第3話 部長争奪・肉○○○勝負! その3

 二年生の水森千雪先輩が昼休みの調理室にやって来た日から、今日でちょうど一週間が経った。すなわち、今日こそが肉ジャガ勝負の当日だ。

 放課後の調理室に、僕たちは雁首を揃えていた。僕たちというのは、僕に饗庭さん、呑名先生に水森先輩の四人のことだ。なお、勝負の時刻が昼休みから放課後に変更されたのは、


「よくよく考えたら、昼休みに二食は午後の授業に響きますよね!?」


 という呑名先生の至極真っ当な意見を容れてのことだった。


「さて、みんな揃ったことだし、始めましょうか」


 呑名先生が胸の前で両手を合わせて宣言した。


「はい」

「分かりました」


 僕と水森先輩は揃って頷き、料理を開始した。

 調理室には調理台と食卓が一体になったものが六台ほど用意されていて、僕と水森先輩はそれぞれ自由に選んだ調理台で料理を進めている。べつに意識していたわけではないが、僕が選んだのは一番窓側の一番後ろの調理台で、水森先輩が選んだのは一番廊下側の一番前だ。つまり、対角線上にある一番離れた台を選んだわけで、僕からは先輩がどんな肉ジャガを作っているのかがよく見えなかった。

 よく見ようとすれば見えたのかもしれないけれど、テストでカンニングをするみたいな気分がして、あまり先輩のほうを見ることができなかった。だから想像でしかないのだけど、きっと先輩も僕と同じ気持ちでいて、僕のほうを見ないようにしていたのだと思う。

 相手を意識するまいとしている気持ちが、包丁のリズムや蛇口から流れる水音の間隔などから、なんとなく伝わってくる――ような気がするのだった。

 ちょうど中央の卓に座って僕たちのほうを交互に眺めている饗庭さんと呑名先生には、僕と先輩が無視を決め込んでいるように見えていたかもしれない。

 まあ事実、調理室に入ってきたときからこっち、僕は水森先輩と一言も交わしていない。べつに敵愾心なんて持っていなかったはずなのに、先に来ていた先輩の顔を一目見た途端、一気に来たのだ。言うなれば、闘志というやつが。

 水森先輩がこの一週間ずっと、僕に対する闘志を燃やしてきたのか、それとも僕のように、顔を合わせた瞬間に昂揚したのかまでは察しようがないけれど、顔を合わせたあの瞬間、水森先輩の目の中に闘志の火花がばちっと爆ぜたのを確かに本当だった。

 そんな僕と先輩だから、いまものすごく敵対していると言えば、その通りだ。でも、それは憎み合っているのとは違う。無視し合っているわけでもない。むしろその逆に、いまは自分の料理のことだけ考えなくてはいけないぞ、と気を引き締めていないと駆け寄っていってしまいそうなほど、相手のことが気になって気になって仕方がない状態だ。

 こういう言い方は誤解を招くかもしれないけれど、僕と水森先輩はいま、ものすごい勢いで相手のことを知りたくて堪らないという興奮状態にあるのだった。まあ……水森先輩もそうだというのは、僕の思い込みでしかないけれど。

 意識の片隅でそんな由無し事を考えているうちに、料理は完成した。水森先輩のほうも、僕と前後して調理完了したようだった。


「二人とも出来ました? それでは、料理をこちらに持ってきてくださいな」


 呑名先生が教室中央の卓に着いたまま、僕らを嬉しげに手招きしている。料理中はあまり視界に入れていなかったけれど、きっと楽しみに待っていたのだろうな……とか思うと、いつも以上に子供っぽく見えてきてしまう。


