第一章
1 お見合いと迷子(1)
列車を下り、ぺたんこのバレエシューズで軽快に駆け出す。
ぞろぞろと下りる人たちはみな市場のある街中に向かっているが、彼女が見たいものはそれとは逆側にある。
姿が見えたところで立ち止まり、手で庇を作る。
「わーっ、あれかぁ」
女性が目を見開き歓声を上げた。
モコモコした毛の羊が草を食んでいそうな、のどかな緑の草原が視界の端から端まで広がっている。
起伏のなだらかな平野だったが、一つだけ特出して高い山があった。
それは自然の山ではなく、家々や店、学校に病院などのたくさんの建物が積み重なってできた一つの街だ。
その街の上空で、何かが日の光をきらりきらりと跳ね返している。
遠くからだと小さな点にしか見えないそれらは、何かの破片かゴミだろうか。
いくつもの点が集まり、街の山頂を境にまるで上下に山があるように見える。
その様相から、
「本当に砂時計みたい」
それがあの街の通称。
女性が期待で目を輝かせる。
後ろに控えていたひっつめ頭に切れ長の目をしたきつい印象の女性が、わざとらしく咳払いをした。
「そろそろ発車のお時間です。お早く」
感動に水を差す無粋な言葉に女性はむくれたが、はぁーい、と気のない返事をして踵を返した。
真っ白な廊下に煌々と灯りが反射していて、寝不足の目に痛いくらいに眩しい。
眉間をつまんで研究室の扉を押し開けると、長身の男が振り返ったので反射的に呆れ顔になる。
「よっ! 会議お疲れ、セルシオ」
アンバー色の髪に垂れ目の男性が片手を上げ、歯を見せて笑う。
セルシオはため息をつきながら顔を背け、自席にバサッと書類を置いた。
無視すんなよー、と言うのを無視していると、伸ばした腕を肩にのしかからせてくるので睨みつける。
「何してるんだレナードソン。ここはお前の研究室じゃないぞ」
この苦言もほぼ毎日言ってると、こっちが耳にタコだとぼやく。
レナードソンがにっと笑って、白衣のポケットから二枚のカード型の写真フィルムを取り出す。
セルシオが目を細めて固まった。
「おやっさんから。見合」
「断る」
一言きっぱり言い放つと、まだ全部言ってないだろぉっ? と喚くので、気にせず書類をめくる。
「もーホント頼むよー。会うだけ! 一回! 一回でいいんだって! じゃないとまた俺おやっさんにどやされるんだよ。な、俺とセルシオの仲だろ、なっ?」
セルシオが苛立たしげに肩に乗せられた腕を振り払う。
「お前が所長から怒られるのは、そうやっていつも仕事をサボってるせいだろう」
「ちげーって! お前説得するまで研究室帰って来んなって言われてんだよっ。ほらとりあえず見てみろって」
言って文庫本サイズの映写機を取り出しフィルムをセットすると、その上に女性の立ち姿の写真が投影される。
もう一枚、顔をアップにした写真も映し出された。
「ほら見ろ、可愛い子じゃねーかよ」
誘うように写真を指差すので、セルシオが顔をそらす。
レナードソンが映写機をぐいぐい押しつけてくるので、絶対見るか、と目を瞑る。
不毛な争いをしていると、トパーズ色の髪に背が高くスタイルの良い女性が、レポート用紙を持って二人に近寄る。
「すみません室長、ここの魔法石と魔力の……。あれ? レナードソン。何またじゃれ合ってんの」
大きな目を半眼にして呆れ返る。
じゃれてない、とセルシオが言うが、レナードソンはちょうど良かったとばかりに女性に泣きつく。
「スフィア、いーところに来た。聞いてくれよこいつったらもー」
大袈裟に身振り手振りで被害者面を作るが、スフィアは映し出された写真に興味を引かれていて聞いていない。
「誰これ。あんたの新しい彼女?」
「何でお前、俺が先週フラれたこと知ってんだよ。違う違う。セルシオの見合い相手」
スフィアがピリピリしているセルシオを見やって、口の端を引きつらせる。
「あー……。またですか。モテますね室長」
セルシオは伸びっぱなしでバサバサに跳ねている深紫色の髪を片手で掻き回し、面倒くさそうに大きなため息をつくと、
「所長に見合いはしないと言ってある。もう持ってくるな」
言い切って実験室に向かってしまい、レナードソンががっくり肩を落とした。
「ダメかぁー。本当頭かってーんだよな、あいつ」
スフィアは長い髪を手でバサッと払うと、目を細めて
