4 矢のように(1)
床から天井まである大きな窓から日差しがさんさんと射し込んでいる。
天井は高く、適度に緑が置かれていてやすらぎの空間を演出している。
研究室は狭く閉鎖的なので、こういう場所は落ち着く。
セルシオと同じ思いなのだろう、研究所に併設されたカフェでは、白衣を着た研究員たちが何人も休憩をしていた。
その隣にあるガラス張りの小部屋にセルシオとアルト、レナードソンが集まっていた。
ローテーブルを挟んでソファに向かい合わせで座る。
アルトは初めて見る研究所にわくわくキョロキョロしていて、レナードソンはそんなアルトを珍しいものでも見るような目で眺めている。
おおこれが噂のお嬢様、とさも言いたげだ。
レナードソンが前のめりになり、両手を組み合わせて口を開く。
「じゃあ早速だけど、アルトローザちゃん」
「アルトでいいよっ、レナードソンさん。すごいね、研究所って大きいねっ」
うきうきするアルトに、レナードソンがぽかんとする。
これが噂のお嬢様? とでも言いたげだ。
セルシオから見れば雰囲気に似たところがあると思う二人だが、対峙するとこうなるのか、と興味深く観察する。
一旦は調子を狂わされたレナードソンだが、コミュニケーション能力ならそこらの人間には負けない。相手が女性なら特に。
すぐに気を取り直して、
「じゃあアルトちゃん。ここは魔法について研究してる研究所がたくさんあって、全て合わせると規模は国で一番なんだよ」
一番! とアルトが感心して、なぜかレナードソンが得意げになる。
ソファに寄りかかって立つセルシオが、レナードソンの肩をつついて耳打ちする。
「おい、研究所を紹介してくれとは頼んでないぞ」
「黙ってろって。女の子ってのはいきなり質問攻めとか引くんだから。まずは会話会話」
そうなのか? とセルシオが詰まる。猫の階で買い物したとき立て続けにアルトに質問したが、引いている様子はなかったと思う。
納得いかなかったが、頼んだ以上は任せるべきかと思い引き下がる。
レナードソンが笑顔を作って、
「気になる? 後で研究室も見せたげよっか」
えっ、とアルトが興味を示す。
目は輝き、あるはずのないぴんと立てた犬耳とふさふさの尻尾がアルトの背後でぶんぶん揺れてるのが見える。
これにはさすがにレナードソンの肩を強く叩き、割って入った。
「研究室に部外者は入れない。勝手なことを言うなレナードソン」
レナードソンがへへっと笑い、アルトが肩を落とす。見えない犬耳と尻尾もへちょんと垂れる。
「そっか。見たかったな、セルシオが研究してるところ」
残念そうに言うアルトに、レナードソンがひそひそと
「え? これもうお前にべた惚れじゃねぇの?」
「違う。ただ何でも知りたがってるだけだ」
だからそれが、とレナードソンが食い下がるが、セルシオがいいからと追い払うように手を振る。
後で問い詰めるぞと睨みつけ、話題を変えた。
「えーと、今こいつの家に一緒に住んでるんだよね。大丈夫? ヘンなことされてない?」
おい、とセルシオが足でソファを蹴る。アルトが目を丸くして、
「何で? セルシオはぼくが困ってるときに助けてくれた、すっごく優しい人だよっ」
純粋な目で笑う。
それでレナードソンが毒気を抜かれてしまう。
セルシオに向かって真剣な顔で首を振る。
「ダメだセルシオ。俺、この子には手ぇ出せない」
いつそんなことを頼んだ、とセルシオが呆れ返る。
レナードソンが甲高い笑い声を立ててひそひそと、
「じょーだんだって! 親友の彼女には手ぇ出さねーよっ。てか、俺とお前じゃタイプ全然違うしなっ」
彼女じゃない、とつぶやくが、レナードソンは聞いていない。
「アルトちゃん家って大きい会社なんだよね。やっぱ家とかでかいの?」
軽い雰囲気で訊くが、アルトの表情が曇る。
やはり家のことは禁句のようだ。
レナードソンがやっちまったと冷や汗をかく。
「あっ、いいやっぱ、今のなし。違……」
「お屋敷は普通だよ」
アルトが目を細めて微笑む。
普通がどのくらいか想像つかないが、家でなく屋敷と言った時点で豪邸なのだろう。
「お父様はーーーいつも厳しくて、会社の人たちもみんな怖がってたみたい。家の中でも厳しい人で、お母様も兄様もぼくも、息を潜めるみたいに暮らしてたよ。お母様はいつもお父様の顔色を伺ってるし、兄様は跡継ぎだからって期待されて、お父様の言われるままになってるんだ」
