第13話
優依子の言葉を聞き、俺は急いで天国の扉前にある入管局へ向かった。
目的は、ある事柄について問いただそうと思ったからである。受付カウンターに辿り着くなり、その場にいたエミさんに息もつかさず話しかけようとする。
ところが、バス停から急いで走ってきたせいか、激しい動悸で思うように話せない。乱れた呼吸と噴き出る汗と暑さが話すことを阻害していた。
おもわずカウンターにもたれ掛かって呼吸を整える。
「ど、どうしたの? そんなに息を乱しちゃって……」
そんな俺の慌てた様子を見てだろう。
エミさんが驚いた様子で話しかけてきた。
俺は苦しさを隠すこともままならないまま、早く聞きたいという思いからエミさんに向かって口を開いた。
「……エミさん、あかねは?」
「えっ、あかねちゃん?」
「あかねは、まだここにいますか?」
とエミさんに語りかける。
すると、エミさんは俺の意図を理解したように「ああ」と言葉を漏らしていた。
「まだ局内にいるわ。再手続きに時間がかかってるみたい」
「……そうですか。いまどこにいます?」
「それなら、あっちにいるわよ」
そう言って、エミさんが指を差す。
俺が顔を向けると、隅の方に設けられた待合席の一角に座るあかねの姿があった。そのそばには警護するようにコクロが立っている。
どうやら、なにがなんでも未練整理をさせるつもりなのだろう。どこからともなく持ってきた柄の長いほうきを手に周囲を威嚇していた。
俺はあかねの元へ近づいていき、大声で呼びかけた。
「あかねっ!」
「大原さん……?」
何事とした驚いた表情で見るあかね。
けれども、その顔には明らかに覇気がない。やはり、勝手に未練を整理することを許されなかったことが相当ショックだったのだろう。
諦めて天国へ逝こうとする意志がなんとなく窺い知れた。
あかねと話したいという気持ちから席へと近づいていく――が、とっさにムスッとした顔のコクロが目の前に立ちふさがった。
「――コクロ。あかねに確認したいことがあるんだ、そこを退いてくれ!」
俺は名前を呼んで説得を試みた。けれども、コクロは俺ですら敵だと言わんばかりの表情で立ちはだかっていた。
「イヤだ。いくら睦己でも、あかねと話すことは許さないよ」
「頼む。あとで、なんでも言うことを聞いてやるから」
「ダメだったら、ダメなの! 睦己は、課長と僕とどっちの味方?」
「あのな、コクロ。まだ手続きが終わってないんだ。もしかしたら、いまの決定が覆るかもしれないんだぞ?」
「そう言って、あかねを連れて行くつもりなんでしょっ!?」
「しねえよ、そんなこと! あかねに未練整理をさせたいっていうオマエの気持ちはわかるが、その前にどうしても確認しておきたいことがあるんだ」
「確認しておきたいことってなにさっ!?」
「とにかく、オマエがどいてくれないと話が始まらないんだ――そこを退いてくれ」
とコクロに言い聞かせる。
その甲斐あってか、コクロは渋々といった表情で退いた。しかし、内心は納得してないらしく、「わかった」と告げる口ぶりは不服そうだった。
そんなコクロを一言気遣い、俺はあかねの前に立って質問を投げかけた。
「あかね、教えてほしいことがあるんだ」
「なんですか?」
「オマエの飼い主と一緒に人間の女の子が住んでいなかったか?」
「え? 確かに女の子が一緒に住んでましたけど……」
「そうか。じゃあやっぱり……」
「あ、あの、大原さんはそのことをいったいどこで?」
「昨日、俺が風船を動物の形に作り替える老人にあったことがあるっていう話をしたのは覚えてるよな?」
「はい、私も一瞬その人がご主人様なのかと思いました」
「それで合ってたんだよ」
「え? どういうことですか?」
「なにか食い違ってるなとは思ってたけど、それで合ってるんだよ。オマエが元の飼い主の家にたどり着けなかったのもちゃんと理由があったんだ」
