第6話

「大原君、ここって……?」

「見ての通りの原っぱだ」



 黒木の問いに辺りを見渡す。

 その山には、一カ所だけぽつんと開けた場所があった。

 小さな草花が生い茂る野原、誰も近寄らない場所——。まるで山の神様の気まぐれで作られたようなその場所は、野球ができるほどに広く、そして美しい原野の風景を保っていた。

 翌日、俺は黒木を連れて下界へと降りた。ただし、場所は黒木の学校ではなく、人里離れた奥深い山の中である。

 なぜそんなところへ降りてきたのか?

 それは、これから黒木と一緒にしたいことがあるからである。

 けれども、霊体である俺たちが下界で派手な行動をするわけにもいかない。まずそれをするには人目をはばかり、誰にも邪魔されない適度な広さの空き地が必要だった。

 だから、この場所を選んだ。

 とはいえ、黒木自身はそのことを理解していない。「どうしてこんなところへ?」というような不思議そうな顔で俺を見ている。



「大原君、こんなところでいったいなにをする気なの? 私、ここに来たことなんて一度もないし、未練が残っている場所じゃないわ」

「もちろん、黒木の未練整理とは関係ないよ」

「じゃあ、どうして?」

「息抜きをするためさ」

「……息抜き?」

「ちょっと最近コクロが遊べってうるさくてね。ちょうどいい機会だからオマエも交えて遊んでみようかなって思ったんだ」

「ねえ、急にどうしたの? そんなことをしている場合じゃないでしょ。私は、天国に逝かなきゃいけない人間なのよ」

「でも、オマエは天国に逝きたくないんだろ?」

「……それはそう……だけど……」

「だったら、天国に逝く前の『思い出作り』として一緒に遊ぼうぜ?」



 と言って、俺は鞄の中から空き缶を取り出す。

 そして、空き缶を地面に置き、わずかに助走を付けて大空に向かって蹴り上げた。

 空き缶が高らかに宙を舞う――。

 その行き先を眺め、再び地上に落ちたことを確認する。それから、俺とコクロは野原の中を駆けだした。



「ちょっと! 大原君?」



 俺の言動を理解できない黒木が後ろから大声を上げる。

 その問いかけに俺は叫んで答えた。



「黒木が鬼だっ。早く缶を探して来いよ!」



 それでも黒木はわからなかったのだろう。

 戸惑いながらも、空き缶が飛んでいった方向へと走っていった。

 それから、二時間ものあいだ。

 俺たちは缶を蹴っては追いかけ、ひたすら遊び続けた。

 そのときの黒木の顔は、大会に勝って森永と喜びを分かち合ったときのような顔ではなかった。小さな子供のような無邪気さを見せ、むしろそっちの方が黒木らしいんじゃないかと思わせるような本当に楽しそうな笑顔だった。

 やがて、遊び疲れると俺たち三人は原っぱのど真ん中に大の字になって寝転がった。

 晴れ渡る空を流れる雲を見つめたり、風に吹かれ静かに葉音を立てる草花の息吹に耳を澄ませたりして楽しんだ。



「……静かね」

「ああ。遊んで凄く疲れたけど、結構気持ちよかったよ」

「フフッ、そうね。なんだか久々に遊んだって感じがする」

「ボクなんかもうヘトヘトだよ」

「オマエはいつも暴れ回ってて、体力有り余ってるだろ?」

「むぅ~睦己のイジワル」



 そんな会話をしながら、俺たちは笑い合う。

 ……こんなに清々しい気持ちで空を眺めるのはいつ以来だろう?

