第3話 部長争奪・肉○○○勝負! その1

 昼休み、僕達はいつものように調理室で集まって、お昼を作っていた。例によって、今日も今日とてジャガイモ料理だ。僕もさすがに飽きてきていたけれど、饗庭さんにはまだ響かないらしい。というか、饗庭さんもじつはジャガイモに飽きてきているから、何を食べても胸に響かないのではなかろうか……。


「で、今日の献立は?」


 饗庭さんが聞いてくる。


「ええと……」


 僕が答えようとしたのを、がらがらっと開け放たれた扉が邪魔をした。


「頼もう!」


 扉の開く音よりももっと大きな第一声。まるで道場破りのような声を発して戸口に仁王立ちしているのは、一人の女生徒だった。正面からだと分かりにくいけれど、たぶんポニーテールだ。

 上背はたぶん饗庭さんより少し低くて、制服のスカート丈も饗庭さんより少し短めだ。でも、腰にカーディガンを巻いているから、きっと階段を上がるときも視線対策は万全なのだろう。ついでに上履きを見ると、ラインの色が黄色だ。ラインの色は学年ごとに決まっていて、僕たち一年生は緑。黄色は二年生だ。

 余計なところに視線を寄り道させた分、僕よりも饗庭さんのほうが先に観察を終えて口を開いた。


「何でしょうか、先輩」

「あ……えっと……」


 饗庭さんに見つめられた二年生の先輩は、急にしどろもどろしてしまう。道場破りみたいな第一声だったわりに、じつは気が小さいのひとなのかもしれない。

 先輩女子が戸口に突っ立ったまま口籠もっていると、その後ろからひょこっと呑名先生が顔を見せた。


「こらこら、饗庭さん。初対面の先輩をいきなり脅したりするものじゃありませんよ」

「……」


 饗庭さんはものすごく何か言いたげな様子だったけれど、何も言わずに目を逸らしただけだった。視線が外れたことで、先輩さんの金縛りも解けたようだった。

 ん、ん、と空咳を打って仕切り直す。


「あたしは二年一組の水森千雪みずもり ちゆき。今日はあんたちに用があって来たのよ」

「それはそうでしょうね」


 と、饗庭さん。


「えっ、どうして?」


 目をぱちくりさせた二年生の先輩さん――水森先輩に、饗庭さんは、


「用もないのに来るわけないじゃない」


 そんなことも分からないの、という顔で言った。


「っ……そ、そうともかぎらないじゃない!」


 水森先輩はなんと、むきになって言い返してきた。強気なのか弱気なのか、よく分からない先輩だ。そして饗庭さんは、こういうことは一も二もなく受けて立つ性分だ。


「かぎらないって? 具体的にはどういう状況ですか?」

「それは……ほらっ、あんたたちにじゃなくて、この場所に用事があるって場合よ。調理室でお昼ご飯を食べるつもりだったとか」

「昼食を食べるためなら、食堂なり中庭なりに行くのが普通。わざわざ家庭科教師についてきてもらってまで、ここで食べようとするのは普通じゃない。それに、あなたは戸を開けると同時に、頼もう、と第一声を放った。それはつまり、室内に誰かがいることを知っていたということ。だからつまり、あなたは調理室にではなく、わたしたちに用があって来たということ。以上だ」


 饗庭さんの口から流れ出た淀みない長広舌に、水森先輩は呆気に取られた顔をしていた。目を何度かぱちくりさせていた彼女の肩を、後ろに立っていた呑名先生がぽんと叩いた。ちょっと背伸びして肩を叩く姿がなんとも先生っぽくなくて、よろしい。


「まあまあ、水森ちゃん。落ち着いて。饗庭さんはご飯をくれるひと以外は威嚇する野良猫みたいな子だから、気にしないで」

「……そういうふうに言われると、確かにすごくそれっぽいですね」


 水森先輩は饗庭さんを見つめて、くすっと失笑。そんな顔をされては、饗庭さんが黙っているはずもない。


「そういう先輩は、お客が来ると威嚇するだけ威嚇してすぐ逃げる家猫みたいですよね」

「なっ……あ、あっ、会って五分と経っていない後輩に、あたしの何が分かるってのよ!?」

「それはこちらの台詞です」

「むぎーっ!」


 いきなり睨み合いを始めるあたり、確かにどちらも猫っぽいなぁ、なんて感想を口に出したりはしない。下手に口出しして巻き込まれるのも嫌だったので、僕は止まっていた昼食作りを再開することにした。例によって今日も今日とて、何度も言うけど、ジャガイモ料理だ。

