Episode-04「はんぶんこ家族」後編
第23話
それからの日々は、これまでの日々と全く異なっていた。
母さんがいて、俺がいる――そんな毎日の中に佳乃さんが溶け込んで、異母姉弟とはいえど本当に家族みたいに過ごした。
もちろん、最初は佳乃さんも戸惑っていた。
居づらいと感じては、時折ぱたりといなくなることもしばしば。戻ってきたかと思えば、ケータイをパチパチいじって、なにやらSNSを介して友人と会話する。
そんな状況がしばらく続いた。
「佳乃ちゃん。ちょっとお洗濯手伝って貰えないかしら?」
だけど、母さんが役割を与えてからは、ツンケンした態度も少しずつ軟化させていった。まるで硬い氷がゆっくりと溶けて行くみたいに。ゆっくりと、優しい初春の温かさを呼び込むかのように気持ちを穏やかにしていく。
やがて、佳乃さんは人が変わったかのように家事を手伝うようになった。
「美涼さん、洗濯終わりました」
と言って、佳乃さんがベランダから戻ってくる。
今では、母さんの名前もアンタ呼ばわりではなく、きちんと名前で呼ぶのが当たり前。当人がどう思っているかは知らないが、良好な関係を築きつつある。
俺はキッチンのテーブルで、2人の仲睦まじい光景を微笑ましく思った。
「何よ?」
不意に佳乃さんに睨み付けられる。
どうやら、今の気持ちが表情に出ていたらしい。ちょうど佳乃さんは洗濯かごを手に脱衣所の洗濯機へ向かうところだった。
何も言わないわけにはいかず、とっさに言葉を返す。
「い、いや、なんか……。佳乃さん、丸くなったなって」
「ハァ? 私がいつ尖ってたっていうのよ?」
「だって、この前までずっとムスッとした顔で睨み付けるようなことあったしさ」
「あのねぇ~。いつでも怒ってるわけじゃないわよ」
「じゃあ、母さんとの問題が解決したから、そんな風に笑ってるわけ?」
「いつ解決したって言うのよ。私は、美涼さんの一挙手一投足を見て判断するって決めたの。だから、アンタの家にいるのはそのためよ」
「またまたぁ~そんなこと言って」
「……ハァ。殴られたいの?」
「ちょっと! 暴力はないでしょ」
そう言うと、佳乃さんが凄んだ顔で寄ってきた。
指をコキコキと音を鳴らせ、今にも殴らんとしている。慌てて母さんに助けを求めたが、「仲がいいわね」と返された。
全くアテに出来そうにもない。
俺は、思わず佳乃さんを前に取り繕った。
「本当の親子みたいだから、ボンヤリ見てただけなのにヒドいって。何で殴ろうとしてんだよ」
「ダメ、許さない。私をからかおうなんて100万年早いのよ」
このままだと本当に殴られてしまう――そう思ったときだった。
突然、ガシャンという床に何かを落とすような低い音が立つ。それと同時に佳乃さんの動きが止まった。
いったい何事かと思い、身体を乗り出して佳乃さんの背後を伺う。
すると、ベランダの窓際で片膝をついて倒れる母さんを目にする。肝心の音の正体は、手にしていた大量の洗濯物が取り付けられたピンチハンガーが落ちる音だった。
「母さんっ!?」
とっさのことに椅子から飛び上がって声を荒げる。
俺の声に佳乃さんも気付いたらしく、一緒になって母さんの元へと駆け寄った。
「美涼さん、大丈夫?」
と心配そうに佳乃さんが言う。
負けじと、母さんの身体を支え起こす。
すぐに母さんの口から「大丈夫」という声が漏れた。だが、右手を額に宛がって顔を歪ませる様は明らかに苦しそうである。
本人の弁とは裏腹に不安ばかりが募る。
「母さん、無理はしないで」
「心配ないわ。ちょっと疲れただけ」
「ちょっとって……。いつもじゃないか!」
「大丈夫よ。少し寝れば、このぐらい平気だわ」
「だったら、今すぐ横にならなきゃダメじゃないか」
俺が強い口調で言い放つと、母さんは「ゴメンね」と弱々しそうな返事をかえしてきた。
なぜ今まで気づけなかったのだろう?
