Episode-02「赤鼻のネコと幸せの風船」
第7話
それは、授業を終えた午後3時半ぐらいの出来事――。
ホームルーム終了と同時に鞄に教科書を詰め、帰宅の準備を整える。それから、俺は放課後の予定について話し合うクラスメイトの喧噪を避けるように教室を去った。
現在、俺には友達らしい友達がいない。
中学の頃は、悪友と呼べる仲間がいて、心から笑うなんてことができていた。しかし、高校に上がってから、誰からにサヨナラの挨拶して帰ることがなくなった。
理由はあるが、それについては省こう。
少なくとも、これが俺の現在の日常であることは間違いない。けれども、そんなボッチの俺を放っておけないらしく、昇降口には必ずといって毎日同じ人物が佇んでいる。
「お疲れ様、むっちゃん」
そこにいたのは、か細い声を発する少女。
名前は、
優依子とは、生まれたときから一緒だった。ハトコの家の娘だということもあり、大叔母がシングルマザーで多忙だった母親に変わってよく面倒を見てくれていたものだ。
それ故に優依子とは、兄妹も同然の間柄だった。
優依子の容貌は、いまどき珍しく長い髪を一本の三つ編みとして束ねたいかにも古い漫画に出てきそうなクラス委員長そのものである。
しかも、パッチリとした輝く瞳を納めた赤ブチの眼鏡も相まって、その雰囲気を醸し出している。けれども、優依子は厳しい目でクラスの秩序を守ろうとする堅物などはなく、部活や家路を急ぐ同じ学校の生徒から気軽に声をかけられる朗らかな性格の持ち主だ。
決して明るいとは言えない。
だが、優依子の持つ穏やかな晴れの日のような優しい笑顔がそうさせるのだろう。優依子の周りには、不思議と人が集まってきていた。
そんな女の子がなぜか俺のことをいつも気にかけていた。
放っておいてくれればいいものを……。
「ああ、お疲れ」
「今日はどうだった?」
「いつも通りだよ」
「そうかぁ~変わったことはなかったんだね」
「別に何もない方がいいだろ? 幸薄そうな少女の前にブギーポップが現れて世界の敵を倒そうとしたり、実は世界の創造主でしたなんて少女がいたら会ってみたいよ」
「でも、そのぐらい人生が楽しかったら面白いかもしれないよ?」
「俺は平凡でいいよ。そういう優依子だったら、どんな人生を送ってみたいんだ?」
「ん~たとえば地中から現れて人間を食べるお化けミミズを退治したり、凶暴化した鳥に占拠された学校をみんなといかにして抜け出すかを考えたりする人生とか?」
「そりゃ毎日スリリングだろうな」
「だけど、毎日が楽しいって重要なことだよ」
「優依子は楽しいか?」
「うん、友達とお話しするの好きだもの」
そんな話から俺と優依子に差があることは一目瞭然である。
明朗な少女とボッチの俺――どう見ても不釣り合いな男女は周囲から見ても不相応に見えるのだろう。
時折、後ろ指をさされることはよくあった。
しかし、高校デビュー以来ボッチの俺に他人のやっかみなど無用なものだ。優依子がいて、ありがたいと思うことはあっても、いなくなっても困らないというのが実情である。
だから、コレと言って心を暗くする理由もなかった。
そんな優依子との帰宅道。いつも通りにたわいもない話に花を咲かせ、平凡な一日を振り返りながら帰宅の途に就く。
そうして一日が終わる予定はずだった。
ところが今日に限っては違った――ふと左側を歩いていたはずの優依子がいないことに気づく。
とっさに振り返って確かめると、優依子は通りすがるはずだった小さな公園の中にいた。
何事かと思い、優依子の後を追う。
すると、公園の中には杖を持ったままブランコに腰掛ける老人がいた。そして、それを取り囲む十歳前後の二人の男の子の姿がある。
どうやら、揉めているらしい。
優依子はそれに気付いて仲裁するつもりだったようだ。
「どうしたの?」
と俺の前で膝を折って座り、子供の目線で話す優依子。
すぐに男の子たちが優依子の存在に気付き、さも老人が悪いんだとばかりに状況を説明し始めた。
「俺たちブランコに乗りたくて公園に来たのに、じいさんが譲ってくれないんだ」
「お爺さん、気分が悪いのかもしれないよ? こういう時はみんなが優しくしないと」
「でも、じいさんは顔色が悪いって感じじゃなさそうだぜ?」
「顔色が悪くなくても、元気がなかったら『どうしたの?』ってちゃんと聞いてあげないとダメだよ?」
「そうだけど……」
男の子が困った様子で、もう一人の男の子の顔を見合わせる。
