第2話 部活の勧めとホワイトソース その1
連休前の、あるいは、ひとによっては連休最初の祝日が明けた翌日。
学校はどこも、浮ついた雰囲気で溢れている。生徒は授業中から、連休中にどこへ遊びに行くかをこっそり相談していたりする。教師も諦めているのか、大目に見ているのか、心なしか普段よりのんびりした速度で授業を進めていた。
天気もいい。開け放した窓から差し込む陽気と春風が、いやでも眠気を誘う。とくに昼飯を食べた後の午後はきつくて、僕は真面目に授業を受けようと頑張っていたのだけど、最後の授業の後半はあまり記憶がなかった。
相変わらず、学校では餐庭さんと面と向かって話をすることはない。伝えたいことがあったら、携帯を使ってメッセージを交わすようにしていた。
「周りにどう思われようと、大したことじゃないでしょ」
餐庭さんはそう言いいつつも同時に、
「でも、騒がれないに越したことはないからね」
と言っていた。
そういうわけで、学校内では携帯でしか会話していないのだった。
それが功を奏したというよりは、高校生になって最初の大型連休をどう過ごすかという話題がみんなの興味を掻っ攫ってくれたからだろう――教室内でも、僕らのことを声高に囃し立てるクラスメイトはいなくなった。
ただし、コントの爆発オチみたいな天然パーマが直毛になったかと思ったら、翌日にはショートカットにばっさり切られていたという二段変身を見せた餐庭さん個人には、好奇の視線が集まっていた。
まあ、気持ちは分かる。大いに分かる。教室のなかで誰よりも長い時間、餐庭さんと一緒にいる僕でさえ、まだ慣れていないのだから。
そんなこんなで迎えた夕方。
下校したのは別々だったけれど、夕飯時の少し前には、餐庭さんはもうずっとそうしてたような当然さで僕の家にやってきていた。
餐庭さんは驚くべき順応性を発揮して、まるで自分の家にいるかのように寛いでいるけれど、僕はと言えば、いまだに少し緊張している。私服姿の女子と自宅に二人きりという事実の破壊力は、実際大したものなのだ。
「――あ、そうだ。わたし、きみに聞きたいことがあったんだ」
夕飯のグラタンを食べている最中、餐庭さんがフォークを手にしたまま訊いてきた。
「なに?」
と、僕もグラタンを食べながら聞き返す。
ちなみに、長芋とジャガイモとサツマイモにトマト、丸いパスタ、プロセスチーズにたっぷりのホワイトソースかけてオーブンで焼き上げた『三色芋トマトチーズのグラタン』だ。
餐庭さんは熱々ホワイトソースの絡んだ芋やらチーズやらを頬張りながら言う。
「きみは、お弁当を作る気はないの?」
「お弁当……」
「うん。料理が好きなら作ればいいと思うのに、いつも学食か購買のパンだよね。どうしてなのかな、と思って」
「お弁当かぁ……」
同じ言葉をもう一度呟くと、僕は考えをまとめながら、ゆっくりと答えた。
「お弁当って、普通にご飯を作るのとは全然違うんだよね。例えば、汁気があるものは駄目とか、冷めても美味しいものにするとか、おかず同士が混ざらないように気をつけるとか。それに、朝から朝ご飯を作る以外にお弁当まで用意するなんて気力、とても沸かないよ」
「ああ……たしかに、それは大変そうね」
「それに……」
「まだあるの?」
「お昼は米原たちと一緒に食べることも多いから、一人だけ弁当というのは浮いちゃうかな、って」
「……それは心配しすぎだと思うけれど」
餐庭さんは呆れた様子で肩をひょいとすくめて、付け合わせに作った水菜のおひたしを口に運ぶ。
自意識過剰と言われたみたいで恥ずかしくなって、僕は口早に捲し立てた。
「まっ、まあ、たしかにそうかもしれないけれど、お弁当はとにかくなんか違うというか、ピンと来ないんだよ!」
「ふぅん……ピンと来ないのなら、仕方ないか」
餐庭さんは意外にもあっさり納得した。むしろ、こっちのほうが拍子抜けしてしまう。それが顔に出たのか、餐庭さんは「だって」と続けた。
「ご飯を作るのが好きなのと、お菓子を作るのが好きというのは別物でしょ。それと同じで、ご飯を作るのとお弁当を作るのもまた別物。ご飯を作るのが好きというのと、お弁当を作るのが好きというのは等号で結ばれるものではない……そういうことなのでしょ」
「……なるほど」
思わず納得してしまった。すると、餐庭さんはくすりと笑う。
「どうして、きみが感心しているのさ」
「いや、ピンと来ない理由がいまので初めて分かったなぁって。そうか……お弁当と料理は完全に別物、か。少なくとも僕の中では、そういう区分けになっていたのかぁ」
「そんなに納得してもらえると、なんだか恥ずかしい……あ、もしかして褒め殺しされている?」
「そんなことないよ。本心だって」
「それはそれで、どうなんだろう……ふふっ」
餐庭さんはまた小さく笑いながら、グラタンの芋を頬張った。
それからしばらく、僕たちは会話よりも腹を満たすことを優先させた。
(……うん。こうして芋を食べ比べるのも楽しいものだね)
僕は頬張ったグラタンを咀嚼しながら自画自賛する。
一口大に切られた三種類の芋が織りなす、三者三様の味と歯応え。ジャガイモのほこほこした土の味わい、サツマイモの優しい甘みに、長芋のねっとり食感。そこに丸い耳型パスタのくにゅりと弾力的な歯触りに、芋と同じ大きさに切ったチーズのしっかりした歯応えと濃厚な味、そして串切りトマトの酸味も加わって、芋の素朴な味をいっそう豊かに彩っている。
(何よりもホワイトソースが美味しいじゃないか!)
ちなみに、小麦粉を溶かしバターで練ったところに牛乳を注いで作った自家製だ。電子レンジを使った、誰でも五分で失敗なくお手軽に作れる超簡単レシピなのだけど、粘り気や味の濃さなんかを自由に調整できるのが良い。
今回は芋が主役だから塩と胡椒だけで味を調えたけれど、例えば粉末スープを混ぜたり、味噌や醤油で味付けするのも面白いだろう。
簡単に作れてアレンジも利くとあっては、
(ホワイトソース、しばらく嵌りそうだな)
そう思わざるを得なかった。
その翌日は、連休本番を明日からに控えた金曜日で、学校中の浮かれっぷりは昨日の比ではない。教室内にも、昨日は連休気分で夜更かししたのか、机に突っ伏して居眠りしっぱなしな生徒の姿も少なくない。生徒がそんなだからか、授業のペースは昨日に引き続いてゆったりだった。楽で良いのだけれど、連休明けにどれくらいペースが速くなるのかを考えると少し怖い。
三時間目が終わった後の休み時間、携帯に餐庭さんからのメッセージが入った。
――昼休みに話があるから、パンと飲み物を持って中庭の一番奥の花壇へ。
とくに拒否する理由もなかったので、僕は購買で買ったコロッケパンとコーヒー牛乳を持って、中庭へと向かった。
我が校の校舎は正面から見ると凸の形をしている。つまり、背の高い中央棟の左右に、一階分だけ背の低い棟が寄り添っている形だ。その低い棟の屋上を、僕たちは中庭と呼んでいる。花壇やベンチがいくつか据えられていて、適当なところに腰掛けてパンや弁当を食べている生徒の姿もちらほら見える。
餐庭さんの姿はすぐに見つかった。メッセージの通り、中央棟との出入り口から離れたところの花壇を囲む煉瓦に腰を下ろして、僕を待っていた。
向こうもすぐに僕を見つけて、横に座れ、と目顔で言ってくる。僕がその通りにしたところでようやく、餐庭さんは声を発した。
「わたし、午前中に調べたの。そうしたら、やっぱりあった」
「……何が?」
餐庭さんは明らかにその一言を待っていたので、僕は仕方なしにそう訊いたら、
「料理部」
得意げに言い放たれた。
「……入るの?」
僕は少し考えてから訊ねた。
「ええ、そう」
餐庭さんは首肯する。
「そうなんだ。頑張ってね」
と答えた僕に、餐庭さんはムッと眉尻を上げる。
「どうして他人事みたいに言うのかな。きみも一緒に入るんだよ。というより、きみが入部しないことには話にならない」
「え……いや、待って。勝手に決めないでよ! だいたい僕は、放課後は買い物したり掃除洗濯したりで時間がないんだって知っているでしょ」
「掃除や洗濯は、わたしが担当しているのだけど」
「あ、はい。そうでした。助かってますです」
餐庭さんから向けられる批難の眼差しに、僕はがっくり項垂れるように深々とお辞儀した。
この前の一件で、夕食の他に朝食も家で一緒に食べるようになって以来、餐庭さんは料理以外の家事をやらせてくれ、と自分から申し出てくれていた。食費をいくらか頂戴することで話はまとまっていたのだけど、それだけでは心苦しいから、せめて出来ることを手伝わせてほしいとの申し出だった。
無碍に断るのも悪いし、手伝ってもらえたら助かるし――というわけで掃除洗濯を任せてみたら、なんと、僕よりもずっと手際が良かった。とくに掃除は、床の四隅や棚の内側といった隅々まできっちり丁寧にやってくれていて、まだ掃除をやってもらって数日だったけれど、家中の清潔度合いは確実に上がっていた。
ともかくそういうわけで、料理以外の家事をする必要がなくなったことで、以前よりも放課後に余裕ができたとは言えるけれど、だからといって部活を始める気にはならなかった。
「餐庭さん、たしかに僕は料理が結構好きだけど、部活でやるつもりはないよ。というか、わざわざ部活でやる意味がないし……あっ、部費で食材を買えるのは魅力的だけど」
「残念だけど、部費は出ない」
餐庭さんはさらりとそう言った。
「え……なんで?」
「料理部は去年、部員がゼロになって、その状態のまま部員が一名以上になることなく今年度を迎えた。従って校則に則り、料理部は今年度から料理同好会に格下げになって、部費の支給もなくなったというわけ」
「部員ゼロの料理同好会……」
ますます、入部もとい入会する意味がないではないか。どうして餐庭さんがそんな同好会への入会を勧めてきたのだろうか?
