3 つながり(1)

 会議が終わって研究室へ戻る道すがら、隣を歩くスフィアがにんまりと笑った。


「聞きましたよ室長。アルトちゃんから」


 何をだと問うが、何のことか予想できたので、照れを隠そうとして変に顔がこわばる。


「アルトちゃんすっごく喜んでましたよ。両想いだなんて初めてだからどうしようって、赤くなって慌てるのがもう可愛くて」


 たまらなそうに顔をとろけさせるスフィアに、口止めしておくべきだったと反省する。


 家でも研究所でもいつも以上ににこにこして口元が緩んでるので、すぐにバレただろうが。


「そうか。けれど、仕事をおろそかにする気はない」


 仕事に本気になって欲しいという、スフィアの警告は忘れていない。


 分かってますよ、と歯を見せて笑う。


「室長、抜け殻じゃなくなりましたから。本当、アルトちゃんさまさまですね」


 一瞬ぽかんとするが、そうだなと素直にうなずく。


 アルトには助けられてばかりだ。

 何か返したいなと悩んでいると、ふいにスフィアが立ち止まる。


 スフィアは小首を傾げると、目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。


「室長、お願いがあります」


 彼女にそう言われると、また何か警告だろうかと身構えてしまう。


 しかし白衣のポケットから取り出したのは、想定外のものだった。


「異動願いーーー」


 一度頭を下げ、はいと答える。


「室長が本気になったので、その座を狙うのは諦めました。他の研究室で上を目指します」


 真剣に言った後、ふっと笑う。

 セルシオは突然のことに戸惑っていて笑えない。


 その反応に、スフィアが吹き出した。


「すみません、そんな驚いた顔されると思わなくて。本当は室長のせいじゃなくて、ちゃんと前向きな理由なのでご安心を。一年経って、研究したいことが見えてきたと言いますか。元々私、魔法貯留は専門ではないんですよね」


 地方の魔法研究所にいたときは、ここほど細く研究分野が分かれてなかったそうだが、スフィアは魔力変換が身体に与える影響など、生理学の研究に興味があると話す。


「今なら配属先の希望が通るかなと。上司にもしっかり推してもらえそうですし」


 自信を持って目を輝かせるので、セルシオが苦笑する。

 分かった、と請け負った。




 日々は繰り返しのように思えるが、ずっと同じ状態は続かないのだと、こういうとき思い知らされる。


 出会いも別れも、訪れるのはいつも突然。


 それぞれが歩く道の上で、たまたまこのときこの場所で出会っただけで、ふとしたきっかけでまた離れていく。


 一抹の寂しさを伴う別れが、次の幸せな出会いに繋がるといい。




 ダイニングの椅子に座り、アルトがうつらうつらと頭を動かす。


 風呂が空くのを本を読みソラを撫でながら待っていたセルシオが、寝るなと声をかける。


「髪、濡れたままだと風邪引くぞ」


 パジャマが濡れないようアップにしているが、時々雫が落ちてきている。


 アルトが眠そうに目を瞑って、


「髪乾かすの大変なんだよ……。もう切っちゃおうかな」


 アルトは腰まである髪を魔道具で乾かしているが、いつも三十分はかかっているだろう。ヘアオイルをつけ、櫛で梳かしながら乾かしてと、髪の手入れにはかなり時間をかけている。


 セルシオがソラを抱えてアルトの向かいに移る。


「少年みたいな格好が好きだったんだろう。どうして伸ばしてたんだ?」


 男の子のようにしたいなら、ボーイッシュなショートカットにしそうなものだが。

 お嬢様仲間のクリスティアは、仕草はさておき見た目は少年のようだった。


 するとアルトが手を振って、


「逆々。好きな服も喋り方も男の子っぽいから、せめて髪を伸ばせばちょっとは女の子らしくなるでしょうって従者に言われたんだ」


 ああ、とセルシオが呆れ混じりに納得する。


 それにしたってよく伸ばしたものだ。

 従者の思いが長さに反映されているのだろうか。


 髪を上げたアルトをじっと見つめ、


「……まぁ、短くても可愛いだろうが」


 そうつぶやき立ち上がる。


 アルトがへっ? とうわずった声を上げるが、ソラを下ろしていたので顔は見えなかった。


 ここまで伸ばしたのに切るのはもったいないなと思い魔道具を手に取ると、アルトが驚き振り返る。


「じっとしてろ。乾かしてやるから」


 アルトは戸惑って口をパクパクさせたが、ほんのり赤い顔になると、黙って前を向いた。


 髪を下ろして一束手に取るとひやりと冷たい。

 ツルツルしていてセルシオの髪とは違うなと思いながら、魔道具を左右に振り始める。


 最初は緊張して離れたところからぎこちなく風を当てていたが、なかなか乾かないので手で梳いてほぐしながら魔道具も動かす。


 揺れる髪にソラがじゃれようとするので、こらと叱る。


「何か……慣れてるね、セルシオ」


 何でだろう、と複雑そうな声でつぶやく。


 セルシオは隙あらばと狙っているソラを見て、そういえばと思い出す。


「姉さんのせいだ。昔、時々無言で魔道具これを押しつけてきて、何かと思えば自分は本を読みたいからと」


 リムリーが本を読み、その後ろでセルシオが彼女の髪を乾かしている姿が容易に想像できて、アルトが声を立てて笑う。


「それで乾かしてあげたの? 本当、セルシオは優しいねっ」


 振り返ってくすくす笑うので、照れ隠しに「前向いてろ」と注意する。


「そういえばぼく、それの使い方も知らなかったんだよね。セルシオに教えてもらってさ」


 アルトと見合いした翌日、買い物して宿に戻ったら従者に置いて行かれたと言うので、家に泊めた夜だ。


 その流れから見合いの席でのことを思い出し、懐かしさに笑い合う。


「お前がレストランに来たとき、周りの人がちらちら振り返るから、一緒のテーブルにつくのが気まずかった」

「えっ、ぼく何か変だった? あっ、セルシオが真面目に喋ってる顔思い出しちゃった」


 吹き出すので、いつもと変わらんだろうと苦い顔をする。


「あんなに料理を細かく切って。時間を持て余してるのバレバレだったぞ」

「だって喋れないのに座ってるだけで何すればいいのさ。セルシオだって、お見合いは嫌だってずっと突っぱねてたんでしょ」

「ああーーー」


 ん? とセルシオが不思議そうに首を傾げる。


「言ったことあったか? 私が今まで見合いを断ってたと」


 アルトが両手で口を塞ぎ、バツが悪そうに固まる。


 振り返って含み笑いをすると、実はね、と話し始めた。

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