第21話

 気付けば、駅前のコンビニ前にいた。

 真夜中だけに辺り一面に夜の帳が掛かっている。ただ、ぼんやりとした町灯りもあって、わずかに気分が紛れた。

 幾人かの人間が横を通り過ぎていく。

 ただし、歩道を歩いているのは大人ばかり。警察に見つかれば、子供などあっという間に補導されてしまうだろう。

 けれども、俺はそんな時間に飛び出してきてしまった。

 母さんの話を聞いたあげくに口論。そして、居たたまれない気持ちになって、無我夢中で家を出てきてしまったのである。

 今はひたすらどこか遠くへ行きたい。でも、行くアテなんかなく、虚しさと悲しさが募るばかり。

 そんな中で、辿り着いたのがコンビニだった。



(……母さん……どうして……)



 虚しさが雪のように心に降って積もる。

 俺は時間を確認しようと、ズボンのポケットに手を入れた。中に入っていたケータイを見ると、時刻は1時半を回ろうとしていた。

 けれども、今更帰れるはずなどない。ましてや、こんな時間に従姉妹の優依子の家へ押しかけるわけにも行かない。

 途方に暮れながらも、これからのことを考えてみる――が、考えは途端に鳴ったおなかの虫に遮られた。

 俺は何か食べ物を口にしたくなり、コンビニの中へと入ることにした。



「いらっしゃっせぇ、こんばんはー」



 店員の声が店内に響く。

 なんと言っているのか、よく聞き取れない微妙な声。ただ、店内に人の存在があることを知らしめていた。

 窓際の雑誌コーナーの方に顔を向けると、サラリーマンらしき2人組が立っている。本を読みをしながら、談笑にふけっているのか、入店してきた俺の姿に目もくれていない。

 店員は後片付けが忙しいらしく、レジ奥のシンクでせっせと洗い物をしていた。

 俺はそんな状況の中で、パンが並べられた棚に足を向けた。

 ところが、夜半ということもあって、ほとんどのパンは売れてしまったのだろう。自分がべたいと思うようなパンはなかった。

 仕方なく思いながら、適当なパンを手に取る。ところが、いざ買おうとしたところで財布が無いことに気付かされた。

 一心不乱に飛び出してきたせいである。

 ハッとなって気付いた俺は買うことを諦めることにした。だが、このまま何も食べなければ、おなかの虫が泣き止めないだろう。

 友人に電話すべきか――そんな事を考えていると、不意にあることが思い浮かんだ。



(……そうか……万引きしてしまえば……)



 幸い、店員はこちらの動きをまったく見てはいない。むしろ、気にしてすらいない様子すら伺える。

 俺は小さめのパンを盗ろうと、棚に手を伸ばした。

 ドクッ、ドクッという心臓の音が聞こえる。極度の緊張からか、周りの音が一切聞こえなくなっているせいだろう。

 全身を巡る血の温かみが、肌に触れる空気の冷たさが異様に強く感じられた。

 そして、俺は掴んだパンを首元からシャツの中に入れようと試みた――が、やにわに腕をつかまれ、その試みはもろくも崩れ去った。



「何してるの?」



 冷たく心を裂くような声。

 俺は、その声と腕を捕まれたことに激しく動揺した。同時に万引きしようとしたことがバレたのだと悟った。



(人生の終わりだ)



