Prologue:All Section

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C-000-Section-001:STEP BY STEP


 ワンダラー。


 それはヒトとヒトの間に生じし、翼を羽ばたかさせた存在。


 そして、それを手に入れた存在は絶対的な自由を与えられるという。


 手に入れたければ、堕ちない事だ。


 堕ちれば、再び―――。


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C-000-Section-002:World View-Take It's Rise-


 リ・バースデイという現象は、世界を一度滅ぼした。

 惑星モラトリアムはその後に再生した星だと言い伝えられている。そして、この星には二つの種族が新生を成し遂げた。


 ヒト…、リ・バースデイによって滅び去った魂の残り香である精霊因子。進化の過程でヒトとしての生命を変わり、同時に精霊因子は魔法と呼ばれる力となって肉体に宿った。こうしてヒトは新世界に適合する事となった。


 魔族…、ヒトからこう呼ばれるようになったこの種族は、ヒトとは異なる精霊因子によって新生を果たす。現代ではフォビドゥンハートと呼称されているその能力によって様々な形態の翼を形成する事や、再生能力にも用いる事を可能とした。


 二つの種族は最初こそ互いを尊重しあう関係をを築いてきたが、次第に優劣に拘るようになり、いつしか双方が奏でる不協和音は戦争の旋律へと変わっていった。

 戦乱の時代に突入した惑星モラトリアムの多くの命は無益な血を流し、殺し合い、犠牲を生んでいった。そして、阿鼻叫喚の現実を直視した人々の絶望が狂気の選択を選ばせる。神聖都ノイエス・ヤールフンデルトは旧世界の兵器を模した魔導兵器を開発。魔族達に投下された。圧倒的な威力を誇ったその兵器によって大量の魔族が死に絶え、ヒトは勝利を得る。

 生き永らえた魔族は辺境の地へ追いやられ、人々は勝利に酔いしれ、双方を終戦で象った地をライヴ大地とエヴィル地下空洞と隔て、嘗て共存によって為した世界を閉ざしていった。


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C-000-Section-003:Awakening


 その日の夜は雷が轟く嵐であった。

 荒れ狂う雷雨の中、草木をかき分けて進む複数の足の音。

 その足音が止めると男達の声がし始めた。


「いたぞ。生存者だ!」

「子供の生存は確認した。父親の方はどうだ?」

「父親はダメだな。首切られて死んでる」

「惨い事しやがる」

「おい、坊主。大丈夫か?」


 男達の一人が、茫然と立ち尽くしている男の子の存在に声を投げかける。

 目を大きく見開き、血に染まった視界にも瞳を閉ざす事無く、ただ涙を滲ませながら、男の子は自分の目の前で倒れている父の亡骸を見つめていた。復讐が運命づけられたこの瞬間を少年は決して忘れない。犯人に受けた左頬の傷の痛みが、そう心に誓わせた日であった。


『…ッド! ブラッド!』


 女の子の声が何処からともなく聞こえてくる。憎しみと痛みの心に一筋の癒しとなる声。その声に導かれるように少年は目を覚ました。


「あ…」


 目を覚ました少年がまず起きてみて確認できた事は、少女の膝の上に頭を乗せて眠っていた自分と、その自分の顔を心配そうに見つめる少女の顔があった。


「ブラッド。大丈夫? 大分うなされてたよ?」


 ブラッドと呼ばれた少年は、先ほど見た光景が夢であったことにすぐに現実に気づかされた。

 少年の正式の名前はブラッド・トリニティ。18歳の少年だ。

 夢から覚めたブラッドは、自分の瞼を両手で擦りながら、細い品やか赤い髪の寝ぐせを軽く手で整え、起き上がる。その容姿は18歳とは思えないほどの低身長で幼さが残る。そして、眠気を覚ます為に、頬を両手で叩くと、見開いた碧く透き通った瞳が、太陽の日差しで輝いた。

 見ていた夢から覚めると、現実ははっきりとしたいた。今いる場所は養成学校施設である学院ヴィータの屋上であった。今は授業の休み時間で寛ぎ場を求めてこの場所に来たのだ。だが、せっかくの安息所も先ほどの悪夢で台無しであった。


「リル。わりいな。心配させちまって」


 夢から離れようとブラッドの意識は少女へと向けられた。少女はブラッドを心配そうに見つめている。少女の名前はリル・クレスケンス。ブラッドの交際相手である。先ほど、彼を夢から引き戻した声の主も彼女であった。おさげの赤い髪で大人しめな感じを受ける。そして、赤い瞳の情熱的なイメージを皆無にさせるほどの控え目そうな目である。


「また、いつもの夢?」


 ブラッドの様子を察した彼女は、立ち上がり、彼に確認する。ブラッドの事を知っている彼女だからこそ、聞ける言葉であった。

そして、無垢な気持ちをブラッドに告げる。


「私はいつもブラッドのそばにいるよ? 大丈夫だから」


 優しい表情で、労りの言葉を発したリルの顔をブラッドは魅入ってしまった。


「行こう。授業始まるし、遅れたら先生に怒られるよ?」


 立ち上がった後の尻のホコリを払うと、リルはブラッドにそう促した。数秒、硬直していたブラッドであったが、我を取り戻し、「そ、そうだな。わり。行こうぜ」と戸惑いつつも反応し、高鳴る胸の気持ちを抑えながら、


(こいつ、可愛い顔するよな)


 決して口にすることはないであろう思いを、休み時間の終わりに思いながら、先に出る彼女の後姿を追いながら、ブラッドも屋上を後にするのであった。


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C-000-Section-004:A Sing


「ブラッドは将来の進路、決まった?」


 学校の屋上を後にしたリルが最初に話を切り出した。


「進路? 何、悩んでんの?」


 ブラッドは質問の意図を考えて、問い返す。

 現在在学中の学院ヴィータで、授業満了が近づく生徒である二人はそろそろ決めていかなければいけない事柄であった。

 進路を悩んでいるのかと思ったブラッドであったが、リルにとってこの質問の真意は別にあった。


「ブラッドと一緒の進路に進みたいから」


 その真意を照れくさそうに打ち明けるリル。


「てか、進路って二人一緒に進む道とは違うと思うぜ? 結婚とかじゃないんだし。お互いがそれぞれで頑張るっていう過程なんじゃねえかな…」


 だが、ブラッドはそのリルの思いとは裏腹に、自分なりの見解を率直に答える。


「…そうだよね。いつも一緒にいたら、窮屈だものね。進路って自分の将来の事だから、他の人がいたら気が散るもんね」


 落ち込んでいく気持ちを必死で抑え、うつむきながら、苦笑いで呟くリルに対して、ブラッドは、「そういうもんだよ」と現実を含めた軽い返事をする。

 幼い風貌であるが、ブラッドが本当は大人としての自覚が身についている事を知り、リルはさっきまでの気持ちとは別の焦りを感じ始める。自分は自立できるだけの器量があるのだろうか。一緒にいれたらと思うがあまり、そこにある問題に直視していなかった自分を恥じる。


「私。大丈夫かな…」


 自信が無くなったリルが弱弱しく自分の不安を吐露する。


「頑張れば、何とかなるって。悩むのは後にしてまず頑張るだけ頑張ってみたらいい」

「そうだね。でも…、うまくいかなかったらどうしよう…」


 ブラッドなりに自分が言えるアドバイスを伝えたものの煮え切らないリルに、やや呆れながらも続ける。


「失敗するかもなんて、分からないだろ? それにそうなったら、その時考えればいいんだって。今向き合わなければいけないのは、直視すべき今!」

「そうなんだろうけど…」


 頭を掻き始め、リルの意気地のない態度を「だから~!」と、語気を強め、続けようとしたブラッドであったが、話の途中で近づく教室前の異変に気付かされた。


「何だ? 騒がしいな」


 何やら教室前の廊下付近で生徒達が、騒がしくしている。だが、団欒という雰囲気ではなく、何か事件を思わせる。そんな様子であった。

 何が起きたのか。その真相を知ろうと、ブラッドは足早に教室へと駆け寄る。リルも後に続く。そして、ブラッドはそこにいた女性教師に問い質す事にした。


「テオリア。何かあったのか?」

「敬語を使え。そして、きちんと先生をつけて呼べ」


 当たり前のように発せられる友達のノリでの質問に、テオリアと呼び捨てされた教師はブラッドの顔に指を指して注意する。


「まあ、良くないがいい。ブラッド。リルも来たか。二人ともいいか? 下がっているんだ」


 無礼な態度は不問としたテオリアは、神妙な面持ちに戻り、駆け寄った二人に警戒を促した。何故? という疑問は教室内へと向けられる。その視線の先には、二人がよく知る教師であるゾーニングがおり、そこには他にもう一名、黒い布で全身を纏った謎の人物が確認できた。