そんな僕の疑問を見透かすように、餐庭さんは笑みを浮かべた。
「でもね、重要なのは部費じゃない。顧問がいることだ」
「顧問が重要? 料理を教えてもらえるから?」
「そうじゃない。料理同好会の顧問、すなわち家庭科教師の立ち会いがあれば、昼休みに調理室を使えるんだ」
「あ……」
「昼休み、調理室でお昼ご飯を作って食べられるようになるんだよ! ね、これなら、朝にお弁当を用意する必要もないし、良い話でしょう? 学食が嫌いというのではないけれど、やっぱりきみのご飯が一番だもの」
餐庭さんは目を輝かせて言ってくる。
でも実際、調理室で昼飯を作れるようになったら嬉しい。べつに僕が学食や購買のパンが嫌いだというのではなく、単純にお金の問題だ。
自分で作れるとしたら、毎日に昼食代がいまより抑えられるはずで、そうすれば、両親から支給されている生活費もより多く余るようになって、僕のポケットに入る額が増える――という寸法だ。
「……うん。いいね、その話。料理部……じゃなくて料理同好会、僕も入るよ」
「やった!」
頷いた僕に、餐庭さんは両手をぐっと握って、珍しいくらいに喜んだ。
その日の放課後、掃除当番を終わらせると、僕は職員室へ向かった。家庭科の先生に、料理同好会への入部届(同好会でも入会届けではなく入部なのだそうな)を提出するためだ。
今日を逃すと明日から連休になってしまう。間が空くと僕が考え直してしまうかも……と危惧した餐庭さんが、
「今日中に入部届を出してしまおう。わたしが先に行って顧問の先生に話をつけておくから、きみもできるだけ速やかに職員室まで来るように」
と、僕に厳命したのだった。
職員室に行くのは初めて、少し緊張する。
(まあでも、入部届は餐庭さんが用意するって言っていたし、それに名前を書いて先生に手渡すだけだ。そんなに緊張することないって)
僕は自分にそう言い聞かせながら、半開きになっている引き戸を静かに開けて、職員室に入った。
「失礼します……」
小声で言いながら室内を見渡す。放課後だからなのか、連休の谷間だからなのか、自分の席に着いている先生たちも、どこかのんびりしているように見える。もっとも、僕の思い込みでそう見えているだけなのかもしれないけれど。
(あ、いた)
僕の目は、椅子に座っている女の先生と、その正面に立っている餐庭さんの姿を見つけた。家庭科の授業はコマ数が少ないから、まだ三回ほどしか授業を受けた覚えがないけれど、さすがにちゃんと覚えている。この女性教師が家庭科の先生だ。
名前はたしか……
この学校に来たのは僕たちと同じで今年度からだけど、教師歴は数年目だとか、最初の授業でそんなふうに自己紹介していた覚えがある。胸はあるけれど、僕よりも背が低くて顔立ちも子供っぽいし、二十代前半なのは間違いない。
「呑名先生って、ありゃどう見ても、去年まで大学生してましたって顔だよな。ベテランぶらなくても舐めたりしないのに、可愛いよなぁ」
いつだったか、米原がそんなことを言っていたけれど、僕もまったくもって同意見だった。
僕は、呑名先生と餐庭さんが話しているほうに近づいていく。その途中で気がついたのだけど、どうも二人の話し合いは順風とは言い難い様子だった。
「あ、飯泉くん」
僕が声をかけるより先に、餐庭さんが僕に気づいた。こちらを向いた餐庭さんは困り果てた顔をしている。
「どうしたの?」
餐庭さんにそう尋ねた僕に、呑名先生が話しかけてきた。
「きみが飯泉くん、ですね?」
「あ……はい」
僕は頷きなら、表情を引き締めるのに少しばかりの苦労を要した。呑名先生は僕より小柄なうえに、椅子に座っているから、小さな子供と話しているような気がしてしまうのだ。
「餐庭さんと一緒に料理同好会に入るつもり、で間違いないかしら?」
呑名先生はくりっと丸い瞳で僕を見上げている。
「はい、そうですけど……何か問題が?」