俺はそうした顔つきになんとか老人に退いてもらおうと近くまで寄っていき、目の前で膝を折って話しかけた。
「あの、子供たちが遊びたがってるみたいなんでベンチの方へ移りませんか?」
だが、老人からの返事はなかった。
それどころか、俺の話すら聞いていない。よく見れば、老人の瞳には生きる気力を失ったと言わんばかりに輝きがなかった。
同じようにして優依子が呼びかける。
「――お爺さん、大丈夫ですか?」
「ん?」
「お爺さん……?」
と何度も呼びかける。
それから、反応があったのはわずかばかりしてからのこと。優依子の呼びかけに気付いた老人はぼーっとした様子で俺たちを見ていた。
「……ああ、スマン。いつのまにかボンヤリとしてしまったようだ」
「大丈夫ですか? どこか具合でも悪いんですか?」
「いや、そうではないんだ。ちょっと感傷に浸っていただけだよ」
「それなら良かったです」
「ん? ああ子供たちにブランコを譲るという話だったね――いま退くよ」
そう言って、老人がゆっくりと腰を上げる。
俺はすぐさま優依子とともに老人の両脇に立ち、その肩を支えて身体を起こすのを手伝った。
「すまないね」と礼を言う老人。
そんな老人を気遣い、俺は向こう側のベンチへと誘ってみた。
「良かったら、向こうのベンチで一緒にお話ししませんか?」
「ありがとう。君は若いのにしっかりしてらっしゃる」
「いえ、なんだかずいぶんと元気がないみたいでしたので」
「まあ色々とあってね――そうだ、ちょっと待ってくれないか?」
ふと老人が手にしていた杖をブランコの囲い部分に引っかける。
そして、なにやら白いワイシャツの上に着こなした樺茶色のニットジャケットの内側を漁り始めた。
俺は何事かと思い、ニットジャケットの内側をまさぐる腕先を見続けた。すると、再び袂に現れた老人の手のひらには赤色のしぼんだ風船が乗せられていた。
「風船?」
と優依子が不思議そうに声を上げる。
そうした声に老人は「まあ見ててごらん」と言って、風船を両手で掴んでふくらませ始めた。
みるみるうちにふくらんでいく風船。
その形はよく見る楕円形の風船とは違い、チューブ型の細長い形状をしたものだった。
老人はそれを顔が真っ赤になるぐらい一生懸命にふくらませている。それから、老人は空気がパンパンに詰まったことを確かめると、紐かなにかのように縛り出す。
やがて、それは1体のキリンになった。
それを見た途端、男の子たちが「すげぇ」と感嘆の声を上がる。当然、俺と優依子も例外ではなく、慣れた手つきで作り上げた老人のバルーンアートに驚かされた。
「ほら、できたよ」
と老人ができあがったばかりのバルーンアートを男の子に手渡す。
そんな様子を見て、俺は風船をふくらませてもう一つ何かを作ろうとする老人に話しかけた。
「凄いですね」
「いや、大したものじゃないよ。昔取った杵柄というヤツさ」
「風船職人だったんですか?」
「それほどのモノじゃないよ。昔、屋台の出店でこういうモノを作って売っていたんだ。祭りが好きだったし、何より子供たちの喜ぶ姿が大好きだったんでね」
サッと慣れた手つきで風船を動物に変えてしまう老人。
次にできあがったのは鼻の長い象だった。
こうも鮮やかな手つきを見せられると感心を通り越して尊敬してしまう。それぐらい老人の職人技は際立っていた。
「これはおわびだ。君たち二人にプレゼントしよう」
そう言って、老人がバルーンアートをもらっていない方の男の子に作りたての象を差し出す。
すると、もらった男の子はまるで大がかりなマジックに魅せられたかのように目を輝かせてた。
とっさに男の子が御礼を言う。
「ありがとう、じいさん」
「ケガしないように遊ぶんだよ?」
それから、男の子たちはブランコのことなど忘れてしまったかのように、公園の外へと駆けていった。
きっとそれ以上に面白い遊びを見つけたのだろう。
俺は囲いに立てかけられた杖を手に取り、優依子と二人で老人に肩を貸した状態でベンチの前まで歩いた。
「さっきはすまなかったね」
ベンチに座った老人が開口一番に発した言葉。
先ほどの気力を失った瞳は優しく穏やかなものになっていて、さながら笑顔のまぶしい老紳士といった風格を魅せた。
俺は近くにあった自販機で飲み物を買って老人に手渡すと、優依子とともに老人を挟み込むようにしてベンチに腰掛けた。
「なにかあったんですか?」
「いや、なあに。少し前に娘を亡くしてね……」
そう聞かされた途端、脳裏に母の面影が浮かぶ。
数年前に亡くなった母、多忙ながらも愛情一杯に俺を育ててくれた人――。