「生徒達の話しによると、彼奴はいきなり教室に現れ、立て籠もったらしい」


 テオリアは騒ぎとなった経緯を簡潔に説明した。


「過激派の仕業か。それとも精神異常者の類か。どちらにせよ、ゾーニング先生がいれば大丈夫だろう。ブラッド。くれぐれも無闇な行動は起こさないでくれ。特にブラッド。お前は…、」


 続けてテオリアは状況に対する憶測を交えつつ、ブラッドに忠告したが、既にブラッドの耳には入っておらず、彼の体が武者震いしているのに気づく。


「くぅ~! 男の戦いの予感がするぜ! よし、オレがゾーニングのおっさんを加勢してやる! 待ってろ!」


 テオリアの言葉はブラッドの闘気にかき消され、興奮を抑えきれない彼の本能が教室へと向かわせる。


「ブラッド! また、お前は…! やめておくんだ!」


 その危険でしかない行動は当然制止される。慌てて掴んだブラッドの腕をテオリアは強く握り、離さないように力を込めた。


「ブラッド! お願いだから、やめて!」


 危険な決断を選び、行動に移そうとしている彼をリルもまた止める。


「何でだよ?! 心配すんな。大丈夫だから!」


 止められた事に納得できず、二人に掴まれた手を振り払ってブラッドは教室へと入って行ってしまった。その後姿に心配という気持ちが重い不安へと変わっていく。良くない結果を招きかねない行動に、リルとテオリアは動揺を隠せなかった。

 そして、教室内ではゾーニングが出現した不審者に対して会話を試みようとしているところであった。


「聞きたい事は山ほどあります。ですが、生徒達を不安にさせているこの瞬間があなたという罪深さなのです。教師として、生徒を危険に晒す一切のものから守るのが務め」


 紳士に艶のある丁寧な口調で、ゾーニングは授業の担当でもある剣を持ち、不審者に進言する。不審者はただ、口から黒い吐息を吐いて、嘲笑っている。


「おっさん! 格好つけるなよな。オレも力になるぜ!」


 そして、そんな緊迫した空気を破る少年の声。ゾーニングの目に入り込んだ小さな物陰の正体に愕然とした。


「ブラッド!? 危険です。下がっていなさい!」


 ブラッドの姿を確認したゾーニングは当然の反応を示す。


「テオリアもおっさんもオレを足手まといみたいに扱うなよ。こいつなんて、オレ一人で十分。余裕だって」


 周囲が危惧する声を気にせず、もはや戦うと決めたブラッドは引き下がるという考えは毛頭ない様子であった。


「さあて。おい、お前。オレが相手になってやるよ」


 そして、過信にも思えるその自信に満ち溢れた態度が余計不安を煽るのだが、聞く耳はもう持っておらず、今眼前にいる敵と戦う事に意識が向かっていた。

 しかし…。


「ぶらっど」


 驚いた事にそんな彼の名を呼んだのは、目の前の敵と目される人物であった。意外な展開にブラッドは目を丸くする。


「へ? 何で、オレの名前を?」


 突然の事に、呆気にとられ、ブラッドが無意識に疑問の投げかけを言葉にした直後、不審者は「コロス! コロス!!」と奇声にも聞こえる言葉で張り上げた。周りから黒い霧が立ち込め、教室内を充満し始める。それを見たブラッドを始め、この現場にいる殆どの者達は謎だった敵の正体を理解した。


「正体を現したって事か! 魔族!!」


 ブラッドは今まで見せなかった怒りの表情で不審者を睨みつける。不審者は魔族。その事実に憎しみを滲ませている。

 瘴気が集まり、全身を纏っていた黒い布が消えると、尖った耳と長い指の手、魔族そのものが正体を現した。


(何故、魔族が…!? 確か生徒達は突如現れたと。しかし、どうやって? いえ、何より、よりにもよってブラッドの前に…)


 心の中で錯綜する事態への様々な思いに何一つ答えになりそうな結論には変わらなかったが、ただ、ゾーニングにはブラッドのほうが気がかりでならなかった。


「魔族は皆、オレが滅ぼしてやる!!」


 憎しみをむき出しにするブラッド。

 禍々しい翼を広げ、宙に飛ぶ魔族。それを見てブラッドは背中に掛けていた鞘から颯爽と剣を抜き、戦闘態勢に入る。


「ぶらっど! コロス! コロス!!」


 翼に黒い瘴気が纏わり、羽一つ一つが黒いナイフへと変わり、その多くがブラッドに向けて放たれる。


(不味い! 狙いはブラッドですか!)


 ブラッドに放たれた攻撃と言葉に彼が魔族の標的と即座に判断したゾーニングは剣を構え、斬撃の衝撃波を放ち、追撃しようと試みる。


「抜刀術・颯」


 心に澄み切った意識を集中させ、静かに、そして、素早く剣を切り込む。すると、剣圧に大きな衝撃波が生まれ、黒いナイフに目がけていく。そして、無数のナイフの群れは、その衝撃波に飲まれ、浮力を失い、地面に落ちていった。だが、迎撃された筈のナイフは再び、浮力を取り戻し、再び、ブラッドに向かって飛んでいく。

 「ブラッド!」。学校の全ての者達がブラッドの危機に、彼の名を叫ぶ。しかし、何を考えたのか、ブラッドは持っていた剣を構えるのを止め、そのまま、彼の体に無数のナイフが刺さってしまった。


「イヤァアア!」


 大きなリルの悲鳴が、校内中に響き渡る。

 傷口から止めどなく流れる血。致命傷と判断した魔族は目をにやつかせ、勝利を確信する。だが、ブラッドは苦悶の声も表情も出さずに、下を向いて黙っている。そして、怒りの表情に笑みを含み、魔族にこう言い放った。


「痛くねえ」


 刺さったナイフの痛みやそれによる出血など物ともせず、その様子を見て魔族は思わず怯んだが、再び、翼からナイフを生み出し、ブラッドに放つ。今度は先ほどの威力よりより強く、流石に今度の攻撃を喰らえば、ただでは済まされないだろう。

 だが、再び刺さったナイフにも「痛くねえ!」と臆する事無く、ゆっくり魔族に向かって前進を始める。何度も何度も刺さり続けるナイフ。

 血に染まったブラッドの形相は、まるで憎しみを呼び込み、流れている血を殺意の源と捉えている悪魔の顔のようであった。現場にいた生徒達が息を呑む。どちらが、悪なのか、ここにいる魔族も畏れを催している。

 そして、最後のナイフの一撃をブラッドは手で直接掴み、魔族を睨みつけた。


「魔族だったら手加減無用! 本気で殺してやるからな。覚悟しろ!!」


 ブラッドはそう魔族に宣告すると、持っていた剣を力強く両手で掴み、刃に力を集中し始める。


「一撃必殺! デイブレイク!!!」


 必殺技の掛け声と共に宙に跳び、剣を振り落とすと、込められた渾身の一撃が魔族の上頭に直撃し、魔族は地面に叩きつけられた。その一撃に魔族は意識が途切れ、同時に瘴気と共に消えていった。

 危機が去ったという実感を抱いた者はまだいなかったが、暫く沈黙が続いた後、ブラッドがそれを告げる。


「ふぅ~、あっけな。魔族といっても低級魔族だったみたいだな」


 あれだけ険しかった怒りや憎しみの感情は表情から消え、ブラッドは安堵に胸を撫で下ろす。そして、生徒達も少しずつ、ブラッドが勝利を収めたと理解した。


 「すげぇ!」。一人の生徒が興奮気味に、ブラッドの戦いぶりを称賛し始める。生徒達はブラッドに駆け寄り、賛美を声に変えて彼を称える。褒められて気が大きくなったブラッドはその周囲の反応に終始ご満悦の様子であった。


「安易な。お前ら、何を褒めている! ブラッドのやった事は、身勝手な行動で危険行為だ! 何よりその感情は倫理に反する!」


 テオリアはたまらず生徒達に怒声を上げたが、生徒達は聞く耳を持たなかった。


「ブラッド!」


 戦いの様子を誰よりも悲痛な思いで見ていたリルが教室で立っている満身創痍の彼の名を呼び、そのもとに駆け寄って行く。居てもたっても居られない気持ちと一緒に大胆に彼の胸元に飛び込んだ。「心配したんだから!」と泣きながら、ブラッドの胸を握った手で叩く。

