第22話

俺たちはコンビニの駐車場を離れ、夜の街を歩きながら語り合う。

罪を犯そうとしようとした者同士、どこか共感できる部分があったのかもしれない。いや、お互いの両親がしたことに対するやるせない気持ちせいだろう。

そんなことがあって、佳乃さんとはすっかり意気投合してしまった――本当の姉のように。

家路に就くと、母さんがリビングから走って出てきた。

どうやら、俺たちの帰宅をずっと待っていたらしい。目元がうっすらと赤く腫れており、今の今まで泣いていたことを暗喩していた。

それがいったい何を意味するのか?

俺は、とっさに理解したがために母さんの顔を直視できなくなった。



「ただいま」



口に出した途端、心にどんよりとした雲が差した。

本来ならば、ちゃんと謝るべきなのだろう。しかし、母さんに吐いた暴言と黙って家を出た後ろめたい気持ちが口を噤ませる。

俺は何も出来ず、母さんの動向をただ見守ることしか出来なかった。

刹那、暖かいぬくもりが身体を覆う。

それが何なのか、一瞬わからなかった。けれども、子供の頃よく嗅いだ母さんのニオイだと知って、抱きつかれているのだと気付かされた。



「おかえり、睦己」



切なさを秘めたくぐもった声が耳元で囁かれる。

俺はそれを聞いて、自分がしたことの重大さを理解した。嗚呼、なんて悲しく、甘く、そして優しいのだろうと。

同時にそれが母さんであるという事柄に胸がキツく締め付けられた。



「……母さん……ゴメン……母さん……」



気付けば、躊躇していた言葉が自然とこぼれていた。

涙が溢れて止まらない――。

こんなに母さんの優しさに触れたのは、実に何年ぶりのことだろう。

たぶん、幼稚園の頃に友達と喧嘩して泣いたり、クラスでイジメに遭ったときに抱きしめられて以来のことだと思う。

それ以降は、出来るだけ母さんの負担になるまいと上手に取り繕うようにして生活してきた。

だから、本当の友達と呼べる人間も幾人しかいない。

俺はこれまでの感謝を込め、母さんの身体を強く抱きしめ返した。寸刻して、俺たちは互いの身体を離した。



「さあ、こんなところに立ってないで家に上がりなさい」



その一言に促され、靴を脱いでリビングへ向かおうとする。ところが、「佳乃ちゃんも」という母さんの言葉にその存在を思い出す。

後ろを振り返ると、佳乃さんがムスッとした表情で玄関の戸にもたれ掛かっていた。

俺たちの様子を黙ってみていたのだろう。

存在に気付いてからしばらく黙っていたが、もたれ掛かっていた戸から身体を起こして、



「まだ話は終わってないから」



と煩わしそうに言ってきた。

対して、母さんは「わかってる」とだけ答えた。自分の犯した罪に面と向かい合うつもりなのだろう。

事の経緯を聞いていなければ、母さんの今の心境は理解できなかったと思う。それから、俺たちは数時間前と同じように台所のテーブルで話し始めた。



「まず、アナタのお父さんとしたことを謝らなければいけないと思うの」



最初に口を開いたのは、母さんだった。

すべての元凶、すべての始まり――もちろん、それは母さんだけじゃない。佳乃さんのお父さんも原因を作った1人である。

どちらかと言えば、俺の立場は作った側だろうか?

