5 発現(1)

 何だかここ最近時間の流れが早い。


 ベッドに寝転がり、天井を見上げてぼんやり思う。


 それがアルトが来てからなのは分かり切っている。

 突然現れて居候になって、もう出て行こうとしている。


 何だかセルシオだけが時間に取り残されている気になる。


 いや、セルシオは前から時を止めてしまっているのだ。

 そうだ、ただアルトに巻き込まれているだけだと思い直す。


 セルシオの時間はあのときから進んでいない。


 ふと思い出し、起き上がって机の引き出しを開ける。


 フィルムをセットした映写機の上に、三歳くらいの女の子や二十歳ごろの女性が映し出されては消えていく。

 全て色素の薄いシェルピンク色の髪に目のぱちっとした女性だ。


 辛そうな顔でそれを見つめる。


 女性とセルシオが腕を組んでいる写真が映し出される。


 結局二人で撮ったのはこの一枚だけだった。

 今にも女性の笑い声が聞こえてきそうな、幸せそうな写真だ。


 それが実は無理をしていたのだと思うと、見ていられなくなって写真の投影を消す。


 椅子の背にもたれかかり、はぁとため息をついた。


 どうして彼女はあんなに前向きでいられたのだろう。

 その手にある何もかもを失う、あの絶望的な状況で。




 アルトを翻訳者に雇う話はあっさり許可が下りた。

 見合い相手のカルティア家の娘だと話すと、所長は二つ返事でうなずいた。


 あのヒゲの所長はセルシオに甘いところがあるなと自分でも思う。

 何を期待されているのかは気づいてないふりをした。


「これが魔法分離室で、こっちは保管室。あ、そっちの部屋は実験中だから開けないでね」


 スフィアが部屋を一つずつ指差して言う。

 仕事を始めたら出入りすることになるので、研究室を案内している。

 ついでに翻訳するときによく出てくる専門用語の実物も見せて説明する。

 アルトはどれも興味津々に見てメモしていった。


「私たちの研究室は、魔法貯留研究室。人は自然にあるマナを体内で魔力に変換して魔法石や魔道具を使うわけだけど、魔力を貯めておくことはできないのよね。でもどうにかして物体に魔力を蓄積できないかという研究をーーー」


 スフィアの砕けた研究内容の説明にも、アルトは熱心にメモをとった。


 研究について半分ほど説明し終わったところで鐘が鳴る。


「お昼ね。一緒に食堂行きましょ」


 スフィアに誘われ、アルトが嬉しそうにうなずく。


 そこにちょうどセルシオが会議から戻ってきた。


「室長、ちょうど良かった。アルトちゃんとお昼に行くんですが」


 行きませんかと誘うが、セルシオは首を振る。


「いや、ちょっと行ってくる」


 スフィアがうなずく。

 アルトはただ首を傾げていた。


 足早に部屋を出て行く背中を見送って、しょうがなさそうにため息をつく。


「せっかくアルトちゃんが来てるんだから、室長も一緒に食べればいいのに。照れちゃったのね、きっと」


 アルトが恥ずかしそうにぶんぶん両手を振る。


「まっ、毎日一緒だから、お昼くらいは別々がいいんだよっ」


 するとスフィアがちろっと横目で見る。

 冷めた視線に見えて、アルトがドキッとする。


 しかしすぐに笑顔になって、


「そっか。じゃ、二人で食堂行きましょっか。これ片付けてくるから研究室の外で待っててくれる?」


 気のせいだったかとアルトがほっとする。


 打ち合わせ部屋を出たところで、次はどの扉だっけと戸惑う。


 右奥は実験室。『実験中。開けるな』の貼り紙がしてある。

 その手前が事務所に繋がる扉で、あと三つが分からない。


 とりあえず一番近くの扉を開けると真っ暗で、違ったとすぐに閉じようとする。


 が、壁と天井に白い影が反射し揺らいで、何だろうとつられて中に入る。


 何もない、細長く狭い部屋だ。

 右手は一面壁で、左手には窓ガラスがはめ込まれていて階下にある部屋を眺めることができた。


「あれ? セルシオ……?」


 深紫色の髪に白衣。よく見覚えのある背中だった。


 行ってくると言っていたのは、この真っ暗な部屋のことだろうか。


 奥から青白い光が漏れていて、セルシオがその前で立ち止まる。

 じっと見つめるその先にあるものに気づき、アルトが息を呑み固まる。


 アルトがいないことに気づき、スフィアが慌てて部屋に入ってくる。

 パチンと指を鳴らして灯りをつけると、眩しくてアルトが目を瞑る。


 ぐいぐい背を押して、アルトを部屋から出した。


「アルトちゃんっ。見ちゃった? 今の見ちゃった?」


 アルトは呆然としていて答えない。


 目に焼きついた光景。


 水が満たされた大きなチューブの中に、女性が浮かんでいた。

 遠くてよく見えなかったが、きっと生きていない。


 焦点の合わない目でぽつりとつぶやく。


「スフィア、ぼく……」


 スフィアが気まずそうに顔をそらす。


「あの人、見たことある……」


 その人は、物置部屋で見つけた写真に写っていた女性だった。




 監視室の灯りがついたのに気づいたセルシオが足早に研究室に戻ると、スフィアが深々と頭を下げた。


 眉を寄せ、大きくため息をついて、


「アルト」


 下を向いていたアルトがビクッと震える。

 一言名前を呼んだだけなのに、冷たく感じる声と真剣な固い表情にアルトが怯えた。


「さっき見たものは誰にも言うな。見たもの一切、誰にもだ」


 厳しく威圧するような言い方に、アルトが涙目になる。

 大声ではないが、父親がアルトを叱っているときと同じ雰囲気を感じていた。


 肩をすぼめ、うつむいてはいと答える。


 セルシオはまたため息をつくと踵を返し、スフィアに向かって「口外しないと、誓約書を書かせておけ」と言い置いて研究室を出て行った。


 アルトは困惑して今にも泣きそうな顔でスフィアを見るが、スフィアは申し訳なさそうに目を伏せただけだった。

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