第25話

 ピンポーン――と、インターフォンが鳴る。



「はーい」



 すると、母さんが玄関に向かって歩いて行く。

 今日も道生さんが来たに違いない。道生さんは、あれから何度も我が家を訪れるようになった。

 目的は最愛の娘を帰宅させる為――けれども、佳乃さんとは仲直りできたわけでじゃなく、単に様子を見に来ているだけみたいだった。

 当の佳乃さんは、「出なくてはいいわよ」と不機嫌そうな顔つきで部屋に閉じこもってしまう。

 そんなことが繰り返し。

 もちろん、俺だって気にならないわけじゃない。いろんな事があって、佳乃さんの問題が解決できれば名と思っている。

 だから、ある日キッチンに立って食器を洗うに立つ母さんに問いかけた。



「ねえ、母さん。このままでいいのかな……?」

「何が?」

「佳乃さんのことだよ。なんか道生さんと全然話し合うとかそういう雰囲気じゃないし」

「そうは言うけど、2人とも頑固だから簡単じゃないのよ」

「母さんから見ても、あの2人はそう見えるの?」

「佳乃ちゃんは見ていて、なんとなく道生さんに似ているなって思うわ。道生さんの方は、昔っから不器用で何にも言わないから、なかなか苦労させられたわ」

「よくそんなんで付き合おうってなったね」

「……最初に付き合おうって言い出したときの話を聞きたい?」

「どんな感じだったの?」



 そう問いかけると、母さんが水道を止めて手を拭く。かと思えば、クルリと振り返ってテーブルの対面に腰掛けてきた。



「道生さんって、ああ見えて情熱的なの」



 と話す母さん。

 その顔は、なんだか懐かしくも楽しそう。たびたびあって顔を合わせている様子から察するに嫌っているわけじゃないみたい。

 ただ、佳乃さんのお母さんへの配慮なんだと思う。

 俺という子供を1人で育てようだなんて、並大抵の勇気じゃできないことなんじゃないかと思った。



「へぇ~どんな風に?」

「普段はね、すごく素っ気なく仕事してるくせにあからさまなアプローチをしてくるの。最初、それが面白くって面白くって……」

「ハッキリと聞いてこないとか?」

「そう! なんか『仕事の調子はどうだ』とか『ちゃんと食べてるのか』とか日常会話で聞いてくるから、なにかと思っちゃった」

「それがどうして付き合うことになったの?」

「じれったいから思い切って聞いちゃったの」

「うわぁ……。母さんも思いきったことするなあ」

「だって、毎日同じ事を聞いてくるのよ? しかも、どこかそわそわしてる上に顔に丸出しなんだもん」

「……で、結局どうしたの?」

「きっぱり言ってあげたわ。『私のことが気になっていらっしゃるのですか』って」

「道生さんはなんて……?」

「『異性として意識するほどに気になってる』だそうよ」

「それから付き合うようになったの?」



 と聞くと、母さんは「その何度か後にね」と言いながら笑っていた。

 不倫と理解しながらも、どうして付き合うようになったんだろう? 俺には全く理解が出来ない。

 ただ、母さんの顔を見る限りはまんざらでもない様子。

 流れにほだされて、道生さんに言われるがまま付き合ったという感じでもないのだろう。



「好きだったんですか? お父さんのこと」



 不意にそのことを問いかける声がどこからともなく漏れた。

 後ろを振り返ると、廊下口に佳乃さんが立っていた。ふて寝するのをやめ、リビングに出てきたというところだろう。

 真剣な眼差しで母さんを見ている。

 そんな佳乃さんに対して、母さんは心配するように質問を質問で切り返した。



「佳乃ちゃん、もういいの?」

「ええ……。お父さんが帰ったし、部屋に籠もってても何もないですから」

「――そう」

「それより、質問の答えを聞かせてください」

「いいわ。とりあえず、そこで話されてもなんだから座ってちょうだい」



 と母さんが言う。

 それに伴って、佳乃さんが座った。

 場所はちょうど俺の真横、いつぞやの時と同じような配置である。

 母さんが椅子をわずかに前に出して背筋を伸ばして座り直す。それから、咳払いをして気持ちを落ち着けると俺たちを前に語り出した。



「道生さんのことを好きかどうかと問われたら、当然私は好きよ」

「具体的にどこが好きだったんですか?」

「全部としか言い様がないわね」

「……全部ですか?」

「だって、良くも悪くもあの人はあの人だもの。嫌いな部分だってあるけど、結局そういうものも受け入れないと好きにはなれないわ」

「そんなに好きなら、どうして母さんと別れるように言わなかったんですか?」

