6 部屋と室(へや)(2)

「あの部屋の名前は磁場形成室。私たちは地下室と呼んでるわ。地下じゃないけど研究室の階下にあるし、真っ暗だから雰囲気でね」


 テーブルに向かい合い、スフィアが話し始める。

 アルトは戸惑いながらもうなずく。


「まず磁場形成についてね。磁場というのは物と物を引き寄せたり反発させたりする力で、それによって」


 スフィア、と呼ばれて口を閉じる。


 アルトは目線を落としたまま、


「それ、ぼく聞いてもいいのかな? またセルシオがーーー」


 先日のセルシオの剣幕を思い出し、アルトが不安になる。


 しかしスフィアはいいのよ、と微笑む。


「誓約書の範囲内だし。それに室長はきっと話してくれないでしょ?」


 それはそうかもしれない。

 あれからセルシオとはどことなくぎこちなくて、挨拶程度のことしか話をしていない。


 問題ないわよ、と続きを話し始める。


「ええと、磁力で物と物が反発するの。この街の上空に欠片みたいな物がいっぱい浮かんでるでしょ。あれは街の監視カメラがほとんどで、他にも気象観測や環境汚染レベルの計測器なんかも飛んでいるわ」


 遠くから見たら砂粒のようにしか見えなかった物体は、実はちゃんと役割のあるものだと知ってアルトが目を丸くする。


「これらは全て特殊な素材でメッキされてて、地上で恒常的に磁場を発生させることで反発して浮かんでいるの。このメッキは各階の道路や建物の裏側にもくまなく施されていて、それで街全体を支えているわ」


 この不思議な街にそんな仕組みがあったとは、とアルトが感心して息を吐く。


 そしてん? と首を傾げる。


「あれ? でも磁力って魔道具で作り出せるの?」


 もちろんアルトは魔道具に詳しくないので、あってもおかしくはない。

 しかし魔道具だったとしても、街全体とは規模が大きすぎる。


 スフィアが横に首を振る。


「できないわ。作り出せるのは魔法使いだけ」


 ざわ、とアルトの全身が粟立つ。


 その言葉とあの部屋の光景が重なり、嫌な想像が浮かんだ。


 魔法を使うには自然にあるマナを体内に流れ込ませ、魔力に変換しなければならない。

 その原則は不動で、魔力を作り出す方法はこれ以外にない。


 スフィアがゆっくりと核心を口にする。


「さっき、磁場を発生させるには魔力が恒常的に必要だって言ったでしょ。あの部屋ではーーー」


 嫌だ、聞きたくない。耳を塞ぎたくなる。


 スフィアの口の動きがとても遅く見える。


「亡くなった魔法使いの身体を使って魔力を作り出し、磁場を維持してるの。


 刑の執行宣告のような重苦しい言葉がアルトの耳に届き、ぎゅっと目を瞑った。


「何……何でそんな」


 街を機能させるためよ、と事務的に答える。


 確かにそれはこの街では重大なことだ。

 磁場がなくなれば街全体の崩壊もありうるのだからと、昼間見かけた崩れ落ちた階を思い出す。


 けれどそれに死者の身体を利用しているなんて、背筋がぞっとする。


「このことは街の人はもちろん、研究所の人間もほんの一握りしか知らないわ」


 アルトがテーブルの何もない一点をじっと見つめてつぶやく。


「……それを見ちゃったから、セルシオは怒ったんだね」


 うなだれるアルトに、しかしスフィアが首を振って「違うわ」と否定する。

 力強い目でアルトを真正面から見据えて、


「見たでしょう? アルトちゃん。あの部屋にあるものを」


 青白い光。

 暗闇に浮かぶ白い影。

 見つめるその先にいたのは。


「彼女はナナリー・リゼルロッシェ。室長の恋人だった人よ」


 恋人だと改めて人の口から聞くと胸が痛む。

 あの部屋にいるということは、彼女はもう生きていないのだ。


 いつ? とアルトが暗い顔で尋ねる。


「三年前ね。彼女は病気で亡くなりチューブに入った。それから室長は毎日あの部屋に通ってるわ」


 アルトがピクッと反応する。


 それはつまり、


「忘れられないのよ室長は。彼女のことを」




 階下への階段をカツンカツンと靴音を立てながら下りる。


 遅い時間なので研究所にあまり人はいない。

 いや、そもそもこの場所にはセルシオ以外の人間は近寄らない。


 鍵のかかった頑丈な扉を開け、真っ暗な部屋に入る。

 青白い光に照らされ、液体が満たされた大きな透明のチューブが六本並んでいる。


 セルシオがその中の一つの前に立つ。


 立ち姿で液体に浮かぶ女性は目を閉じ、セルシオを見ることはない。


 じっと彼女を見上げると、


「ナナ」


 そう呼ぶが、もちろん反応はない。


 ーーー忘れないで。


 彼女の言葉を思い出し、セルシオがチューブに頭をもたせかける。


「ーーー忘れないさ」


 聞く者のいない部屋で一人つぶやく。


 それは彼女との約束。

 そのためにセルシオは、三年前からずっと時間を止めている。




 これでいい、と翌朝アルトと別れた後、スフィアが笑みを浮かべた。


 早く離れた方がいい。セルシオしか頼れる人のいない、外の世界を知らない手のかかるお嬢様なんて。


 滲み出る醜い心を鼻で笑って自嘲した。




 おかえりっ、とアルトが振り返って、セルシオがああと答える。


 セルシオが晩ご飯を食べる前で、アルトは黙って洗い物をしている。

 前は食事中でもお構いなしに話しかけてきていたのに、地下室のことがあってからは会話が減っている。


「家、見つかったのか」


 さりげなく訊いたつもりだったが、アルトがぎくっと驚く。


「あ、あーえっと、いいところがなくて。難しいねっ」


 どもって挙動不審なアルトには気づかず、そうかとつぶやく。


 それならと切り出して、


「うちの研究員のベルナーから聞いたんだが、知り合いが今度引っ越すから空き家が出るらしい。見に行くか?」


 えっ、とアルトが目を輝かせる。

 すぐに「行く!」と元気よく手を挙げた。


「ベルナーの休みが明後日なんだが、私は仕事があって」

「大丈夫っ。ベルナーさんは研究室でよくおしゃべりして仲良しだよっ」


 もう知り合いだったか、とアルトの人懐っこさに感心する。

 小柄で丸顔のベルナーも、柔らかい雰囲気で人当たりがいいのですぐ打ち解けたのだろう。


 じゃあ伝えておく、とスープを飲み干した。




 そうして一週間後、アルトはセルシオの家を出て行った。

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