第12話
感傷に浸ることに区切りをつけ、俺たちはあかねが住んでいたという家へと向かった。
目的は、もちろん未練整理のためである。けれども、その途中で俺は頭に思い浮かんだある事柄が気になり、隣を並び歩くコクロに尋ねた。
「――なあ、コクロ。ひとつ聞いてもいいか?」
「なあに?」
「俺が見つけたとき、なんであんなところをうろついてたんだ?」
「実は、あかねの飼い主の家が見つからなかったんだ」
「見つからなかった? じゃあ、俺に捕まえるまで、ず~っとあのあたりをうろついてたってたのかよ」
「……うん。ボクもよくわからないんだけど、あかねが自分が住んでいた家の場所をわからないって言うんだ」
「それはおかしいだろ? あかねは死んで間もないんだ。数日しか経っていないのに、自分の死に場所がわからないって、それはさすがに変ってもんだろ」
「ボクだってよくわからないよ。ただね、あかねの記憶を頼りに何度も同じ場所をグルグル回っていたことだけは間違いないんだ」
「……いったい……どうなってるんだ……」
まったくよくわからない。
コクロの言い方は、まるで堂々巡りをしてきたと言わんばかりだ。
しかも、一度住処とした家を猫がわからなくなるなどあるワケがない。さらに言えば、あかねが死んだのは少なくともここ2~3日の間のはずだ。
俺はその真実を求め、背後を歩くあかねを問うことにした。
「――あかね。このあたりで間違いないんだな?
「そのはずなんです。でも、さっきずいぶん探し歩いたのに全然見つからなくて……」
「死ぬ前になにか変わったことはなかったか?」
「……いいえ」
「そうか。じゃあ、何かを勘違いしてるのかもしれないな」
「勘違い?」
「たとえば、自分の住んでた家とよく似た場所をただ探し回っていただけとか?」
「それはさすがにないと思います。私は、自分の家の周囲のことをよく覚えていますから」
「う~ん、だとするといったいなんだ……?
「あの、1つだけいいですか?」
「何か思い出したのか?」
「……いえ、そうじゃなくて。人間の言葉はよくわからないですけど、ご主人様はよく若い男の人と言い争うようなことはありました」
「若い男?」
「はい。頻繁ってほどではないんですが、よくご主人様の家にいらっしゃってました」
「ということは身内の人間かな……?」
「わかりません。ご主人様はずっと誰かのことについて争っていたみたいですから」
「それはどうやってわかったんだ?」
「よくご主人様が争ってる最中に黒と金色の箱のようなモノのところから人の顔が描かれたなにかを持ってきていたんです」
「それは遺影だな」
「遺影?」
「死んだ人間を弔うために使う絵のことだよ。黒と金色の箱、つまり俺たちが仏壇と呼んでいるところにそれがあるってことは、その人が死んだことを意味するんだ」
「じゃあ、その人はご主人様にとって大切な人だったということですか?」
「おそらくは……」
これである程度の状況がつかめた。
くだんのご主人様というのは、ずっと独り身で気まぐれからあかねを拾った。そして、あかねが飼われるよりも、ずっと以前から若い男と言い争っていたと言うことだ。それだけ見れば、妻に先立たれた父親が息子から「一緒に住もう」と長いこと説得されていたことが想像できる。
きっと親の心子知らず、子の心親知らずだったに違いない。
お互いに譲っても譲りきれない心があったからこそ争っていた。あかねはそれをずっと見ていたのだろう。
さらに道を行き、飼い主の家があったという場所にさしかかった。
T字路になった通りには主に一軒家が建ち並んでいる。
「本当にこのあたりなんだな?」
「間違いないありません。でも、私が知っているご主人様のおうちがなくて……」
「……家が……ないか……」
何か目印でもあれば……。
そう思いながら、あたりを見回す。
見る限り、どの家もフツーの家ばかりだ。俺たちは、その家々に挟まれた一本道の終端に立っている。
そこから、右には二階建ての赤い瓦の家があり、T字路の左右には一軒家のほかにアパートやマンションが見られた。周囲の見通しもよく、人間ですら迷子になりづらいと思われる場所だ。
