第2話 部活の勧めとホワイトソース その2

 この日の夕方から早速、僕と餐庭さんは試験に作る料理についての会議を始めた。会議と言っても、例によって僕の家で一緒に夕飯を食べながら話をするだけのことだが。


「わたし、きみが夕飯の支度をしている間に考えていたんだけど……」


 餐庭さんは堅焼きそばの麺を箸でパリパリと突きながら、まずはそう切り出す。


「ただのお昼ご飯では駄目だけど、部活としての方針や目的に沿ったご飯なら許可する……呑名先生はそう言っていた。と言うことは、わたしたちが第一に考えるべきなのは、料理同好会の活動方針だと思うの」

「ん……そうだね」


 僕も堅焼きそばを頬張りながら同意した。

 実際、餐庭さんがいま言ったことは、呑名先生が言ったことをそのまま復唱しただけのもので、異論を挟むほど餐庭さん自身の意見が含まれたものでもない。

 餐庭さんの主張が前に出てくるのは、ここからだ。


「それで、料理同好会の活動方針なのだけど……旬の食材を活かした料理を学ぶこと、というのはどうかな?」

「ん……」


 僕の生返事に、餐庭さんは眉を曇らせる。


「あら、あまり乗り気ではない?」

「うん……旬の食材って、けして安いというわけではないんだよね。それを毎日かならず使わなくちゃならないってなると、予算的に結構厳しいかなぁって」

「なるほど……だったら逆に、先に費用を決めて、その範囲内で作るようにするというのは? 一食ごとに決めるのは大変そうだから、一ヶ月で計何円までと決めてさ」

「低予算メニューかぁ……それだと毎日、もやしの炒め物になりそうな気がするな……」

「だったら、旬の食材を使いつつ一ヶ月の予算も決めるというのは?」

「毎日、旬の食材の炒め物になるね。それか、生のままお皿に載っけるだけ」

「……真面目に考えてよ」


 そう言った餐庭さんの眉間には、深い皺が寄っている。そんな顔をされるのは心外だった。


「いや、真面目に考えてるよ!」

「真面目に考えた結果が、毎日もやしの炒め物? 生のままお皿に載せるだけ?」

「それはだって、仕方ないじゃないか。いかに予算をかけずに食べるかを突き詰めたら、そうなるよ。同好会の方針が低予算を突き詰めるべしってなるなら、そうなるしかないじゃないか!」

「もっと加減というものがあるじゃない」

「そうしたら、ただお昼ご飯を作るだけなのと変わらなくなると思うんだけど」


 少し皮肉っぽくなってしまった僕の言葉に、餐庭さんの眉間の皺がさらに深まる。


「……そこまで言うなら、きみも何か考えてよ。さっきから、わたしにばかり提案させて、ずるい」

「ずるいって……でもまあ、たしかに餐庭さんにばかり言わせているか」


 僕も何かひとつくらい方針案を述べてみるべきだろう……と思って首を捻ってみたけれど、これがなかなか思いつかない。


「うん……よし。食べてから考えよう」


 僕がそう言った途端、餐庭さんは突っ伏しそうな勢いで頭をがくっと垂れさせた。


「なにそれ。ちゃんと考えてよ、もう!」

「考えるって。でも、せっかくの焼きそばが冷めたら美味しくないでしょ。だから、考えるのは食べた後。ね、そうしよう」

「……もうっ」


 と、唇を尖らせたものの、餐庭さんも堅焼きそばを平らげにかかった。

 ちなみに今夜の夕飯は、よくある中華風の餡ではなく、もったり気味に作ったホワイトソースをかけた、題して『クリーム焼きそば』だ。オイスターソースを混ぜた薄茶色の中華風っぽいホワイトソースと、パリパリに焼いた麺との対比が楽しい。


「なんだかこれ、堅焼きそばをグラタンにしたみたいね」


 餐庭さんが食べながら呟く。


「あ、たしかに」


 言われてみると、その通りだ。

 これ、餡かけ焼きそばの餡をホワイトソースに換えてみたらどうだろう――という発想で作ったものだったけれど、グラタンのパスタを堅焼きそばに換えたものだとも言えるのか。


(とすると、マカロニやスパゲティを多めの油で焼き固めてからグラタンにしたり、カルボナーラっぽくしたりしても美味しいかも。それか反対に、中華餡かけスパゲティとか……あ、これは微妙かも?)