そんな人が死んだ日のことを思い出し、胸が締め付けられる思いがした。渡瀬家のみんなに支えられ、夕刻の空に上がる火葬場の煙のことがいまでも忘れられない。
泣き濡れて詰まる胸の苦しさにもだえながらも、優しかった母の笑顔を思い浮かべるとすぐにでも会いたくなってしょうがなかった。
だから、家族を亡くした老人の言葉に同じ思いを重ねずにはいられなかった。
「そうですか。ご家族を……」
「とても利発で可愛い子だったよ。でも、突然の交通事故で死んでしまって――」
「お悔やみ申し上げます」
「アハハハ、全然知らない人にこんなしみったれた話をしてしまって申し訳ないね」
「とんでもないです。俺なんかで良ければいくらでも話を聞きますよ」
「ありがとう。最近人と話すのも億劫になってたからうれしいよ」
「……本当に大切になさってたんですね」
「そうだね。あの子は生まれてすぐに母親に捨てられてしまったから、余計愛情がわくんだよ。一緒に過ごした時間もそれなりに長かったし、あの子がいるだけでなにもかもが明るく見えたんだ」
と言って、老人はブランコを立ちこぎして遊ぶ子供たちを見ていた。
その横顔には哀愁の影が宿っており、亡くなった娘さんのことをさも遠方にやって心配する親のような、なんとも言いがたい気持ちがあらわれている。
老人が「会いたいなぁ」と独りごちる。
俺は痩せ細った右肩に触れ、老人を慰めるように言った。
「今頃、娘さんは新しい人生を迎えて上手くやってるんじゃないでしょうか?」
「そうだといいね。あの子はどこか間の抜けたところがあったから、生まれ変わってもそういうところは変わらなそうに思えるよ」
「またどこかで会えますよ、きっと」
ふとケータイの着信音が鳴る。それは俺のモノではなく、老人の左隣に座った優依子の鞄から発せられたモノだった。
すぐさま優依子がケータイを手に取る。
「……もしもし? あ、お母さん?」
電話の相手はおばさんのようだ。
なにやら夕飯の買い出しを頼まれたようだが、それに混じって優依子はなにかを否定している。所々、「デート」やら「そんな関係じゃない」など、まるで恋人がいる前提の質問が聞こえてきた。
やや離れたところで電話を終え、優依子が戻ってくる。
「なにか用事?」
「買い物してきてだって」
「そうか。じゃあ、俺も一緒に行くよ」
「いいよ~別に。今晩のおかずの材料だけだし、荷物は多くないから私一人でも行けるもん」
「ついでだよ。それに俺の本命はハーゲンダッツのラムレーズンだしな」
「……なんだ。むっちゃんはそっちが欲しいだけかぁ~」
「ヘヘッ、いいだろぉ~?」
「じゃあ私も買って帰ろ~っと」
そんなやりとりをしていると、老人が楽しそうに笑い始めた。
「仲がいいんだね? 彼女かい?」
「いや、そんなんじゃないですよ。優依子は母方のハトコで生まれたときからずっと一緒に過ごしてきた幼なじみなんです」
「そうか。幼なじみか」
「もう長いこと、このやりとりをしてますからよく周りから誤解されるんです」
俺と優依子の関係はそれで間違いない――のはずなのだが、直後に見た優依子はなぜか嘆声をあげていた。
「どうかしたか?」
「……うん、別にいいけどさ」
「ん?」
「むっちゃんは相変わらずだね」
意味がよくわからない。
優依子はなにを意図して、そんなことを言ったのだろう?
そうこうしているうちに老人が杖をついて立ち上がる。俺は肩と腰を持って、老人の起き上がろうとする身体を支えてあげた。
「――さて、私も帰るとするか」
「もう大丈夫なんですか?」
「ああ、もう平気さ。確かに娘が死んだことはとてもショックだ。でも、いつまでもクヨクヨしてたんじゃあの娘に笑われてしまうよ」
そう言って、老人が公園の出口の方向へと歩いて行く。
俺はその背中に向かい、「お気を付けて」と大声で叫んだ。すると、すぐに老人からの返事はあった。
身を軽くひねらせて、手を挙げてにこやかに浮かべる笑顔――その顔は印象深く、またどこかで会えるような気がした。
俺たちは老人が公園から表通りへ出て行くのを見届けると、互いに向かい合って安堵のため息を漏らした。
「さて、私たちもお買い物に行こ」
と優依子が先頭を切って、商店街に向かって歩き出す。
俺はその後ろを必死の親ガモを追いかける小ガモのように付いていき、いつものスーパーで買い物を済ませた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます