C-000-Section-010:Ritual Rire

『おいで、白き月の巫女。秩序がキミを必要としている』


 夜も更け、リルに異変が襲ったのは就寝してから少し経った0時丁度の時であった。その声は優しさに満ち溢れていた少年の声で、耳に聞こえてくるのではなく、頭の中に直接入ってくるような感覚であった。

 声に起こされ、リルは立ち上がる。目の色には精気がなく、操られているかのように移動を始める。寝室のドアを開けて階段を下り、玄関を開いて外へと出てしまった。


『待ってるよ。白き月の巫女。汝に秩序への契りの証となる神の印ゴッドマークの儀式を行うよ。それらにある死と再生は新たな星の道標を示す』


 その声はリルを操つり、近くのリーベの森へ誘う。

 心の意識はあるが、体が反応しない。リルは助けも呼べず、ただその声に招かれていく。

 一方、そんな事はつゆ知らず、ブラッドは深い眠りについていた。

 「ねえ、ブラッド」。リルの声が耳元から聞こえ、目を開けると、服を脱ぎ下着姿で立っている彼女の姿があった。豊満な胸で誘惑する為に、下着に手を掛ける。あまりの展開にブラッドの顔は真っ赤になった。


「ブラッド。私の事、好き?」

「リル、落ち着け! やっぱりそういうのはもう少し大人になってからだ」


 積極的に詰め寄るリルに対して自分なりに誠実に対応するブラッド。それを見て「自信ないの?」と迫る。そして、彼の右手を掴むと彼女は豊満な胸を触らせた。


「☆◆〇×!!!」


 刺激に耐えられなかったブラッドは、気が動転し、胸の感触に言葉にならない悲鳴を上げる。一気にCまで展開しそうな流れに男の声が割り込んできた。


「はい。そこまで~」


 突如現れたその男は、広げた扇子で、顔を仰ぎながら、リルに視線を向ける。


「ねえ。黒き月のスターシード。こんな誘惑は卑怯じゃないかな?」


 割り込んできた主は、そうリルに語り掛ける。すると、リルは顔を歪ませ怪しく微笑んだ。


「ブラッド君。キミの本当の彼女はリーベの森に向かった筈だ。すぐに追いかけてあげたほうがいい」


 男はブラッドの事を知っている様子で、リルの場所を明かす。そこまでのセリフからは理解できなかったが、ここにいるリルが何者かが化けていると次の瞬間知る事となる。


「む~、いいところだったのに~!」


 ポンと可愛い音を立てて爆発により発生した煙が消えると、リルだった存在は可愛らしいゴシック系の服装をした少女に変身した。そうした展開に理解が追いつかず、必死に考える。ここにいる青年と少女は誰なのか。何故、ここにいるのか。何故化けていたのか。何を問えばいいのかさえ、分らなかった。


「ア、アンタ等…、誰だ?」


 必死に考えた結果、混乱しながらも、二人の侵入者に問う。


「ボクはカイ。彼女はシェイムちゃん。ま、詳しい話は後でしよう。それよりキミの彼女の命の危機だよ」


 カイと名乗った青年から返ってきた答えでは、ブラッドは全く理解できなかった。またいつもの夢の一種なのかとも疑う。


「ここはオレが引き受けるから。彼女の元へ行ってくれ。早く!」


 それまでの言葉から察するに、侵入者二人はお互いが敵同士で、どちらかといえばカイのほうが味方として近い存在だと推測する。「分かったよ」と、真意は見えてこないが、素直に従う事にした。


「でも、アンタ等、後で不法侵入で訴えるからな」

「…意外と現実的だね」


 段々状況に慣れてきたのか、冷静に二人に忠告すると、部屋を出て青年の言われた通りの場所へと向かう。カイの言い分を選んだのが気に入らない様子で、シェイムと呼ばれた少女は恐ろしい形相でカイを睨む。


「せっかく、ブラッドと遊ぼうとしてたんだよ。邪魔すんじゃねえぞ」


 そして、ドスの効いたまるでヤクザのような口調で青年を脅しにかかった。だが、カイは怯まず、狼狽える事無くシェイムを見つめる。


「まさか、白と黒が同時に降臨するとはね。ま、キミは彼と遊びたいんだろうけど、暫くオレと付き合ってもらうよ」


 カイは自分の腕に手を翳すと、腕が鍵のようなものへと変形した。

 そしてシェイムはブラッドと引き離された怒りと殺意で、ここにいる妨害者をどう殺すか、それだけを考えていた。


 リーベの森は、ミリアム教の神話上でも登場する。有名な森である。禁忌を犯し、引き裂かれた太陽と月の男女の人間がその罪を神に赦された時、二人はここで再会を果たしたという。

 この場所の何処かにリルがいると告げられたブラッドはその言葉を信じ、彼女の探索を始める。

 だが、一向にリルの安否の確認が取れず、焦り出すブラッド。森の奥へと進みこんでいた最中、3本の光の柱のようなものが森の奥から天を貫いた。それを確認した場所にリルのいると確信したブラッド。重力を調節し、浮遊するフロートボードに乗って移動しようと試みる。