 口のなかに広がるパリパリこってり感と一緒に、頭のなかでも想像が膨らむ。

 しばらくは自分自身の想像とだけ語り合いながら、僕たちは黙々と……いや、パリパリと食事を続けた。

 互いに食後の緑茶を一口啜ったところで、餐庭さんが溜め息を吐く。


「ふぅ……じゃあ、改めて試験の話ね」

「というより、同好会の活動方針をどうするか、だったよね」


 僕がそう訂正すると、餐庭さんは眉間にほんのり皺を寄せる。


「分かっているなら、早く何か提案して」

「はいはい、しますよ。しますって」


 そんなに急かさなくてもいいじゃないか――という態度で言い返しながら、僕はお茶をもう一口ゆっくりと啜る。でも内心は、


(やばい、そのこと忘れてた。全然考えてなかった。まずい、どうしよう。早く何か思いつけ。早く、さあ!)


 だったりした。


「……あっ、そうだ。こういうのは?」


 お腹が満ち足りたおかげか、珍しく良い思いつきが降ってきた。


「こういうの? 勿体ぶらずに早く言ってよ」

「うん。ええとね……ホワイトソース祭り」

「……え?」


 餐庭さんは目を点にして聞き返してくる。僕は胸を張って説明した。


「つまりね、毎日、色々なアレンジをしたホワイトソースを使ったお昼ご飯にするんだよ!」

「……え?」


 餐庭さんはなぜか、まだ目を点にしたままだ。いま僕が超分かりやすい説明をしたというのに!


「えっと……きみ、それは本気で言ってる?」

「当たり前だよ!」


 餐庭さんの呆れ口調に、僕は憤慨だ。我ながら面白いことを閃いたと思ったのに!


「きみが最近、ホワイトソースに凝っているのは知っている。でも、毎日というのはどうだろうかと……」

「ちゃんとアレンジするよ。いまの焼きそばにかけたのだって、塩胡椒の代わりにオイスターソースを使ってみた中華風ホワイトソースだったじゃないか」

「オイスターソースのせいで、ホワイトじゃなくてブラウンだったけれどね」

「あ、ブラウンソースというのは、また別にあるんだよ。フォン・ド・ボーにルーでとろみをつけたもののことね。あ、ちなみに牛乳をルーで伸ばしながら煮詰めてとろみをつけたものがホワイトソースね」

「そんな解説は聞いてない!」


 餐庭さんが、ばんっとテーブルを平手で叩いた。僕の背筋はびくっと跳ねる。


「はっ……あ、うん。そうだね……ええと、何の話だっけ……」

「料理同好会の方針をどうするか」

「ああ、うん。そうだったっけ……って、だから、それをいま提案したんじゃないか!」

「でも、それはわたしに却下された。だから、次の案を出して」

「その前に、却下された理由の開示を要求する!」

「それもいま言ったじゃない……いくらアレンジすると言っても、毎日ホワイトソースじゃ飽きるに決まっているからだ。それに、かりにその方針で行くことになったら、一ヶ月……いえ、一週間後には、きみも後悔しているはず。自分でそう思わない?」


 餐庭さんはとくに語気を荒げるでもなく、子供に言って聞かせるように淡々と述べた。


「……そうかも」


 僕は不覚にも納得してしまった。

 少し冷静になってみれば、ホワイトソースを使ったレシピが何日分もあるとは思えない。いや、無理すれば捻り出せると思うけれど、『クリーム味噌汁』とか、糠漬けならぬ『クリーム漬け』なんて代物を作ってしまいかねない。