 洗ったジャガイモの皮を剥いて、フードプロセッサーにかけて、それから塩、胡椒、小麦に豚挽肉と和えて小判型に成形して、多めに油で焼き固める……みたいな工程を予想している。さしずめジャガイモハンバーグかポテバーグかといったところだけど、正直、あんまり深く考えていない。ただ、ジャガイモっぽさを消したかっただけなのだ。

 僕がジャガイモと挽肉その他を捏ねている間に、呑名先生が仲介に入って話を進めていた。


「ほらほら、二人とも喧嘩しないの」

「べつに喧嘩していません。先輩が一方的に喧嘩を売ってきているだけです」

「はぁ!? 喧嘩を売ってきたのは、あんたのほうじゃない!」

「ほら。こうやって喧嘩を売ってくるんですよ、先輩が」

「なんですってぇ!?」

「だから止めなさいって、もぉ!」


 呑名先生は可愛らしい大声を上げて、また言い合いを始めそうになった二人の間に割って入る。


「水森ちゃん、喧嘩しに来たんじゃないでしょ。饗庭さんも、水森ちゃんに話したいことがあると分かっているのなら、ちゃんと聞いてあげなさい」

「……はい」


 饗庭さんも自分の大人げなさを反省したのか、素直に頷いた。


「じゃあ、水森さん」


 呑名先生が促すと、先輩はまた空咳を打ってから話し始めた。


「ええとまあ、ざっくり言うと……あんたたちの料理同好会は、これからはあたしが仕切るから、ってこと」

「……はい?」


 饗庭さんが目を眇めた。僕もポテバーグの生地を右手と左手でぺったんぺったんキャッチボールして地のなかの空気を抜きながら、思わず水森先輩を見てしまう。


「あのね、水森ちゃん。それじゃ伝わらないでしょ」


 と、呑名先生も溜め息。


「じゃあ最初から話しますけれど……まずそもそも、わたしは去年、料理同好会に入るはずだったの。でも、部員がゼロで実質的な活動はしていないって聞いたから、入らなかったの。そうしたらなに? あんたたちが勝手に入部して、勝手に活動を再開させているっていうじゃない。あたしに相談もなしに、それってどういうことよ!?」


 水森先輩は顔を真っ赤にして憤っている。でも、先輩の言っていることは、傍で聞いている僕でさえ思わず口をあんぐり開けてしまうような難癖全開の物言いだ。……まあ、先輩の目が微妙に泳いでいる様子からして、先輩も自分で言いがかりだと分かっているのだろう。


「要するに、」


 と、饗庭さんは口を開いて、


「先輩は一人で部活するのが寂しいから料理同好会に入部しなかったけれど、今年になってわたしたち二人が入ったのを知ったから入部したくなった……ということですね」

「……なんかその言い方だと、あたしがすごい寂しがり屋みたいに聞こえるんだけど!?」

「いえ、どちらかというと……寂しがり屋というより、現金で軽佻浮薄なひと、でしょうか」

「けいちょー……え、なに? 四字熟語?」

「ああ、すいません。先輩のようなひとには難しい言葉でしたか」

「残念ながらその通りだけど、悪い!?」

「悪いんじゃないですか。先輩の頭が」

「むぎゃーっ!!」

「……あ、先生はこの光景を知ってます。猫同士って、出会うとかならず威嚇し合うんですよね」


 呑名先生は色々と諦めた様子で苦笑している。あんまり止める気はないようで、丸椅子に座って食卓に頬杖を突き、二人の言い合いを眺め始める。確かに猫同士の喧嘩だったら、勝敗が決まるまで喧嘩させておくほうが良いのかもしれない。

 僕と呑名先生が放置を決め込むと、二人の言い合いはどんどん激しくなっていく。


「あんた、一年のくせに生意気すぎじゃない!? あたし、いちおう先輩なんだから、もうちょっと敬意を払ったらどうなの!?」

「払ってますよ。ちゃんと敬語でお話ししてあげているじゃないですか」

「それは敬意じゃなくて慇懃無礼っての!」

「あら、四字熟語が言えたじゃないですか。先輩、おめでとうございます」

「だからそういうのが慇懃無礼だってのッ!!」

「……」

「ちょっと、なんとか言いなさいよ!?」

「なんとか」

「あーっ! 馬鹿にした馬鹿にした馬鹿にしたーッ!!」

「それはそうと、先輩もお暇じゃないでしょうし、そろそろ帰ったらどうですか? と言いますか、わたしたちはこれからお昼を食べるので、部外者には退散していただきたいのですけど……って、こんなこと言わせないでくださいよ。察してくださいよ」