 「困ったものですね」。そう呆れながら、呟いたゾーニングは、ブラッドの行動に教師として対応しなければいけない義務は承知であったが、それよりもブラッドが負った傷口を見つめ、危惧した様子で生徒達を叱っていたテオリアに言葉を掛ける。


「テオリア先生。決して許容はできない収集ではありますが、今心配するのは、彼の受けた傷です」


 そう言われ、ブラッドの傷口をよく見てみると、傷口付近がどす黒く腐食し始めていた。そのダメージが大きく、緊張感が解けたのもあってか、「こんな怪我大丈夫だって」と余裕を見せていたブラッドは足がもつれ、倒れこむ。「ブラッド!」と瀕死になった見て取り乱すリル。生徒達も容態の急変に教室内はまた別の緊張感に包まれた。


「フォビドゥンハートの毒素が混じっていたのです。このままでは傷口から毒素が体全体に回り壊死してしまいます。医務室へ運びましょう。毒素ならカンナ女医が取り除いてくれるでしょう」


 ブラッドの傷口を診てゾーニングの下した判断に、「分かりました!」と即座にブラッドの肩から腕を組んでテオリアは、彼を立ち上げる。そして、周囲の生徒達に助けられながら、ブラッドは医務室へと異動される事となった。


「全く、お前は本当に無茶ばかりする。心配するこっちの身にもなってもらいたいものだ」


 皮肉を込めながらも彼を案じるテオリア。だが、引きずられながら、ブラッドが思う事はその今の自分の姿のカッコ悪さへの嘆きであった。


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C-000-Section-005:Fascination


 ほのかに香る香水の匂い。可愛らしいピンクのふかふかのベット。おびただしい数の動物のぬいぐるみ。誰もがここが医務室だと言われたら耳を疑うだろうが、この部屋が学院ヴィータの医務室である。メルヘンチックな様式で部屋を着飾っているカンナという保険医は、その趣味に沿った不思議な感じの女性であった。セクシー保険医の異名を持つ彼女の治療を受けたくて仮病を使って訪れる男子生徒達は多い。学校の運営を厳しく請け負っていた風紀にうるさい教頭も彼女の色香の誘惑に負け、そうした経緯でこの医務室の仕様で部屋が完成するに至ったのだ。

 瀕死の彼をここまで運ぶのに手伝ってくれた生徒達はテオリアの判断により、教室へと既に返されており、ゾーニングは魔族襲撃の報告を理事長へ伝えに行っており、運ばれた重傷のブラッドはベットに横にされ、カンナに治療を施されていた。


「ったく、大げさだよな。このぐらいの傷で」


 強気で振る舞うブラッド。「ん~。強がりは良くないわ~」とおっとりした口調で、ブラッドを窘めながらカンナは治療を続ける。その治療する手つきは色っぽく見え、横目で見ていたリルはブラッドが誘惑されてしまわないか心は不安になっていた。


「ん~、魔族ちゃんは、ナイフの数を多く形成しようとして、毒素自体を強く生成されるまで魔力が回らなかったみたいね~。まあ、ナイフの数を多くされたのは、却って良かったのかも~。毒素がもう少し濃かったら~、私の精霊因子でも取り除くのは難しかったわ~」


 自分の手をカンナはブラッドの傷口一つ一つに翳すと、光のような粒子に包まれた患部はみるみると再生していき、腐食していた部位も綺麗な肌に戻っていった。「はい、終わり」と最後の傷口が塞がるとその患部をポンと手で叩く。そして、傷口の治療は完了すると、カンナは治療箱から、液体が入ったボトルを取り出すとブラッドに差しだした。


「出血が多かったから、ヒールポーション。飲んでおいてね~。飲めば、傷口は完璧に塞がるし、ポーションのエキスが血に変わって血管に回るから~」


 差し出されたヒールポーションを受け取るとキャップを開けて、ブラッドは大胆なまでに一気に飲み干す。「不味い。このポーション」。ブラッドは吐きそうな仕草をしながら、飲み干した感想を述べると、からになったボトルをゴミ箱に捨てた。


「…カンナ先生。ありがとうございます。助かりました」


 カンナに礼を言ったのはブラッドではなくテオリアであった。「構わないわ~。これが仕事だし~」と、カンナは気にしてない様子を見せたが、テオリアの複雑そうな態度は変わらなかった。


「ブラッドちゃん。きちんと病院で診てもらったほうが本当はいいわよ~? 後、エルンスト病院は今、ゲマインシャフト協会の会長さんが危篤らしくて、報道陣に囲まれて入れないわね~」」


 医療機関で治療を受ける気など毛頭ないブラッドにとって意味の為さない忠告であり、カンナの心配する言葉に「大丈夫だって」と根拠などない自信を態度で示し続けるブラッドに、一同安心など出来なかった。


「ブラッド」


 複雑な表情のテオリアはブラッドを呼ぶ。「ん?」と完全に無防備であった彼は呼ばれた声に振り返る。テオリアの表情は厳しく、「何だよ」と彼が問う寸前で彼女から平手打ちが頬に叩きつけられた。突然の出来事に驚くリルとカンナ。


「テオリアちゃん。どうしたの~!?」


 唐突に起こった事に、動揺しながら、テオリアに駆け寄るカンナ。だが、テオリアは厳しい表情でブラッドだけを見つめていた。


「…やっぱり来たよ。このお節介ババアが…」


 冷笑しながら吐き捨てるように呟くブラッド。引っ叩かれた理由をテオリアの性格を察して理解しているようであった。


「何でいつもお前はそうなんだ!」


 そして、真面目な表情で叱責し、強く非難するテオリア。「何がですか?」と真顔でブラッドは敬語で言い返す。目上への無礼と感じ取ったのではなく、単純にテオリアに信頼を向けていない事の現れに過ぎなかった。信頼を重ねれば親近感も沸く、格式ばった敬語では歯が浮く。ブラッドにとって敬語を使わない会話こそ信頼の現れなのだ。それが為されない今のテオリアは失望の対象でしかない。だが、そんな風に思っているとは気づいていないテオリアは更に怒気を強める。


「勝手な行動でどれだけの人達に迷惑を掛ければ気が済む!?」


 責任感のある教師なら、当然の言葉であろう。だが、素直に受け取らないブラッドは、その言葉を真剣に耳を傾けようとしない。


「お前は倒しちゃいけない。特にあの存在はダメだろう? 憎しみなんかでお前の苦しみは癒えない」

「…いいじゃないですか。倒せたんだし。そっか、オレの心配してくれてるんですか? だったら余計なお世話ですよ」


 言い聞かせるテオリアの顔に同情が滲む。それが、心底胸糞悪く感じたが、ブラッドは感情を表に出さず、あしらう様に返した。

 そして、そのあまりの態度の悪さに、冷静さを欠いた言葉がテオリアの口から言い放たれた。


「ご両親の事は同情する。だが、ご両親が魔族に殺された事は、もう忘れるんだ。過去の事だ。それにお前の人生に良くない汚点を残す事になる」


 決して、簡単に言う内容ではないその言葉と言い方に、ブラッドは一瞬、憎しみにも近い大きな怒りを抱いた。だが、同時に起こった虚しさが、心を包む。自分の過去の自分がどう思っているか、自分から理解など求めてはいない。だが、相手から無理解な見解を感じ取った自分の心そのものは虚しさだった。


「…ったく、うぜえよ。マジで。アンタ、自分の意見を通すために、苦しみを積むのが相手だものな。楽でいいよ。本当。でも、聞いてて滑稽だぜ? あんたの自覚のない真面目を気取った精神論」


 これ以上、話すのが馬鹿らしくなったブラッドはテオリアを視界の外へ遠ざける。


「リル。行くぞ」


 そして、リルを呼び、従う様に黙ってついてきた彼女を確認すると、医務室のドアの前へと一緒に移動したブラッドは、「治療ありがとうございました」と、カンナに一言礼を言い、ドアを開く。


「もう大丈夫~? 痛くなったら、また来てね」


 立ち尽くすテオリアの横でオロオロとしていたカンナであったが、ブラッドに礼を言われ、医務室を後にしようとする二人を見送ろうとした。

 力強く握って、自分の中の見えない怒りを手で主張しているテオリアだったが、溜まらず再び失言にならない言葉を繰り返す。


「お前のご両親が見たら悲しむぞ!」


 意を決して開口された言葉。


「…アンタには関係ないだろ?」


 しかし、返ってきた言葉は熱は込められていない。今はもうこれ以上、言葉を重ねたくない。それがどうしてかを理解できるほど、思いやる気持ちはテオリアの心には存在しなかった。