「本音を言えば、そうしたかった。でも、私は相手に家族がいて、その人間を愛してしまったという罪の自覚があったからこそ身を引いたの」

「美涼さんの言ってること、なんだか矛盾してます。お父さんが好きだったら、そんな生涯は乗り越えるべきじゃないですか」

「あら? 佳乃ちゃんがそんなこと言っていいの?」

「な、なんですか……?」

「だって、アナタはお父さんを奪われる側の家族だったのよ。それを私に奪えなんて可笑しいじゃない」

「それは、美涼さんが……」

「いいのよ。私はね、好きだからこそしなかったのよ……。ううん、単に傷つけるのが怖くてそうしなかっただけ」

「怖かった?」

「道生さんの苦しむ姿を見たくなんかなかったの。でも、結果的に不倫自体が彼を苦しめてしまった」

「…………」

「佳乃ちゃん。家族が何かって難しく考えてるみたいだけど、そんなに難しく考えないでいいのよ」

「……でも……私は……」

「家族のことは家族の中で考えればいいって、道生さんが言ったそうね? 私もね、家族のことは家族の中でしかわからないと思う」

「だけど、家の中にいたらイライラしてしょうがないんです!!」

「佳乃ちゃん、確かに外から見た家族っての大事。でも、だからこそ中に入ってきちんと向き合わなければ、いつまでもすれ違ったままよ」

「でも、わかんないんですっ。ホントは自分がどうした一番いいのだとか、お父さんとお母さんがどうやったらもう一度仲良くして貰えるのとかわかんないんです」

「アナタは若いんだから、今はお父さんと仲直りして家族の中で過ごせばいいの。そうすれば、きっと答えが見つかるわ」

「……何も見つけられなかったら?」

「そのときはそのときよ。でも、アナタが次に今度家族を持つようになったら、そのときこそ本当の意味で家族って言うモノがわかるわ」



 と母さんが言うと、佳乃さんは黙ってしまった。

 チラリと見た顔は俯いて暗く沈んでいる。その表情からは、母さんの言葉を受け止めきれずにいるような気がしてならなかった。

 かく言う俺も家族の意味などわからない。

 母さんがいて、俺がいるというのが当たり前。それゆえに佳乃さんのように家族という枠組みに悩む必要もなく、平々凡々と生きてきた。

 けれども、今回のことで父親とか母親とか家族とかひっくるめて思い知らされた。

 少なくとも、俺は母さんにこんなに愛されているのだと言うことを。

 だからだろう。



「ゴメンナサイ。佳乃ちゃんにちゃんとこの話をすべきだったわね」



 母さんが謝ってしまったのは。

 でも、佳乃さんには届かなかったらしい。呼び止めるより先に立ち上がって、玄関の方へ駆けて行ってしまった。

 間髪入れず、重い扉がバタリと閉まる音が聞こえてくる。

 佳乃さんが外へ出て行ったらしい。

 当然、そのことを認識した俺は追いかけようと試みた。だが、背中に突き刺さる「放っておきなさい」とい言葉に椅子から離れることができなかった。

 向き直って、母さんに話しかける。



「いいの? あのまま放っておいて」

「佳乃ちゃんは迷ってるのよ。迷って、考えて、ちゃんと答えが出せる自信がなくて、それでもあがこうとしている」

「だったら、俺たちが助けてあげた方がいいんじゃ……?」

「睦己は出来るの? 佳乃ちゃんと道生さんを仲直りさせて、家族の絆を取り戻させるなんてこと」

「……そ、それは……」

「出来ないわよね。アナタは、何も知らずにずっと幸せに暮らしてきたんだもの。もちろん、私としてはそうあるのが一番だとおもうわ」

「……俺は母さんに負担を強いたくなくて……それで……」

「フフッ、ありがとう。でも、いいのよ」

「母さん?」

「いつも言ってるでしょ。アナタは、アナタのしたいようにくれたら母さんは幸せ。だから、大学だって行ってもいいし、留学もしていいわ」

「そんな贅沢、俺にする資格なんか……」

「私の自慢の息子なんだから、資格なんてものいらないわよ。だけど、佳乃ちゃんはそういう資格を持ってるって言ってくれる人がいなかったのね」

「……母さんはどうすべきだと思う?」

「まずは本人が答えを出さなきゃ意味がないわね。私たちはその答えが出るまで、傍らでずっと見守っててあげることが大事なのよ」

「そういうモノなのかな?」



 正直、甚だ疑問である。

 けれども、母さんには何らかの確信があるらしい。とっさに「そういうモノなのよ」と言って笑みを零した。

 そんなモノを見せられては、信じるしかない。

 俺は、応じるように母さんに向かって微笑み返した。



「わかった」

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