3 答えと疑問(1)
アルトには先のことが決まるまで数日家にいていいと言ってあった。
帰る家がない、知り合いもいない、仕事もない状態で、お嬢様が一人でいるよりはいいだろうと思ったのだ。
けれど帰ってきて玄関の灯りがついているのを一瞬何でだろうと思い、そうかと気づく。
帰宅すると家に人がいるなんてしばらく忘れてたな、と思いながら扉を開ける。
キッチンには朝同様アルトが立って洗い物をしていた。
セルシオが帰ってきたのに気づくと「おかえりっ」と笑う。
つられてただいまと言いかけるが、レナードソンの『押しかけ女房』という言葉を思い出しイラリとする。
逡巡した結果、「ああ」とだけ答えた。
セルシオが晩ご飯を食べる前で、調理器具や食材を買い込んだことをアルトが嬉しそうに話す。
セルシオの帰りが遅いので先に食べ終わっているのだが、今はダイニングがアルトの部屋のようなものなので、何も話さずにいるのは居心地が悪いのかもしれない。
「そのお店で鍋とお皿とフライ返しを買ったら、お店の人がおまけしてくれてねっ」
いや、うきうきと目を輝かせて喋る様は、ただ聞いて欲しいだけのようだ。
これでもお嬢様であるので金銭感覚に少し不安があったが、それなりに無理のない範囲でかつ良い物を選んで買ってきたようだった。
そういえば大企業の娘だったと思い出す。
金と物の扱いについてきちんと教育されてきたのだろう。
その辺りは、あまり頓着せず割とどんぶり勘定のセルシオよりしっかりしてるかもしれない。
「猫の階からここまで、荷物重くて大変だったよ。でも自分で選んで買うのって楽しいねっ」
セルシオはアルトの話に特にコメントせずたまに相槌を打つだけだが、喋っているだけで楽しいようだった。
買い物の後は家を掃除したという。
風呂場と洗面所を綺麗にして、明日は玄関とベランダと張り切るので、
「そんなに気負わなくていいぞ。今まで住んでた家より狭いとはいえ」
けれどその家はアルトが掃除することはなかっただろう。
掃除したいと言うので箒を渡すと掃き方を知らなくて、今日は濡れ雑巾一つで掃除できるところだけやったのだ。
アルトが小首を傾げ、「宿の部屋よりは大きいよ」と笑みを浮かべるので、それはそうだろうと呆れる。
「そう、だね。住んでたところは広かったよ」
表情が翳り、それきり口を閉ざしてしまう。
セルシオが訝しんでいると、
「あっ、セルシオの寝室と、ここの向かいの部屋は開けてないよっ」
慌てて言い足して、セルシオが呆ける。
セルシオの寝室ともう一つの部屋は実験材料や魔道具が転がっているので危険ということで鍵をかけてあるから分かっているのだが、アルトなりにけじめを持っているらしい。
セルシオがスプーンを持ったまま、向かいの部屋か、と考え、ふとソファに目をやった。
「うーーーあーーー……」
アルトが呆れて目を細める。
晩ご飯の後、セルシオはアルトを呼んでダイニングの向かいの部屋を開けた。
パチンと指を鳴らし灯りをつけると、地震か泥棒にでも遭ったのかというくらいに部屋中物がごった返していた。
触れて危険そうな物だけセルシオが手に取り拾い上げる。
「ここは物置にしてたからな。片付ければベッドが置けるだろう」
アルトがぐりんと首を回してへ? と目を丸くする。
どんぐりのような目で見つめられ、おかしなことを言ったか? とセルシオが汗をかく。
「いや、毎日ソファで寝るのは辛いだろう。この部屋なら鍵もかかるし」
補足しているのに、アルトはなおも横顔を見つめてくる。
やがて口を開くと、ぽつりと
「ぼく……ここに住んでいいってこと?」
そこで初めて自分が言ったことの意味に気づいた。
ただお嬢様なのにいつまでも固いソファは辛いだろう、ちょうど使ってない部屋もあるしと思っただけなのだが、つまりはそういうことになってしまう。
弁明させてもらうと、セルシオには相手が男性でも女性でも無意識に気を回してしまうところがある。
言葉は不得手だが身体はすっと動く。
子どもの頃はそうして女の子によく気を遣って友だちにからかわれたが、それが未だに直らないのだ。
直す方法も分からない。
それをどうやって伝えたものかと悩んでいると、アルトがにっこり笑う。
「ありがとう。セルシオは本当に優しいねっ」
何も説明できなかったが勘違いはされなかったようだ。
満面の笑みにセルシオが目線をそらす。
「それじゃあお言葉に甘えて少しの間お世話になります。お料理や掃除は任せてね!」
ぺこりと頭を下げ、えへっと笑う。
何だかおかしな展開になってしまったが、これだけ家事をしてもらえるのはセルシオとしても助かるので、ああと答える。
また嫁だの何だのレナードソンに茶化されそうだが、違うときっぱり否定しておく。
自分にはそんな存在必要ないのだから。
そう決めたのだ、今もまだ胸の痛むあのときに。
アルトが腕まくりをしてじゃあ、と早速片付けようとするので、明日にしろと止めた。
翌朝、アルトは朝食後早々に物置部屋の片付けを始めた。
見たこともない、使い方も分からない魔道具を手に取り、何だろうこれ? と首を傾げる。
「昨日も思ったけど、すごいねここ」
「男の一人暮らしなんてこんなもんだろう」
入り口の扉にもたれかかり、セルシオが苦い顔をする。
実は寝室もここと似たり寄ったりの惨状なのだが、今度の休みに片付けようと心に留める。
いや、アルトを寝室に入れる気はさらさらないのだが。
「魔道具は魔力を入れなければ発動しないが、気をつけ……」
言ってるそばからアルトが触れた蓄音機から大音量で音楽が流れ出し、慌ててバシバシ叩く。
「壊れる」と呆れて注意すると音が止んで、アルトがえへっと笑って誤魔化す。
セルシオがため息をつくが、怪我したわけではないのでまあそれくらいはいい。
アルトがガシャガシャとがらくたをかき分けて部屋の奥へ進む。
進むたびに綿埃がっ、うわ今なんか虫がっ、とびっくりしている。
ふと時計を見て、もう出る時間だなと思う。
「じゃあ悪いがゴミ以外は避けておいてくれ。帰ってきたら見るから……って、何漁ってる」
明らかに片付けではなく何かを探している風のアルトが、
「んー? 男の一人暮らしならではのあれやこれやを……」
「……何だ、あれやこれやって」
呆れ返ると、冗談だよ、とてへっと笑った。
セルシオが仕事に行き、アルトはとりあえず要りそうな物、ゴミ、正体の分からない物に分別していく。
が、いかんせん物が多い。そして分からない物が最も多いのが困った。
埃を落としたり窓や床を磨いたりしたいのだが、今日はそこまでできなさそうだ。
床に転がる物を手に取っては袋に入れ、をひたすら繰り返す。
無心に作業していると、転がっていた映写機に足が当たり写真が映し出される。
覗き込むとセルシオの姿が見えて微笑む。
「あっ、セルシオだ。それと……?」
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