部屋がしんと静まりかえる。
今まで金持ちは広い屋敷に住んで、欲しい物は何でも買える、何でも好きなことができていいなと短絡的に思っていたが、そんな息の詰まる環境では羨ましいと思えなかった。
セルシオがぽつりと尋ねる。
「アルトもーーーそんな風に育ったのか?」
日々父親を恐れ、自分の意思を殺しながら。
「ううんっ、ぼくは結構好き勝手やってたよっ。お父様のいるところではできないけど、庭の木に登ったり、勉強さぼってお屋敷を抜け出したり」
あっけらかんと笑う。
予想外の答えにセルシオが呆れる。
レナードソンは「いやー、度胸あるわこの子」と感心している。
「それじゃよく怒られたでしょ」
「教育係や侍従にね。お父様は、女だし放っとけって諦めてたみたい」
その言葉に二人が詰まる。
つと伏し目がちになり、感情を込めず淡々と、
「女はいいところに嫁げばいいって。それで役に立てって。だから十六になったときからお見合いしてたんだけど」
このまま聞いていていいのだろうかとセルシオが不安になる。
強制的な見合い。商売道具のような扱い。
何かアルトの傷に触れることにならないだろうか。
レナードソンも同意のようで、じっと黙って目線を落としている。
いや、やっぱり止めた方がいい。
「アルト、もう……」
「三回目のお見合いで大失敗しちゃって。相手の人骨折させちゃったんだ」
うっかり転んで膝擦りむいちゃった、みたいなノリで、てへっと照れ笑いする。
二人がさっきとは違う意味で沈黙した。
「こっ……骨折……」
レナードソンがプルプル震えて笑いをこらえる。
一体どんな見合いなら骨折するのか分からないが、自分は普通に終わって良かったと振り返ってほっとする。
アルトは気を遣ってか明るく話しているが、
「でも父親は怒ったんじゃないか」
セルシオが訊くと、そうだね、と憂いの表情になる。
「そのお見合いの後、お屋敷から出るなって言って閉じ込められた。きっとこんな娘もう外に出せないって怒ったんだと思う。でも二週間前、従者がお見合い写真を持ってきて、お父様が行けと言ってるって」
それでお嬢様のアルトが一般庶民のセルシオと見合いすることになったのかと納得する。
一度の失敗は商売にそんなに響くものなのか。
セルシオには理解できない。
顔に泥を塗った娘を目の届かないところにやりたいという意思もあったのかもしれない。
それで従者の行動も、家に戻れないと言ったアルトの言葉も腑に落ちた。
要するにアルトは結婚という名目の元、体良く家から縁を切られたのだ。
想像以上に重い状況に、セルシオが責任を感じる。
気安くうちにいてもいいなんて言うべきではなかったんじゃないだろうか。
もっと早くに突き放すべきだったかと後悔する。
もちろんそんな事情をもし知っていたとしても、見捨てられる性分でないのは自分が一番よく分かっている。
けれど、と考え込んでいると、レナードソンがイラついた様子でソファの背にもたれかかる。
「それさ、アルトちゃんはムカつかないわけ? 無理矢理見合いさせられて、ちょっとミスったからって家から離れて、こんなやつと一緒になるなんて」
ツッコミたいところが満載だったが、セルシオも聞いておきたかった。
家に戻りたいのかの気持ちも含めて。
アルトが首を振る。
「お父様は怖いけど嫌いじゃないよ。多分、お父様は色んな思いがあったはずなのに、迷惑かけちゃったなって。それにこうやってお屋敷から出て、すっごく身軽に感じるんだっ。自由でいられるっていいねっ」
眩しいくらいの笑顔を浮かべる。
レナードソンが大袈裟に泣き真似をする。
「もーめちゃくちゃいい子じゃねーかよっ! アルトちゃん、セルシオなんかやめて俺にしない?」
さりげなく手を取って真剣な顔で告げる。
「セルシオの友達って面白いね」とアルトがさらりとかわした。
自由ーーー。その手に何もなくなったことを自由と呼ぶのか。
空っぽは不安じゃないのかと、セルシオの胸がざわめく。
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