だからこそ、佳乃さんの復讐に相応しい相手とも言える。当の佳乃さんは、元凶である母さんの話に真剣な表情で耳を傾けていた。



「私と彼は同じ会社で働く上司と部下だったの。彼は創業者の孫として順調に出世街道を歩んでて、私はその下で働く一社員でしかなかったわ」

「それがどうして不倫なんてことになったのよ?」

「彼のアプローチを断り切れなかったの。『いつも明るくて、周囲から頼られる君が輝いて見えた』とかそんなことを言ってたかしら」

「……何それ。優男の臭い台詞じゃない」

「でしょ? 私も最初はそんなの乗る気じゃなかったわ……。でも、彼の真剣なまでの熱意にほだされて、結局愛してしまったのよ」



と話す母さんの目は、別のモノを見ているみたいだった。

それが後悔なのか、ただ思い返してるだけなのかはわからない。だけど、佳乃さんを見つめる目は真剣そのもの。

そこに俺の話す機会などなく、沈黙を宿して2人だけの空間が形成していた。



「そして、私は睦己を身ごもったの」



わずかして、母さんがつぶやく。

相対する佳乃さんは、その言葉に聞き入っていた。きっと、母さんが本気で佳乃さんのお父さんを愛していたのだと感じたのだろう。

あれほど感情を露わにしていた人が静かに佇んでいることが今は不思議でしょうがない。



「佳乃ちゃんには、申し訳ないことをしたと思ってる」

「は? 今更、謝罪する気なの?」

「そう思われても仕方がないわ。私は不倫が発覚した後、謝りに行くことすら許されなかったんですもの」

「それは、私の家が創業者の一族だから?」

「……そうよ。彼らは、一族の恥をなんとしても揉み消したかった。同時に奥さんと喧嘩になって近所の噂からマスコミにバレるのを防ぎたかったのかもしれない」

「あざとい手段ね」

「考えたのは、当時の会長である佳乃ちゃんのお爺さまという話よ」

「……そう……」

「意外と反応が冷たいのね」

「お爺さまとは、あの一件以降顔を見合わせる機会が減ったから」

「そうだったの」

「でも、私はアンタを許したわけじゃない」

「――ええ、知ってるわ」



そう言いながら、母さんと佳乃さんは互いの顔を見合わせていた。

一方は怒気を含み、もう一方は受けて立つという気持ちで真剣な眼差しを向けながら。俺には、まるで推し量れない気持ちのぶつけ合いをしているかのように思える。



「仮に私がここで土下座して謝っても、佳乃ちゃんは許してくる気はないのよね?」

「ええ、元よりそのつもりよ」

「……そう」



母さんが佳乃さんを試すようなことを言う。

――かと思えば、いきなり席を立って佳乃さんの座る椅子の前までやってきた。そして、俺の目の前で躊躇することなく、両膝をついて土下座し始めたのだ。

これには、さすがに驚かされた。

母さんが目の前で小さく縮こまってしまったみたいに平伏している。そのことが信じられず、慌てて近寄って母さんの前に膝をついた。



「母さん、いったい何をやって……」

「……睦己。ゴメン、母さんの好きにさせて」

「だけど、母さんっ!?」



やり過ぎだ――心の奥底からそう思える。

母さんは、佳乃さんに対して十分に説明したし、謝ったと思う。それでも足りないと思ったのは、自分を許せてないと思っているだけじゃなかろうか。

けれども、母さんは一向に起き上がる様相を見せない。

手を伸ばして、身体を強く揺すっても全く起き上がる気配を見せなかったのである。



「……なに……よ……それ……」



不意に佳乃さんのそんな声を耳にする。

振り向くと、苦虫をかみつぶしたかのような顔をした佳乃さんがそこにはいた。



「どういうつもりよっ!? 私は謝ったって許さないって言ったじゃない!」

「……ゴメンナサイ」

「それで謝ったつもり? ウチの家族がどんだけの目に遭わされたか知りもしないくせに」



一転して、烈火の如き怒号が上がる。

母さんの謝罪のどこが気に入らないのだろうか。佳乃さんは、激しくプライドが傷つけられたようで、立ち上がった状態で興奮しきっていた。

そして、ドタドタと母さんへと近づいていき、瞬く間に胸ぐらを掴む。

一触即発の様相。