「まぁ……仕方ないよね」
だよなぁー、と両腕を上げて伸びをする。
あ、室長ーとスフィアも出て行くので、レナードソンも仕方なさそうに立ち上がって研究室を後にした。
パチンと指を鳴らし、真っ暗な部屋の灯りをつける。
ベッドと本棚とチェスト、それに机が配置された寝室は、書類や魔道具で散らかっていた。
無造作にうず高く物が積み上げられた机の上を、最小限の作業スペース分だけ物を脇に寄せて空け、鞄を乗せる。
ふと昼間のやり取りを思い出し、まったくとため息をつく。
所長は五カ月ほど前からセルシオに見合いを勧めてくるようになった。
顔を立てねばと始めこそ真面目に相手をしていたものの、やはり自分にはだめだと思い、今は問答無用で突っぱねることにしている。
すると今度はセルシオと付き合いの長いレナードソンを使ってごり押ししようとするのだから、困ったものだ。
所長には多大な恩があるが、聞けることと聞けないことがある、と思う。
さて、と持ち帰った仕事をするべく鞄を開けると、詰め込んだ書類がバサバサッと溢れ出た。
慌てて床に散らばった書類を拾い上げる。
風の魔法が使えれば早いのだが、あいにくセルシオは魔法使いではないので地道にかき集める。
と、書類の間から写真フィルムが現れ手を止める。
「これは……」
フィルムを見ただけでは何が写っているのか分からないが、思い当たるのは一つだ。
何で鞄の中にと訝しみ、レナードソンめ、と思い至ってため息をつく。
それでも念のため、山の中から映写機を引っ張り出してセットする。
結果は予想通り、昼間レナードソンに押しつけられた見合い写真だった。
腰まである長い胡桃色の髪、黒目がちな目で、美人よりも可愛い印象の女性だ。多分まだ二十歳を超えてないだろう。
優美なドレスに身を包んでいるせいか、大人しそうだなと思った。
そこまで観察して、はっと我に返る。
いやいやと頭を振って投影を止めた。
遠くで扉を強く叩く音が聞こえて薄目を開ける。
時計を見ると、普段起きる時間より一時間も早い。
昨夜は夜明け前まで持ち帰った仕事をしてたのでもう一眠りしたいところだが、ノックの音は鳴り止まない。
仕方なく起き上がり、寝巻きのまま玄関に向かう。
扉を開けると、隣に住むおばさんが慌てた様子で立っていた。セルシオは寝ぼけ眼で、
「おはようございます……。どうかしましたか」
「ああっ、良かったいたんだねっ。ちょっとこの子どうしたか知ってるかいっ?」
この子? と首を傾げる。
あくびを噛み殺しながら、猫でもいましたかと訊く。
するとおばさんはじれったそうに、
「猫じゃないよっ。女の子だよ女の子。アンタの家の前で女の子が寝てるんだよっ」
そこでやっと眠気が吹き飛んだ。
外に出て扉を閉めると、セルシオの家の壁に寄りかかって座っている女性がいた。
空色のブラウスにブラウンのスカート。長い髪を肩のところでゆるく一つに束ねている。
二十歳前くらいの若い女性だった。
何でうちの前で、と思うと同時に血の気が引く考えがよぎったが、よく見るとちゃんと息をしていて眠ってるだけのようだ。
おばさんが困った様子で頰に手を当てる。
「酔っ払ってここで寝ちゃったのかねぇ」
この下の階が飲食店街のため、酔っ払いがうろついてたり喚いたりしてるのはそれほど珍しいことではない。
知ってる子かい? と訊くので、セルシオがかぶりを振った。
おばさんは女性の前にしゃがみこみ、ほっぺたをペチペチ叩き始めた。
「ほらアンタ、起きなって! こんなところで寝るんじゃないよっ」
女性はうるさそうに顔を歪ませ、うーんと伸びをした。
腕を下ろすとまた寝始めるので、おばさんが肩を掴んで起きなって、と揺り動かす。
やっと女性が薄く目を開けてほっとすると、パチッと目を見開いて突然、
「ああああ朝っ? きょっ、今日のレッスンは乗馬っ? それとも語学っ? 教養っ? すすすぐに支度するから叱らないでえぇぇ」
頭を抱えてあわあわ喚き出す。
呆気に取られているセルシオとおばさんに気づき、はっと我に返った。
「ここ……どこ?」
そんなお決まりのセリフを本気でつぶやいた。
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