「はい、どうぞ。熱いから気をつけて食べてくださいね」


 思わず子供に話しかけるような顔と声音で言ってしまった。でも、呑名先生は思いっきり子供扱いされたことにも気づかず、


「わぁい、待ってましたぁ! いただきまぁす!」


 いまどき子供でも言わないような快哉を上げて、ほのかな湯気を燻らせている肉ジャガのお椀に箸を付け始めた。

 さて、呑名先生と饗庭さんの前に並べられた肉ジャガのお椀は当然、ふたつ。縁が六角形のお椀が僕の作った肉ジャガで、縁の丸いお椀が水森先輩のだ。

 呑名先生が何の前置きもなく箸を向けたのは、丸いお椀のほう――水森先輩が作ったほうの肉ジャガだった。


「……あら?」


 呑名先生の箸が肉ジャガのジャガに触れる寸前、ぴたりと止まった。


「先生、どうかしました?」


 と訊ねる水森先輩の顔は、なんだか薄笑い。呑名先生がいつ気づいてくれるのかと待ちに待っていた、という顔だ。

 その意地悪い微笑みに、呑名先生はちょっと泣きそうな感じで眉を顰める。


「あのね、水森ちゃん。この勝負のお題って、ジャガイモの入っていない肉ジャガでしたよね? だから先生、今日は牛鍋とか牛丼、もしくは豚汁豚丼みたいなものを期待して、お昼もいつもの半分にして楽しみにしていたんです。でも……この肉ジャガ、おジャガが入っていますよね? これ、ジャガイモですよね!?」


 呑名先生が箸の先で指しているのは、確かにジャガイモだった。面取りされた小さめのジャガイモだった。


「ジャガイモ無しが絶対条件のお題で、こうも堂々とジャガイモをぶち込んでくれるだなんて……先生、正直失望です。水森ちゃんは、口ではつんつん言っていても根は素直な良い子だと思っていましたのに! よくも先生を裏切ってくれましたね!」


 水森先輩に食ってかかっている呑名先生は、いつにも増して子供っぽい膨れっ面になっている。最初は似合っていない薄笑いだった水森先輩も、いまはさすがに困った顔だ。そこに横から救いの手を差し伸べたのは、先生の隣で水森先輩作の肉ジャガをつついていた饗庭さんだ。


「先生、落ち着いてください。水森先輩は先生を裏切っていませんよ」

「饗庭さん、何を言ってるんですか!」


 通常の三倍の速さで饗庭さんのほうに振り返る呑名先生。その動きに、饗庭さんの肩がびくっとする。なかなか珍しい光景だ。


「饗庭さん……随分とお馬鹿なことを言ってくれますね。それとも饗庭さんには、この物体が目に入っていないんですか? それともジャガイモの食べ過ぎで、ジャガイモを見なくて済む便利なお目々になっちゃったんですかぁ?」


 そう言って饗庭さんに絡んでいく姿も、いつもは見られない新鮮なものだ。けれど、饗庭さんはもう慣れたみたいだ。いつもの調子でさらっと言い返す。


「でしたら、先生の目は、ジャガイモの食べ過ぎで何でもジャガイモに見えてしまうようになってしまったんですね」

「……どういう意味です?」

「最初に言った通り――水森先輩は何も裏切っていません、という意味です」


 饗庭さんはそれ以上の説明をする代わりに、自分の前に置かれていた六角形のお椀からジャガイモを摘んで口に運んだ。


「ん……」


 もぐもぐ、と静かな咀嚼。白い喉がこくんと動いて、嚥下。そこで呑名先生にちらりと横目を向けて、唇の端っこで微笑む。その静かな所作に、呑名先生の吊り上がっていた眉尻もゆるんと下がる。そして、ジャガイモを箸で摘むと、矯めつ眇めつしながら口へと運んでいった。


