第27話

 遊園地での一件があった翌日。

 俺は学校の廊下で窓辺から空を眺めていた。

 休み時間だというのに、屋外では雨が強く降っている。そのせいか、渡り廊下や中庭に出てかけずり回ろうという生徒が誰1人としていない。



「どうしたの?」



 そのところへ誰かに話しかけられた。

 当然、雨空を眺める姿を見られていたらしい。声の主は、俺と親しそうな口ぶりで語りかけてきた。



「なんだ、優依子か」



 幼なじみの渡良瀬優依子である。

 緩いウェーブがかったセミロングの髪。赤いフチの眼鏡が印象的な少女は、俺の顔を見ながら不思議そうな表情で立っていた。

 本人の嗜好によるモノなのだろう。この頃の優依子はバトミントン部に入っていたこともあって、髪を短めに整えていた。

 ただ、ふわりとした声の調子と雰囲気は何も変わらない。



「ヒドいよ。ボーッとしてたから、せっかく心配してあげてるのに」

「ああ、悪い悪い」

「おばさんの様子どう?」

「大丈夫。あれから、本人はケロッとした様子で仕事行ってるし」

「佳乃さんだっけ? あの人って、まだむっちゃんの家にいるの?」

「まだ居るというか……。昨日、とうとう母さんに家に帰るよう宣告されたばかりでさ」

「そうなの?」

「ああ、でも本人はまだ家族ごっこを続けたいらしいんだ。おかしなもんだよな、最初は俺たち家族を恨んでおとしめるためにやってきたって言ってたのに」

「そんな人がどうして居続けたいだなんって言ってるの?」

「寂しかったんじゃないか。俺にはわかんねえけどさ」

「むっちゃんも大変だね」

「大変って言うか、どう接したらいいのかわかんないだ」



 と優依子を前に愚痴ってみせる。

 もしかしたら、俺はそういう相手が欲しかったのかもしれない。だから、不意に現れた優依子を前にして、こんなことを言い出したのだろう。

 優依子は、何も言わず黙って聞き入っていた。



「俺さ、馬鹿だからあんまり人の気持ちとかわかんないんだよな」

「そんなことないよ。むっちゃん、いつも周りのこといっぱい気にしてるし」

「いや、そうじゃなくてさ……。家族のこととか、佳乃さんのこととか、いっぱいわかってないことだらけなんだ」

「それがむっちゃんの言う人の気持ちがわからないってこと?」

「なんだろうなぁ~わかってるようで、わかってないみたいな……」

「それは仕方ないんじゃないかな? 誰だって、人の気持ちを全部わかってあげられるわけじゃないもん」

「だとしても、俺は知りたかったよ」



 それを言った途端、急に佳乃さんの言ったことが思い出される。



「家族ってなによ」



 迷いがハッキリと現れた言葉。

 その言葉がどうしても頭から離れない。置き引きの時や追い回されていた時は、身体を張ってきちんと助けてあげられたのに……。

 気持ちの問題となると、何もしてあげられないことが歯がゆく思える。

 やはり、母さんの言うとおり時間に任せるしかないのだろうか。俺はやり場のない気持ちから目を背けたくなり、窓硝子越しに雨が降りしきる空を眺めた。



「……なら、これから知っていけばいいんじゃないかな?」



 突然、背後からそんなことが聞こえてくる。

 振り返ってみると、優依子が真剣な表情で俺を見つめていた。

 何をどうして、そう思ったのか?

