マイベストセラー

椎名ロビンソン

僕の居場所 

 部活を引退して1週間。帰宅しようと駐輪場に向かったとき、ふと頭をよぎった。

(結局部活に入って何を得られたんだろう…)

気づくと家の裏の山で寝っ転がっていた。

裏の山は家から3分程歩いたところにあり、長い階段を登った先には少し遊具が設置されている草むらがあり、そこからさらに少し森の中を歩いて行くと木も何もない、空を一面に見渡せる空き地がある。

小さい頃から夜になると星好きの父に連れられてここで天体観察をしていた。

父は高校を卒業して東京の大学に進学した。都会への憧れがあったという。

しかし大学卒業後はすぐに地元に帰ってきてここで役場に勤務していた。

都会では星があまりみえなかったそうだ。おまけに人が多く空気が澄んでない都会で生活するのにはもう疲れたらしい。

東京で満足に星を見ることができないことで父には何か溜まるものがあったのだろう、大学生のときに2度星を見るために海外へ旅行したそうだ。

 1回目は北欧。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの3カ国では、オリオン座、こいぬ座、ふたご座はもちろんはっきりと見え、おうし座のすばるM45(プレアデス星団)もくっきりと見えた。おまけにオーロラまで見ることができた。と嬉しそうに話していた。

 2回目はニュージーランド。北欧に対して真逆の地に、実は世界で唯一星空を世界遺産に登録しようという活動が行われているほどの絶景がある。テカポ湖という場所だが、テカポとは先住民のマオリの言葉で「夜の寝床」という意味らしい。たしかに塵や水蒸気の少ない澄み切った空気と街灯のない真っ暗なテカポでは夜になれば星空を見ながらぐっすり寝られそうだ。父もそのテカポに行って一晩中空を見上げていたという。あそこで見た星は一生忘れられない。あれを上回る星空に出会うことはもうない。と、星の話をする度に再三語っていた。

 父は人より多少星の知識があるぐらいで、特に星について研究したり、日夜星について考えているというわけではない。ちょっと人に語るネタがあって、ちょっとシャレているという具合のものだが、それでも星を見るのが日課だった。

金星が近づけば嬉しそうに望遠鏡をのぞき込み、ハレー彗星が近づいた時には大騒ぎだったらしい。

父の気持ちはなんとなく分かる気がしていた。

 僕も星についての知識は父から聞いた程度のものでそこまで深いものではないし、とりわけ星の為にお金をかけたりすることも、星について勉強することもなかった。

それでも晴れた日の夜は裏山に来て空を見上げる。きっと父も僕も同じ理由でこの場所が好きなんだろう。

テカポには劣るだろうがこの裏山からの景色も負けじと、というより僕にとってはここからの景色しか知らないわけだから、ここの星空を上回るものをしらない。

修学旅行で行ったところは観光地が故に灯りは多いし、空気も澄んでないので星を見るという気持ちにすらならなかった。

 やっぱり裏山は落ち着いていられる。

春の大曲線に夏の大三角形、秋の四辺形に冬の大三角形。

四季に渡って全く異なる絵を黒いキャンパスに描いてくれる星たちが見るたびに僕の心を潤わせてくれた。

田舎なので街の灯りも夜になればほとんど無く、空気が澄みわたっているため肉眼でも満点の星空を見ることができる。

遊具は古びていてサビついたブランコが風に吹かれてぎしぎしと音を立て、森は3ヶ月毎にしなやかに表情を変えて魅せる。

1人で時間も場所も全てを独占した気分になれるこの場所がやっぱり好きだ。

いつしか父と来ることは無くなったが、時折1人で来ては空を眺めていた。

そのせいか考え事をする時は無意識のうちに自然と裏山に向かうようになっていた。


 部活は理科研究部(通称:理研)で、「部」とはいえど緩く自由な雰囲気であり、基本的に何か小規模な、結果が分かっているような実験をするか友達とテキトーに話をして帰る。テストが近づけば勉強会なるものを開いてみんなで勉強をする。これといって何かを研究して発表したりすることもないものであった。

当然最初に思い描いてたものとは違った。それでも1年生の中頃に、暇つぶしととりあえず何か入っておこうというだけの理由でなんとなく入部した。

 入学してすぐ、同じクラスで小学校から仲の良い遠藤と東山の3人で色々な部活を見回った。毎日放課後になれば部活を少し見てはすぐに帰り、帰宅途中で公園やら小川やらで道草を食って遊んでいた。

昔からあまり目立つ方ではなかった。いわゆる"クラスの中心人物"と呼ばれる人たちと接するのが苦手で、常に1歩、2歩引いたところから眺めていた。

特にうるさいとも思わないしイライラするわけでもないのだが、どうしてもクラスの中心には馴染めなかった。無意識のうちに避けていた。

そういう中心から少し離れたアウトサイドに遠藤と東山もいた。だからすぐに意気投合した。3人はいつも登下校を一緒にし、休みの日も一緒に遊ぶことが多かった。

遠藤と僕はとりわけ運動が苦手なため、遊ぶといえばテレビゲームやカードゲーム、川へ釣りに行くぐらいである。

ただ、3人は家の中で遊ぶとすぐ飽きる傾向にあった。遊ぶ時は普段閉じこもっている殻を破るかのように、外に出回りたくなるものだった。そういうわけもあって自転車競争をしながら公園に遊びに行くということもしばしばあった。

時々裏山の古びた遊具で遊ぶこともあったが、ほとんど行く事がない上に独占したい気持ちで溢れているため空き地の存在だけは教えていなかった。

 最終的に遠藤は「ほとんどの人が中学から始めるから」という理由で弓道部に、東山は昔半年だけテニススクールに通ってた事があるという理由でテニス部に、それぞれ入部した。

自分だけ取り残されてしまい、なかなか決めることができなかった。

「北斗は部活入らないの?」

「いや、何かには入ろうと思ってるんだけど...」

人と会う度にこんな会話ばかりだった。

 遠藤と東山が部活に入ってからは帰る時間が合わなくなり、3人で下校することはなくなった。どこか寂しい気もするが自分の優柔不断さが招いた結果なので仕方ないと思い、割り切るしかなかった。

休みの日も練習が忙しく次第に3人で遊ぶこともなくなり、だんだん1人で行動するようになっていった。家に閉じこもるのは落ち着かないので図書館に行ってみたり、裏山の空き地で寝そべったり、特に有意義な時間の使い方はできなかった。

 部活を見回ったときは理研の存在すら知らなかったが、いつも通りぽつぽつと1人で廊下を歩いているとふと壁に貼ってあるポスターが目に留まった。

(理科研究部なんてあったんだ。にしてもこの張り紙...前に通った時は全く気がつかなかった。いや、あの時は1人じゃなかったからか)

そう思っていたとき、いきなり後ろから声を掛けられた。

「あれ、君はたしか…そうだ、B組の紫村君?」

「え、えぇ。そうですけど...」

「丁度良かった!うちの部活見ていってよ!」

「…はい。」

言われるがままに誘導された教室へ入った。

あんな人いたんだ。いや、先輩かもしれない。しかも丁度良いってなんだ?どういう意味だろうか。なにかやらされるのか。たまたま空いた穴を埋める為の都合のいい...

「あ、ごめん自己紹介してなかったね。私、4月に転校してきました。隣のA組の岩瀬夏美です!」

「よ、よろしくお願いします。し、紫村北斗です…」

「北斗君ね!よろしく」

やはり今まで見たことがある顔ではなかった。しかも小顔で目鼻立ちがくっきりとしている。子供っぽさの中にも大人っぽさがあり、その立ち姿はどこか凛としている。ショートカットの彼女は僕の心の奥の今まで隠れていた黒い何かを強烈に突き刺すような眩しい笑顔で話しかけてきた。

女の子が苦手なわけではないが、うまく言葉を返せなかった。

「知らなかったと思うけど、ここ理科研究部の部室なんだ。」

「り、理科研究部?」

「そう!色んな実験とかしたり、あとは...勉強したり!」

「はぁ…」

「良かったら入ってくれないかな。1年生、3人しかいなくてさ。」

その時僕はとっさに考えておきます、とだけ言い残してすぐに帰った。

しかし心の中では即決していた。今回は裏山にも行かなかった。普段は圧倒的な威力で僕を打ちのめしてくる心の中の優柔不断な自分を珍しく開始10秒でKOした。

そして勢いをそのままに次の日入部届けを出した。

 小学校から知っている人達がそのまま中学に上がってくるので、ほとんど顔を知っていた事もあり部にはすぐに馴染めた。小学校時代には関わったこともない人とも仲良くなれたし、先輩という存在も初めてできた事で少しばかりやりがいのようなものを感じていた。岩瀬とも入部後すぐに打ち解けられた。

「なぁ岩瀬、この部活ってこんなに緩くていいのか...?もっとこう、研究とか発表とかさ」

「うーん。まぁ今はこんな感じだけど、だんだんちゃんとやっていこう!」

「…そうだな。」

その時は、そのうちもっと研究らしい研究をして発表もして部活として精力的に活動するようになるだろうなんて思っていたが、次第に周りにすっかり流されてしまい、緩く自由な雰囲気に完全に飲まれていった。いざ2年生の秋にその場の成り行きで自分が部長になったが結局何も部に変化をもたらすことなく、今まで通り淡々とテキトーに時間だけが流れて、そして気づいた時には引退していた。

遠藤と東山とも、あれ以来ほとんど関わらなくなっていた。特に東山はテニスでめきめきと頭角を表し、部長にもなり、クラスではいわゆる中心的な人物に近かった。

2人の志望校がどこなのかも知らない。学校の成績さえも知らない。

それでもいちおう理研で仲良くなった友達はいる。そいつらと仲良くやってれば十分か。いや、一方的に仲が良いと思ってるだけでむこうからしたら...。まぁいいや。

寂しい気持ちの反面、ある程度の踏ん切りをつけられていた。

 (…まぁ、所詮田舎の公立中学校だし部活なんてこんなもんだろ)

空は茜色が深まり、白い月とうっすら数粒の星が光り始めていた。

カシオペアが形を見せてくる時期で、ペガスス座も見えるだろうか。

まだわし座のアルタイルは夏の大三角形の一部として出ているのか。

心の中で結びを付けて立ち上がろうとしたとき、後ろから声がした。

「あ、北斗もここ来るんだ!」

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