「やっぱ、お芋ですよね……」


 呑名先生は訝しげな顔で呟きながら頬張って、もぐもぐごくんと嚥下して……驚きに目を丸くした。


「……あれ? お芋ですよね? あれれ?」


 不思議そうにしながら、呑名先生は二個目のジャガイモに自分から箸をつけた。そして、口をもぐもぐさせながら、何かを確信したように小さく頷いた。


「んっ……これ、ジャガイモじゃありませんね。もっと、しっとりもちもちしている食感……これはお餅ですか? あっでも、お餅ほど粘っこくないですよねぇ」

「先生、かなり惜しいです。それは大根餅……大根おろしと上新粉を混ぜて練って焼き上げたお団子です」


 嬉しげに説明する水森先輩。対して、きょとんと小首を傾げる呑名先生。


「上新粉って、何でしたっけ?」

「……ざっくり言うと、お米を粉にしたものです。お団子の材料です」

「あー、はいはい。知ってます、知ってます。知ってましたよ。あっ、お団子の材料を使っているから、お餅っぽいんですね」

「そういうことです」


 気持ちよく説明していたところに水を差された水森先輩は、ちょっぴり下膨れな顔になりながらも首肯した。

 その一方で、呑名先生は満足そう……というか、偉そうな顔になっている。


「なるほど、なるほど。大根餅ですか。それをおジャガに見立てたわけですね。なるほど、見事なお題の解釈です。見た目はジャガイモそのままなのに、食感にジャガイモっぽさがないところが、とても好感触です。なにより、ほどよくもちもちさっくりな大根は普通に美味しいですし。それに……」


 と、肉ジャガのお肉――たぶん豚バラ肉だ――を口に運んで、もぐもぐごくんと味わってから笑顔で講評再開。


「大根とお米って、お肉との相性も最高です。大根餅を食べるとお肉が食べたくなって、お肉を食べると――」


 そこでまた箸を伸ばして、今度はジャガイモっぽい丸形に焼き固めてから煮てある大根餅をまた食べる。


「んっ……と、このように大根餅が食べたくなるでしょ。で、大根餅を食べると、」


 今度はお肉を口に運んで、


「ん、このようにまたお肉が欲しくなる……という魅惑の悪循環から逃れられなくなるわけです。はい、とても美味しいです。素晴らしいです。とくにどこが一番素晴しいかって、芋っぽさがまったくないところです!」

「それは褒め言葉じゃないですよね」


 饗庭さんの素早く冷静なツッコミ。


「え、あら? あっ、そんなつもりじゃなかったんですよ。水森ちゃん、先生は褒めたんですからね。うっかり口が滑ったとかじゃないんですからねっ」

「いま滑りまくってますけどね」


 饗庭さんのツッコミ、またしても。


「ほんとに違うんですからねっ!」


 呑名先生は必死の顔で水森先輩に訴える。先輩は苦笑の形に口元を引き攣らせていたけれど、先生と目が合うと、にこりと頬笑んでみせた。


「まあ、普通の肉ジャガに見せかけて、じつは全然お芋を使っていなくて驚き――というのがコンセプトの肉ジャガですから、芋っぽさがないというのは最高の褒め言葉です。先生に満足してもらえたようで光栄です」

「水森ちゃん……!」


 頬笑む水森先輩に、呑名先生は目を潤ませる。そのまま抱き合ったり、夕日に向かって駆け出しそうな勢いだ。

 饗庭さんが呆れきった目つきで、そんな二人を見やる。


「先生、試食はまだ終わっていませんよ」

「あ、そうでした」


 一瞬で涙を引っ込めた呑名先生が、視線をもうひとつのお椀に――僕が作ったほうの肉ジャガに戻す。


「では改めて、飯泉くんのもいただきますが……こちらも見た目、丸っきり普通の肉ジャガなんですよねぇ。あ、それとも、こちらもジャガイモと見せかけて、ですかね?」

「……まあ、その通りです」


 僕は苦笑混じりに肯定した。本当なら、もっと怒ったり驚いたりしてもらいたかったのだけど、二番煎じではそうもいかないか。

 僕の作った肉ジャガも水森先輩が作ったものと同じく、他の食材をジャガイモに見立てただった。

 着想の切欠はもちろん、饗庭さんが前に持ってきてくれた餃子もどきの和菓子だ。あれを食べたときに、精進料理のことを思い出したのだ。戒律で肉食が禁止されている仏教徒のための料理である精進料理には、野菜で肉の見た目や食感を再現するという、いわゆるの技法がある。僕も水森先輩も、その技法を応用して、芋以外の食材でジャガイモを再現したというわけだった。

 水森先輩は大根餅をジャガイモに見立てたけれど、僕のジャガイモもどきは豆腐団子だ。木綿豆腐を裏漉ししたもの、粉豆腐、大豆粉を、全卵をつなぎにして作った団子である。粉豆腐というのは冷凍および乾燥させた豆腐――凍み豆腐というものを砕いて粉末にしたもののことで、大豆粉は生の大豆を砕いて粉にしたもののことだ。なお、大豆を炒ってから粉にすると、きな粉になる。生の大豆を粉にしている分、大豆粉はきな粉よりも土臭い。

