第24話

 行きつけのスーパーは、自宅からおよそ2キロ離れたところにある。

 そこまでは、決まって歩き。

 しかし、大好きな母との買い物が楽しくないはずがない。時間が合えば、俺はいつも重い荷物を持ってあげようと一緒について行った。



「え~っと、何にしようかしら」



 けれども、今日は佳乃さんが母さんの代わりである。

 正直、この人と買い物をする羽目になるなんて思ってもみなかった。出会って早々、礼儀も知らずにも「助けてもらったつもりなんてない」って言われた相手だ。

 微妙な気持ちにもなる。



「ねえ、ちょっと聞いてるの?」



 ところが、佳乃さんはお構いなし。

 俺の複雑な心境に気にもとめず、買い物にいそしんでいる。



「あ、ごめんなさい。もう一回言ってもらえますか?」

「もうっ、しっかり聞いてなさいよね」

「……えっと、それで何ですか?」

「アンタは何が食べたいのって聞いてるの」

「俺の食べたいもの?」

「なんかないの?」

「そう言われてもなぁ……」



 母さんが寝込んでいるのに贅沢は出来ない。

 しかし、佳乃さんは「なんでもいいのよ」と要望に応えるつもりらしい。あまり適当な返事を返すと返って見透かされてしまう。

 そんな焦燥感から、俺はポツリとある料理の名前を出した。



「カレーが食べたい……かな?」

「あのさぁ~その取って付けたような言い方やめてくれない。私、真剣にアンタの食べたいモノ作ってあげるつもりでいるのに気が削がれるわ」

「だって、パッと浮かばないんだからしょうがないじゃないですか」

「……わかったわよ。カレーでいいのね?」

「ええ、お願いします」



 と返すと、佳乃さんは不満げに牛肉をカゴに入れた。

 言い方がマズかったのだろう。この人にはきちんと考えて物事を言わないと、後々面倒なことになる気がする。



「アレ? 睦己じゃないか」



 そう思っていると、ふと誰かに呼びかけられた。

 振り返ると、友人の1人が買い物カゴを持って立っていた。どうやら、俺たちと同じく夕飯の買い出しらしい。

 たくさんの食料品が入れられている。



「小野川じゃないか」

「こんなところで、何やってんだ?」

「いや、買い物だけど」

「なんだ。オマエもかぁ……」

「オマエもかってことは、小野川も買い物?」

「俺は母ちゃんに頼まれた買い物をしに来ただけだよ……。まったく自分で行けっつーの」

「大変だな」



 確か小野川の家は5人兄弟のはず。

 その長男である小野川からは、何かに付け入れて兄弟との苦労話を聞かされる。それを知っているせいもあって、ほんのわずかに同情したくなった。

 そんなことを考えていると、横から佳乃さんが「友達?」と訊ねてきた。

 俺は顔を佳乃さんの方に向けると、



「ええ、クラスメイトなんです」



 と答えた。

 すると、佳乃さんからは意外そうな唸り声が漏れた。

 きっと佳乃さんのことだ――俺に友達などいるはずがないとでも言いたいのだろう。まったく勝手な想像だ。

 嫌みを込めて、佳乃さんに話しかける。



「ちゃんと友達はいますからね」

「わかってるわよ。でも、何気なくいないんじゃないかと思ったのは事実よ」

「ソレ、かなりヒドいじゃないですか」



 全くもって心外である。

 佳乃さんが俺のことをどう思っていたかは知らないが、少なくとも万年ぼっちだと考えていたらしい。

 無表情を装って、馬鹿にした様相がなんとも腹立たしい。



「おい、誰だよ。その可愛い子」



 だが、小野川がそんな俺の心情を知る訳が無い。顔立ちの良い女子に目の前にして、鼻息を荒くしている。

 外見と中身は別物――。

