3 つながり(2)

 見合いの翌日の朝、エヴァンス所長に呼び出されたアルトと従者が、宿のロビーのソファに腰かける。


 向かい合った所長はまず深々と頭を下げて、


「昨夜は見合いに同席できず、大変申し訳ない」


 いえ、とアルトが小首を傾げてにっこり微笑む。


 間を空けて、次に来るのは見合いの返事だろうと身構える。


 正直なところ、アルトがいないかのように進められた見合いの返事がいいものであるとは思っていない。

 万が一気になったと言うのなら、アルトではなくカルティア家に惹かれたのだろう。

 それでも、アルトを家から出したいとする父の望み通りになるのならいい、と自分を納得させて内心ため息をつく。


 しかし所長が口にしたのは意外な言葉だった。


「もう一度だけ、彼と会っていただけませんか」


 アルトがほんの少し目を見開く。


 従者は何をおかしなことを、とでも言いたげに、つんと澄ましている。


 分からなくもない。

 見合いの返事はイエスかノーであるべきで、保留にして引き伸ばすのは、つまりアルトが気になるけれど、どこか引っかかるところがあるということだ。


 それは、とアルトが口を開く。


「お相手の方がそうおっしゃってるのでしょうか」


 所長はいえ、と首を振る


「恐らく彼は、この見合いを断ろうと思っています」


 会って欲しいというのは所長の思いであって、本人はそう思ってないようだ。


 ますます分からない、とつい眉をひそめてしまう。

 過保護なのではとよぎるが、そうしろと父親から言われたとはいえ、見合いで全て従者に喋らせた自分が言えたことではないので、黙って続きを聞く。


「彼はこれまで見合いを拒否し続けていました。相手に会うどころか、写真すら見ることなく全て。けれど、あなたとは自分から見合いをしたいと言い出した。後であなたの家のことを知って、青い顔を見せていましたが」