 血の気が引く思いがした。

 俺は目をつむって、人生の終わりを悟ったように自分の行いを悔いた。

 それから、声の主の顔を確かめた――。

 ところが、刹那に店員ではないことに気付かされる。なぜなら、わずかに離れたところに立っていたのが軽蔑するような眼差しを向ける佳乃さんだったからだ。



「それ、パクるつもりだった?」



 やにわにそう問われる。

 俺はその問いに対して、狼狽しながらも静かに頷いて答えた。すると、何を思ったのか、途端に佳乃さんはパンを握ってレジの方へ行ってしまった。

 その意図する意味は何だったのか……? 俺はそれが理解できず、ただ呆然と背中を見送った。



 ※


 10分後、俺たちは店の外にいた。

 万引きしようとしていた事実から言い逃れが出来ない。だから、しばらく会話を交わさず、無言のまま店の外壁にもたれ込んで座っていた。



「無様ね」



 程なくして、佳乃さんがぽつりとつぶやいた。

 それが俺に向けられたモノだったのかはわからない。だけど、そのつぶやきは自分へ向けたモノのようにも思える。

 俺は佳乃さんに万引きの理由について尋ねた。



「どうして、なにも聞かないんですか?」

「なにが……?」

「俺が万引きしようとしたことですよ」

「……別に。君がそれでいいんだったら、私はそうさせてたわ」

「そうさせてたって……。理由ぐらい聞いてもいいじゃないですか」

「聞かれたいの?」

「そ、それは……」



 出来れば聞かれたくない――それが本心であるはず。

 なのに、佳乃さんにはどうしても聞いて欲しくて仕方がなかった。矛盾していることかもしれない。

 だけど、俺の中で引っかかった何かがそうさせようとしている。

 その正体もわからず、俺は勝手に話すことにした。



「やっぱり、母さんの言ったことが信じられないというか、嘘であって欲しいというか……。とにかく、不倫の末に出来た子供だなんて、俺はなんかイヤなんです」

「つまり、君はあの人の気を引きたくて万引きしようとしたと?」

「……それは……そう……かも……しれません……」

「まあ、そんなに度胸ないみたいだから、やるかやらないかのところで、私に声を掛けられてスッゴく青い顔してたよね?」

「からかわないでくださいっ!」

「だけど、本心ではやるつもりはなかったんでしょ?」



 佳乃さんの問いに、俺は否応なく口を閉ざす。

 全く反論する余地が無かった。強いて理由を言うなら、沸き上がった感情から魔が差したとしか言い様がない。

 だけど、犯罪は犯罪――万引きをしようとしたと事実からは逃れようが無い。

 とっさに現実逃避したくなり、思わず佳乃さんの言葉の揚げ足を取る。



「どうして、そんなに見透かしたように言うんですか?」

「そう? そんなに見透かされてるように見えるかしら」

「だって、そうじゃないですか。さっきから言ってることは正論のように聞こえるけど、内心では俺を見下してるじゃないですか」

「君がそう思うなら、それでいいわ――でも、私はね。君を見てて、ちょっと思っちゃったのよ」

「……思ったって。いったい何をです?」

「私自身のことよ」

「自分のこと……?」



 何をどのように思ったのだろう。

 佳乃さんが指す『自分のこと』とは、この前の置き引きのことなのだろうか。どうしても、そのことがわからない。

 だから、答えを求めずにはいられなかった。



「君は、さっきのアイツの話を聞いてどう思った?」

「……正直、どこをどう許せなかったのかよくわかりません。でも、母さんが俺のことを一生懸命愛してくれていたということだけはわかったんですが」

「まあ知らずにシングルマザーの子供として育ってきたんですもの――無理ないわね」

「佳乃さんこそ、どうしてウチに来たんですか?」

「……復讐よ」

「復讐?」



 そう聞き返した途端、佳乃さんが顔を上向かせる。

 一緒になって上を見てみると、そこには市街地の灯りに負けじと輝く光があった。

 もしかしたら、人工衛星の光かもしれない――。

 そんな予感はあったが、あんなことが遭ったあとでは、なんだか人工衛星の光でも暖かみがあるように思えてならなかった。

 顔を佳乃さんの方へと向ける。

 すると、その瞳は何かを物語ろうとしていた。




「そう。私の家族をバラバラに裂いたあの女に対する復讐……のつもりだったんだけど、なんか違ったみたい」

「違った……?」

「アンタとあの女、2人の姿見てたらこっちまで情にほだされちゃったのよ。『ああ、この家族を私は引き裂こうとしてるんだな』って」

「それがイケないことなんですか? 佳乃さんはそうするためにウチにやってきたんじゃ?」

「確かに最所は『ザマあない』と思ってた。でも、出来もしないことをやろうとすることには無理があるみたいね」

「…………」

「アンタとあの女の言い合ってるの聞いてたら、なんだか私がパパと言い合ったときのことを思い出しちゃったのよ」

「言い合った?」



 それを聞いて、俺は首をかしげた。

 一瞬、意味がわからなかったからだ。でも、とっさによぎった『不倫』という言葉が佳乃さんの家族に何があったのかを想像させた。

 恐らくは、母さんと佳乃さんのお父さんの不倫が発覚して夫婦喧嘩になったのだろう。それをきっかけに家族関係は冷えていき、その余波は子供である佳乃さんにも及んだ。



「あの女とウチのパパが不倫していたことは、さっき聞いたでしょ?」

「はい」

「事の顛末だけ話せば、ウチのパパだけじゃなく、ママも不倫に走ったのよ」

「えっ、どうして……?」

「わかるでしょ。自分一筋だと思ってた夫に愛されてないと知った女が取る行動は?」

「……いえ、まったく」

「ハァ、これだから男は……」

「俺がいったい何したって言うんですか?」

「――あのね。簡単な話、私のママはパパとは違う別の男と出来ちゃったのよ」

「じゃあ、佳乃さんのお母さんは……」



 先は言わなくても理解できた――。

 完全に家族関係が崩壊したのである。俺の問いに佳乃さんは黙って夜空を見つめ、うっすらと涙を浮かべて頷いていた。

 まさか、母さんが佳乃さんの家族を崩壊させただなんて……。とても信じがたい話だったが、佳乃さんが嘘をつく理由はない。

 だから、俺は言葉を失わざるえなかった。

 同時に母さんの罪が自分のことのように思えてならず、佳乃さんの言う『復讐』がなんなのか理解できてしまう。

 そんな自分が悔しい。

 でも、佳乃さんは逆のことを思ったのだろう。



「…………結局、私もアンタと同じ気持ちだったってことよ」



 眺める横顔から発せられた言葉は、どこか侘しげだった。

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