 木綿豆腐、粉豆腐、大豆粉という大豆由来の三種を上手い具合の比率で配合することで、ジャガイモのような土っぽい風味と、ジャガイモよりもしっとりした食感の豆腐団子に仕上げた自信作だ。だから、本音を言わせてもらうなら、やっぱり呑名先生にはもう少し驚いてもらいたかったところなのだけど……まあ、水森先輩とネタが被ってしまった以上は、いまさら何度言っても詮無いことだ。

 僕が胸中で苦笑いしているうちにも、呑名先生は微妙に芝居がかった様子で、箸をお椀と口との間で往復させている。


「ふむふむ……こちらのおジャガも食感はしっとりもっちりでおジャガっぽくないのですが、風味というか味わいというか、そういうのが水森ちゃんの大根餅よりも、もうちょっとおジャガっぽいですね。あ、先生の言っている意味、分かります?」

「はい、分かりますよ」


 相槌を打った僕の顔は、自然と緩んでしまった。なぜなら、豆腐団子にジャガイモのような土の風味を加えたところは、一番苦労した点だったからだ。大豆粉の比率が多くなりすぎると、生大豆の青臭さが強く出過ぎてしまう。かといって混ぜる量を少なめにすると、ただの豆腐団子にしかならなくて、味醂、酒、醤油の甘辛い煮汁と合わせるのには少々物足りなくなってしまう。このバランスを取るのには苦労させられたから、分かってもらえて素直に嬉しかった。


「先生、おジャガにはもう飽き飽きですけど、おジャガっぽい風味とおジャガっぽくない食感の取り合わせは全然有りですね。うん、こちらの肉ジャガも素敵です」


 呑名先生はひとしきり講評すると、後は黙々と箸を進めて、僕の肉ジャガも平らげた。


「ふう……水森ちゃん、飯泉くん。二人とも、ごちそうさまでした」


 空になったふたつのお椀を前にして、呑名先生は僕と水森先輩を振り返る。


「いえ、そんな」

「どういたしまして」


 僕たちが返礼すると、呑名先生はわりと先生っぽい顔で頬笑んで、続きを話し始めた。


「どちらの肉ジャガも、大変美味しかったです。おジャガ禁止の肉ジャガなんて、我ながら無茶振りしたものだと思ってましたけど……いやぁ、何とかなるものなんですねぇ」


 へらりと笑う呑名先生に、僕と水森先輩は苦笑い。饗庭さんは舌打ちめいた溜め息だ。そんな僕らの対応に、呑名先生の笑顔も引き攣る。


「え、えへへ……ええと……先生、勢いに任せて無茶振りしました。ごめんなさいでした」


 呑名先生はわざわざ椅子から立ち上がって、深々と頭を下げた。


「いまさら別にいいですよ。何だかんだと面白かったですし」


 と、僕。


「わたしも勉強になりましたし、むしろ感謝しているくらいですよ」


 水森先輩も握り拳を作って返事する。


「そう言ってもらえると、先生も助かります……さて、」


 先生はそこで一呼吸の間を挟むと、表情を改めて続けた。


「もう肉ジャガは堪能させていただきましたし、ここで終わってしまってもいいんですが……かりにも勝負である以上、判定を下さないといけませんよね」


 その台詞に、僕たちからの異論はない。饗庭さんは静かに頷いているし、水森先輩は緊張気味に眉根を寄せている。

 そんな僕らをぐるりと見渡して、呑名先生はさらに続ける。


「ジャガイモを使わない肉ジャガというお題のクリア方法が、奇しくも両者同じく、ジャガイモ以外の食材でジャガイモを再現するという方針でした。ですので、その方針をより突き詰めたほうを勝者にしたいと思います」


 呑名先生はほんの少しだけ迷うように息を吸って、宣告した。


「勝者は、飯泉くん」


 僕の名前が呼ばれた。それを聞いた途端、無意識に安堵の吐息が溢れた。


「あ……よかった……」

「どうしてですか!?」


 水森先輩の上げた大声が、僕の溜め息を吹き飛ばした。僕も驚いたけれど、先輩自身も自分の声の大きさに驚いたようで、はっと唇を閉じた。でも、すぐにその唇をおずおずと開かせていく。