日中、加工工場の事務員として働いて、夜はスーパーで閉店間際までのパート。
母さんが俺のために必死でお金を稼いでくれていたのはわかっていたけど、まさかこんなになるまでだったとは。
そう思うと、痩せた頬がその必死さを物語っているような気がする。
「まだ買い物に行ってないから、それが終わったら寝させてもらうわ」
「そんなの後でいいよ」
「でも、晩ご飯の支度だって出来てないのに」
「母さんは本当に何もしなくていいんだ」
ところが、気を揉む俺の心など露知らず。
無理してでも、買い物のに出かけようとしている。俺が支えているにもかかわらず、その足は玄関に向かって歩こうとしているのだ。
俺は途端に身体を張って制止し、「母さん」と何度も呼び止めた。
でも、母さんは言うことを聞いてくれない――行く気まんまんだ。
自分がどんなに辛くても、どんなにボロボロになろうとも、俺のために物事を成し遂げようとしている。
俺は母さんの必死な姿を見せられて、心がキツく締め付けられた。
不意に目の前が陰る。
顔を上げると、佳乃さんが俺たちの前に立ちはだかっていた。
「いいから寝ててください」
「佳乃ちゃん……」
「こんなところで無理されたら貯まったもんじゃないです」
「そう言うわけにはいかないわ。アナタたちを満足に食べさせてあげられないのは、親として失格だもの」
「だからといって、無理していいという道理はありません――美涼さん、ここは私に任せてとっとと寝てください」
「……で、でも……」
「でもも、へったくれもありません! いい大人が子供みたいなこと言わないでください」
佳乃さんの言葉に母さんがしょげた顔を見せる。
それは、まるで小さな子供が親に怒られたときみたいだった。
でも、2人の年齢はまったく正反対なワケで、大きな大人が自分より年下の子供に怒られている光景はちょっぴり滑稽だ。
俺は佳乃さんの言葉を反復するように母さんに促した。
「佳乃さんの言うとおりだよ。母さん、部屋に戻って休もう」
そう言うと、母さんは黙って頷くしかなかった。
子供にこんなに言われては面目も立たないのだろう。俺は母さんを支えられながら、佳乃さんとともに寝室に向かった。
※
それから、すぐ後のこと。
母さんはあっさり寝入ってしまった。
横から手を握って見る優しく穏やかな寝顔が健やかな眠りを印象づけている。俺は最後まで見守ることなく、佳乃さんに促されるまま寝室を後にした。
「よほど疲れていたのね」
寝室の戸を閉めると、佳乃さんがぽつりとつぶやいた。
少し前なら他人の不幸を笑うような顔を見せていただろう。でも、今の佳乃さんは本気で母さんのことを心配してくれている。
「買い物、どうします?」
俺はこれ以上不安を募らせまいと、話題を切り替えた。
すると、佳乃さんが考えふけるように「そうね」とあごのあたりを摘まんだ。
「アンタ、料理は?」
「インスタントか簡単なモノなら……」
「それじゃ偏るわね。美涼さんにも食べさせるわけにもいかないわ」
「佳乃さんは出来るんですか?」
「うちがアレだったでしょ? その間、ずっと家政婦さんに面倒見てもらってたの。だからといって、任せっきりだったわけじゃないわ」
「じゃあ、それなりには?」
「まあ、それなりにはってところね。お手伝い程度に家政婦さんの家事を手伝ってたから」
「だったら、問題なさそうですね」
「なによ? 私が全然出来ないとでも思ってた?」
「……い、いや……決してそう言うわけじゃ……」
本音を言えば、言われた瞬間に思ってしまった。
しかし、それを口にしてしまうとまた佳乃さんの拳が飛んでくるだろう。きっと、馬鹿な弟に制裁を下す姉のつもりで行っているのだと思う。
異母姉弟とはいえ、僕らは姉弟なのだ。
「さて、立ち話ばっかりしてらんないわね。さっさと買い物に行くわよ」
そう言うと、佳乃さんは勝手気ままに玄関に向かって歩き出した。
とっさのことに慌てて「待って」と言って、後を追おうとする――が、不意に家の戸締まりをしていないことに気がつく。
「早くしなさい。置いていくわよ」
俺は、佳乃さんの声に急いで家の戸締まりを確かめた。
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