 それはきっと黒木も同じに違いない。

 俺はそのことを確信して訊ねた。



「なあ黒木。遊んでみてどう思った?」

「どうって?」

「楽しかったか、楽しくなかったかって話さ」

「もちろん大原君と一緒で楽しかったわ」

「そっか……だったら、目的は達成されたな」

「目的ってなに?」

「オマエが心から本当に楽しんでる姿を見ることだよ。オマエの部屋に行ったとき、どういうわけかオマエと森永がどこかへ遊びに行ったという写真だけがなかったんだ」

「……言われてみるとそうかもしれない。昔から歩みとは、駆けっことか他のスポーツしてばっかりだったかも」

「まあ多少なりとはあったんだろうけどさ。だから、オマエに本当に必要だったのはなにも考えずに遊び回るって事だったんじゃないかと思ったんだ」

「ようやく理解できたわ。それで、こんな場所へ連れてきたのね」



 どうやら、俺のサプライズは大成功したようだ。

 黒木は寝転びながらも腹を抱えて笑い、じっと空を眺めていた。それはいままで抱えていた未練が馬鹿らしく思えるぐらい笑顔だった。

 いやそうでなくてはならない――。

 本当に必要だったのは、吹聴された黒木に対する陰口がいかに小さな出来事であるかを認識することだ。

 俺だって、陰口ぐらいたたかれたことはある。

 陰湿で、巧妙で、とてもイヤになるぐらい人は軽々と人の悪さを言う。そうしたことは、当人にとっても精神的ダメージは計り知れない。

けれど、それと比較にならないぐらいあまりある人生を最悪の形で終えるのは不幸だ。

 だから、それとはまったく関係のない大いに遊ぶという行為は最高の逃避と最大の勇気をもたらしてくれるんじゃないかと俺は思った。

 そうした考えを踏まえ、俺は起き上がって本来すべきことを切り出した。



「なあ黒木。もう一度だけ森永に会ってくれないか?」

「歩に……?」

「もちろん、今度はやり方を変えるつもりだ。もしオマエにその気があるなら、いまここで返事をくれ」



 やることはやり尽くしたつもりだ。

 それでも不安は残る。いまここで黒木が拒否したらと思うと、新たに未練を整理するのに策を講じなければならない。

 そうなれば、入管局員としての自信もプライドもすべて失ってしまう気がする。

 故に黒木から最良の答えが出ることを祈るしかなかった。



「……ダメか?」



 と問いかけると黒木は少しだけ押し黙った。

 その静寂が妙に長く感じられて、ほんの少しだけあきらめかけた。だが、黒木が笑って手を差し出したのを見るなり、うれしさをにじませた。

 俺は黒木の手を掴んでその身体を起こした。



「いいよ。私もう一度だけ歩に会ってみる」

「本当にいいんだな?」

「うん……。ここに連れてこられてわかったの。なんかつまんないことで意地張ったんだなぁ~、もったいないことしたなぁ――って思った」

「良かった。拒否されたらどうしようかと考えてたよ」

「ここまでされたら、それはないわよ。それにそういう風になれたのも、全部大原君のおかげだから」

「じゃあさっそく準備しないとな」



 と言って、脇に置いたショルダーバッグに手を突っ込む。

 そして、中から以前コクロのいたずらに使われそうになった夢入り許可証を2枚取り出した。

 それを半分に千切って片方を黒木に手渡す。

 すると、黒木は不思議そうな顔で半分になった許可証を見つめて言った。



「なにこれ?」

「コイツは夢入り許可証と言って、死者が生者の夢枕に立つために必要な許可証なんだ。これがあれば、夢の中で森永と会話ができるはずだ」

「でも、これ二枚あるよ?」

「お袋さんに会ってくるといい。ミスした俺からのおわびだ」

「大原君……」

「それともう一つ最後に言わなきゃいけないことがあるんだ」

「もう一つのこと?」

「――俺がこの仕事に就いたのは、死んだお袋に会いたいという願いからなんだ」

「お、大原君……。それって服務規程違反なんじゃ?」

「いいから、最後まで聞いてくれ。実は俺はまだ死んじゃいない」

「…………え?」

「コクロは見ての通り、神様に人間になれるようにお願いをして管理局で働くことを条件付けられた。でも、俺は天国に向かった死者に会うという類を見ない願いの代わりに管理局で働くことを条件に出されたんだ」

「大原君は生きてる……?」

「ああ、そうだ。俺たち局員は一人一人がオマエと同じような強い悲しみと複雑な事情を持ってる。そのことを良く覚えておいて欲しい。オマエひとりが悲しみを抱いているというような誤解をしないで欲しいんだ」



 俺はすべてを黒木に打ち明けた。

 服務規程違反のことは、あとで係長にでも言えばいい。

 少しばかりお袋に会うという願いが叶うまでの時間が長くなるだけのこと。黒木の悩みを解決するために払ったと思えば安いものだ。

 俺の告白に黒木はどう答えたか……?