 雨雲を眺めていたことも忘れ、幼なじみの顔を食い入るようにみつめる。



「私はむっちゃんの家のこととか全然わからないけど、相談に乗ってあげることぐらいはできると思うの。だから、むっちゃんが一人で抱え込んでるの見てるとツラいよ」



 それは、優依子なりの優しさのつもりなのだろう。

 少しばかり驚かされたが、まっすぐな言葉に悩み苦しむ心が和らぐ。気付けば、自分でもビックリするほど自然に笑みを漏らしていた。



「ありがとう、優依子」



 俺は幼なじみに感謝した。

 優依子は自分なりに出来る精一杯のことと思っているのだろう。しかし、俺にしてみればこれ以上ない言葉である。

 必ず佳乃さんを問題を解決しなくてはならない……。

 俺は、優依子の言葉に背中を押された気がした。



「大原、ここにいたか!?」



 ところが、そんな雰囲気に水を差すように声を掛けられる。

 振り返ってみると、担任の先生が走ってくるのが見えた。俺は何事かと思い、先生が目前までやってくるのを待って話しかけた。



「なにかあったんですか?」

「いま病院から連絡があって、オマエのお母さんが倒れたらしい」

「えっ……」



 ※



 担任の先生に告げられてからすぐ。

 俺は、優依子と迎えにやってきた優依子のお母さんである幸千恵おばさんと共に病院に向かった。

 ただ、そこからの記憶をあまり覚えていない。

 気付けば、俺は病院のソファに腰掛けて俯いていた。側では、おばさんと担任の先生が話し込んでいたことだけは覚えている。



「……そう……で……私と……のお母さ……小さいと……の縁で……」

「……ハトコ……おりまし……そうですか……」




 その内容は、まるで耳に入らなかった。

 ラップ音を聞いている感じがして、とても不快に思えたからだ。なにより、そんなことすらどうでも良かった。

 大切なのは、母さんが倒れてしまったという事実。不安と恐怖で心が押しつぶされそうで、目の前がぼやけて何も見えてなかった。

 無事であって欲しい――そればかりが募る。



「元気出しなさいよ」



 そんな風に願っていると、不意に誰かに声を掛けられた。

 かと思えば、ソファを叩き付けるような振動がする。顔を上げて右を向くと、隣に佳乃さんが座っていた。

 すがるように見つめ、佳乃さんの言葉を求める。



「……佳乃さん……母さんが……」

「知ってる。だから、元気出しなさい」

「無理ですよ。だって、今日運ばれたときは意識がなかったって……」

「この前は大丈夫だったじゃない? 息子のアンタがそんなんでどうすんのよ」

「んなこと言われたって……。俺、どうしたらいいのか全然わかんなくって」



 自分を奮い立たせる力なんてありはしない……そう最後まで言いたかった。

 だけど、胸の痛みで苦しくて言葉が出ない。佳乃さん自身は、全力で俺のことを励ましてくれているんだろうけど、今回ばかりはどうにもイヤな予感しかしなかった。

 紡ぐ言葉を見けられず、再び俯いて緘黙する。



「ゴメン……。私、美涼さんが倒れたときにずっとそばにいた」



 ふと耳を疑うような言葉を聞く。

 発したのは、言うまでもなく佳乃さんだ。

 しかし、俺が驚かされたのはその表情。落ち込んだ口ぶりで話してはいても、まったく涙すら流さない様相に呆気にとられてからだ。



「どうして、涙一つ流してくれないんですか……?」



 俺はそのこと我慢ならず、蔑むような言葉を吐き捨てた。

 周囲の人間がどう見ようと関係ない。今は、ただ涙一つ見せずに母さんと一緒にいたことを報告するこの人が許せなかった。



「ゴメン」



 だけど、佳乃さんは謝るだけだった。謝って、黙って、顔を見なくなって、それでいいと思っているのだろう。

 許せない――ますます許せない。

 だから、俺は沸き上がった激情に身を委ねて、その胸ぐらを掴んだ。



「アンタ、ホントになんなんだっ!? 家族ってなんなのとかほざいておいて、自分の母親じゃない女性の前で涙1つなしかよ」



 ありったけの声を込めて叫ぶ。

 周囲がどう思おうと構わない。俺は、なに1つ反応を示さない佳乃さんに只々猛り狂った怒りをぶつけたかった。

 ところが、とっさに腕を捕まれる。



「睦己君、やめなさい」



 気付けば、幸千恵おばさんに右腕を捕まれていた。

 それでも怒りは収まらない。

 制止しようとするおばさんの声を無視して、再び佳乃さんに挑む。



「なんとか言えよっ!? 母さんと一緒に過ごして何にも思わなかったのかよ!!」



 返事はない。

 代わりに怒ったことは目をそらすという行為。そうした行為にさらなる怒りが沸き上がり、本気で殴りかかろうとした。



「……わた……って……泣きた……わよ……」



 だが、その寸前。

 佳乃さんの口から思わぬ言葉が飛び出す。弱々しくてよく聞き取れなかったが、なんらかの位置を示したのは間違いない。

 俺は振り上げた拳を止め、俯く佳乃さんの顔をじっと睨み付けた。



「私だって泣きたいわよ! でも、泣いたって美涼さんは起きないの……ねえ、どうやったら美涼さんは起きてくれる? ねえ、教えてよ!」



 途端に向けられたのは、悲痛な叫び。

 憤りと、やるせなさと、心の苦しみが入り交じったズシンと重く響いて伝わる叫びだった。

 それほどに母さんのことを思っていたのだろう。

 しかし、それでも佳乃さんの目からは涙がこぼれることはなかった。俺は思いもよらぬ発言に激しく心を揺さぶられた。

 そんなとき、誰かに右拳を握られる。



「やめなさい」



 そんな言葉に後ろを振り返ると、いつの間にか幸千恵おばさんの脇に道生さんが立っていた。

 俺たちが喧嘩している間にやってきたのだろう。



「……お……とう……さん……」



 背後からは、佳乃さんの拍子抜けした声がハッキリと聞こえた。

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