歴詩6 真田幸村・大坂夏の陣
『真田幸村・大坂夏の陣』
ほんの
真田幸村は 城の南方に築いた 真田丸から
怒濤の攻撃
そして徳川方は 惨敗した
戦が終わり 和議を結んだ
徳川が 外堀を埋める
一方豊臣は 内堀を、と
いかにも 老いた家康は焦っていた
あっと言う間に、内堀まで埋めてしまったのだ
難攻不落の大坂城が、これで――裸城に
さあれども
ここまでは 豊臣家滅亡の
単に プロローグにすぎなかったのかも知れない
時は元和元年
突として
六文銭の旗をパタパタと はためかさせる 青嵐
大坂夏の陣が――勃発した
真実のところ それは偶然ではなく
必然的に
徳川の兵力は15万
それに較べ 豊臣側は7万
力の差は歴然としていた
5月5日 家康は自軍にこう命じ 京を出立した
一方豊臣方は 道明寺に布陣
されど濃霧で 集結が遅れる
これにより 後藤又兵衛が戦死
ことここに至れば 幸村が
さらに幸村は 木村重成の死を知らされる
豊臣の
その士気を高めるため 豊臣秀頼の出馬を請うた
だが、淀君により 否
こうなれば 戦に勝利する方法は たった一つ
――家康の首を取ること――
5月7日 真田幸村は 茶臼山に布陣
真田隊 3千5百 徳川・松平軍 1万5千
ずばり これは多勢に無勢
とはいえ 幸村は突撃を繰り返し
家康を 三度追い詰めた
本陣の馬印を倒し、家康の自害寸前まで迫った
されども……、事を成すことはできなかった
後世
この真田幸村の戦い振りを…
彼処に顕れ、此処に隠れ、火を散じて戦いけり、
聚合離散の形勢、
前にあるかとみれば、
安居神社の 一本松から望む 北の空
突き刺さる カルバリン砲が
ドーン…ドーンと 止むことはない
紀州九度山の いまわの際の父
昌幸は声を絞り出した
名顕ハレザレバ、良策ナリトモ用ヰラレズ
外より 城の中は その通りだった
父上!
しかれども弁丸は 無念ではありませぬ
戦国武将の 真田の名を守り通した、かと
いよいよ 三途の川の渡し賃
不惜身命の 六文銭を支払う時が 来し候
お主
西尾仁左衛門と申したな
覚悟はできた
さっ、この首を取って 手柄にされよ
幸村殿、よい旅立ちを
バサッ!
定めなき浮世にて候へば
一日先は知らざる事に候
我々事などは浮世にあるものとは
おぼしめし候まじく候
◎◎
◎◎
◎◎
少々の補足説明を
真田幸村
戦国の世をこれほど壮絶に生き抜いた男はいないだろう。
名前は信繁、幼名は弁丸。群馬県の
時は流れ、本能寺の変で秀吉と家康の対立が大きくなる。そして人質として越後の上杉へ。
その後真田家は豊臣と同盟を結び、弁丸は大阪へと上がる。そして秀吉の懐刀・大谷吉継の娘を妻に娶る。
秀吉の天下統一、小田原城開城時においては父と兄と共に戦った。これが最初で最後の親子一緒の戦だった。
そして秀吉死去。
世は関ヶ原の合戦へと動いていく。不幸にも父と幸村は西軍、兄は東軍、親兄弟分かれての戦いとなった。そして小早川秀秋の寝返りで、西軍は敗退する。
その論功行賞で、父と幸村は紀州九度山へ流罪となる。
3年後、家康は諸大名に豊臣家の征討命令を発する。一方幸村は豊臣秀頼の要請を受け、再び大坂城へと。そして大坂の陣が勃発し、茶臼山で敵の鉄砲足軽を慮り、手柄を取らせるために己を討ち取らせる(享年49歳)。
最後の言葉は…定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候。
意味は、定まらぬ世の中だから、明日のことはわかりませぬ。我々のことはこの世に存在しないものと思ってください、ということか。
そんな幸村の死とほぼ同時、5月7日午後4時に大坂城大台所から出火。火は一気に回り、京から望む夜空が真っ赤に染まったという。そして遂に大坂城陥落。
淀君と秀頼は本丸下の山里曲輪に避難した。また千姫は脱出し、家康の元へと到着した。その後、一斉射撃が行われ、秀頼23歳、淀殿49歳は自害した。
否、逃げ延びたという説もある。
2016年の大河ドラマは「真田丸」、その波瀾万丈な生涯を三谷幸喜氏が描く。そして主演の真田幸村役は堺雅人氏。
面白い、されども史実だけは大きく曲げないようお願いしたい。
歴詩集 鮎風遊 @yuuayukaze
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