 そんなのは、黒木の顔を見れば一目瞭然だった。



「――わかった。ちゃんと歩と話をしてくる」



 その言葉に嘘偽りはない。

 凛とした黒木の顔には決意が現れている。

 いまの黒木ならちゃんと別れの挨拶ができるだろう――いやできるはずだ。なぜなら、迷いと悲しみを乗り越え、一つの決断に至った黒木に俺の手助けは不要だったからだ。

 管理局に戻ると黒木は手渡された許可証を持って、森永の夢の中へと入っていった。

 その日、俺は局の事務机で黒木の帰りを待ち続けた。





 下界の時間で言うならば、明け方だろうか?

 天国には時間というモノがない。それだけに首元の懐中時計だけが下界の正確な時間を知らせていた。

 その時間になって、黒木は帰ってきた。

 焼けたように腫れた目元から察するに十分な話ができたのだろう。「おかえり」と告げると、黒木はうれしそうに「ただいま」を返事をした。

 その一声。

 黒木は思わぬことを口走った。



「――大原君。私ね、わかっちゃった」

「なにが?」

「人生ってさ、楽しいモノだったんだね。遅くなったかもしれないけど、人生って捨てたもんじゃないってよくわかったわ」

「そうか。黒木は人生を大いに楽しめたんだな」

「うん、もう悔いはない。私、天国に逝くね」



 出るべき言葉がようやく発せられる。

 黒木の心の弱さと俺のミスでだいぶ遠回りしたが、黒木の天国への旅立ちがようやく決まったのだ。

 俺は安堵のため息をついた。

 それから、すぐさま書類に未練整理の既済を示す印判と天国逝きのパスポートを作成に取りかかった。

 作業は小一時間して完了し、できあがった許可証を黒木に手渡した。



「これで俺の役目は終わりだ」

「大原君、いままでありがとう」

「気にしないでくれ。俺はただオマエが安心して臨終を迎えられればと思って仕事をしたまでだ。それが俺の仕事、俺のオマエに対する思いだよ」

「ううん、大原君の好意は仕事以上だったと思う。それに私に思い出まで作ってくれたのはうれしかった」

「缶蹴り楽しかったな」

「来世でもやるわ。あんなに楽しかったこと、忘れられるわけないじゃない」

「そうだな」

「もう思い残すことはない。私はこれで天国に逝ける」



 と黒木は「じゃね」と一言言って、あっさり天国の扉に続くゲートに向かって歩き出した。

 その背中を見ながら、俺は手を小さく振った。

 けれども、降って湧いた寂しさからすぐにやめてしまった。わずかな時間だが、黒木とは同い年と言うこともあってとても親しくなれたと思う。

 なにより、三人で遊んだことが楽しかった。それだけにの別れがこんなに悲しく感じてしまうものだとは思っても見なかった。

 名残惜しさに負け、黒木に向かって叫ぶ。

 そして、振り向いたのを確かめるなり、被っていたキャップを胸元に置いて深々と頭を下げた。

 同時に心からのメッセージを伝える。



「――それでは、天国の扉を叩くアナタによい終末があらんことを」



 そんな姿を見て、黒木はどう思っただろう?

 頭越しに笑い声が上がる。すぐに上半身を起こして黒木の顔色をうかがうと、黒木は口元を抑えて笑っていた。



「フフフッ、なにそれ?」

「俺たち局員が天国へ逝く人々に贈る言葉だよ」

「素敵ね。私は好きよ」

「気に入ってくれて良かった」

「それじゃあね、大原君も元気で」

「黒木もな」



 こうして黒木は旅立った。

 アイツは、きっと次の人生でも幸せに違いない。

 人生を知ろうとする人間は、自分の人生をどう使うべきかを知っている――俺は、そのことを黒木を通して充分に知ることができた。



(……少しはアイツを見習わなければいけないのかもしれない)



 そんな気がした。



-Episode1- 了

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