見かねた俺は慌てて止めに入った。




「佳乃さん、もういいだろ。母さんだって謝ってるんだ」

「うっさいわね! アンタは黙ってなさいよ」

「さっきコンビニの前で、復讐することが馬鹿馬鹿しく思えたって言ってたじゃないか。だったら、もうこれ以上事を荒げることをしなくたって……」



と言った途端、身体に衝撃が走った。

最初、何が起きたのかよくわからなかった。しかし、すぐに突き倒されたのだと知って、佳乃さんの顔を確かめた。

すると、怒りを込み上げさせる佳乃さんが俺を見ていた。

下から見上げている姿は巨人のよう。だけど、瞳は窓を湿らす朝露の如く、どことなく潤んでいた。



「……佳乃ちゃん、睦己に謝って」



とっさにくぐもった声を耳にする。

それは、胸ぐらを捕まれた母さんが発した声で、明らかに怒気を帯びている。けれども、佳乃さんは取り合う気がないらしく、胸ぐらを掴んだまま素っ気ない態度で応対をしていた。



「ハァ? 何言ってんのよ。謝るのは、アンタの方でしょ」

「とにかく、謝って」

「だったら、アンタが先に謝りなさ――」

「謝れつってんだろ!」

「な、な、何よっ!?」



不意に叫ばれた大声。

いつも穏やかな感じの母さんのイメージからは程遠い怒鳴り声は、俺でも驚かされた。

あまつさえ、佳乃さんに胸ぐらを捕まれても抵抗するすら見せなかったのに。



「睦己は関係ないの。これは私とアナタの問題」



そう言って、母さんは自ら胸ぐらを掴んでいた佳乃さんの手を引き剥がす。

対する佳乃さんは苦虫を噛み潰したかのような顔をしていた。まさか母さんがこんなに声を荒げて怒るなんて思ってもみなかったのだろう。

さっきとは打って変わって、佳乃さんは涙目を浮かべて身体を震わせていた。



「……何よ……何よ……っ」



悔しさを滲ませる声が発せられる。

俺はそんな様子を見て、少し可哀想にも思えた。だって、これは母さんと佳乃さんの問題なのだ。

俺自身のことで言い争って欲しいとは思わない。

しかし、2人は俺の気持ちなど露知らず。最初に佳乃さんが母さんを引っぱたいて、母さんが応酬する様子を見ても、哀れみの目で見るしか出来なかった。

何度目かの引っぱたき合いの後、突然堰を切ったように佳乃さんが泣き出した。



「……痛い、痛いよぉ……」

「当たり前でしょ。アナタが先に手を出したんだから」

「パパにも、ママにも殴られたことなんかないのに」

「それはお気の毒様ね――でもね、佳乃ちゃん。親っていうのは、時にこうやって子供の悪いことを叱らなきゃいけないの。今は私が代理でそれをしただけ」

「何でアンタにこんなことされなきゃいけないのよ!」



と佳乃さんが問いかける。

見ているこちらもその理由はわからなかった。ただ、母さんには何らかの意図があって、無償で引っぱたかれることを由としなかったんだと思う。

それを象徴するように、とっさに佳乃さんを抱きしめていた。



「だって、血は繋がってなくても、アナタを愛おしって思えるんですもの」



血は繋がってなくても、佳乃さんを愛おしいと言う母さん。

出会って間もないはずの2人が抱き合ってる様子を見て、実の息子である俺もなんだか嫉妬してしまうぐらい美しくて、優しい光景である。

だから、2人の間に確かな絆が生まれたのだと実感せずにはいられなかった。



「ねえ、佳乃ちゃん。私から1つ提案があるの」



慰めるように母さんが告げる。

一体何を提案するというのか。決して、人ごとではない佳乃単に対する提案に固唾を飲んで見守り続ける。



「……グスッ……なによ……?」

「私たちと一緒に生活してみない?」



突然の同居生活の提案――。

まさかそんなものを提示されるとは思ってもみなかったのだろう。佳乃さんは、ポカンとした様子で驚いていた。

同時にどんな意味があるのを考えさせらていたんだと思う。しかし、それは俺ですらわからない答えだ。

すべては、神のみぞ知るならぬ母のみぞ知る。

心が欠けてしまった者同士の『はんぶんこ家族』の生活がこうして始まった。

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