 ふふっと穏やかに微笑む。アルトも調子を合わせて笑みを浮かべた。


 家のことを知らなかったのか。それも、目の色を変えるのではなく青い顔になるなんて。

 カルティア家というきらびやかなショーケースに入ったお嬢様を魅力的だと感じないらしい。


 そう思うと同時に、昨朝のことを思い返す。

 ダイニングで会話したときの呆れ顔。

 そして見合いの席での会話と雰囲気。


 先ほどからアルトは所長の言葉、所作一つ一つを観察し、意味を汲み取ろうと頭を働かせていた。

 アルトがいままでいた世界では、発された言葉を額面通りに受け取ってはいけない。

 表情、目の動き、身振り手振り、ときには服装、アクセサリーに至るまで観察し、相手が本当に言いたいことを汲み取らなければならない。


 アルトはそれが不得手だった。

 そんな場面に出くわすたび、言いたいことは回りくどくせず、口に出してまっすぐ伝えればいいのに、と開き直りたくなった。


 その点では、この面会も昨日の彼も、ストレートで飾らないのが心地いい。


 つい真意を探ろうとごちゃごちゃ考える癖が出てしまったが、やっぱり自分には向いてない。


 ちらりと従者を窺うと、背筋を伸ばし、伏し目がちに口を噤んでいる。

 見合いではアルトに口を挟ませなかった彼女だが、この席での会話は指示されてないため、ただそばで座っているだけだ。


 アルトの場合はこうやって直接言葉を交わした方が、相手の気持ちがよく分かっていい。


 所長が言い淀んだ後、実は、と口を開くのを、アルトがそっと平手を出して抑える。


 興味が湧いたのはそういうところだ。

 けれどきっかけというのは、たぶんそんなちょっとしたことで。


 にっこり上品な笑みをたたえて、


「かしこまりました。ちょうどこちらも、もっとお話ししたいと思っていたところです」


 隣で従者が無礼にも片眉を吊り上げている。


 所長は喜びと驚きを混ぜ合わせた表情を浮かべ、思わず「それはどうして」と問う。


 理由はあるが、それを正直に説明すると失礼なので、どうしたものだろう。


 アルトは揃えた指先を口元に当て、んーと悩んだ。




 そんなことが、とセルシオが驚く。


 所長の懸念通り、安易に断ろうとしていたことを反省する。

 そうやって頭を下げてくれたから、今ここにアルトがいるのだ。


 もっと感謝すべきだなと思う。

 所長に、そして所長の言葉で会いにきてくれたアルトに。


 髪を乾かし終わり、魔道具をテーブルに置いて向かいに座る。


「それで、何て答えたんだ?」


 そう訊くと、アルトはんー? んふふふふ、と楽しそうに笑ってテーブルに顔を伏せた。


 何なんだ、とセルシオが呆れる。


 アルトは頬杖をついて目を細め、セルシオを見ていたずらっぽく微笑んだ。


「何だろうね」


 風呂上がりのせいか頬は赤く、弧を描く唇は薔薇色になっている。


 思わずセルシオが固まって見惚れていると、さっ、と言って立ち上がる。


「髪乾かしてくれてありがとうっ。明日はお出かけだから、ぼくもう寝るねっ」


 おやすみと笑顔で手を振って、さっさと自分の部屋の扉を閉じる。


 残されたセルシオは、片手を上げたままぽかんとする。


 やがてゆっくりとうつむき、手で目元を覆った。


 好きだと言ってからこっち、アルトが輝いて見えるのはそういうことなのだろう。


「……やられた」


 そうつぶやき苦笑した。




 初めて街を見たのはここからだったな、とアルトが思い出す。


 列車に乗って一駅の隣街。

 駅を出て街中とは逆に草原に向かっていくと、数キロ先に人工的な山が見える。

 その上空ではケーブルに繋がれた小さな機械が、キラリキラリと日の光を反射している。


「うん、やっぱり砂時計みたいだねっ」


 再確認して、満足気に微笑む。


 八ヶ月前、ここからこの景色を見たときは、あの街が亡くなった魔法使いたちの力で支えられてるなんて思いもしなかった。


 思いに耽って眺めていると、後ろから「行くぞ」と声をかけられ、踵を返してセルシオに駆け寄った。




 赤茶色の土壁でできた家々の間を抜けて大きな広場に出ると、予想を超える規模の市場にアルトが口を開いたままぽかんとする。


 広場には白い天幕の店がぎっしりと並び、それぞれ野菜や果物、肉に魚、帽子にアクセサリーに花などを溢れんばかりに並べて売っている。


 店の数なら猫の階の商店街も負けてないが、あちらは天井があるため、場所によっては暗く閉塞的なところがある。


 こちらは対照的に青空が広がっていて開放的だ。

 風に乗って、変わったテンポの音楽も聴こえてくる。


 国境が近いため交易が盛んで、珍しい野菜や見たことのない雑貨がたくさんあって、ただ眺めているだけでも楽しい。


 そう思ってアルトを連れてきたのだが、早速興味津々で視線をうろつかせるので、セルシオが苦笑する。


 すぐに単身飛び込んで行きそうなので、


「きょろきょろしてたらはぐれるぞ」


 店は整然と並んでいてそうそうはぐれることはないと思うが、人が多いから念のためだと心の中で言い訳して手を差し出す。


 アルトはおずおずと繋ぐと、恥ずかしそうに照れ笑いした。


 並んで歩き出すと、


「こうしてると、昔よく兄様と手を繋いでたの、思い出すな」


 そうきたか、とがっくりするので、アルトが慌ててぶんぶん手を振る。


「あっ、セルシオが兄様みたいって言ってるんじゃないよ。似てないしっ」


 セルシオが肩を落としてそうかと答える。


 薄雲のかかる晴れた空を見上げて、


「懐かしいな。小さい頃、初めての場所ではキョロキョロしてすぐどこかに行っちゃうからって、よく兄様が手を繋いでくれてたんだ」


 それでも脱走してたけどね、とくすくす笑う。


 わくわくして舞い上がる気持ちは分かるが、未だにそのままなのかと呆れる。


「どんな兄なんだ?」


 以前、厳しい父親の言いなりになってるとは聞いたが、兄個人については聞いたことがない。


 アルトが小首を傾げて考える。


「ビシッとして、バシッとしてて……。でもお母様やぼくにはとっても優しいよ」


 擬音語だけではよく分からん、とセルシオが苦い顔になる。


 歳はセルシオの二つ下と見合いの釣書にあったが、大企業の後継ぎなので自分にも他人にも厳しい男なのかもしれない。


 前にアルトから家族について訊かれたので訊き返しただけなのだが、やはり気恥ずかしくなって黙り込む。

 店先に並ぶ野菜を眺めるふりをしてやり過ごした。


 市場には生の肉や魚はもちろん、とうもろこしだけ、オレンジだけなど単品を扱う店も多く、狭い店舗にどれだけ多くの種類を並べられるか競ってるような猫の階にはない店だなと思う。


 顔より大きいパンにびっくりしたり、似合わない帽子をかぶせられたり。


 試食させてもらった甘いドライフルーツとソラのおもちゃ、鮮やかな色の花を買って、市場を満喫した。

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