 ドアは静かに閉められ、二人が去り、医務室に残されたテオリアはぶつぶつと自分を言い聞かせるように自分を納得させている。精神的に苦しいのはテオリアも同じであるように思えたカンナは自分の見解を述べる事にした。


「テオリアちゃん。真面目に徹するのは、気重になる事もあるわよ~。自分にとっても、相手にとっても」


 カンナの言い分は自分でも頭では理解できている事であった。だが、理屈が心を妨げている。それも分かっていた。


「私は…、そうなっても、生徒と向き合いたいんです」


 そして、その言葉に対して切実な願いの内を吐露した。その声は消え入りそうにも聞こえたが、自分の持ち前の真面目さがこもってもいるようにも感じられる。


「…紅茶でも飲む?」


 暗い雰囲気の空気を変える案をカンナはテオリアに進め、「…そうですね」と落胆した気持ちを気休めになるならと思い、彼女はその気遣いに甘える事にした。

 ティーバッグが差されたティーカップにお湯が注がれ、カンナは出来た紅茶を「はい。熱いから気を付けてね~」と優しく差し出す。テオリアは忠告された通り、熱さに注意を払いながら味わった。リラックス効果もあるというその紅茶の効果からか、感情的な波は和らいでいくような感覚をテオリアは感じ、落ち着いてきた為、暫くカンナと話した後、挨拶を交わし医務室を出ていった。


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C-000-Section-006:Prejudice


「…以上が、報告出来る内容です」


 今、ゾーニングが、理事長に魔族襲撃の事実を報告を終えたところであった。


「分かった。ゾーニング先生。キミのおかげで我が学院の名誉が守られた」


 鼻の下の髭を指で摘み、そう述べたのは理事長ではなく、副理事長のストローフィである。肝心の理事長とはいうと室内の隅っこの床にパターパットを置き、ゴルフの練習に熱中していた。

 理事長はエビデンスという名で、温厚でのんびりとした性格が外見に滲んでいるような温かみを感じられる存在として生徒達からは親しまれている。

 基本、学院の決定事項は理事長と副理事長で話し合われて決められているが、とはいっても殆ど副理事長であるストローフィの独壇場。理由としては、温厚な理事長の存在感よりも、学校の面目しか考えずに一方的に話しを通そうとするストローフィの主張のほうが色濃く残るからだ。


「先日、ゲマインシャフト協会に対魔族戦力して我が学院の卒業生を派遣した事に対しての報復かもしれませんな。イヤ、そんな事はどうでもいいのです。我が学院の評判が下がるのはなりません。表沙汰になる前にこの件は処理しましょう」


 隠蔽体質が全身に染みついているのか、世間との折り合いも予ねて、事態に対して対策案を打ち出す。エビデンスは毎度この副理事長のやり方が面白くなかった。だが、結果として学校の問題はストローフィのやり方で解決はされている。常識的な対処では解決できない大人の事情もあって、エビデンスは彼の判断の中で動かされていた。


「それにしても、あの問題児がまた騒ぎを。理事長。ブラッド・トリニティの今回の行動は大変問題があると判断します。即座に退学させましょう。そうしたほうがいい」

「フォッフォッフォ。ブラッド君は元気で良いですね」


 理事長はブラッドを一目置いているようで、副理事長の理不尽な提案には、耳を貸さず、ブラッドの行動に勇敢さを感じ、感心しきりの様子であった。


「笑い事ではありません! あの問題児がいれば、我が学院が恥をかくことになるんですよ!?」


 ストローフィはここぞとばかりにブラッドに対しての問題を声を大きく荒げて長々と説明し始めた。

 彼の話によると、ブラッドの父親。ダイク・トリニティは得体の知れない存在として近所からは畏怖されていた。実際、彼に関する過去の情報は全くなく、出身地なども分からない。そんな謎めきが良からぬ噂を作っていき、言われなき偏見や中傷などが平然と為されていった。

 そして、ダイクが殺された時も、犯人が首を切断し、頭部を持ち去ったという、悲惨なやり方から、息子であるブラッドと関わる事で事件に巻き込まれる事を住民は恐れ、彼を孤児院に隔離するように閉じ込めた。

 そんな背景から問題児のレッテルを貼られ、学院の運営上リスクでしかないと疎まれる。ブラッドに直接的な理由はない。飽くまで世間体が偏見で彼を見立てているのだ。


「いずれにせよ、世間にあのような問題児が我が学院にいると知れたらイメージが悪くなり、大きな損害になります。いずれにせよ、生徒達にも不安が広がっているに決まっています。今日の授業は中止し、明日は臨時休校としましょう。宜しいですね?」


 ストローフィは半ば強制的に休校の決定事項を打ち出し、エビデンスの返事を聞かずに了承を得たものとしてしまった。

 話し合いを終えたストローフィは理事長室から職員室のドアを開き、移動する。そして、早速休校の決定事項を職員達に伝え始めた。


「理事長と協議の結果、生徒達の安全を第一に考え、本日の授業は中止。明日は臨時休校とする。各自、教室へと向かい、この事項を生徒達に知らせてくれたまえ」


 「やっぱり当然ですよね」。「良く対応ですよ。生徒達の安全を配慮なさってらっしゃる」。ストローフィの打ち出した決定事項になれ合う様に職員達は賛美を向ける。その一部始終を医務室から戻ってきたテオリアは、反吐が出るような思いで、聞いていた。


(あ~、やだやだ。あんなの単なる狎れ合い。何が生徒達の安全を配慮してる、だよ。女子生徒達から、私は副理事長のエロい視線が怖いって聞かされてるんだ)


 この学院ではそんな事を相談されるのはテオリアとゾーニングぐらいだろう。事実、生徒に信用されず、相談されず、知らないからこそ、ここにいる教師の殆どは誰かの不信の上で副理事長を当たり前のように信用ができているのだ。 


(だけど、私も副理事長に偉そうな事言えるだけの事はしてない。生徒達に現実の厳しさの中で生きていける術を学ばせる事も、理想の素晴らしさを与える事も。私は奇麗なままでいたいだけなのかもしれない。それは結局、世間の汚さにも値しない。私の理念なんてそんなもののままだから、ブラッドの事も理解できないんだ。きっと…)


 思いのたけは、ブラッドに向けられる。机を前に椅子に腰かけ、物思いに更ける。


(私はブラッドとどう向き合うべきなんだろう…)


 手に持ったお茶の中に映る自分の顔が、だんだんブラッドの顔に見えてくる。だが、そんな錯綜する思いを遮断するかのような声が割り込んでいる事に 気づく。


「…テオリア先生? 聞いているのか?」

「うぉっ! びっくりした!」


 まるで、得体の知れないものと遭遇したかのようなリアクションで驚いたテオリア。その反応にプライドが傷ついたようにストローフィは、額に青筋を立て、顔を引きつかせたが、周囲の目を気にして、ここは抑えることにしたようであった。


「ゾーニング先生が例の報告後、いつの間にか姿が見せなくなった。臨時休校の決定事項を伝わっていないかもしれん。代わりに、彼の担当する生徒達に伝えてくれたまえ。現場となった教室は閉鎖され、生徒達は会議室に移動させた。間違えないように頼むぞ」


 命令口調で要求を告げられたが、その事には気に咎めず、早々に済ませてしまおうとテオリアは了承し、椅子から立ち上がり、駆け足で職員室から教室へ向かおうとし始め時、再びストローフィが声を掛け、彼女を止める。


「生徒達に何を聞かれても、答えずにな。騒ぎが大きくなるのは学院にとって好ましくない。学院あっての生徒達。困るのは生徒達なのだから、それを忘れずに頼むぞ」


 発言には世間の汚さが染みついていた。思慮のない公正に欠けた指示に、納得できない気持ちを押し殺し、耐え忍んで了承する。そして、教室へ再び向かい始める為、職員室を後にした。


(あの女教師は出来損ないの問題児の肩を持っているようだな。イヤ、あの女は教師ではないか。心理士だかなんだか知らんが、学院に何故そんなものを存在させる必要があるのか)


 心の奥で、無礼極まりない気持ちを抱き、テオリアの学院での存在価値に疑問視する。ストローフィという人物は、自分以外の存在が踏み台になるかで見定め、そうなる為に建前というものがある。本音もまたその同一にしかない。自分の視野に、生徒達を映り込ませるという気持ちもないのだ。人生に信用というものない。だが、この混沌の時代に生き残る為には、そういった生き方のほうが上手に残れる。それが世の中の常であった。

 職員室を出た後、副理事長への怒りはすぐに心から遠のき、過っているのは、自分の職務としての在り方であった。


(心理士としての私を理事長は必要としてくれた。今、子供達は体の負担より心の負担が表面化している。私は子供が悩んでいる気持ちを感じる事があったから、それがどうにかできないかと使命感を持った。努力すれば必ず、報われるという信条の元、ヒトの心というものが曖昧なものであっても、必ず、それが答えに変えられる努力の道もあると信じていた。だが、私はあまりにも人との関わりを強く持てない。答えは考えなければ出ないという当たり前だと思っている事ですら、心というものは中々常識としてくれない。理屈ではないのはわかっている。私はどう心の形成にどういった表現で触れ合えればいいんだろうか…?)