「すいません、いきなり。でも……納得いきません。飯泉くんがジャガイモの代わりに使ったのは豆腐団子なんですよね? しかも、先生が苦手な芋類特有の土っぽさまで付けてあったんですよね? そのアイデアや工夫はすごいと思いますけど、わたしの大根餅が負けていたとは思えません。いえ――むしろ、お肉や煮汁との一体感で言うなら、豆腐団子より大根餅のほうが上だとも思うんですけど」


 先輩の声は大声ではなかったけれど、少し震えていた。スカートの裾をきつく握り締めている手も、小刻みに震えていた。僕に負けたのがよほどショックだったようだ。というより、自分の作った大根餅の肉ジャガに相当の自信を抱いていたのだろう。でも、その点については僕も同じなのだ。


「先輩――」


 僕がそう言いかけたのと同時に、饗庭さんも異口同音の台詞を発していた。ただし、僕の台詞はそのひとつで止まってしまったけれど、饗庭さんの台詞はさらに続けられた。


「先輩、そこまで言うのなら、自分の舌で確かめてみたらどうですか。飯泉くん、肉ジャガはまだ残っているんでしょう?」

「あ、うん」


 僕は食器棚からお椀と箸を持ってくると、鍋に残っている肉ジャガを取り分けて、先輩の前に置いた。


「先輩、どうぞ」

「……いただきます」


 先輩は椅子に腰を下ろすと、右手に箸を、左手にお椀を持って、僕の肉ジャガを食べ始めた。


「何よ、普通の肉ジャガじゃない……」


 そんな呟きが聞こえたような気がする。僕の肉ジャガを食べる先輩の顔は不服げで、自分の肉ジャガは負けていないじゃないか、と思っているのがはっきり読み取れる顔だった。

 だけど、その顔がふいに固まる。驚くような、あるいは訝しむような感じに眉が動いた。先輩はその顔のまま、さらにもう何度か箸を往復させる。そして呻いた。


「これ、お肉じゃ……ないわね……」


 先輩は呻きながら、僕を見る。僕は頷いてみせた。


「その通りです。これはお肉じゃありません。凍み豆腐を豚骨スープで柔らかくしたものに片栗粉を塗して、少量の油で焼き固めたものなんです」


 豆腐を肉に見立てる技法は、これもまた精進料理のものだ。ジャガイモもどきの作り方を模索する過程で仕入れた知識だった。


「お肉もどき、というわけね。そうか……ジャガイモだけじゃなく、肉まで偽物だったのね……」


 先輩は箸で摘んだ細切れ肉――に見立てた板麩の細切りをまじまじ見つめて慨嘆している。その先輩を横目にしながら、饗庭さんが話しかける。


「飯泉くんがジャガイモだけでなく、お肉もにした理由、先輩には分かりますか?」

「ジャガイモをにするだけじゃインパクトが足りないから……」


 水森先輩が答えた瞬間、饗庭さんの冷笑が飛ぶ。


「あら、実際に食べてみておいて、本当にそれだけだとのことしか分からないんですか?」

「え……」


 戸惑う先輩に、呑名先生が優しく語りかける。


「水森ちゃんの肉ジャガは、お肉と大根餅の相性が抜群でした。だけど、相性の良さという点では、飯泉くんの豆腐団子と凍み豆腐のお肉もどきだって負けていませんよね。だって、どちらもお豆腐から作ったものなんですから」


 饗庭さんも言い添える。


「さらに言うなら、味醂を控えめにした煮汁は、火を止めた後に少しの味噌を入れて仕上げてある。味噌も大豆から作られているのは、先輩も知っていますよね」


 饗庭さんは相変わらず、作るのは苦手でも味わうのは得意なひとだ。ずばり言い当てられた僕のほうまで、舌を巻いてしまう。


「知ってるわよ」


 水森先輩もは憮然とした顔で言ったが、すぐに思い詰めたような顔になっていく。


「でも、そう……なるほど、そういうことね。この味の一体感は、煮汁にも一仕事してあるからなのね。わたしはジャガイモを大根餅で代用するのを考えついたところで満足してしまったけれど、彼はそこからさらにお肉と煮汁のことまで考え続けた――」


