第5話
下界なら、とっくに二日が経過しているだろう。
カウンターの奥に備えられた職員の机で、俺はボールペンを片手に黒木のことをボーッと思い耽っていた。
「一仕事終了っと」
ふと向かいから声が上がる。
目を見遣ると、1人の女性がファイルを閉じながら大きな背伸びをして、仕事の疲れを癒やしていた。
すぐさま大きなアクビがなされ、疲れの一端が垣間見る。
俺はその様子に「お疲れ様」と労をねぎらった。
「大原君の方はどう? あの子を成仏させてあげられそう?」
「いえ、今回はもう少し時間が掛かりそうです」
「そうかぁ~それは難儀ね」
「ですね」
と話しながら、あのときのことを思い出す。
あれから、どうしたかというと……俺たちは天界へと戻った。
どうしても気持ちの整理の付かない黒木に未練を整理させるのは無理。そう判断した俺は天界へと戻ることにしたのだ。
そして、黒木はいま管理局に併設された待合施設にいる――俺は彼女に死を実感して欲しいと思い、一人で考えさせる時間を与えることにした。
しかし、時間はあまりない。
成仏できない魂は、生への強い未練から下界に留まることに固執してしまう。そうなれば、地縛霊と化して生きとし生けるものに災いをもたらすことになる。
誰かが誰かを呪っていいなんてことは合ってはいけない。
だから、未練整理はそうなる前に速やかに行うことが重要だ。
これまでいくつもの案件を経て、死者を天国へと入国させてきたつもりだったが、今回ばかりは上手く成仏させてやる自信がない。
そんな胸の突っかかりを俺は女性の前で吐露した。
「あの、聞いてもいいですか?」
「……なに? なにか悩み事?」
「んまあ、悩みっちゃ悩みなんですけど……」
「あ、もしかして恋の相談?」
「いえ、そうではなくて――ぶっちゃけ、死者に関することです」
「なぁ~んだ、つまんないの」
「茶化さないでくださいよ」
「ごめん、ごめん……。それで、どんな相談?」
「えっとですね。もし、仲の良い友達と喧嘩別れしたままの状態で、突然死んじゃって『気づいたら管理局の前でした』なんてことがあったらどうします?」
「それって、生前競走馬だった私に振る話?」
「……あ、ですよね」
「でも、わからなくはないわ。馬も人間と同じで家族や仲間を大切にする生き物だもの。好きなヤツ、嫌いなヤツの一人や二人ぐらいいるわよ」
「やっぱり馬でも同じなんですか?」
「まあね。人であれ、馬であれ、友達と喧嘩別れしたまま死んじゃったら、そりゃ後悔もするわよ。結果的にそれが未練として残ってしまうかは別だけどね」
「そう言うモノなんですかね」
「――で、大原君が悩んでるのはいま担当してる死者の為?」
そう言われ、俺は小さく「はい」と答える。
すると、女性は突然机に身体を突っ伏していとおしそうな表情で話しかけてきた。
「優しいわよね、大原君は」
「そんなことないですよ。俺なんかが天国へ向かう命の未練を晴らしてあげるなんてことが、本当にできているのか正直不安なんです。だから、俺に精一杯できることをしてあげたいとは思っているんですが……」
「それで充分よ。優しくするってことは、他のことが絡んで案外難しいのかもしれない。だけど、それができる人は実はすごい人なのかもしれないと私は思うの」
「……本当に凄いと思いますか?」
「もちろん思うわよ。これは私なりの意見だけど、もしその子が後悔しているのなら、きちんと未練を整理させてあげるべきね。じゃないと、転成した後の世界でなんらかの影響を及ぼしてしまう可能性があるもの」
「もちろん、その可能性は考えました」
「――でしょ? それに地縛霊なんかにさせるわけにもいかないから、きちんと未練を捨てさせてあげることが私たちの仕事だし」
「……はい」
「まあ深刻な顔してもどうしようもないわ。とにかく私の意見としては、さよならバイバイできるならした方がいいってことよ――特に損な死に方をした場合わね」
と女性が意味深な発言をする。
そこにどんな意味があるのか――?
とっさにその意味を問おうとしたが、突然発せられた呼び声に応じざるえなかった。
呼んでいたのはコクロだった。
「ねえ睦己。一緒に遊ぼぉ~」
どうやらいつものように仕事をほっぽり出して、俺のデスクの周りをうろついていたようである。
俺はため息をつき、コクロを注意した。
「いま大事な話をしてるところなんだ。別の人に遊んでもらえよ」
「だって、みんな忙しいって言うんだもん」
「そりゃオマエがサボってるからだろ? 本当にいい加減にしろよ」
「ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダァ~」
と駄々をこね始めるコクロ。
こうなったコクロはてこでも動かなくなってしまう。それに根が寂しがり屋だけに自分が相手にされるまで、この場に居着くつもりらしい。
根負けした俺は相手をしてやることにした。
「……わかったよ。付き合ってやるよ」
「ホントっ!? じゃあ、なにして遊ぶ?」
「オマエのやりたいこでいい」
「う~ん、じゃあねぇ……」
コクロが両腕を組んで悩み始める。
その様子を横目で見ながら、俺は女性に助けを求めた。しかし、女性は「大原君がなんとかしなさい」と言わんばかりの表情で苦笑している。
どうやら、仕事どころではないらしい。
俺はいらぬ雑用が増えたことに激しくぼやいた。
「呑気に遊んでる場合じゃないんだけどなぁ……」
ふとその言葉に黒木の部屋で見た写真のことを思い出す。
それは大会で優勝して森永と一緒に撮った写真のことだ。
あの写真を見たとき、俺はぱっと見は黒木が控えめに笑ってうれしがっているように見えた。しかし、同時にどこか楽しんでいないような気がしてならなかった。
もし黒木が楽しんで大会に挑んでいたなら、あんな中途半端な表情はしないだろう。
あくまでも推測だが、本人は『やらされている』というような認識が奥底にあったのかもしれない。
そう考えると、黒木自身が自由に考え、楽しく行動し、友達と語り合うという子供としてのもっとも原始的な欲求である遊ぶという概念を放棄していたのではないだろうか?
実際、あの部屋には陸上の大会以外の写真はなかった。
もしかしたら、海に行ったり、山に入ったり、遊園地に行ったり、と誰かと思い出を作るという行為をしてこなかったのではないだろうか?
――いや本来ならば、そういうことあってもいいはずだ。
森永と本当に楽しい時間を過ごしたというのならば、なにも競技大会の写真ばかりを飾る必要なんかないのだ。
その考えにいたり、俺はある一つの妙案を思いついた。
「そうか……そうすればよかったんじゃないか!」
「え? なにかいい遊びでもあるの?」
「んまあ遊びと言えば、遊びなんだけどな」
「どういうこと?」
「それはあとのお楽しみだ。オマエも存分に遊ばせてやる」
思い立ったら吉日というべきか。
俺はさっそく黒木の未練を整理させるための策を講じるための準備に取りかかった。
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