 周りを見ずに心の中で自問自答を繰り返す。心というものに底の見えない探求心が、出口のない迷宮の中で終わる兆しを見せない。考えに没頭して目的地の会議室を過ぎ去っていく自分にも気づかず、それに気づいた一人の男子生徒に呼び止められて、我に返った。


「テオリア先生? そんな顔して、どこ行くんですか?」

「はっ! あ、すまない。ここの教室だった」


 礼を言われた生徒は、テオリアの様子が少しおかしいと思ったがあれこれ詮索はしなかった。

 会議室の前に立ったテオリアだったが、中々ドアを開こうとしない。医務室でのブラッドとの出来事が足がかりになっているのだ。目を閉ざし、考えこむ。


(落ち着け。自分の仕事に集中すればいいんだ)


 深呼吸しながら、そう自分を言い聞かせた彼女は意を決して閉じていた目を開き、ドアを開いて教室へと入る。


「全員揃っているか?」


 いつも通りの態度で徹し、会議室にいる生徒達を渡してテオリアは休校の知らせを伝え始めた。


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C-000-Section-007:Fear


 ブラッドとリルがいた学院の屋上に、逃げ去った魔族が負った傷をフォビドゥンハートの再生能力で復元を施していた。


「お休みのところ、すみませんね」


 後ろから話しかけてくる声。その人物はゾーニングであった。魔族が行っている復元に関心を示す。


「おや、再生中ですか。フォビドゥンハートという能力ですね。魔族は魂は消える事無く、肉体は時の中で劣化していく。故にフォビドゥンハートで肉体を再生させ、半永久的に生き永らえる。ブラッドの一撃を以てしても、その再生能力を凌駕する事がなかったようですね」


 分析を交え、淡々と説明を続けてくるゾーニングに魔族は何をさせるのか、恐怖を隠せなかった。


「ですが、フォビドゥンハートだけでは説明ができない事もありまして。それが気になるのです。生徒達はあなたが突然現れたと言っていた。どうやって突然現れたんですか? 魔族の新技術でしょうか?」

「おれヲコロスノカ?」


 ゾーニングの質問は恐怖する魔族には不安が強くて答える余裕もなかったようだっだ。


「…そうなります。ですが、その前に聞いておきたいのですよ。当然でしょう? 得体の知れない者が何の前触れもなく現れて、見えない目的を気にしない事はありえませんから」


 臆する魔族をゾーニングは冷たい視線で見つめ、冷酷な口調で告げる。ひしひしと感じる殺気に更に臆した魔族は、恐怖を放つゾーニングに背を向け走り出した。そのまま屋上から翼で飛ぶつもりであったが、それもゾーニングは読んでいた。


「逃げますか…。そうですね。今のあなたには、それしか出来ないでしょう。ですが、あなたはここで死ぬのです」

「ヒイ!!!」

「抜刀術・颯」


 ゾーニングは剣を鞘から抜き、鋭い一閃を放つ。研ぎ澄まされた一撃が魔族の翼を切り裂き、転倒させた。「ギャア!」と堪らず、痛みに絶叫する魔族。その後ろからゆっくりと近づくゾーニング。一切の容赦はなかった。魔族の前に立ち、最後の言葉を掛ける。


「さあ、聞かせてください。目的は何ですか? 言っても言わなくても殺しますが、どうします? そうですね。三秒あげましょう。その間に最期の命の使い道を決めてください。3、2、1…」


 早々と死のカウントダウンが進めれ、数え終わったと同時に剣は振りおろされた。

 しかし、その一瞬の間に何処からどもなく鋭い視線が脳裏に突き付けてくるのをゾーニングは感じた。剣を持った腕は時が止まったように固まり、微妙に震えている。向けられた視線に恐怖しているのだ。動けない。まるでその視線に氷漬けにされているかのように指一本動けなくなった。


(凄まじい殺気。この魔族の主? 高位魔族ですか? いえ、違いますね。そんな次元じゃない)


 どうにか状況を分析しようと頭を働かせる。色んな憶測が飛び交うも、ゾーニングの常識の域を超えていた。

 そして、倒れていた魔族が浮くように上体を起こし、天に両手を広げる。すると、光の粒子が体全体を包み込んだ。


「オオ、シュヨ。カミノシルシニヨッテ、スベテノシソガムクワレマスヨウニ」


 まるで聖書の一文を読んでいるように開口し、、


「ねめしすサマニエイコウアレ!」


 最期は主と思われる存在の名前を口にした後、魔族は光と共に消えていった。

 そのすぐ後、動かなかった身体が視線の圧力から開放される。


「ふぅ~、これは私でも及ばずですね。ブラッド。大変な事になりそうですよ?」


 剣を鞘に戻し、消え去った魔族の跡でゾーニングは予感する。ブラッドがこれから大きな事態に巻き込まれると。そして、その予感は間もなく的中することになる。運命は静かに回り始めた。


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C-000-Section-008:Tell A Falsehood


 会議室内の生徒達の顔は色んな表情を見せている。ふざけて遊んでいる者も中にはいたが、襲撃した魔族の事で不安に思う者達も少なくはなかった。そんな不安そうな表情を見て、きちんと事実を伝えたいという良心があったが、副理事長の忠告がテオリアの言葉から真実を遠ざける事となった。


「では、本日の授業は終了となった。それに伴い明日も臨時休校だ。休みだからって遊んでばかりいないで、きちんと勉強するようにな」


 明言を避けた事は、不安なる生徒を見捨ててしまったようなものであった。生徒達もそれを感じ取っている。置き去りにされた不安が不信と変わっていく彼らの視線を、避けるようにテオリアは、報告を終えて、生徒達に帰宅を促した。

 帰宅を始める生徒達が出始めると、ブラッドのもとへリルが駆け寄る。そして、テオリアの行動について語り始めた。


「事件の事、何も言わないね。テオリア先生」

「仕事を失いたくないからだろ」

「大人になると皆そうなっちゃうのかな」

「臆病者のほうが生き残れる。それもいいじゃねえの?」


 テオリアの行動から大人という存在に対して疑問を感じる。そんなリルだったが、ブラッドは一定の理解を示していた。そして、カバンを持って「さ、帰ろうぜ」と二人で帰宅し始める。

 その姿を確認したテオリアが駆け寄ってきて、医務室での行為に対しての弁明を行い始めた。


「ブラッド。教師が生徒の叱責するのは、問題が起こせば当然だと思う。さっきの事はお前を心配しての事なんだ」


 テオリアの訴えている正当性には微塵も興味はない。テオリアの言い方があまりにも一方的なまま変わらないのは、何故なんだろう? そんな疑問のほうが、頭をよぎる。気にするだけ虚しいだけとブラッドは無視してリルと共に下校し始めた。


「ブラッド。待ってくれ! 私は…」


 それを呼び止めようとテオリアが自分の手を伸ばした時、教室内にいた生徒達が彼女を取り囲む。何事かと思ったが、その表情はブラッドと同じく失意に満ち溢れていた。


「先生。魔族の事。何の説明もないんですか? 何で、何も言ってくれようとしないんですか?」

「隠蔽って奴かよ。信じらんねえ。オレら誰に守ってもらえばいいんだよ?」


 大人への失望が、言葉となってテオリアにぶつけられていく。テオリアは動揺するばかりで言葉が出てこなかった。


「おい、お前ら何を騒いでいる!?」


 騒ぎに気付いた他の教師が、生徒達を制圧しようとする。この教師も出世に目がくらんだ副理事長にすり寄っている芋の塊のようなもので、生徒達の評判が悪い一人であった。


「お前らは知らなくていい事だ。いいか、口外なんてするなよ? 誰に聞かれても、何も答えるな。知らないで通せ」


 その教師の言葉に更に表情を曇らせていく生徒達。そして、ブラッドも感じた虚しさが、彼らをこの場から去らせた。抑止できたと得意気になる出世欲に刈られた教師は、テオリアにもっともそうな言葉で励ましてきた。


