3 つながり(3)

 遅めの昼食はテラス席で、広い市場を上から見渡せた。


 ハーブの香りがするお茶は、飲んでみると甘くてセルシオが顔をしかめる。

 アルトは気に入ったようで、おかわりまで頼んでいた。


「後で晩ご飯の食材買おうねっ。何食べたい?」

「昼飯を食べながらでは思いつかない」


 えー、とアルトが口を尖らせ、そうだねとおかしそうに笑った。


 ひよこ豆と野菜の煮込み料理を食べている途中でフォークを下ろし、ふぅ、とため息をついて憂えた顔になる。


「ぼくね、手紙を出したんだ。家族に今の生活のことを知らせたくて。でも何度送っても返事は来なくて……」


 果たしてその手紙は届いているのだろうか。

 厳格な父親が開きもせずに破棄しているのではと思うとかける言葉が見つからず、セルシオもスプーンを置いてそうか、とだけ言う。


 暗い顔をするアルトを覗き込むように見て、


「帰りたいか?」


 アルトは少し目を見開き逡巡した後、困った様子でえへっと笑った。


 当然帰りたいだろう。十八年暮らした家と、ともに過ごした家族なのだから。


 困らせてしまった、と顔を背けて反省する。


 すると気をつかってか、アルトがいいんだっ、と明るく笑った。


「いつか会えたら。今じゃなくても」


 いつか。

 それはどんな状況なのだろう。


 実質父親に追い出されたアルトが屋敷へ入るのは難しそうだ。

 そうなれば何かの理由で屋敷から呼び出されるか、あるいはセルシオと一緒であればどうだろうと想像して一人照れくさくなる。


 それに気づかれないようさりげなく、しかし実際は唐突に話題を変える。


「アルト。何か欲しい物はないか」


 アルトが目を丸くして首を傾げる。


 彼女の誕生日でも何かの記念日でもないが、普段アルトと食料品以外の店を見ることはほぼないので、珍しい物が並ぶ市場を口実に何か買ってあげたい。


 アルトは目を細めて嬉しそうに口元を緩ませると、


「セルシオがくれるものなら何でも嬉しいよ」


 う、とセルシオが詰まる。

 照れ隠しに訊いたつもりが余計に照れてしまう。


 それに、とつけ加えて、


「お金で買えるものはみんな買ってもらってたしね」


 明け透けに言って、あははーと明るく笑う。


 そうだ、超お嬢様だった、と肩を落とす。


 それでも何かと食い下がる。

 物に頼るわけではないが、アルトに感謝している気持ちを形にしたい。


 アルトが顎に手を当て腕を組み考える。


 そして思いついてあっと声を上げた。




 天井から床、店の奥から外まで所狭しと商品が並べられた小さな店で、アルトがこれこれ、と簡素な長方形の箱を手に取る。


「カメラが欲しいな。この間のお花見で撮らなかったでしょ」

「使い捨てでいいのか? もっとちゃんとしたのでも」


 迫ってくるような両側のガラスケースには、セルシオも使い方の分からない立派なカメラが並んでいる。


 アルトは困ったように苦笑して、


「そういうのは難しそうだから、ぼくはこれくらいがいいよ」


 使い捨てカメラは、シャッターを切れば写真が撮れて、フィルムが出てくるだけ。ズームもフォーカスもできない、簡単なものだ。


 セルシオは学生時代に中古で買ったカメラを持っているがあまり撮ることはなく、ごく稀に持ち出しても、もっぱら研究資料を撮るくらいだ。


 そういえばナナリーは動画が撮れるカメラを持ってたな、とふと思い出す。

 フィルムが高いからと言って、撮っているところはほぼ見なかったけれど。


「最初は何を撮ろうかなー」


 アルトがふふー、と嬉しそうにほくそ笑む。


 思ってたより実用的な物になったが、目的を果たせたセルシオもほっとして笑みを浮かべた。




 夕飯の買い物を済ませた後、市場を離れ駅へ向かう。

 日が傾き始め、黄金色に染められた草原が風に揺れている。


 アルトがわぁっと感嘆の声を上げた。


 砂時計の街の向こうに、大きな夕日が沈んでいくのが見える。