「あーっ、あーっ! もう、あんた嫌い! ってか、あたしは部外者じゃない! もう入部届、出したもん。呑名先生、受理しましたって言ったもん!」

「……そうなんですか?」


 饗庭さんから急に見つめられて、呑名先生は小柄な背中を仰け反らせる。


「あ、うん。はい。さっき、受け取りましたけど……も、問題ないですよね?」

「問題はないですけど、部員のわたしたちに事前の相談があっても問題なかったとも思いますが」

「どちらにしても問題ないなら、じゃあいいじゃないですか。はい、この話はお終い」


 呑名先生は、胸の前でぱんっと両手を合わせて微笑んだ。いちいち喧嘩に応じないあたりはさすが、年の功だ。


「まっ、そういうわけだから、あたしは部外者じゃなくて部員なわけ。しかも、この部の最上級生。つまり自動的に部長ってわけ。分かったかしら?」


 憮然とした顔の饗庭さんに、水森先輩は得意げな顔を向ける。それはつまり、改めて喧嘩を売ったということに相違なくて、饗庭さんは当然、それを買う。


「――いいえ、分かりません。最上級生が自動的に部長になるべしという規則は、校則のどこにもなかったと思うのですけど」

「校則だの規則だのではなく、日常一般的に、社会の通例として踏襲されるべき慣習ってやつでしょ」

「年功序列なんて前世紀のお話だと思いますが」

「実力主義でも、あたしのほうがあんたより上だと思うけど!?」

「それはそうでしょうね、わたしは残念ながら料理の腕がさっぱりですから」

「え……そこはあっさり認めちゃうの……?」

「事実だから仕方ない。でも、」


 と言って、饗庭さんは僕を見た。ちなみに、僕はいまちょうど、焼き上がって良い感じの焦げ目のついてポテバーグを、フライパンから各人の皿に取り分けているところだった。


「え?」


 と首を傾げた僕を指さして、饗庭さんは水森先輩に昂然と言い放った。


「飯泉くんは先輩よりもずっと料理が上手。だから、部長は飯泉くんのままです」


 勝手に喧嘩に巻き込まれたのも驚きだけど、それより何より、


「えっ、俺って部長だったの!?」


 そこが一番驚きだった。


「そうだよ。飯泉くんが部長で、わたしが部長代理」


 饗庭さんは、何を今更、という顔だ。


「そうだったんだ。知らなかったよ……というか、饗庭さんは副部長じゃなくて部長代理なんだ?」

「……似たようなものじゃない」


 僕の素朴な疑問に、饗庭さんはふいっと目を逸らした。心なしか頬も赤らんでいる。どうやら単純に、副部長という役職の存在を失念していただけらしい。


「それはともかく、」


 饗庭さんは水森先輩に向き直る。


「部長は飯泉くん。先輩だかなんだか知らないけれど、ぽっとでのあなたに部長の座は渡さないから」


 僕の意思をまったく聞きもせずに、饗庭さんは言ってくれた。そして水森先輩も、僕をまったく見ないで、饗庭さんにびしりと指を突きつけ、言い放った。


「いいじゃないの……その勝負、受けて立ってやる!」


 え、何の勝負? 何の話をしているの?


「あっ、それだったら勝負の品目は顧問であるわたしが決めさせてもらいます」


 呑名先生も当たり前のように話へ参加している。話の流れについていけていないのは、どうやら本当に僕だけみたいだ。

 一人だけ蚊帳の外にいる僕は、とりあえず自分で作ったポテバーグに箸をつけながら、三人の会話を聞き流すことにした。


「……まあ、いいでしょう。勝負内容は先生に決めてもらうのが一番、角が立たないでしょうし」

「あたしも異論なしよ」

「じゃあ決定。ということで……お題はずばり、ジャガイモ料理以外の料理で!」

「先生、さすがにそれはお題が曖昧すぎます」

「あんたと同意見ってのは癪だけど、同感。せめて具体的な料理名とかを指定してもらえないと……」

「ん……あっ、じゃあこれ! お題はジャガイモを使わない肉ジャガで!」

「先生……またそんな意味の分からないことを――」

「だってだって! もうジャガイモ嫌なんですもん!」

「駄々っ子ですか……」


 水森先輩はげんなりした顔で言いかけたが、


「分かりました。それでいきましょう」


 饗庭さんは真面目な顔で頷いた。


「ええっ!?」


 驚く水森さんに、饗庭さんは顔に不敵な笑みを浮かべる。


「どうしたんですか、先輩。馬鹿みたいな顔ですよ」

「あんた……ジャガイモを使わない肉ジャガって、肉よ? それで本当にいいの!?」

「いいもなにも、先生がそれを食べたいというのだから、それを作るまでよ」

「でも――」

 文句を続けようとした水森先輩に、饗庭さんはぬるりと告げる。

「先輩が作れないというのなら、わたしたちの不戦勝ということになりますね」


 これで決まりだった。


「……いいじゃない、分かったわよ。こうなったら作ってやるわよ。最高の肉ジャガもとい肉をね!」

 水森先輩は饗庭さんに再び指を突きつけて居丈高に宣言した。

「これで勝負は成立、ですね。日時は……来週の今日、いまと同じく昼休みにここ、調理室で」

「異論なしよ」

「あ、食材は各自調達でいいですけど、お値段は常識の範疇でお願いしますね。それと、レシートは取っておいてください。同好会だから部費は出ませんけれど、活動記録として必要になるかもしれませんので」


 と、これは呑名先生。ちょっと顧問らしい。なお、いつの間にやら、僕が取り分けていたポテバーグをはふはふ食べている。


「分かりました」


 水森先輩が頷く。それを見て、饗庭さんはふっと一息。


「……では、話はここまでということで。わたしたちはこれから食事ですので、いまのところ部外者の先輩はどうぞ、お帰りを」

「だから部外者じゃないし! もう部員だし!」

「どちらにしろ、先輩の分まで作っていませんよ。わたしたちが食べるのを見ているだけでいいなら、べつに居ても構いませんけど」

「むぎゃー!」


 水森先輩はちょっと涙目で吠えると、三度、饗庭さんに指を突きつけて、


「来週の今日、絶対に吠え面かかせてやるんだから! 見ていなさいよ、馬鹿ばぁか!」


 子供みたいなことを喚くと、踵を返して小走りに廊下へ出て行った。


「廊下は走っちゃいけませんよぉ……って、もう聞こえてないですね」


 呑名先生はお座なりに言いながら、僕がお代わり用に作っておいたポテバーグを、今度はご飯の上に乗せて、ソースをかけまわして食べ始めた。

 もうジャガイモ嫌なんです、なんて言っていたわりに、よくまあ食べること。

 呑名先生には好評だったポテバーグも、饗庭さんにはもうひとつ足りなかったようだ。


「……ちょっと評価しづらい。だって美味しいけれど、これってほとんどハンバーグじゃない。美味しいけれど、ポテト料理かと問われると微妙。だから……」

「……また、やり直し?」


 おそるおそる訊ねた僕に、饗庭さんはくすっと目を細めて首肯してくれた。


「あ、そう。うん、そうか……」


 どうせ落第になるなら、バンズの代わりに粉吹き芋を横一文字に切ったものでポテバーグを挟んだ『ジャガイモ尽くしバーガー』にでもしてやればよかった。付け合わせにはトマトの輪切りじゃなくて、マッシュポテトを挟んだりしてさ。

 ……想像しただけで口の中がからからになって、顎が疲れてきた。


「それにしても……饗庭さん、ひとつ確認なんだけど」

「なに?」

「さっきの水森先輩との勝負っていうのは――」

「もちろん、きみが作るの」

「あ、やっぱり」


 予想通りの答えでした。


「じゃあついでに、もうひとつ確認するけど――」

「ジャガイモを使わない肉ジャガなんて矛盾しかない料理、わたしにはこれっぽっちのアイデアもない」


 これまた予想通りに、いや予想よりもずっと偉そうに胸を張って、饗庭さんは言い放ってくれた。


「まあ、そうだろうと思っていたよ。はいはい、考えますよ。一週間で。ジャガ禁止の肉ジャガを。はいはい、やりますよ。はいはいはい」


 僕としては、皮肉たっぷりに言ってやったつもりの台詞だったのだけど、


「飯泉くんならそう言ってくれると思ってた」


 饗庭さんは教室では一度も見せたことのない笑顔でそう言った。

 やる気が出ないわけがなかった。

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