 フロートボードの速度を限界まで発揮させ、猛スピードで光の柱が見えた場所まであっという間に移動した。


「ネメシス。その子を離すんだ!」


 長髪の男に名を呼ばれた存在は、白い服装を纏った黄緑色をした髪の少年であった。

 その他にそこにいた存在は、リルと、短髪で目つきのキツイ性格悪そうな女性がいるのを確認できた。


「残念だけど、キミ達には興味がないんだ。退場してもらうよ」


 ネメシスと呼ばれた少年の声は、リルをここまで先導した声の送った本人であった。指をパチンと鳴らすと、魔物達が現れ、その魔物に力を吹き込む。すると魔物達は変異し、より強力となって襲い掛かってきた。


「リック。どうすんだ? 儀式始まっちまうぞ?」

 

 目付きの悪い女は、眉毛を潜めながら、リックという青年に聞く。


「…儀式にはリスクが付きまとうが、クリアすればプラスにもなる。だが、ソーラ。オレ達の目的は、故郷の手がかりを探す。それが第一にある」

 

 リックは目付きの悪い女をソーラと呼び、彼女の問いに一考した後、秘めた決意で答える。


「あまり生命キミ達やここの魔物達を傷つけたくはないんだ。邪魔をしないでくれないかな?」

「優しいだけじゃ、男はダメなんだぜ? 強くなきゃな!」


 二人の行動に憐れむネメシス。ソーラはその憐れみの視線に向けて研ぎ澄まされた蹴りを放った。地面を掘削するまでの凄まじいまでの蹴りの衝撃に巻き込まれた魔物達は次々と上空へと吹き飛ばされていく。「まだまだぁ!!」とソーラは連続して、蹴りをネメシスに放ち続けた。


「暴力的じゃダメなんだよ。女性は。優しくなきゃね」


 ネメシスは蹴りの衝撃を受けてもニッコリ微笑んでいる。ソーラ自身蹴りが直撃しても手応えがないのはわかっていた。


「ソーラ! ネメシスの絶対無敵精霊因子インビジブルボディを発動している! こちらの体力が消耗するだけだ!」


 リックは攻撃が効かない理由を分析し、ソーラに伝える。それを理解したソーラは攻撃を一旦やめ、ネメシスの反応を待つ事にした。


「たく、うぜえ…」


 面倒になった事に苛立ちの表情を見せるソーラ。だが、ネメシスの反応はソーラには向けられず、リルに近づく。すると、リルの体が浮かび上がり、衣服が剥がれ、素肌が露になる。そして、ネメシスは指先をリルの胸元へ向けた。

 「リル!」。彼女を救う一心で、ブラッドはネメシスに突貫を試みる。それに気づいたネメシスは笑顔でブラッドの行動を向かい入れた。


「あれ? キミの儀式はまだ始まっていないよ。そっか、どうやら黒き月が余計な事に手を出したようだね。でも、巫女の準備は整い、神の印は押された。そして、今、宿命を呼び覚ます」

「知るかっ。死ね! デイブレイク!」


 ネメシスは年齢を感じさせない超然とした対応を見せる。彼の話す言葉の難解さに苛立ったブラッドは十八番の一撃を繰り出した。ネメシスはふぅ~と軽く溜息を吐くと、手の平を前に向ける。その手から瞳が浮かび出て、凄まじい殺気がその眼光から発せられた。すると触れずにブラッドの動きが停止した。その状況に思う事は、今まで見た事ない能力。このネメシスという存在は計り知れない能力があって太刀打ちなど出来ない。一瞬でそう悟った。そんな彼に対して、達観した態度を含んだ眼差しを向ける。


「ブラッド。キミの剣は憎しみを象徴している。だから、剣がボクを恐れているんだよ。そして、キミが何よりもボクを恐れている。キミは強がる未熟さの裏では、きちんと判断出来ているよ。ボクには勝てないってね」


 ネメシスには全て分かっていた。図星を突かれたとは言え、このまま引っ込むわけもなく、動けない体から精霊因子を発動させる。ブラッドの判断にネメシスは感心した。そして、称賛の言葉を掛ける。


「ふ~ん。良い判断だね。確かにボクの呪縛を解くには精霊因子は効果的だ。ボクの未来にも、それはあるからね」


 精霊因子によって呪縛が解除されると、動けなかった体が急に軽くなり、元の感覚に戻る。


「さて、魔物達は快方してあげよう。儀式のスタートラインが記された事だし。すまなかったね」


 目的は達成し、ここにいる理由は一先ずクリアされた為、儀式を守るように遣わされた魔物達の傷を癒し、元の状態に戻す。只者ではない。学校で習った魔法能力や魔物の知識には当てはまらない。知られざる存在への恐怖が心を支配する。だが、ブラッドは諦めなかった。リルを守る。その志す思いが、ブラッドに力を与えた。