この場所をあかねは知っている――――はずなのだ。
けれども、当人の記憶が曖昧である以上、飼い主の家があるという確証はない。この食い違いがわからず、俺はとっさに頭を抱え込んだ。
不意にエミさんが声を掛けてくる。
「あたりがだんだん暗くなってきたわね。もう悩んでたってしょうがないから、いったん局に戻りましょ?」
「え、でも……。そんなことしたら、あかねは天国に強制入国されてしまうんじゃ……」
「大丈夫。私がなんとしてでも課長を説得してみせるわ」
「なにを根拠に説得しようって言うんですか?」
「うーん、まあ人間で言うところのなんとなく勘ってヤツかもね」
「……勘……ですか……」
「なんとかなるわよ。私もあかねちゃんの気持ちよくわかるから」
とエミさんが楽観的なことを言って笑う。
重い雰囲気に包まれた場はほぐれたが、問題が解決したわけじゃなかった。俺はそのことにさらに頭を痛めた。
願わくば、強制入国手続きがなされないことだけを願う。
※
次の日、俺は
結局、昨日はあれから二人をつれて入管局に戻った。
そこで言い渡されたことは一つ。
あかねの訴えに対して、局は未練整理の必要なしと判断したということである。もちろん、その決定に俺たちは不服であることを申し立てたが「局の決定だから」と課長は取り合ってくれなかった。
エミさんの楽観論はもろくも崩れ去った。
俺は心の中で悔しさをにじませながらも、どうにかあと1日だけ待ってもらえないかを交渉してみた。すると、意外にも課長は「再手続きに時間がかかる」と言って引き延ばしてくれた。
俺はその1日で頑張ってあかねの未練をはらしてやろうと思っていた。
そんな日の夕方のことである。
「おかえり、むっちゃん」
学校が終わり、渡良瀬の家に戻ると玄関先で優依子に遭遇した。どうやら、先に帰宅していたらしく、2階の自室に上がろうとしているところだった。
手には折りたたまれた衣類が乗せられている。
どうやら、おばさんに洗濯物の片付けを頼まれたらしい。複数枚のシャツやスカートが優依子の行動を表している。
「ただいま」
「台所のテーブルの上にむっちゃんの分のホットケーキ焼いてあるから、早く着替えておいでよ」
「おう、サンキュ」
そう言って、2階の自分の部屋へと急ぐ。
ところが階段を半ば上がったところで、後ろから優依子に声を掛けられた。なにかと思い、足を止めて振り返ると優依子が思い出したように口を開いた。
「あのさ、少し前に公園で会ったお爺さんのこと覚えてる?」
「バルーンアートのお爺さんのこと?」
「うん。一昨日たまたま見かけたんだけど……」
「見かけたってことは、お元気だったんだな」
「ううん、そうじゃないの」
「は?」
「お爺さん、亡くなってたの」
「え? いま見かけたって言ったじゃないか?」
優依子の意外な言葉に驚く。
まさかあのお爺さんが死んでいたなんて……。いや、でも会ったのが2ヶ月前だということを考えれば、あり得なくもない話だ。
俺はさらに優依子の話に耳を傾けた。
「違うの。私が見かけたのは、お爺さんのお葬式。町内会の回覧板を田中さんの家に届けに行った帰りに近くのお寺でお葬式をやってたから……」
「じゃあそのお葬式で飾られてた遺影があのときのお爺さんだったってことなのか?」
「うん、間違いないよ。あのお寺、入り口から本堂までの距離がそう遠くないから、少しのぞき見ただけでわかったし、参列者の方に誰が亡くなったのか聞いたもん」
「……そっか。本当に死んじまったんだな」
「なんか悲しいよねぇ~。せっかくお近づきになれたと思ったのに……」
優依子の言うとおり残念である。
またどこかでお会いできるだろうと思っていただけに、少しだけ人の縁が薄く儚いモノのように思えた。
だから、優依子につられておもわずしんみりしてしまった。
ふと頭の片隅からある事柄がわき上がってくる。
気付けば、俺は優依子に向かってそのことを口走っていた。
「なあ、優依子」
「……なに?」
「そのお爺さんが猫を飼っていたかどうかについては聞いてないか?」
「え? どうして知ってるの?」
「やっぱりか」
これは偶然の一致なのだろうか?