 水森先輩は目を閉じると、観念したように項垂れて言った。


「わたしと同じ方針で、より突き詰めたのは彼のほうです。だから……わたしの負けです。文句はありません」


 先輩の敗北宣言だった。


「水森ちゃん……」


 呑名先生が神妙な顔をして呼びかける。


「あなたは、肉もおジャガも入っていない味噌仕立ての肉ジャガなんてもう肉ジャガじゃない。だから、この勝負はわたしの勝ちだ――そう言ってもよかったのに、言わなかった。水森ちゃん、あなたは立派です」

「……ありがとうございます」


 水森ちゃんは顎が喉に触れるくらい深々と頭を下げた。泣いているのを隠したのかとも思ったけれど、ぱっと顔を上げて僕を睨みつけて目には、涙の跡なんて光っていなかった。


「飯泉くん……だったっけ?」

「あ、はい」

「約束通り、きみがこの部の部長で文句ないわ」

「えっと……どうもです」


 部じゃなくて同好会だから、部長じゃなくて会長ですけど……だとかの余計なことは言わず、僕は頷くだけにしておいた。だけど、饗庭さんが僕の分まで勝ち誇ってくれた。


「あら、随分と素直になりましたね。最初からそういう殊勝な態度でしたら、わたしも無駄な喧嘩を売ったりしないで済んだのだけど」 

「……べつに、あんたに負けたわけじゃないわ」


 言い返した水森先輩の声は弱々しかった。

 饗庭さんもそれ以上は言い立てなかったけれど、口元には勝者の微笑を張り付かせている。


「まあ思いの外、面白い勝負でしたし、今後も定期的に挑戦を受けてあげてもいいですよ」

「なんで、あんたが挑戦を受けるみたく言ってるのよ。挑戦を受けるのは、そっちの彼でしょうに」


 水森先輩は仏頂面で言いながら、僕を見やる。饗庭さんも遅れて僕を見ると、


「飯泉くん、受けるでしょ」


 まるで当然のことのように言ってくれた。


「……はいはい」


 僕はがくりと項垂れることで、なぜかにやけてしまった顔を隠しながら答えた。

 ――といった感じで、呑名先生の無茶振りから始まった料理同好会会長決定味勝負は終わり、料理同好会は水森先輩という新メンバーを迎え入れたのだった。

 これで終われば、みんな満足だったのだけど……。


「じゃあ、勝負が終わったばかりで何ですが、明日のお昼をどうするか決めてしまいましょうか」


 呑名先生が両手を合わせながら、にこにこ顔で僕たちを見渡す。


「あ、そうですね」

「いつもはどんなふうに決めているんですか?」


 僕が同意して、水森先輩が問いかける。だけど、饗庭さんは違った。


「先生。明日のお昼なら、もう決まっているじゃないですか」


 饗庭さんがそう言った瞬間、呑名先生の顔が引き攣る。


「あ……饗庭さん、まさかとは思いますが……」

「明日からジャガイモシフト復帰です」

「ジャガイモなんでーッ!?」


 呑名先生が奇声を発した。


「なんでと言われても、まだジャガイモの一番美味しい食べ方が完了していないからですが」

「そういうのうやむやにするための肉ジャガ勝負だったんじゃないですかー! ばかーっ!」

「先生、そんなつもりで勝負を煽っていたんですか。と言いますか、いきなり馬鹿と叫ぶのは教師としてどうなんですか?」

「教師だって夕日に向かって叫びたくなるときくらいああるんです!」

「そう言えば、もうそんな時間ですね」


 饗庭さんは窓の外に顔を向ける。調理室の窓は西側に面していて、町並みと空の境目が茜色と藍色の層に塗り分けられているのを眺めることができた。放課後になって間もなく料理を作り始めたはずだけれども、いつの間にやら日没間近になっていた。沸騰寸前まで加熱したり、味を染み込ませるために冷ましたり――と、煮込み料理は手間よりも時間を要するものだから、それもまた当然のことだ。


「調理室にも圧力鍋があるといいな……」


 ジャガイモ禁止の肉ジャガ勝負が終わっての、それが僕の感想だった。

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