、ぎゅっとスカートの膝を握る。


「セルシオに出会ったばかりのぼくだったら、ちょっと怖いと……思ったかもしれない」


 語尾を濁したが、セルシオのことを何一つ知らない赤の他人だったら、会うことすら尻込みしていただろう。


 でも、と首を振って、


「今はそんなこと思わない。ナナリーさんは幸せだねっ。こんなにセルシオに愛されて」


 セルシオは今でもナナリーを大切に想ってる。

 喪った後に荒れてしまったのは、それほど彼女が大切で愛してたんだって、彼のことを知った今ならよく分かるから。


 涙目で輝くような笑顔を浮かべるので、セルシオが目を細めて笑う。


「ありがとう」


 言ってアルトの額に軽くキスをした。

 アルトが額を押さえ、赤くなってうつむく。


 恥ずかしくなって慌てて立ち上がり、


「コ、コーヒー冷めちゃったねっ。もう一回淹れて……」


 セルシオの手からマグカップを取ったところで、セルシオが唐突にアルトの手首を掴んだ。

 驚いたアルトが身を縮ませる。


「でも、もう終わりにする」


 暗い声音で言って、えっ、とアルトが戸惑う。


 セルシオは真剣な目でアルトを見つめて、


「私はーーーナナを忘れようと思う」


 アルトが驚愕して一瞬声をなくす。


「なん……っで。だって、ナナリーさんは忘れないでって」

「いいんだ。過去に囚われてたら前に進めないだろう」


 そう言って立ち上がり、ベランダを出ていく。


「今ので最後だ。ナナを思い出すのは」


 言い切って、寝室へ向かう。


 アルトが慌てて追いかけるが、ソラが足元に絡んできてたたらを踏む。


「まっ、待ってセルシオ! 忘れる必要なんてないっ。忘れなくったって……」


 しかしアルトの鼻先で扉が閉まる。

 拳で扉をドンドン叩き、セルシオと名を呼ぶが返事はない。


 セルシオは扉にもたれ、ずるると床に崩れ落ちた。

 そして両手で顔を覆うと、震えながら大きなため息をついた。

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