「入部すること自体はいいの。でもね、いま餐庭さんにも言ったのだけど、お昼休みの調理室使用は、いまのままでは許可できないのよね」
「え……そうなんですか……」
間抜けな返事だとは思いつつも、そうなんですか、としか僕は言えなかった。
呑名先生は小さく首肯して話を続ける。
「部活や同好会が昼休みに活動すること自体は問題ないと思うの。昼練はどこの部活でもやっているし、わたしが調理室に同席することも、まあ問題ないわ」
だったらどこに問題が、という疑問に、呑名先生は訊くまでもなく答えてくれた。
「昼休みに活動することはいいの。ただし、それはあくまで、部活動であれば、よ。ただお昼ご飯を作るだけでは、部活動として認めるわけにはいかないわ」
呑名先生の言葉に、僕は少し考えてから反論した。
「……でも、料理同好会ですよね。料理するのが部活動なんじゃないんですか?」
「だから、ただ料理するだけじゃ駄目だと言っているのよ。部活動としての方針や目的に沿った料理をすることが、昼休みに調理室を使わせてあげることの必須条件よ」
呑名先生は眉尻を吊り上げて、子供っぽい顔立ちには似合わないしかつめらしい顔で言った。
「部活としての方針、目的……って、具体的にどういうことでしょうか……?」
僕は首を捻りながら聞き返す。それに対する返事は、
「それは、きみたちが考えて決めなくてはいけないことよ」
「えっ、僕たちが?」
「他に部員がいないんだから、きみたち二人しか考えるひとがいないじゃない。ああ――もちろん、わたしが相応しくないと判断したら、顧問の権限で却下するからね」
呑名先生はそう言って、悪戯っぽく笑った。そういう顔をされると、やっぱり年下に見えてしまう。でも、先生が僕たちに言ったことは、少しの可愛げもない正論だった。
で、どうするの――と、僕は目顔で餐庭さんにお伺いを立てる。
「……とにかく、入部届は出していきます」
餐庭さんは僕と目を見合わせた後、呑名先生に向き直ってそう言った。
「そう――分かりました。これはわたしのほうで預かっておきます。二人とも放課後には時間が取れないから、昼休みにだけ活動したいということなのよね?」
呑名先生は僕を見ながら言う。僕が来る前に、餐庭さんがそう話していたのだろう。
「はい、そうです」
僕が頷くと、呑名先生は思案顔をしながら口を開く。
「そうすると、きみたちは昼休みの部活が許可されなかった場合、入部を撤回することになるのね」
「……そうなりますね」
僕はもう一度、頷いた。
放課後に部活で作った料理を家に持ち帰って夕飯にする、というのも考えたけれど、それだとスーパーに寄って帰ることもできないし、やはり面倒だ。
呑名先生はしばし考えてから、よし、と手を合わせた。
「こうしましょう。連休明けのいつでもいいから、わたしにお昼ご飯を作ってください。その料理で、料理同好会の活動方針を示してみせてください。それをもって、昼休みに調理室を使わせてあげるかどうかを判断します」
「つまり、試験ですか」
餐庭さんの言葉を、
「そういうことね」
呑名先生は笑顔で肯定した。その笑顔に、餐庭さんも不敵な笑顔で応じる。
「いいですね、こういう展開。でも、“いつでもいい”では、かえって間怠っこしいですから……試験は連休明けの初日の昼休み、と決めてしまいましょう」
「あら、いいの? もっとゆっくり考えてからでもいいんですよ」
「五日もあれば十分です。ね、飯泉くん」
「えっ……ああ、うん……どうだろう?」
僕は首を傾げたのだけど、
「ほら、飯泉くんも自信満々ですって」
「あら本当。連休明けが楽しみだわ」
餐庭さんと呑名先生は楽しげに笑い合っている。
「……」
僕は一人で嘆息するのだった。
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