「これだから子供は…。しかし、テオリア先生。気にしないでください。大人がこうしてしっかり管理すれば、しっかりとした社会が出来ていくのだから」


 まるで生徒達の主張が背信行為と言っているかのような大人として振る舞う教師の言葉は、納得など出来なかったが、テオリアは面倒事になるのは避けて、「そうですね・・・」と表面的な付き合いを選ぶのであった。


 学校の玄関で靴を取り換え、外に出てみると幾らか雨が降っていたので、持ち合わせていた傘を広げ、ブラッドとリルは一緒に歩き始めた。

 学校ヴィータには寮も存在するが、二人はそこには住んでいない。きちんとした住まいがある。神聖都に位置するこの学校を機関車で乗り継いだ町外れにある田舎の山奥にある一軒家だ。


「授業が休みって嬉しいような悲しいような複雑な気分になるよなぁ~。遊んでいいのは嬉しいけれど、休んでばかりじゃ体が鈍るし」


 ブラッドはリルに気さくに話す。だが、リルは少し反応を返すだけで殆どが無言であった。いつもならこの二人で下校する時は嬉しくてたまらないのに、今は素直に喜べない。


「テオリア先生。ちょっと可哀想かも…」


 ぼそっと小声で、リルは呟く。小さい声であったがブラッドには聞こえていた。


「何だよ。オレが悪いのかよ?」


 かなり怒っている。やはり、気にしていたのだ。確かにテオリアの言い分は一方的でブラッドは怒って当たり前なんだと思う。でも、そういった言い方をするテオリアの気持ちもなんとなく分かるのだ。


「ううん。そういうわけじゃない。だけど…、」

「リルはオレとテオリア。どっちの味方なんだ?」


 ブラッドはリルの煮え切らない態度に、冷静さに欠いた意地の悪い質問をぶつける。


「私はブラッドの味方だよ」

「だったらオレの事だけを信じてればいいんだ」


 ブラッドの質問も答えも納得できなかったが、俯いて流されるように「…分かった」とだけ返事を置く。

 ギスギスした雰囲気の中、二人はこれといった会話もせず、楽しめない下校を続けた。

 最寄りの駅前では、学校から帰っている生徒達の他に、宗教じみた怪しい勧誘や、貧困を救おう会という募金集団など四面楚歌の様相が見てとれた。ブラッドとリルの二人は、定期を駅員に見せ、駅へと入っていく。

 二人は暫く汽車が来るのを椅子に座って待つ事にした。待つ沈黙の間、様々な音と声が行き来する。生徒達の会話。駅前にいた怪しい宗教団体の演説。募金の催促の声。だが、どれも耳に入っていくような感じはせず、聞こえた。

 数分後、遠方の線路から汽車がこちらに向かってくるのが見えてきて、話していた生徒達が、白線前に集まってくる。ブラッドとリルも立ち上がり、汽車に乗る準備を整えた。

 汽車が止まり、扉が開く。ぞろぞろを汽車に乗る生徒達。「さて、乗るか」と、ブラッドはリルを連れて汽車の中へと入る。普段通りの下校時間だと、かなり混むが、早下校となった今日は仕事帰りの大人達は少なく、余裕を以て乗る事ができた。

 そして、暫くするとピーという駅員の警笛の音と共に、扉が閉じて汽車ははガラガラと音を立てながら進み始めた。


(どうしよう…。ブラッドが元気になる言葉。何か探さなきゃ)


 ここから自宅まで20分弱。その時間の間、リルはどうにかブラッドの気持ちを和らげようと思考を張り巡らせていた。


「アニキ。元気かな…?」


 だが、ふと、列車の窓の外に見える大きなビルを見て、ブラッドは兄の話を語り始めた。


神聖都ノイエスにあるゲマインシャフト協会のビルの最上階。そこにアニキがいる。アニキはオレと違って優秀で何もかも持ってた。そんなアニキに認められたかった。アニキはテオリアと同じでオレを魔族から遠ざける。親の仇なのに。許せとか忘れろとか言う。アニキはオレの事嫌いなんだと思う」


 これまで見た事のなかった自虐的なブラッド。


「ブラッド…。そんな事ないよ。お兄さんはブラッドの事が心配なんだと思う」

「だから、こうやって頑張って強くなろうとしてるのに、アニキもテオリアも分かってくれない。そんな精神論はオレを弱くしかしないのに。オレは別にいつ死んだっていいんだ。覚悟も出来てる」


 自分を自虐的な考えに追い詰めて、弱さを吐露する。無闇に自身の死に追い詰める事などしたことなどなかったが、精神的に参っていたのだろう。リルはそれに対して怒りと悲しみに包まれる。


「ブラッド。やめよう。そういう事言うの」


 命を捨てる哀しい選択を示唆されたリルは静かに憤り、ブラッドを戒めた。


「そうだな。わり」


 ブラッドが軽く詫びた頃には、自宅の駅に辿り着いていた。

 列車は停車し、扉が開く。二人はその扉を通って、列車を降りる。そして、自宅への道程を歩き出した。


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C-000-Section-009:Heartfelt Feeling


 休校となった学校では、生徒全員下校した後、教師達での緊急会議が開かれた。結果は教育委員会には報告せず、関係者のみで内密するというものであった。世間に晒される事をストローフィが恐れたからだ。どこまでも世間体に弱い男である。テオリアもゾーニングも生徒達の信頼はあるが、先生同士の実権というものがない。生徒と教師。どちらかの立場しか選べない構造が確立してしまっているからだ。


 テオリアは大量の診断書を整理する仕事を行っていた。各生徒達の性格や成績などをまとめており保護者達に円滑に生徒達の事を把握してもらう為の書類である。彼女は心理カウンセラーとして、理事長に抜擢された。だが、カウンセラーという職務の風当たりは強かった。授業との関連性が伝わらない=必要性があるか?という安易な構図がまず第一にあった。学校は授業をするところという固定観念の中にカウンセラーという新しい領域を加えようとする理解が介入できるスペースはなかなかない。新しい事は常に古い考えに阻害される。だが、テオリア自身波並を立てるのは避け、職務の必要性を主張するのではなく、職務のポジションを確保するだけに留まっていた。

 ブラッドの診断書が目に入った時、仕事をしていた腕が止まる。医務室で我を忘れて引っ叩いた罪悪感。自分がやった事はエゴの押し付けではないかと迷い始める。そして、上司であるストローフィの指示とはいえ隠蔽を行い、生徒達の信用を損ねた事が更に重くのしかかる。なんて自分は情けない心理士なんだろうと自分を責めた。

 そんな様子を察して、ゾーニングが「どうぞ」と仕事の息抜きにとコーヒーを差し出す。


「あ、ありがとうございます」


 コーヒーを受け取り、口に運ぶテオリア。その味は丁度いい感じの甘さであった。だが、コーヒーを机の上に置くと、コーヒーの水面に写った自分の表情を見て、物思いに更けるのであった。


「ブラッドの事で悩んでらっしゃるんですね?」


 ゾーニングにはバレバレであった。見透かされた事に何となく安堵の理解を感じ、思わず自分の思いが言葉として漏れる。


「私は生徒の気持ちを理解しきれていない。つくづくそう思うんですよ」


 情けないと自分を責めるように弱気な笑顔で言う彼女の対して、ゾーニングは誠実な対応で切り返す。


「我々教師は生徒達の意志を尊重し、その意志を支援する。それが仕事だと思います。ですが、教師もまた人間。感情というものがあるのも事実。ですが、やはり仕事の上ではそれは私情で禁物だと思いますよ?」

「そうですね。はい」

「ただ、あなたの場合、表面的なものに惑わされすぎです。ブラッドは自分の過去を触れられることを恐れています。心の傷なのでしょう。傷口を触れられるのは痛みでしかない。ですが、あなたは傷は癒せるものであるという認識を示せばいいんだと思います。魔族を恨むべきではないとか、魔族を許すべきとか、許さないべきだとか、そんな理屈はどうでもいいんですよ。ブラッドにとっては父親を殺されたという痛みを消してもらいたい。それが願いなのかと。痛みのなくなった時の感覚を待ちわびているのですから」

「そうですね。私の言い分は理屈でブラッドの傷を抉っただけです。明日、直接謝りに行ってみます」


 テオリアは自身の心にある蟠りがあったが、ゾーニングの理解ある説得に納得し、ブラッドに謝罪する事とした。


 夜になる頃には雲も晴れ、雨も止み、燦然と輝く星空が、美しく広がっていた。

 自宅に帰った二人は食卓の椅子に座り、夕食の時間を迎える。食卓の上に並ぶ食事を食べながら二人きりの団欒が始まった。


「明日、休みだね」

「そうだな。どうせハゲ親父の副理事長が、自分の保身の為に休みにしたんだろ。相変わらずだよな」

「はは、そうだね」


 今日と明日の休校の裏事情はブラッドにはお見通しであった。冗談交えながら副理事長の悪口と共に食が進む。あまり良い事ではないとは分かっていたが、あくまでも冗談の範囲だと思って素直にリルは会話を楽しんだ。

 するとふと何かを思いついたのかブラッドはリルに質問する。


「なあ、今考えたんだけど。明日、どこか行くか?」


 「え?」と思わず勘ぐってしまったリルに気づいてもっと理解しやすい言い方に変えてまた質問する。


「何処か、美味しい物でも食べに行くとか、一緒に買い物とかさ。たまにはいいじゃん。デートだよ。デート」

「でも、悪いよ…」


 その申し出に、リルは燃え上がる事を忘れ、冷静に返してしまう。


「何でだよ? オレ達、付き合ってるんだし、普通だろ? とにかく明日はデート。決まり!」


 ブラッドはリルを強引に誘い、遠慮などさせなかった。だが、それでも罪悪感を顔に出し浮かない表情でいる。ブラッドは呆れた顔をして、リルに言った。


「リルは変に気を使いすぎだって。好き同士でいるんだから、遠慮なんかしないでさ。楽しもうぜ」

「うん。分かった」


 あまり遠慮すると、却って失礼だと思ったのかリルはデートの誘いを受け入れる事にした。

 夕食を終え、明日のデートの事を考え、お互い別々の寝室で床に入る。ブラッドは女性に対して真面目な一面がある。異性と一緒に寝るという事はまだ自分には早いと戒めている。リルもまた異性と一緒に寝るという事に対して不安があったが、そんなブラッドの真面目な一面に安堵に感じていた。

 明日のデートに対して二人はそれぞれの気持ちを心の中で思い描いていた。

 ブラッドの方は天井を見ながら、心の中でリルを思う。


(明日はリルとデート。でも、警戒されたか…。オレ、自分が誰かと一緒に生きていくなんて望むようになったんだな。昔は一人で生きていくって強がっていたのに…。でも、リルには笑顔でいてほしいし、その笑顔の為にも明日は頑張るぜ)


 一方、リルは色んな思いが心の中で錯綜していた。デートという初めての体験に期待と不安を抱き、戸惑いを隠せず、恋の歯痒さと胸のときめきを感じていた。


(やっぱり、自分なんかがデートなんて悪いよね…。でも、嬉しい。だから、素直に甘えた方がいいのかな…?)


 そうして眠りの世界へと入り込んでいく二人。明日への楽しみを胸に、次の朝を迎えられる。そう思っていたが…。


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C-000-Section-010:Ritual Rire


『おいで、白き月の巫女。秩序がキミを必要としている』


 夜も更け、リルに異変が襲ったのは就寝してから少し経った0時丁度の時であった。その声は優しさに満ち溢れていた少年の声で、耳に聞こえてくるのではなく、頭の中に直接入ってくるような感覚であった。

 声に起こされ、リルは立ち上がる。目の色には精気がなく、操られているかのように移動を始める。寝室のドアを開けて階段を下り、玄関を開いて外へと出てしまった。


『待ってるよ。白き月の巫女。汝に秩序への契りの証となる神の印ゴッドマークの儀式を行うよ。それらにある死と再生は新たな星の道標を示す』


 その声はリルを操つり、近くのリーベの森へ誘う。

 心の意識はあるが、体が反応しない。リルは助けも呼べず、ただその声に招かれていく。

 一方、そんな事はつゆ知らず、ブラッドは深い眠りについていた。

 「ねえ、ブラッド」。リルの声が耳元から聞こえ、目を開けると、服を脱ぎ下着姿で立っている彼女の姿があった。豊満な胸で誘惑する為に、下着に手を掛ける。あまりの展開にブラッドの顔は真っ赤になった。


「ブラッド。私の事、好き?」

「リル、落ち着け! やっぱりそういうのはもう少し大人になってからだ」


 積極的に詰め寄るリルに対して自分なりに誠実に対応するブラッド。それを見て「自信ないの?」と迫る。そして、彼の右手を掴むと彼女は豊満な胸を触らせた。


「☆◆〇×!!!」


 刺激に耐えられなかったブラッドは、気が動転し、胸の感触に言葉にならない悲鳴を上げる。一気にCまで展開しそうな流れに男の声が割り込んできた。


「はい。そこまで~」


 突如現れたその男は、広げた扇子で、顔を仰ぎながら、リルに視線を向ける。


「ねえ。黒き月のスターシード。こんな誘惑は卑怯じゃないかな?」


 割り込んできた主は、そうリルに語り掛ける。すると、リルは顔を歪ませ怪しく微笑んだ。


「ブラッド君。キミの本当の彼女はリーベの森に向かった筈だ。すぐに追いかけてあげたほうがいい」


 男はブラッドの事を知っている様子で、リルの場所を明かす。そこまでのセリフからは理解できなかったが、ここにいるリルが何者かが化けていると次の瞬間知る事となる。


「む~、いいところだったのに~!」


 ポンと可愛い音を立てて爆発により発生した煙が消えると、リルだった存在は可愛らしいゴシック系の服装をした少女に変身した。そうした展開に理解が追いつかず、必死に考える。ここにいる青年と少女は誰なのか。何故、ここにいるのか。何故化けていたのか。何を問えばいいのかさえ、分らなかった。


「ア、アンタ等…、誰だ?」


 必死に考えた結果、混乱しながらも、二人の侵入者に問う。


「ボクはカイ。彼女はシェイムちゃん。ま、詳しい話は後でしよう。それよりキミの彼女の命の危機だよ」


 カイと名乗った青年から返ってきた答えでは、ブラッドは全く理解できなかった。またいつもの夢の一種なのかとも疑う。


「ここはオレが引き受けるから。彼女の元へ行ってくれ。早く!」


 それまでの言葉から察するに、侵入者二人はお互いが敵同士で、どちらかといえばカイのほうが味方として近い存在だと推測する。「分かったよ」と、真意は見えてこないが、素直に従う事にした。


「でも、アンタ等、後で不法侵入で訴えるからな」

「…意外と現実的だね」


 段々状況に慣れてきたのか、冷静に二人に忠告すると、部屋を出て青年の言われた通りの場所へと向かう。カイの言い分を選んだのが気に入らない様子で、シェイムと呼ばれた少女は恐ろしい形相でカイを睨む。


「せっかく、ブラッドと遊ぼうとしてたんだよ。邪魔すんじゃねえぞ」


 そして、ドスの効いたまるでヤクザのような口調で青年を脅しにかかった。だが、カイは怯まず、狼狽える事無くシェイムを見つめる。


「まさか、白と黒が同時に降臨するとはね。ま、キミは彼と遊びたいんだろうけど、暫くオレと付き合ってもらうよ」


 カイは自分の腕に手を翳すと、腕が鍵のようなものへと変形した。

 そしてシェイムはブラッドと引き離された怒りと殺意で、ここにいる妨害者をどう殺すか、それだけを考えていた。


 リーベの森は、ミリアム教の神話上でも登場する。有名な森である。禁忌を犯し、引き裂かれた太陽と月の男女の人間がその罪を神に赦された時、二人はここで再会を果たしたという。

 この場所の何処かにリルがいると告げられたブラッドはその言葉を信じ、彼女の探索を始める。

 だが、一向にリルの安否の確認が取れず、焦り出すブラッド。森の奥へと進みこんでいた最中、3本の光の柱のようなものが森の奥から天を貫いた。それを確認した場所にリルのいると確信したブラッド。重力を調節し、浮遊するフロートボードに乗って移動しようと試みる。

 フロートボードの速度を限界まで発揮させ、猛スピードで光の柱が見えた場所まであっという間に移動した。


「ネメシス。その子を離すんだ!」


 長髪の男に名を呼ばれた存在は、白い服装を纏った黄緑色をした髪の少年であった。

 その他にそこにいた存在は、リルと、短髪で目つきのキツイ性格悪そうな女性がいるのを確認できた。


「残念だけど、キミ達には興味がないんだ。退場してもらうよ」


 ネメシスと呼ばれた少年の声は、リルをここまで先導した声の送った本人であった。指をパチンと鳴らすと、魔物達が現れ、その魔物に力を吹き込む。すると魔物達は変異し、より強力となって襲い掛かってきた。


「リック。どうすんだ? 儀式始まっちまうぞ?」

 

 目付きの悪い女は、眉毛を潜めながら、リックという青年に聞く。


「…儀式にはリスクが付きまとうが、クリアすればプラスにもなる。だが、ソーラ。オレ達の目的は、故郷の手がかりを探す。それが第一にある」

 