しかし、あかねのご主人様にしては矛盾点が多すぎる。第一、お爺さんが娘と称して飼っていた猫が死んだのは2ヶ月も前だ。
「実は、俺もたまたま知ったんだ。そのお爺さんの飼ってた猫って、俺たちが会ったときに『娘』って呼んで大切に育ててたんだろ?」
「……え、違うよ?」
「え?」
「参列した人に聞いたら、私たちが会ったときに死んだのは姪御さんだったみたいだよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれっ!? 娘ってのは猫のことじゃないのか?」
「むっちゃん、一言も『猫』だなんて言ってなかったよ」
「いや、それはそうだが……」
「それに猫が死んだのは、つい4日前の話だったんだって」
「……4日前……ってことは……」
「たぶん、お爺さんは可愛がっていた姪御さんにも猫にも死なれて相当ショックだったんだろうね」
「それじゃあ、あかねの飼い主はあの人で間違いなかったってことなのか……」
「ん? あかね?」
「あ、いやなんでもない……」
おもわず優依子の前であかねの名前を口に出してしまう。
しかし、これでハッキリした――あかねの飼い主はあの老人だったのだ。
けれども、確証があるわけじゃない。まだ俺たちが飼い主の家にたどり着けなかったという問題も残っている。
とっさに俺は優依子に尋ねた。
「ところでお爺さんの家の場所ってわかるか?」
「お爺さんの家の場所?」
「そうだ。実は俺もお爺さんに用があって、ずっと家を探してたんだ」
「う~んと……」
「誰か参列した人に聞かなかったか?」
「私もそこまでは聞かなかったよ」
「そうか」
まあわからなくて当然だろう。
たまたま葬式があった場所に居合わせただけで、死んだ人の家の場所まで聞こうとする人間なんて滅多にいるはずがない。
希望的観測のもと、答えを求めるという夢は破れた。
「あ、でも……」
ところがである。
優依子が唐突に続きがあると言わんばかりの一言を発した。
「なんだ?」
「おそらくだけど、お爺さんの家って4丁目の田中のお爺さんの家の近くじゃないかな?」
「なんでわかるんだよ」
「ほら、去年のお正月にあのあたりで女の子が車に轢かれそうになって助けたことあったじゃない?」
「そういえば、そんなことがあったな」
去年のお正月――そのときのことはよく覚えてる。
確か親戚の田中のお爺さんの家に年始の挨拶に行ったときのことだ。
帰りにみんなで初詣に行こうということになって、俺たちは田中のお爺さんの家を出てすぐ目の前の通りを歩いていた。そのとき、ポツリと奥まった道から女の子が飛び出してきたのである。
「あのとき、とっさにむっちゃんが女の子の手を引いて助けたじゃない? その子が飛び出してきた道の奥に家があったの」
「まさか、その家がお爺さんの家だって言うんじゃないだろうな?」
「確証はないけど、間違いないと思うよ。だって、女の子が片手に動物の形の風船を持ってたし」
「けど、その子の風船があのお爺さんが作ったモノとは限らな――」
唐突に閉口する。
それは頭の中で昨日のあかねたちと探し回ったときの状況を思い出していたからである。
俺は家を見つけられなかったあのときことを思い出し、ゆっくり階段を上って部屋へ向かおうとした。
しかし、すぐに優依子に「急にどうしたの?」と言われて立ち止まった。
「ちょっと確認したいことがあるんだ」
「確認したいこと……?」
「悪いが、俺はしばらく部屋に籠もるからホットケーキは置いておいてくれ!」
「え? ちょっと、むっちゃんっ!?」
と言われ、止められるのも利かず階段を上がる。
そして、俺は部屋の鍵を閉めてベッドに横たわるとポケットにしまい込んでいた懐中時計のふたを開いた。
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