「リルを返せ!」


 怒りを露にし、そう要求するブラッド。それに対してネメシスは余裕そうに微笑んでいる。


「怒っているのかい? その気迫いいね。そうだ。その怒りで始祖から彼女を守ってよ」


 リルを後ろから胸元に掛けて回していた手を離すと、胸元の上に印のような跡が付けられていた。そして、ゆっくりとリルは倒れ、無事を確認する為にブラッドが近づく。抱き抱え顔を近づけると呼吸を確認し、ほっと肩を撫で下ろした。

 目的を達成したネメシスは宙を浮き、全てを見渡すように神々しい翼を広げて君臨する。


「天の血を受け継ぎながら、この地に紛れた者達。白き月の巫女とボクによって全て導かれる事は救済なんだ。そうして世界が導かれる」

「導く? おこがましいぞ、ネメシス!」


 ネメシスの言葉にリックから強く非難が向けられる。


「此の世に失われた母を。それにはの方法が救済だったはずだ」


 非難された言葉に道理を説いて論ずるネメシス。そして、倒れこんだ恋人を抱えるブラッドを見て、意地の悪い言葉を掛ける。


「そうだ。ブラッド。あの魔族の一撃素晴らしかったよ。送り込んで面白いものが見れた。キミになら神の印の儀式をクリアできると思う。お父さんもきっとそれを望んでいるんじゃないかな?」


 その言葉にブラッドの表情が憎しみに包まれる。悲しい事に含まれている父親と魔族。この二つの言葉で出来上がった傷に新たな痛みを与えた事の憎しみが感情を支配する。


「やめておきなよ。キミのデイブレイクっていう技はボクには届かない。さっきので分かっただろう?」


 余裕の表情を変えないネメシス。再び繰り出される技に反応し、手の平を剣に向ける。だが、次の瞬間、今までの一撃を遥かに凌駕した強力な一撃がブラッドから繰り出される。


「ギルティブレイク!!!」


 その一撃はネメシスの掌の制止を弾き、そして彼の顔にかさる。ネメシスは表情を変えなかったが、頬に受けたダメージによって傷口から出血を確認出来た。


絶対無敵精霊因子インビジブルボディを破ったか。何の力だろう? ヒトではない力を感じる。どうもその波動が読めないな)


 頬を伝う傷口に軽く手をやり、ネメシスは自分の能力が無効化された事に不思議に思いながら鬼のような剣幕のブラッドを見ていた。


「流石だね。キミもヒトとして生きていくのは勿体ない逸材だ。いずれ、ボクにも牙が向くほどに成長するだろうね。だが、ボクを倒す事は秩序を狂わす事。その代償はヒトの為にあらず」


 そして、意味深な言葉を口にし、ネメシスは翼を広げ宙に浮かび上がる。


「だが、ブラッド。キミなら大丈夫。キミは特別だ。とはいえ、ヒトはまだ自由の段階に達していない。ボクを倒すかは儀式をクリアした時にでも決めてくれるとありがたいよ。ボクもそれまで誰かに殺されるなんて事はしないから」


 そう言い残すとネメシスは天空の彼方へと飛び立っていった。

 戦いは敵の逃亡で解決となった。ブラッドはリルを抱き寄せて、取り乱した様子だった。保護できる場所なら、まず自宅だと判断したブラッドは彼女を抱きかかえ、家へと向かう。リルの胸元につけられた何かの印。神の印と言っていたが、何が起こるのか、死霊の呪いの類ではないだろうか? 憶測が憶測を呼び頭の中で収集がつかなくなったブラッドはいてもたってもいられなかった。まず、自宅に運んだら、病か呪いの両方の線を考えて、医者か教会へ連れていく事を考えた。

 そんな急を要する事態を尻目に、先程ネメシスと交戦していたリックがブラッドの肩を掴む。「離せ!」。時間に焦るブラッドは平静を保てず、声を荒げた。


「その印がある以上、キミ達だけでは危険だ」

「こんなの何かの呪いだろ!? 教会で解除してもらえばいい」


 冷静さを失っているブラッドは肩を掴んで止める男の手を振り払おうとする。


「それは呪いなんかじゃないんだ!」

「じゃあ、何だってんだ!!?」


 リルの無事だけに願いの全てを掛けている今の彼に、他の者の声など聞こえるわけもなく、押された印によって被る被害の規模に不安を隠せない。もしかすると命に関わる事なのかもしれない。ネメシスという得体の知れない人物の能力によって押されたものだ。きっとよからぬものであると前向きな思考など起きあがってこなかった。


「ったく、うぜえ。寝ろ」


 苛々していたソーラの得意技の強力な蹴りが、ブラッドの首の付け根に直撃する。「カハッ」。その一撃にブラッドは意識を失い倒れた。薄れゆく意識が完璧に消えるまで、ブラッドはリルの存在を心の中で叫んでいた。

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