 それに、ホワイトソースは優しい味わいが売りだとは言っても、それなりに重厚感がある。毎日食べたら胃もたれしそうだ。


「まあ……うん、分かった。ホワイトソース祭りが却下なのは納得しました」

 手の平を見せて降参の仕草をした僕に、餐庭さんはにっこりと目を細めるが……ふと困ったように視線を惑わせてから、こちらにまっすぐ視線を戻して口を開いた。

「きみが誤解しているかもしれないから念のために言うけれど、いま食べた焼きそばが美味しくなかったわけじゃないから」

「え……」

「一般的な餡かけよりも優しくて濃厚な味わいが、堅焼きにした麺に良く合っていた」

「あ、ありがとう」


 真正面から目を見つめられながら褒められると、さすがに恥ずかしい。餐庭さんに他意がないのだと分かっていても、女子から見つめられたら否応なしに胸が高鳴ってしまうものなのだ。男子というのは!

 ――が、


「でも」


 と、餐庭さんは声音を冷たくして、さらに続けた。


「ホワイトソースの餡と堅焼きそばが調和していたのは、ひとえにオイスタースの量が多かったから。ホワイトソースがオイスターソース独特のくせを包み込んで、優しい味を作り出していたと思うけれど、主役はオイスターソースのほうだった。ホワイトソースはあくまでも、その引き立て役だった」

「え、え……えぇ!? ここで駄目出し!?」


 まったく身構えていなかったところへ言い立てられる厳しい言葉が、僕の胸にぐさぐさ突き刺さる。

 そして餐庭さんは、ちょっと待って――と言う間もなく、止めの言葉ナイフを言い放った。


「麺と餡とをつなぐ重要な土台だったけれど、ホワイトソースを主題にした料理ではなかった。この程度を毎日作られても、それはただのお昼ご飯を作ることにしかならない。技術の向上を目指すための部活動とは呼べない。呑名先生もそう判断することだろう」


 ……止めどころではない。三枚に下ろした魚を出刃包丁で叩いて刻んでミンチにするが如き滅多打ちオーバーキルだった。


「ああ……そうか。うん、分かった。餐庭さんの言いたいことはよく分かったよ」


 僕は嫌な意味で高鳴る鼓動を抑えつけながら、引き攣る唇を無理やりに笑わせる。そんな僕の顔に不安を感じたのか、餐庭さんの眉根も曇る。


「飯泉くん?」

「そこまで言うからには、餐庭さんも覚悟しているんだよね」

「……きみ、何を言っているの? 何を考えているの?」

「僕も腹を括ったということだよ」


 戸惑う餐庭さんに、僕は眉や唇を引き攣らせながら宣言してやった。


「料理同好会の活動方針を提案する。それは――」


 僕はいま考えた活動方針を声に出して告げた。それを聞いた途端、餐庭さんは両目も唇もぽかんと丸くした。でも、唖然としていた顔はすぐに驚愕の顔へと変わっていく。


「ちょっと、きみ……それは本気で言っているの?」


 むしろいつもより淡々とした言い方だったが、それは餐庭さんが意識して抑揚を消しているからだ。そうしないと声が上擦ってしまうほど戦いているということだ。

 餐庭さんが、この僕の言葉に気圧されている――その事実が、僕の表情を変なふうに引き攣らせる。


「もちろん、本気だよ」


 そう言った僕の声は、驚くことに、少し笑っていた。

 餐庭さんは二度ほどゆっくり目を瞬かせた後、


「そう……なら、分かった」


 僕の目を見据えて、そう言った。


「……え?」


 僕は間抜けな顔で、口をぽかんと開ける。

 その返事は予想していなかった。僕が予想していたのは、


「そんなの当然、却下。というか、ごめんなさい。許して」


 という返事だ。

 で、僕が、


「しょうがないな。許してあげるよ」


 と、上からの立場で笑って提案撤回してあげる――となるはずだったのに……。


「……え?」


 意味のない疑問符を漏らすしかない僕だった。

 そんな僕の顔をまっすぐ見つめて、力強く頷くのだ。


「わたしも覚悟を決めた。きみがいま言った提案を、わたしも支持する。それを料理同好会の活動方針……テーマにしよう。はい、決定!」

「……」


 もう、溜め息も出なかった。

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