あかねに自信を付けさせるように語ってみせる。
もちろん、ハッタリなんかじゃない。優依子と話した際に不意に頭をよぎったあることから推察できたモノだ。
「理由……ですか……?」
「ああ、そうだ。昨日コクロと一緒に通った場所は人間が通るような道だったか?」
「いえ。私たちは猫ですし、霊体ってこともありますから今まで通りの道を通ってご主人様の家を目指しました」
「つまり、オマエの言う今まで通りってのは、猫としての本能に従ったってことだよな?」
「そうです」
「でも、たどり着けなかった」
「……はい」
「おそらくそれは人型を取ったからかもしれない」
「どういうことですか……?」
「猫っていうのは基本的に視力が悪いんだ。たとえば、人間の家の塀に設けられた格子を見た際に遠くからはその隙間を認識できるけど、近くに寄るとその隙間がなくなって見えることがあるらしい」
「そう言われると、昨日はハッキリ見えていた気がします……」
「つまり、天国入りする前にあらゆる魂が人の形を模すのは単にコミュニケーションを取りやすくするためではなく、生前見ていたモノの認識力を変えることで勝手に下界に降りてしまわないようにするための防止策も兼ねていたんだ」
だからこそ、あかねは飼い主の家にたどり着けなかった。
さらに元の家は、住宅街の通り沿いから少し奥まったところにあり、認識そのものを変化させられた猫に到底たどり着くなど困難になっていたのである。
そう説明すると、あかねは「そんな……」とつぶやいて押し黙ってしまった。
唐突にコクロが話に割って入ってくる。
「それはおかしいよ。だったら、僕がいままで係の仕事ができていた理由が説明できないじゃないか」
「いや、説明はできる」
「どうやって?」
と切り返すようにコクロが疑問を呈する。
確かにコクロもあかね同様猫だ。だから、さっき説明した認識の違いについても同じことが言える。
けれども、コクロには決定的な違いがあった。
「単純なことさ。オマエの場合、人の姿に慣れてしまっているんだ」
「……人の姿に慣れてる? ボクが?」
そう、コクロは人の姿を取ってだいぶ時間が経っているのだ。
俺はその違いに気づき、もしかしたら認識力にも何らかの影響があるのではないかと考えていた。
「オマエって、仕事を始めたばかりの頃はだいぶ下界で迷子になったことがあっただろ?」
「……確かにそんなことがあったような……なかったような……」
「それは、オマエも人と猫の認識力の違いに戸惑っていたからだ。でも、仕事をこなしていくうちに人の認識力そのものがオマエの認識力として機能するようになっていった」
「……そんな。じゃあボクは人間になっちゃったの?」
「いや、違う。ここでは、あくまでも死後の世界の立法に乗っ取って変化した仮の姿だ。だから、オマエが人間になったどうこうっていう話じゃない」
「だったら、どういうことなのさ?」
「さっきも言ったように、オマエが単純にその姿に慣れてしまったんだ。それを当たり前の認識と思い込んでいる――ただ、それだけだ」
「それじゃあ、ボクが付いていながら、あかねのご主人様の家にたどり着けなかった理由は?」
「そりゃオマエ、家を知ってるのはあかねだけだからだろ? それに霊体としてあらゆる物体をすり抜けて人間の認識力を持っていたとしても、そこがどういう場所か理解できるわけがないじゃないか」
「確かに普段は生前経歴書だったり、死者が生きてた頃に住んでた場所の地図とかもらえたけど」
「まずそこが根本的に違う。特に特定の地域を縄張りとするような猫の場合、別の地域に入り込んで迷ってしまうのは必然じゃないのか?」
そこまで言うと雨のように降ったコクロの反論は止んだ。
ここまでの推論は間違いないと思う。コクロたちがたどり着けなかった理由も、なんで神様があらゆる魂に人の形を模させることを強いたのかも説明が付く。
俺はそれをハッキリと教え、コクロたちに本当に伝えたいことを語ろうとした。