 その事実を教えてやりたかったが、当人が耳を貸すようには思えなかった。仕方なく、俺は小野川の問いに答えてやろうとした。



「こんにちは。睦己の姉の佳乃です」



 ところが、俺が言い切るよりも早く佳乃さんが答えてしまう。

 慌てて自制を促そうとしたが、本人からは悪そびれる様子など微塵も感じられなかった。



「コラ、睦己。いつもお姉ちゃんと言いなさいって言ってるでしょ?」

「佳乃さん、やめてくださいよ。いったいなんなんですか」

「何って? 睦己のお姉ちゃんよ」

「あぁ~もう!」



 なんの嫌がらせか。

 異母姉弟という血縁関係上、『姉』という表現には若干の語弊はあるものの、間違っていないのが悔しい。

 佳乃さんは悪魔の微笑みを浮かべ、小野川に話しかけていた。きっと小野川からすれば、この表情は天使の笑顔に見えたに違いない。



「いやぁ~まさか睦己にこんな美人のお姉さんがいるなんて知らんかったわ」

「フフッ、そんな美人だなんて」



 目を覚ませ、小野川。

 その人は、その辺の不良よりも太刀が悪い――そう言ってやりたかった。

 けれども、現実を知らない限りは佳乃さんの本性を知りえないだろう。それに佳乃さんならば、その辺のことを上手く立ち回ってしまうかもしれない。

 俺は説得することを諦め、空気を読むように2人の会話に帳尻を合わせた。



「今日は母さんが体調悪くて寝込んでるから、佳乃……じゃなくて、姉さんと買い出しに来たんだ」

「えっ、何? オマエんちの母ちゃん、風邪でも引いたのか」

「んまあ、そんなとこ」



 実際には倒れたというのが正解である。

 しかし、そんなことを言ってしまうと返って話がこじれてしまう。

 小野川を単に発し、背びれ尾ひれがついて優依子やクラスメイトにまで話が言ってしまったらと思うと気が気でない。

 俺は適当に会話を済ませると、小野川と別れてた。



「いい友達じゃない」



 佳乃さんがそんなことを言ってきたのは、買い物を終えてスーパーを出た直後のこと。

 この人が口にすると、冗談が皮肉めいた別のなにかに聞こえてしまう。

 それだけ俺が佳乃さんのことをそういう風に見てしまっているからかもしれないが、ともかく気分のいいものではなかった。



「そりゃどうも。でも、あの場で自分のことをお姉ちゃんなんて言うのもどうかと」

「間違ってはいないじゃない? 異母姉妹なんだし」

「確かにそうですけど」



 時折、佳乃さんはこうやってあっけらかんとしたことを言う。

 それだけに太刀が悪く、毎度深い溜息をつかされる。



「ハァ……。まあいいや、帰りましょう」



 俺は悲哀を込めた言葉を発して、ほんの少しだけ早足で歩き出した。

 とっさに「待ちなさいよ」という声が背中に突き刺さる。しかし、両手に抱えた品物の数の重みに耐えかね、早く下ろしたい気持ちから家路を急ぎたかった。



「ねえ、なに怒ってるのよ?」



 けれども、佳乃さんがそんな気持ちとは裏腹に叫んでくる。

 ここは、先ほどの仕返しとばかりに放っておくのが賢明だろう。抗議しながら、後ろから迫ってくる佳乃さんを無視して歩く。

 ところがである――。



「佳乃」



 急にそんな声が聞こえたことで、俺は足を止められてしまう。

 聞こえてきたのは、地面から響いてくるような渋く低い声だった。俺が振り返ると、そこには1人の中年男性が立っていた。

 背後には、黒塗りの高級車が停車している。



「えっと、アナタは……?」



 見覚えのある顔。

 以前、確か母さんを訪ねてウチへやってきた男性だ。名前は聞けなかったが、母さんに剣幕をあげて追い返された人だったはず。

 そんな人がどうして佳乃さんの名前を……?