 街にはちらほら明かりが灯り始め、きらきら輝いている。


「綺麗だねっ。ね、家あの辺かな」


 指差すが、どこを指してるのかさっぱり分からないし、そもそも


「見えないだろう、ここからでは」


 家は一番外側ではないし、ベランダもこちら向きにはない。


 アルトがいそいそと買ったばかりのカメラを取り出す。

 そして街に向かってシャッターを切り、出てきたフィルムを伏し目がちに見て、


「今度手紙出すときこれも入れよう。今こんな街に住んでるんだよって」


 しんみりと寂しそうな表情に、セルシオが目線を落とす。そして、


「カメラ、貸してみろ」


 アルトが目をぱちくりさせ、差し出された手にカメラを乗せる。

 セルシオはそれを持って、近くにいた列車待ちをする青年に声をかけた。


 アルトの元に戻ってくると、何も言わずに手を繋ぐ。

 アルトの胸がドキッと跳ねた。


 セルシオは無表情で、


「いつも通りの顔してろ」


 そしてアルトの方を見て、照れくさそうにほんの少し笑む。

 アルトが緊張で顔を赤くして固まった。


 青年がカメラを構え、撮りますよと声をかける。


 するとアルトがぎゅっと強く手を握って、カタカタ震え出す。


「アルト? どうしーーー」

「ーーーっ、わぁいっ!」


 満面の笑みとともにぐいんっと両腕を上げてジャンプする。

 両腕、つまりセルシオと繋いでる手、引いてはセルシオの腕も一緒に持ち上がる。


 驚いたセルシオがよろめいたその瞬間、シャッターが切られた。


「あっ! わああぁ、ごめんセルシオっ。大丈夫っ?」


 我に返ったアルトが慌てて謝る。

 セルシオはちょっとひねった腕の関節を押さえ、「何やってるんだ」と呆れた。

 いつも通りといえば彼女らしい行動ではあるが、繋いだ手をいきなり上げて飛び上がるのは予想外だった。


 そうこうしてる間に列車が到着し、青年はさっさとカメラを返して乗り込んでいった。

 きっとセルシオよりも彼の方が呆れたことだろう、と申し訳ない気持ちが湧く。


 アルトが恥ずかしそうに目線を落として、


「ごめんね。つい嬉しくなっちゃって」


 感情に素直なところが微笑ましくて、苦笑してアルトの頭にぽんと手を乗せる。


 そして「乗るぞ」と声をかけて列車に乗り込んだ。




 帰宅後、アルトが目に涙を浮かべて大笑いする。


 その向かいでセルシオは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「あはははっ、セルシオすっごい驚いた顔っ」


 映写機で映し出された写真を指差して笑う。


 アルトは紅潮したとても嬉しそうな顔で両腕を上げていて、その隣でセルシオは目を見開き口は半開きというびっくりした顔でアルトを見ている。


「ねっ、これ手紙につけていい?」


 アルトが撮った街の写真は、逆光だったので夕日以外が真っ暗に写っていた。おまけに手ブレして光が伸びている。

 初めてで撮り方を知らないのだから仕方ないだろう。


 一方、青年が撮ってくれたものは二人にピントが合っていて、街もシルエットと家々の明かりで形が分かって、上手く撮れている。


 真っ暗でもはや何が写ってるのか分からない失敗作よりもそちらを送りたいのだろうが、セルシオとしてこの姿は成功ではない。


 恋人と一緒に写真を撮るとき、自分はなぜこうもまともに写らないのだろう、と悔しくなる。


 けれど、致し方ない。


 頬杖を突いて眉を寄せ、


「……任せる」


 潔くいいぞと言えない辺りが情けないが、歯噛みして悩んだ結論だ。


 アルトがわーいと諸手を上げて喜ぶので、セルシオも微笑んだ。


 この写真で、アルトが元気にしていると彼女の家族に知ってもらえるといい。


 まだ今は、会うことが叶わなくとも。

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