6 部屋と室(へや)(1)
スフィアの休みの日に合わせて家を見に行き、ついでにその夜はスフィアの家に泊まるとアルトが話す。
セルシオは無表情でそうか、とだけ答えた。
腕を組み、ちょっとこれはと眉を寄せる。
「アルトちゃん……。ここは狭すぎるわよね」
六畳ほどのワンルーム。
申し訳程度のキッチンがついているが、しかし狭い。
お嬢様のアルトからしたら玄関収納かと思うほどの狭さだった。
うーん、そうだねとアルトが困り顔で笑うのは、後ろに立つ不動産屋に気を遣っているのだろう。
スフィアは遠慮なく、
「やっぱダメ。次行きましょっ」
これでもアルトの給料から無理なく支払える額の部屋だったのだが、やっぱりこの街の家賃は高すぎる。
どうせふっかけられているので後で交渉してみるつもりだが、それでもあまり良いところは望めないかもしれない。
長期戦になるかもしれないとよぎる。
けれどアルトもセルシオの家を出たがっていて、セルシオも止めてないというし、スフィアも早くそうして欲しいと思っている。
いると困るんだもの、この子。
冷ややかな思いを浮かべ、長い髪をバサッと手で払った。
フクロウの階から階段を下りてきたところでアルトが足を止める。
巨大な石壁がいくつも折り重なるように崩れていて、隙間には雑草が生えている。
足元をちょろちょろと水が流れていた。
アルトが近寄ろうとするのに気づいてスフィアが止める。
「アルトちゃん、そっちはダメよ、危ないから」
アルトが振り返って首を傾げ、指を差す。
「スフィア、あそこって何なの?」
「そこは三年前に崩落した階なの。獅子の階ね」
ええっとアルトが目を丸くする。
「稀にあるのよ。ほらこの街って建物が積み重なってるでしょう。上層階の重みに耐え切れなくなってね」
両手で山を形作り、頂上からぺしゃんと潰す仕草をする。
「じゃあ、いきなり押しつぶされることもあるのっ?」
ハラハラして慌てるアルトにスフィアが笑いかけて、頭にポンと手を乗せる。
「大丈夫よ。今はちゃんと支えられてるから」
アルトがほっと息を吐く。
スフィアはアルトが見ていないところで考え込んだ顔をしていた。
それから夕方まで不動産屋と三人であちこちの階の家を見て回ったが、やはりどれも狭かったり水や空気などの環境があまり良くない地域だったりで、結局目ぼしいところは見つけられなかった。
予想はしていたが、かなり手こずりそうだ。
スフィアが白菜を洗いながら申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ごめんねアルトちゃん。もうちょっとまともな家があるかと思ったんだけど」
アルトがてきぱきとネギを切り、きのこを手で裂いて鍋に入れる。
今日は歩き疲れたので猫の階で買い出しをした後、簡単に鍋で晩ご飯にすることにした。
アルトは卓上でつつく鍋料理を知らなかったが、単なる煮込み料理だと言われ、初めて作るというのにスフィアより手際がいい。
「えっ、何で。スフィアのせいじゃないよっ。いっぱい交渉してくれたじゃない」
まだましかという家もあったのだが、持ち物からか仕草からか、アルトが金持ちだという雰囲気を不動産屋が感じ取ったようで、スフィアがどう喚いても値段を下げなかったのだ。
ああいう仕事をしている人間は人を見る目が鋭いなとスフィアが悔しがる。
出来上がった鍋を挟んでテーブルにつく。
初めて食べる味にアルトが感動する。
スフィアがくすっと微笑んだ。
スフィアに兄弟は兄が二人だが、何だか妹ができたようだと思う。
邪魔だと思っているのに、こうして向かい合っていると毒気を抜かれてしまう。
別に彼女自身が悪いわけではないのだし。
スフィアがおもむろに口を開く。
「アルトちゃんはーーー室長が好き?」
アルトがにぱっと笑って、
「うんっ! セルシオはすっごくいい人で大好きだよっ」
うん、その答えは何となく予想できた。
呆れながらさらに尋ねる。
「あー、えっとそうじゃなくて、恋愛対象としてね? ほらお見合いしたわけでしょう、室長と」
んー、と目線を宙に彷徨わせる。
「分かんないけど、一緒にいるのは楽しいよ」
そう、とスフィアが表情を緩ませる。
恋愛感情はなく友達としか思っていないようだ。
じゃあ後はセルシオの家を出てしまえば問題ない。
安心したら急にお腹が空いてきた。
きのこを箸でつまみ上げながら、
「まあこの街にいることになったのも事故みたいなものだものね。というか本当にヒドイわね、その従者のおばさんもだけどーーー」
アルトの話は今日家を見て回りながら一通り聞いていた。
が、つい気が緩んでつらつら言ってしまい、スフィアがはっと息を呑む。
アルトは憂えた笑顔でいいよ、と首を振った。
「お父様は、ぼくを早く外に出したがってたから。この街に行けって言われた時点でそうなるかもって、ちょっとは思ってたよ」
こんなに早く置いていかれるとは思わなかったけど、と明るく笑う。
スフィアも遠慮がちに微笑んだ。
でも、とアルトが続ける。
「でもきっと、一人だったら何をしていいのか全然分からなかった。だからセルシオやスフィアやレナードソンさんって優しい人たちに会えて本当に嬉しいんだっ」
満面の笑みでそう話す。
スフィアは笑顔を固定して、内心を悟られないようにそうね、とだけ言った。
そう、それが困っているところなのだ。
鍋が空になり、後片付けをしているときにスフィアが静かに切り出した。
「アルトちゃんーーー。あの部屋のこと、聞きたい?」
アルトがパッと振り返り、スフィアを見上げて固まる。
しばらく水がシンクを流れる音しか聞こえなかった。
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