「おや? 可愛らしい職員さんもいたもんだね……」
だが、誰ともしれぬ声に言葉が止まる。
振り返ると、見たことのある年老が目の前にたっていた。
ニッコリと笑顔を差し向ける老人――その老人を見て、俺は2ヶ月前に出会ったバルーンアートの男性であることに気づいた。
同時にあかねの飼い主であることも……。
「ご主人様っ!?」
もちろん、あかねも気づかないはずがない。
とっさに驚いた声が上がる。
俺は老人のそばによるとペコリと会釈をして、いつもながらの対応をしてみせた。
「天国入国管理局にようこそ。ここはアナタが天国に入国しうるかどうかを判断する立法機関です」
「おや? 君はどこかで会ったような……」
「いえ、『初めて』ですよ」
「う~ん、そうか……。じゃあ、ワシの人違いだな」
「ええ、人違いです」
と以前会ったことをごまかす。
そうしなければ、なぜ俺がこの場にいるのかを説明しなければならなくなる。天国へと向かう死者にいまこの場で生きている人間の話をするのは、それこそ無用の長物というモノだ。
そんなことよりも、もっと大切なことがある。
俺は老人に天国へと行く続きについて語りかけた。
「さっそくですが、ここではアナタに天国へ入国するための準備をしてもらいます」
「そうか。私は天国へ逝くのかい」
「ええ、逝きますよ。でも、その前に会ってもらいたい人がいるのです」
「会わせたい人? まさか死んだ母さんがまだここにいるのか?」
「いえ、違います。奥様ではありません」
刹那、とある方向へと顔を向ける。
それは言わずもがな、あかねが座る待合席の方向である。すると、あかねは涙腺をゆるませて今のも泣きそうな顔つきで口を塞いでいた。
俺はあかねの元へ行き、勇気を奮い立たせるように背中側から両肩に手を添えてやった。
そして、老人を諭すように紹介する。
「この子です」
「女の子? 見た限りでは会ったこともないようだが……」
当然、老人がわかるはずもない。
人間の姿に変化してしまった自分の愛猫。そんなものを見て、すぐに「あの子だ」なんてわかる人間がどこにいるだろうか。
老人は、しばし目をぱちくりと瞬きさせて考えていた。
けれども、ポッチリとした赤鼻が思い出させる決定打になったのだろう。老人は思い出したことを感動したかのように声にならない声を漏らしていた。
「……そうか……オマエは……あかねか……」
俺たちが待ち望んでいた答え。
それは、老人にとっても、あかねにとっても運命の再会といえる瞬間だった。
女の子があかねの変わり果てた姿と知って、ずっと思っていてくれたことを知って、とてもうれしくなったのだろう。
老人の顔には、誰よりも優しい笑顔に満ち溢れていた。
「……ご……主人……さま……」
前後するようにあかねが声を漏らす。
感極まって出た言葉。
自分を認識してもらえたからこそ、あかねは激情に流されるが如く涙をあふれ出させているのだろう。
脇で見ているこっちが恥ずかしくなるぐらいの感動的でとても涙ぐましい再会は、ついもらい泣きしそうなほどに美しかった。
顔をチラリと横に向ける。
コクロが涙を流しながら、二人の様子を黙って見ていた。目を赤々と腫らせ、いつもの無邪気さもなく、ただ携えたほうきを強く握りしめて呆然としている。
そんな姿に共感を覚えつつ、俺はコクロの横に行って語りかけた。
「よかったな」
「……うん、本当によかった」
「もう未練整理するとか言い出さないよな?」
「しないよぉ~睦己の馬鹿」
「はいはい、今回はだいぶオマエに振り回されたけどな」
全くもって災難だった。
しかし、今回の一件はコクロだけでなく、局にとってもいい経験になったのではないだろうか。
1つ1つの魂の大切さだけでなく、1つ1つの魂との絆が時に未練になる。それは、大小関係なく整理すべきだと俺は思う。
(どこかで見ていますか、神様?)
