第11話
「ありがとね、陸己」
あかねの未練整理をすると決め、飼い主の家に行くことにからのこと。
とっさにコクロから感謝された。それが思いがけない言葉だったため、俺はコクロの意外な一面を見せられて気がしてならなかった。
まあ、それがなぜかトイレの裏側ってのは、変な話と言えば変な話なのだが……。
けれども、話を始めたコクロにはいつも元気はなく、どこかいつになくしおらしい表情になっていた。
……にしても、コイツが感謝するということは相当あかねに肩入れしていたということなのだろう。
少し離れたモミの木のところでは、エミさんとあかねが談笑している。
俺たちはそれを見ることなく、二人で話しを始めた。
「なんだ? オマエがありがとうなんて言うときは大概ロクなときじゃないぞ」
「失礼しちゃうなぁ。ボクだって、お礼ぐらい言えるさ」
「――まあ、エミさんにもさんざん迷惑掛けたんだ。その言葉はエミさんにも言えよ」
「うん、わかってる……。後で局に帰ったら言うね」
不意に照れたような顔を見せるコクロ。
打って変わって出た表情に、俺は一抹の不安を覚えた。
どうして、そこまであかねの未練を晴らしてやりたかったのだろう? 正直、コクロがそこまで肩入れする理由はまだわかっていない。
猫同士だからという単純な理由なのではないのだろう。それだけは、きちんとわかりながらも、肝心なことはわかっていない。
気付けば、俺はコクロに向かって口を紡いでいた。
「……聞いてもいいか?」
「なあに?」
「どうして、オマエは必死にあかねの未練を晴らしてやろうだなんて思ったんだ?」
「……ああ……うん……」
「なんだよ? ハッキリしないなぁ」
「あのね、あかねを見てて生きてた頃のボクを思い出しちゃったんだ」
唐突にコクロが嬉々とした表情を曇らせる。
移ろいやすい夏の空のような表情――まるで心に暗い影を落とし、涙をこらえているように思えた。
俺はその顔つきを見て、自分がなにかいけないことを聞いてしまった気がした。
すぐさま恐る恐る聞き返す。
「……生きてた頃?」
「確か陸己には、家族がいるんだよね?」
「いるけど……。でも、家族と言っても本当の家族じゃないぞ。俺の母親は2年も前に死んでしまったし、父親と呼べる存在はいなかったからな」
「でも、いるんだよね……?」
「一応にはな」
「……うらやましいなぁ……」
「うらやましい……? さっきから、言葉が途切れ途切れでわからないんだが、いったいオマエは何を言いたいんだ?」
「……うん。あのね、ボクは人間に飼われていた猫の子供として生まれたんだ」
突然、コクロが話を切り出す。
「たくさんの兄妹がいて、人間の家族がいて、あったかい家の中でずっと暮らしてたんだ」
「なんだ、幸せじゃないか。あかねなんかよりずっとまともだぞ?」
「でも、その家の人たちにはボクの兄妹を全部飼えるだけの余裕がなかったんだよ。それでみんな里親に出されることになって、小さかったボクも当然里親に出されたんだ」
「なら、結果的にオマエも里親にもらわれて、幸せに死んだってことだよな?」
「ううん、あかねみたいに看取られて死ぬことはなかったよ」
「看取られなかった……? なら、オマエはいったいどこで死んだんだ?」
「橋の下」
「…………え?」
「ボクはね、陸己。雪の日に電車の音が響く橋の下で死んだんだ」
言葉にならなかった。
まさかコクロの最後が誰にも看取られない不幸な終わり方をしていたなんて……俺はゾッとして、コクロから顔を背けた。
「スマン、もっとオマエが幸せな死に方をしたんだとばかり思ってた」
「別に陸己が気にすることじゃないよ。たまたまそういう風な運命だったってだけ」
「……運命だったって……オマエ……」
「仕方ないじゃないか、ボクは猫だもん。人間みたいにハッキリ意思を言ったり、自分で行動したりすることができないんだ。それにあのときは小さかったしさ」
「……コクロ……」
「最初はね、里親の元で順調に育ってたんだ。でも、その人すぐに引っ越すことになって、ボクを捨てざるえなかったみたい」
「そのあと、どうなったんだ?」
「いま言った橋の下に箱に入れられて捨てられたんだよ」
「…………」
「そのあと、ボクを見つけた人間の子供たちにいろいろ面倒を見てもらったよ。そのうち、一人の男の子がボクを家族として迎えてくれようとしたけど……。
「………………」
「アハハッ、なんかダメだったみたい」
コクロが帽子で顔を隠す。
さっき俺が服務規程違反を問い詰めたときもそうだが、コイツは人に涙を見られるのがよほどイヤなのだろう。
時折、水っぽくなった鼻をすするような音がした。
続けざまにコクロが語る。
「……そのあとも定期的に子供たちが面倒を見てくれたり、通りがかりの女子高生みたいな子たちが面倒を見てくれたんだ」
「拾ってくれたりはしなかったのか?」
「うん……。やっぱり飼うってなると無理みたいだね」
「…………」
「……エヘヘッ……ボクって……本当運がなかったみたい……」
「悲しいこと言うなよ」
「だって、事実だよ。それに終わってしまった出来事だし」
「なら、オマエがそういう風に死んで、いまこうしておもいでがかりの一員として働いていることはどういう風に思ってるんだ?」
「もちろん、それは楽しいよ。陸己やエミ、入管局のみんなとお仕事して、遊んで、それでボクは救われてる気がする」
「……そうか」
「だから、感謝してるんだ。寒い橋の下で流行病にかかって死んだあの日みたいな思いはもうしなくて済む。ボクはもう『人間になりたい』なんて思ったあのときみたいな気持ちにならなくて済むんだ」
「コクロ」
激しく胸を締め付けられる。
まさかコクロがこんなにも弱い部分をさらけ出すなんて思いも寄らなかった。
いつも明るく楽しげで、遊んでとせがんでばかりの幼年の猫が心底に隠した気持ちをさらけ出すときが来ようとは……。
そのことは、本人とっても思いがけないことだったに違いない。
俺は切ない気持ちでいっぱいになり、帽子に顔を隠して泣くコクロの姿をじっと見続けた。
でも、コクロは決して顔を見せない――。
そうやって気丈を張ることで、俺と対等で居続けるつもりなのだろう。入管局でコクロと遊んでいると、時々悲しそうに笑うことがあった。
いまそれを思い出すと、あのときコクロが過去の自分を思い返していたのではないかということに気付かされる。
その気持ちが表れてか、俺はとっさにコクロの被った帽子に手を乗せていた。
「……睦己?」
俺は、その問いにただ一言、
「今なら泣いていいんだぜ」
とだけ告げた。
すると、やにわに嗚咽が漏れ出して、コクロが隣で泣き始めた。
今まで聞いたこともない小さな体の大きな泣き声――それを耳にしながら、俺はコクロを胸一杯抱きしめてやった。
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