 沸き立つ疑問に答えはすぐに判明した。



「……お父……さん……」



 そう発したのは、佳乃さんである。

 唐突に男性が現れたことが、信じられないという様子で呆然としている。それだけ男性との遭遇が予想外だったのだろう。

 そして、もう1つ――。

 この人が佳乃さんのお父さんであり、俺にとっても父親であるという事実。それを知り、俺は間近で顔を見たいと思い、佳乃さんの元へ寄っていった。

 反対側から男性が近づいて来る。



「やはり、美涼のところにいたんだな」



 男性は俺たちの前に来るなり、そうつぶやいた。

 その顔は、明らかにいなくなった娘を心配する父親の顔である。経緯から考えれば、当然のことだろう。

 佳乃さんは、自分の家をメチャクチャにした母さんを探して家出してきたのだから……。

 娘の行方を探していたのなら、この場に現れても可笑しくはない。

 だけど、佳乃さんは黙っていた。

 なんの感情もわかすことなく……。

 なんの反応も示すことなく……。

 ただ、俯いて、震えて、唇を震わせて。父親にどういう感情を抱いているかは知らないが、快く思っていない事だけは確かだろう。

 チラリと見た顔に心情の一片が垣間見えた。

 重い空気が場の雰囲気を暗くする。



「――どうして……。どうして、探しに来たのよっ!?」



 わずかな沈黙を宿して、佳乃さんが言う。

 吐き出された激情からは、男性に対する思いが鮮明に受け取れた。対する男性は、娘の表情を真っ向から受け止めようとしている。



「オマエの気持ちはわからなくもない。だが、オマエはそれでも私の娘なのだ」

「知ったようなことを言わないで!」

「佳乃」

「……呼ばないでよ、私の名前! 私はアンタの娘なんかじゃないわ」

「そういう口の利き方は良くないな」

「だったら、どうしろって言うのよ。家庭をメチャクチャにして、母さんに浮気されて、そんな男が今更謝罪とかマジありえないわ」

「言うことはもっともだ。だが、今は矛を収めてウチに帰りなさい」

「イヤよ、絶対にイヤ」

「話を聞けないというのなら、無理にでも連れて帰る」

「やってみなさいよ! このクソ親父!」



 2人の言い合いが続く。

 一方的に帰宅を宣告する父親、それに反発する娘という構図ができあがっている。俺はそれを見ながら、どうにかしなければならないと思った。



「あ、あの……。とりあえず、ちゃんと落ち着いて考えさせてあげられないでしょうか」



 何より、佳乃さんが感情的になりすぎている。

 そのことを訴えるため、俺は男性に提案してみた。



「睦己。オマエは、佳乃を帰らせたくはないのか?」

「そうじゃありません」

「だったら、なんだというのだ?」

「俺には、正直アナタが父親だという実感が沸きません――だけど、佳乃さんは違う。佳乃さんは、アナタが父親だからこそ、反発している面もあるんじゃないですか?」

「……私が父親だから?」

「ええ、そうです。一緒に暮らして、一緒に過ごして、家族ってそうやってできあがっていくものじゃないんですか?」



 少なくともそう思える。

 それに対して、男性は黙していた。

 しかし、すぐに答える気になったのだろう。



「確かにオマエの言うとおりだ――家族は一緒に暮らす中で家族になれる」



 と溜息交じりに言ってきた。

 様子から察するに理解してくれたのだと思う。俺はさらに説得を試みようと、男性に言葉を投げかけた。



「なら、尚更佳乃さんの気持ちも汲んで上げるべきだと思います」

「しかし、それではダメなのだよ」

「どうしてですか? 佳乃さんはまだ答えを探してるんです!」

「ならば、あえて言おう。今ここで佳乃が帰ってこなければ、家族が家族でなくなってしまう」

「……家族が……家族でなくなってしまう……?」



 いったい、どういう意味なのだろう?

 多少離れて暮らしてたって、家族は家族じゃないのか。俺の中でその疑問がよぎり、男性の言っていることがよく理解できなかった。



「いい加減にしてよ!」



 ところが、そんな疑問を吹き飛ばす声が叫ばれる。

 思わず振り返って反応を示すと、眉間にシワを寄せて、大きく目を見開く佳乃さんがいた。軽く方を動かして上気しており、明らかに父親である男性に対して、敵意を剥き出しにしている。



「黙って聞いてれば、自分の論理ばっかり……。いったいなんなのよ!」



 これまでにない佳乃さんの怒火――。

 激しくマグマを吹き上げる火山の如き激情は、山体を赤々と染めるみたいだった。それほどに父親に対する怒りが収まらないということなのだろう。

 佳乃さんは、軽蔑の眼差しを向け続けていた。



「どうして、あんな息苦しい家の中で考えなきゃ行けないのよ! 本当は、ただ自分の手元に娘を置いておきたいだけじゃないの?」

「違うぞ、佳乃。私はオマエを心配して――」

「心配? いっつも会社にいて、家にはいないアンタが言う台詞?」

「それでも、私は家族を思っていたつもりだ」

「思っていただなんて、口から出任せ言ってんじゃねえよっ!!」

「…………」

「ねえ、知ってる? だいぶ前からウチにアンタの知らない男が入り浸ってるって」

「………………」

「アンタさ、それ聞いてどう思うの? お母さんは、もうアンタのことなんかとっくに愛してなんかいないのよ」

「……………………」

「家族ってなに……? それでも、アンタは家族が家族でなくなってしまうだなんて言えるのっ!?」



 もっともな発言だ。

 いや、男性の答えもある意味正解だったのかもしれない。けれど、それを上回る答えを出した佳乃さんは荒々しい感情を剥き出しにして、父親に向かって問いかけていた。

 対する男性は俯いていた。

 これでは、何を言ってももう聞くまい――男性はそう感じたのか、とっさに思い溜息を漏らす様子が見て取れた。



「……わかった。今日のところは引き下がろう」



 男性はそんなことを言って、後ろを振り返る。

 途端に2人の間に気まずい雰囲気が流れた。

 決して良くないことではある。だけど、これを俺にどうにかしろと言われても無理に近い。

 人づてに事情を聞いたわけでもなく、ましてや当事者でもない。

 ただ1つ――。

 出来ることがあるとすれば、諦めて去る男性に声を掛けることぐらいだろう。



「あ、あの……」



 気付けば、俺は男性に声を掛けていた。

 でも、何を言えばいいのやら……。それがわからず、結局男性が立ち止まって振り向いても、言葉を交わすは叶わなかった。



「そういえば、まだ名乗ってなかったな」



 とっさに男性が話しかけてくる。

 意表を突いた言葉に呆気にとられたが、俺は名前を聞いていない事に気付いて耳を傾けた。



「私の名前は、千ノ原道生せんのはらみちお。君にとっても、父親に当たる男だ」



 そう言って、道生さんは車に乗って去って行った。

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