1 お見合いと迷子(2)

 隣のおばさんは仕事に出かけるところだと言うので、仕方なくセルシオが女性を家に入れる。


 女性は玄関で服や髪についた砂埃をはたき落としている。

 その間にセルシオは着替えを済ませ、キッチンで湯を沸かしコーヒーを淹れた。

 もてなしというより、いつも寝起きに飲むのでついでだ。


 ダイニングテーブルについた女性がカップを受け取り、ありがとうございます、とぺこりと頭を下げる。


 セルシオもカップを置いて向かいに腰かけた。


「で。何でうちの前で寝ていた?」


 迷惑だと責めているのではなく、ただ疑問として尋ねる。


 突然喚きだしたときはやっぱり酔っ払いかと思ったが、今は落ち着いてるので違うのかもしれない。


 女性は思い出そうと、視線を宙でうろつかせた。


「えーっと、ぼく昨日の夜この街に来たんだけど」


 ぼく、という言葉にセルシオが眉をピクリとさせる。

 自分を示すのに女性はあまり使わない一人称だ。


 女性はそんなセルシオには気づかず、


「家を探してて道に迷っちゃったんだ。細い道がくねくねしてたり、あっちこっちに坂道や階段があったり。迷路みたいで面白いねっ、この街」


 無邪気ににこっと笑う。


 迷子になってるというのになぜそんなに楽しそうなんだ、とセルシオが呆れる。


 苦い顔でコーヒーをすすりながら、


「それでうろうろして疲れ果ててうちの前で寝てしまったのか? 危ないだろう、女性一人で」


 てへっと照れたように笑うので、だから何で笑うと眉を寄せる。


「結局探してる家は見つかったのか? まだなら警察に、いや、まずは帰った方がいいのか。家はーーー」


 目を上げると、女性がじーっとセルシオの顔を見ている。

 初対面なのに愛想もなくずけずけ言われて気を悪くしたのかと思ったが、そんな雰囲気でもない。


 真ん丸の、珍しい物でも見るような目で見つめるので、居心地が悪くなって眉をひそめて身体を引く。


 そのとき初めて真正面から顔を見て、何か思い出すことがあった。


 セルシオは勢いよく席を立ち、寝室へ行ってすぐ戻ってくる。

 取ってきた映写機をテーブルの上に置き、見合い写真を映し出す。


 優美なドレスで楚々として立つ女性の向こうで、同じ顔がにぱっと笑った。


「ちゃんとたどり着けたよっ。セルシオ・レイトスさんっ」


 セルシオが目を剥いて固まる。


 もし本当なら、目の前にいるのは見合い相手ということだ。

 しかし状況が突飛過ぎて、まだ夢でも見ているのだろうかと頰をつねりたくなる。


 玄関の扉が今度は控えめにノックされる。

 しかしセルシオは混乱していて微動だにしない。

 女性が「出なくていいの?」と首を傾げてはっと我に返り、放心状態でふらふらと玄関に向かった。


 扉を開けると、先ほどの隣家のおばさんとは対象的に、痩せて背の高い女性が立っていた。

 ひっつめ頭に切れ長の鋭い目、地味な紺色のワンピースを着ている。

 どこか気の強い鶏を連想させる女性だった。


 その後ろでは、こげ茶色のワンピースに白のエプロンをつけた少女が目を伏せ頭を下げている。


 女性はじとっと値踏みするような目でセルシオを見ると、深々と頭を下げた。


「おはようございます。初めましてレイトス様。突然で失礼ですが、こちらにカルティア家のお嬢様はお邪魔してないでしょうか?」


 カルティア家? お嬢様?


 頭が回転していないセルシオが聞き慣れない言葉に戸惑っていると、ダイニングにいた女性がひょっと顔をのぞかせる。

 鶏のような女性を見て、げっ、と顔を歪めて引っ込んだ。


 しかしそれを見逃さず、


「お嬢様。こちらにいらっしゃいましたか。お部屋に伺ったらもぬけの殻で心配いたしました」


 まるであらかじめ書かれた文章を読み上げるように、感情を込めず淡々と言う。


 女性はえへっとぎこちなく笑い、とぼとぼと玄関まで出てきた。


 彼女の従者らしき女性が、再びセルシオに頭を下げる。


「お嬢様が大変失礼をいたしました。何かご迷惑をおかけしませんでしたか」


 状況についていけず、ただ横に首を振る。


 従者はそうですかとあっさり言うと、


「さあお嬢様。宿に戻ってすぐ支度いたしますよ」


 お嬢様と呼ばれた女性はぶすっとした顔になったが、すぐに澄ましてはーい、と返事をする。


 恐らく侍従と思われる少女が、頭を下げたまま道を開ける。


 従者について外に出、扉を閉める間際お嬢様が振り返って、


「じゃあ、また後でね!」


 にっこり笑い、元気良く手を振る。


 パタンと扉が閉まり、残されたのは呆然とするセルシオと、いくつもの疑問だけだった。




「見合い相手が家に来たぁ?」


 会議室のソファに姿勢悪くもたれかかっていたレナードソンが、素っ頓狂な声を上げて跳び起きた。


 セルシオは長机に両肘を突き、うなだれている。


 レナードソンが呆れたように長く息を吐くと、また深くもたれかかる。


「そりゃーまー、ずいぶんと積極的な女性で」


 ちらりと写真を見て、こんな清楚っぽいのになと思う。


 そしてセルシオが所長からもらってきた釣書を開いて目を丸くした。


「アルトローザ・カルティア。げっ、カルティアってあのカルティア? 建築? とか家の賃貸とかやってる、でかい会社の。超お嬢様じゃねーか」


 主に不動産を扱う会社だ。その分野ではトップにあるということで、研究以外のことにあまり興味のないセルシオでも知っている。

 いや、そのくらいしか知らないのだが、それが余計に大会社だという迫力を増長させる。


「何でそんなお嬢様が、一介の研究員と見合いするんだ……?」


 完全に引いて青い顔をしているセルシオに、レナードソンがさぁ? と首を傾げる。


「カルティアとおやっさんに何か繋がりがあるんじゃねーの? おやっさん顔広いし」

「それにしたって、そんな大きな会社の娘なんて引く手数多だろうに、何で……」

「知らねぇ。いーじゃんお前、跡継ぎになんの? 金持ちじゃん。あーでも家族構成に兄ってあるなー」


 完全に他人事のレナードソンが面白がって茶化す。

 真剣に悩んでいるのにお前は、とセルシオが睨みつける。


 肩を落としため息をついて、


「顔は……写真と同じだった。しかしお嬢様が右も左も分からない街を、供もつけず夜に一人で出歩いて、挙句迷子になって朝まで見合い相手の家の前で寝るなんて……信じられるか?」


 レナードソンがあー、と呻いてポリポリ頰を掻く。


 セルシオは本気で悩んでじっと考えこんでいる。


 答えが出ないと分かってる疑問でも、うだうだ考えるんだよなぁこいつ、と三年の付き合いになる親友が呆れる。


 そういうレナードソンは大抵のことに不真面目だが天才肌で、物事を深く考えない。セルシオとは真逆のタイプだ。

 女性好きなのも相まって、よく軽いとか遊び人とか言われるが、自覚があるので否定はしない。


 セルシオが黙り込んでいるので手持ち無沙汰になり、見合い写真のフィルムを上に放り投げては取るを繰り返す。


 パシッと片手で取ると、


「まっ、とりあえず会ってみりゃいーんじゃねーの? 見合い、今夜なんだろ?」


 考えに集中していたセルシオが、そう言われてはっと気づく。


 見合いを拒否していたが、相手がすでに来てしまっていてはしないわけにいかないと、生真面目に会うらしい。


 自分で分からない答えはさっさと分かる人に訊きゃーいいのに、とレナードソンが目を細める。

 いつもセルシオはそうしない。

 一人で悩んで悩んで納得のいかない答えを出して、それでまた悩む。


 こういうところは研究者として欠点だよなと思う。

 いや人間的にもか。


 そこを改めて欲しくて、所長は二十三という若さながらもセルシオを室長に推したんだろうに。


 こいつは全く分かってない。


 レナードソンは腕を振り上げ、唐突にセルシオの背をバシッと叩いた。

 セルシオが驚き仰け反りむせ返る。

 ぜぇはぁいいながら、「何するんだ」とレナードソンを睨みつけた。


 励ましてやってんのに睨むなよ、と歯を見せて笑って、ポンポンとセルシオの肩を叩く。


「まっ、何かあったら相談しろよっ。砂粒ほどには聞いてやっから。同期のよしみでっ」


 『親友』という言葉は照れくさいので隠す。


 レナードソンの優しさが分かってないセルシオは、きっぱり「要らない」と断るので、さっきより強く背中を叩いてやった。

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