4 矢のように(2)

 コンコン、とノックの音がして振り返ると、ガラス扉の外にトパーズ色の髪の女性が立っていた。

 呆れた様子で入ってくると、


「室長、こんなところにいた。ライカ主任が探してましたよ。もう会議始まるのにって」


 はっと気づいて慌てて時計を見る。

 思ってた以上に話し込んでしまった。


 アルトをレナードソンに任せて足早に部屋を出て行く。


「役職あると大変だねぇ。俺はヒラで良かったー」 


 あんたは出世できないわよ、とスフィアがにべもなく言う。


 そしてソファに座るアルトを横目でちらっと見る。


「誰? 何か見たことある顔」

「彼女、セルシオの見合い相手のアルトちゃん」


 スフィアがパンと手を打ち合わせ、ああ! と声を上げる。


「あの見合い写真の! ね、お嬢様なのに室長の家の前で寝てたって本当?」


 うん、とうなずいててへっと笑う。


 興味を持ったらしいスフィアが、アルトの向かいに腰かける。


「本当なんだ。えーあとさっ、室長と一緒に住んでるの?」


 キッとアルトを真正面から見つめる。

 目つきがきつく見えるのは美人だからだろうか。


「うんそう。家と仕事が見つかるまでの間、お世話になってるんだ」


 二人がポカンとする。

 スフィアは本当なんだとつぶやき、レナードソンは期間限定……? と首を傾げた。


「はぁあ? 何それあいつ何やってんだよっ。同棲じゃ」

「レナードソンうるさいっ。仕事戻れば?」


 スフィアの鋭い雷に、「でもアルトちゃんを任されたし」と口を尖らせる。

 後は私がするからとスフィアが言うと、名残惜しそうに部屋を出て行った。


 アルトに向き直り、あっと声を上げる。


「自己紹介してなかったわ。スフィア・グリーンバーグ。レイトス室長の研究室所属の研究員よ」


 目を細めてにこっと笑う。


 同い年のセルシオとレナードソンで態度が違ったのは、セルシオが上司だからかと納得する。


 それでだけど、と興味津々で、


「家と仕事を探してるって、アルトちゃんはこの街で暮らしたいの?」


 うん! と大きくうなずく。


「ぼくこの街が大好きなんだっ。ここに住みたい」


 ぼくかー、とスフィアが大きな目を丸くしてつぶやく。

 アルトは照れたようにえへっと笑った。


 スフィアが細く長い指を口元に当てて悩む。


「仕事は紹介所に行けば紹介してもらえるけどーーー。家は難しいかもね」


 ええっ、とアルトが驚く。

 仕事はお嬢様のアルトに勤まるかと不安があったが、見つけにくいのが家の方だとは思わなかった。


 スフィアが手で山を形作って、


「ここって変わった街でしょ? 家の山みたいな。建物の数が限られてて新しく建てようにも山の上しか場所がないの。でも住みたい人は多いらしくて、空き家が少ないのよ」


 アルトが落胆する。

 確かに家はひしめき重なり合っていて、建てられる数は限られるだろう。


「学生なら寮があるんだけど、家を借りるとなると、空き家を持ってる知り合いを紹介してもらうとかじゃないとなかなか見つからないのよね」


 私も大変だったな、と思い出してため息をつく。


 いきなりの前途多難にアルトが頭を抱える。

 そうなるとこの街を出るしかないのだろうか。

 せっかく優しい人たちと出会えたのに。


 アルトがしょんぼりしていると、見かねたスフィアが声をかける。


「まあ不動産屋もあるにはあるのよ。足元見てふっかけられるけど。今度一緒に行ってみる?」

「いいのっ?」


 勢いよく顔を上げ、目を輝かせる。

 スフィアがうなずくと、わあい! と飛び上がって喜んだ。


 無邪気なアルトを頬杖を突いて眺めながら、小さくつぶやく。


「この子が室長の見合い相手、ね……」




 研究室に入るなりスフィアが、


「室長っ。研究論文の翻訳、アルトちゃんにお願いしましょうっ」


 書類に目を通しながら歩いていたセルシオが、立ち止まって呆れる。


「何だいきなり。アルトは帰ったのか」

「責任持ってお見送りしましたっ。室長聞きました? アルトちゃん、何と五カ国語できるんですって」


 お嬢様なので外国語の勉強もしてるだろうと思っていたが五カ国語とは、と感心する。


「すごいですよね。で、外国語の研究論文の翻訳、やってもらいません? できたら私たちの論文の翻訳もっ」


 スフィアが珍しくうきうきしている。

 何でそうなる、とセルシオが苦い表情になる。


「だって、外国語の論文読むの大変なんですもん。ただでさえ専門用語が多いのに、長いし言い回しも複雑だし。それに翻訳家に出したら、返ってくるの早くて一週間後ですよ」


 スフィアが泣き真似をして訴える。


 するとガラス棚の向こうからひょっとレナードソンが顔を出した。


「論文なんて、何となくでテキトーに読みゃいーじゃん」


 だから何であんたがいんのよ、とスフィアが口を尖らせる。


「いーわよねあんたは。メネレイア出身のお母さんがいるから、言葉が分かって」


 スフィアの棘のある言葉に、レナードソンがにししっと歯を見せて笑う。


「まーでも俺もメネレイア語以外はさっぱりだし。翻訳家に出すほどじゃないけど、今ここの三十ページが読みたいってとき結構あるんだよね」


 でしょ? とスフィアが俄然盛り上がる。


「アルトちゃん、仕事探してるって言ってましたよ。それなら家でできますし」

「難しい専門用語は、お前に訊けばすぐ分かるしな」


 何で家に帰ってまで仕事しなきゃならない、と呆れ返る。


 まあでも、世間知らずのお嬢様が初めてするにはちょうど良い仕事かもしれない。


 スフィアとレナードソンが揃って期待の目を向けてきて、はぁっとため息をつく。


「……研究所が翻訳者という形で雇えるか、所長と相談してみる」


 やったぁ! とスフィアが両手を上げて喜ぶ。


 そしてあ、そうだと思い出して、


「室長、私今度アルトちゃんと家を探しに行くことになりました」


 セルシオが一瞬固まる。


 が、すぐにああ頼む、と答える。


「色々相談に乗ってやってくれると助かる。女性として困ることもあるだろうから」


 スフィアが頰に一本指を添え、首を傾げる。


「お見合い相手というより……。まるで思春期の娘を心配するお父さ」


 スフィアの言葉を断ち切るように、「打ち合わせに行ってくる」と言って研究室を出て行く。


 レナードソンのバカ笑い声を、大きな音とともに扉を閉めて塞いだ。

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