 リックは目付きの悪い女をソーラと呼び、彼女の問いに一考した後、秘めた決意で答える。


「あまり生命キミ達やここの魔物達を傷つけたくはないんだ。邪魔をしないでくれないかな?」

「優しいだけじゃ、男はダメなんだぜ? 強くなきゃな!」


 二人の行動に憐れむネメシス。ソーラはその憐れみの視線に向けて研ぎ澄まされた蹴りを放った。地面を掘削するまでの凄まじいまでの蹴りの衝撃に巻き込まれた魔物達は次々と上空へと吹き飛ばされていく。「まだまだぁ!!」とソーラは連続して、蹴りをネメシスに放ち続けた。


「暴力的じゃダメなんだよ。女性は。優しくなきゃね」


 ネメシスは蹴りの衝撃を受けてもニッコリ微笑んでいる。ソーラ自身蹴りが直撃しても手応えがないのはわかっていた。


「ソーラ! ネメシスの絶対無敵精霊因子インビジブルボディを発動している! こちらの体力が消耗するだけだ!」


 リックは攻撃が効かない理由を分析し、ソーラに伝える。それを理解したソーラは攻撃を一旦やめ、ネメシスの反応を待つ事にした。


「たく、うぜえ…」


 面倒になった事に苛立ちの表情を見せるソーラ。だが、ネメシスの反応はソーラには向けられず、リルに近づく。すると、リルの体が浮かび上がり、衣服が剥がれ、素肌が露になる。そして、ネメシスは指先をリルの胸元へ向けた。

 「リル!」。彼女を救う一心で、ブラッドはネメシスに突貫を試みる。それに気づいたネメシスは笑顔でブラッドの行動を向かい入れた。


「あれ? キミの儀式はまだ始まっていないよ。そっか、どうやら黒き月が余計な事に手を出したようだね。でも、巫女の準備は整い、神の印は押された。そして、今、宿命を呼び覚ます」

「知るかっ。死ね! デイブレイク!」


 ネメシスは年齢を感じさせない超然とした対応を見せる。彼の話す言葉の難解さに苛立ったブラッドは十八番の一撃を繰り出した。ネメシスはふぅ~と軽く溜息を吐くと、手の平を前に向ける。その手から瞳が浮かび出て、凄まじい殺気がその眼光から発せられた。すると触れずにブラッドの動きが停止した。その状況に思う事は、今まで見た事ない能力。このネメシスという存在は計り知れない能力があって太刀打ちなど出来ない。一瞬でそう悟った。そんな彼に対して、達観した態度を含んだ眼差しを向ける。


「ブラッド。キミの剣は憎しみを象徴している。だから、剣がボクを恐れているんだよ。そして、キミが何よりもボクを恐れている。キミは強がる未熟さの裏では、きちんと判断出来ているよ。ボクには勝てないってね」


 ネメシスには全て分かっていた。図星を突かれたとは言え、このまま引っ込むわけもなく、動けない体から精霊因子を発動させる。ブラッドの判断にネメシスは感心した。そして、称賛の言葉を掛ける。


「ふ~ん。良い判断だね。確かにボクの呪縛を解くには精霊因子は効果的だ。ボクの未来にも、それはあるからね」


 精霊因子によって呪縛が解除されると、動けなかった体が急に軽くなり、元の感覚に戻る。


「さて、魔物達は快方してあげよう。儀式のスタートラインが記された事だし。すまなかったね」


 目的は達成し、ここにいる理由は一先ずクリアされた為、儀式を守るように遣わされた魔物達の傷を癒し、元の状態に戻す。只者ではない。学校で習った魔法能力や魔物の知識には当てはまらない。知られざる存在への恐怖が心を支配する。だが、ブラッドは諦めなかった。リルを守る。その志す思いが、ブラッドに力を与えた。


「リルを返せ!」


 怒りを露にし、そう要求するブラッド。それに対してネメシスは余裕そうに微笑んでいる。


「怒っているのかい? その気迫いいね。そうだ。その怒りで始祖から彼女を守ってよ」


 リルを後ろから胸元に掛けて回していた手を離すと、胸元の上に印のような跡が付けられていた。そして、ゆっくりとリルは倒れ、無事を確認する為にブラッドが近づく。抱き抱え顔を近づけると呼吸を確認し、ほっと肩を撫で下ろした。

 目的を達成したネメシスは宙を浮き、全てを見渡すように神々しい翼を広げて君臨する。


「天の血を受け継ぎながら、この地に紛れた者達。白き月の巫女とボクによって全て導かれる事は救済なんだ。そうして世界が導かれる」

「導く? おこがましいぞ、ネメシス!」


 ネメシスの言葉にリックから強く非難が向けられる。


「此の世に失われた母を。それにはの方法が救済だったはずだ」


 非難された言葉に道理を説いて論ずるネメシス。そして、倒れこんだ恋人を抱えるブラッドを見て、意地の悪い言葉を掛ける。


「そうだ。ブラッド。あの魔族の一撃素晴らしかったよ。送り込んで面白いものが見れた。キミになら神の印の儀式をクリアできると思う。お父さんもきっとそれを望んでいるんじゃないかな?」


 その言葉にブラッドの表情が憎しみに包まれる。悲しい事に含まれている父親と魔族。この二つの言葉で出来上がった傷に新たな痛みを与えた事の憎しみが感情を支配する。


「やめておきなよ。キミのデイブレイクっていう技はボクには届かない。さっきので分かっただろう?」


 余裕の表情を変えないネメシス。再び繰り出される技に反応し、手の平を剣に向ける。だが、次の瞬間、今までの一撃を遥かに凌駕した強力な一撃がブラッドから繰り出される。


「ギルティブレイク!!!」


 その一撃はネメシスの掌の制止を弾き、そして彼の顔にかさる。ネメシスは表情を変えなかったが、頬に受けたダメージによって傷口から出血を確認出来た。


絶対無敵精霊因子インビジブルボディを破ったか。何の力だろう? ヒトではない力を感じる。どうもその波動が読めないな)


 頬を伝う傷口に軽く手をやり、ネメシスは自分の能力が無効化された事に不思議に思いながら鬼のような剣幕のブラッドを見ていた。


「流石だね。キミもヒトとして生きていくのは勿体ない逸材だ。いずれ、ボクにも牙が向くほどに成長するだろうね。だが、ボクを倒す事は秩序を狂わす事。その代償はヒトの為にあらず」


 そして、意味深な言葉を口にし、ネメシスは翼を広げ宙に浮かび上がる。


「だが、ブラッド。キミなら大丈夫。キミは特別だ。とはいえ、ヒトはまだ自由の段階に達していない。ボクを倒すかは儀式をクリアした時にでも決めてくれるとありがたいよ。ボクもそれまで誰かに殺されるなんて事はしないから」


 そう言い残すとネメシスは天空の彼方へと飛び立っていった。

 戦いは敵の逃亡で解決となった。ブラッドはリルを抱き寄せて、取り乱した様子だった。保護できる場所なら、まず自宅だと判断したブラッドは彼女を抱きかかえ、家へと向かう。リルの胸元につけられた何かの印。神の印と言っていたが、何が起こるのか、死霊の呪いの類ではないだろうか? 憶測が憶測を呼び頭の中で収集がつかなくなったブラッドはいてもたってもいられなかった。まず、自宅に運んだら、病か呪いの両方の線を考えて、医者か教会へ連れていく事を考えた。

 そんな急を要する事態を尻目に、先程ネメシスと交戦していたリックがブラッドの肩を掴む。「離せ!」。時間に焦るブラッドは平静を保てず、声を荒げた。


「その印がある以上、キミ達だけでは危険だ」

「こんなの何かの呪いだろ!? 教会で解除してもらえばいい」


 冷静さを失っているブラッドは肩を掴んで止める男の手を振り払おうとする。


「それは呪いなんかじゃないんだ!」

「じゃあ、何だってんだ!!?」


 リルの無事だけに願いの全てを掛けている今の彼に、他の者の声など聞こえるわけもなく、押された印によって被る被害の規模に不安を隠せない。もしかすると命に関わる事なのかもしれない。ネメシスという得体の知れない人物の能力によって押されたものだ。きっとよからぬものであると前向きな思考など起きあがってこなかった。


「ったく、うぜえ。寝ろ」


 苛々していたソーラの得意技の強力な蹴りが、ブラッドの首の付け根に直撃する。「カハッ」。その一撃にブラッドは意識を失い倒れた。薄れゆく意識が完璧に消えるまで、ブラッドはリルの存在を心の中で叫んでいた。

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