だからこそ、俺は今この瞬間を見ているであろう神様に向かって語りかけた。
「ねえ、睦己」
そんなとき、コクロに話しかけられた。
いつもらしさが戻ったと思えば、まだ何か言うことがあるらしい。だが、俺に言うのをためらっているらしく、気恥ずかしそうに顔を明後日の方向へ向けている。
いったい何が言いたいのやら……。
「なんだよ? そんなに恥ずかしそうにして」
「……いや……あのね……えっとね……」
「なんかいつもらしくないなぁ~」
「しょ、しょうがないじゃん! こんなの全然言い慣れてないんだもん」
「オマエに言い慣れてないことって、相当なことだな」
「じゃあ、言わない」
「アハハハッ、悪かったって。ちゃんと言ってくれ、その方がスッキリする」
「……笑わない?」
「ああ、もう笑わない」
「わかった。ちゃんと言うね」
「おう、聞いてやる」
俺はそう言うと、コクロが言葉を発するのを待ち続けた。
待っている間の時間がわずかばかり長く感じられたが、俺にとってそれは全く苦ではなかった。
イタズラばかりのわがままな猫がいったい何を言うのだろうか?
そのことが楽しみで仕方がなかったからである。
「……睦己……ありがとね……」
そうして待って出た言葉。
俺はその言葉に素直に驚かされた。
なにせ、「ありがとう」なんて滅多に言わないコクロが心からの感謝の言葉を述べているなんて信じられなかったからである。
「気にするな。オマエはよくやった」
俺は見直したとばかりにコクロの頭を帽子越しに撫でてやった。
けれども、コクロは小っ恥ずかしかったのだろう。
途端に頭をなでる俺の腕をつかんで、
「ああもうっ、やめてよ!」
と、照れくさそうに癇癪を起こしていた。
それから、俺たちは再会を果たした二人の姿を見守り続けた。
偶然とはいえ、結果的にこれでよかったのかもしれない。未練整理はできなかったが、あかねも飼い主も無事に天国へ行ける。
ならば、最後のシメの一言を誰が告げる担うのか。
もはや、それは一目瞭然だ。
俺は背中を押すようにコクロに言った。
「さて、後はオマエの役だ」
「……ボク?」
「あかねを最後まで見守り続けたんだ。ちゃんと言ってるやることがあるだろ?」
その一言にようやく気付いたらしい。
コクロは小さく声を上げると、俺の側から離れていった。俺はコクロの後をついて行き、最後の挨拶を告げるのを見守ることにした。
「よかったね、あかね」
「コクロちゃん……。いままで、本当にありがとう」
「ううん、みんなのおかげだよ」
「でも、本当に勇気をくれたのはコクロちゃんだから」
「ボクが……?」
「だから、お礼を言わせて」
「エヘヘッ、なんだか照れるなぁ……ああ、でも最後にボクから一言言わなきゃことがあるんだっけ」
「言わなきゃいけないこと……?
「聞いてくれるかな?」
コクロの問いにあかねが小さくうなずく。
俺はその様子を見守っていたが、コクロは小さく震えていることに気づいて横から手を握って応援してやることにした。
とっさに反応が示される――コクロが手を握り返してきたのだ。
俺はもう片方の拳を握りしめ、一世一代の大役を担おうとするコクロの健闘を祈った。
「――それでは、天国へと向かうアナタによい終末があらんことを」
コクロが笑う。
その笑顔は、これまでのどの笑顔よりも輝いて見えた。横から見ているだけだったが、コクロにとって納得のいく未練整理になったのではないだろうか。
零れる嬉し涙がそう語っているように見えた。
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