第9話

 地上へ降りてすぐ。

 俺たちはコクロが行きそうな場所を手当たり次第探し回った。ただ、未練整理の対象者ではないため、あかねに関する資料をもらうことができなかった。

 そのため、その捜索は困難を極めた。

 捜索開始からだいぶ時間が経っている。

 下界に降りた際、近くの公園の時計を確認したが、そのときはまだ午前11時ぐらいだった。しかし、先ほど通りがかった時計屋の店頭に飾られた時計はすでに4時近くを指していて、長い時間下界にいることを表していた。

 時間は刻一刻と過ぎていく――だが、それでもコクロを見つけねばならない。



「いましたか?」

「ううん、こっちにも全然」



 途中、エミさんと二手に分かれて捜索を開始した。

 けれども、それでも見つからなかった。勝手に抜け出し、勝手に未練整理をするなんてことは許されない。

いくら情にほだされたからと言って、俺たちは神様でも何でもない――1個の魂だ。

 だから、コクロのやろうとしていることは間違っている。

 5メートルほどの幅の道を歩きながら、俺はそのことについて考えていた。

 周囲を見回しながら、いっこうに見つからないことに思わずつぶやく。



「見つかりませんね」

「そうねぇ~。直前でコクロちゃんたちが乗り込んだバスに乗れなかったのは痛かったわね」

「あのときバスを止めていれば、こんなことにはならなかったんじゃないですか?」

「それは無理よ。第一、あの世のバスは入管局の人間がどうこう言って止められる代物じゃないわ」

「だいたい三途川バスってなんなんですか? 運転してる連中は俺たちみたいな下界の魂ってわけじゃなさそうですけど……」

「彼らは、みんな元は三途の川の船頭よ」

「え、嘘っ!?」

「嘘じゃないわよ。昔、課長に聞いたことがあるもの。どうやら、ルート424ができて以来ずっと運転手をやってるみたいね」

「いわゆる転職というヤツですか?」

「そうじゃない? でも、彼には私たちみたいな意志ってモノがないから、ある意味道具として使い方を変えられたというのが正解かもしれないわね」



 道具――。

 それを聞いて、俺は顔を俯けて考えた。

 人ではないにしろ、連日連夜休まずに働き続ける――そのことにいったいどんな意味があるのだろう?

 確かに神々に命ずるがまま、彼らは働いているのかもしれない。けど、俺たちみたいに時として愛でること、不満や不安を抱くことでなにか楽しめることだってあるんじゃなかろうか。

 俺は道具だという彼らのことがまったく理解できなかった。

 そのうえで、コクロがルールを破ってまでもあかねの未練整理に出かけてしまったことの意味について考えさせられた。

 顔を上げて、視線をエミさんの方へと見遣る。



「エミさん。コクロは、どうしてあそこまであかねに肩入れしたんでしょうか……?」

「私もわからないわ。でも、彼女にはそこまでして成してあげたいなにかがあったんじゃないかしら」

「成してあげたいなにか……ですか」

「そう。まあ、それについては本人の口から聞かないとわからないけど、それなりに事情があったのだと思う」

「事情ですか」

「たぶん、だけどね。きっと、コクロちゃんが入管局に入ったことと関係があるのよ」

「つまり、それって生きている間になにかあったってことですね」

「おそらくわね……。でも、私がその答えを直接聞くことはできないわ」

「え? どうして?」

「君は人間、私は馬」

「……意味がわかりません」

「簡単なことよ。人間に接していた動物は当たり前のように人間のぬくもりを欲する。だから、私たちにとっても人間との絆は切っても切れないモノなの」



 とエミさんが言う。

 時折、俺は霊体になってほかの動物と話せることが楽しいと思うことがある。それは知り得なかったことを知る機会に恵まれるということだが、人間の視点ではない他の動物の視点だからだ。

 だから、エミさんの言葉には考えさせられるモノがある。

 それなら、コクロは何を思ってあかねを助けようとしているのだろう……?

 刹那、100メートルほど先に立つ1組の人影に気付く。

 それは杖をついた高齢の女性と楽しそうに話す優依子だった――。



「優依子?」



 状況から察するに道に迷った老婆を助けているのだろう。その証拠に優依子の手には、半ば開いた地図のようなモノが握られている。

 徐々に優依子の方へと近づきつつあったが、それよりも早く優依子が老婆を導くように駅の方へと歩いて行ったため、俺たちが遭遇することはなかった。

 いずれにしろ、優依子が霊体である俺たちを視認することはできない。

 そのことを少しわびしく思いつつ、優しく老婆に接する優依子の後ろ姿を見送った。

 


「あの子、大原君の知り合い?」



 と唐突にエミさんが話しかけてくる。

 わずかに驚きつつも、その問いに答えた。



「えっと、俺が居候している家の娘さんです」

「あらぁ~? もしかして、恋人?」

「違いますから……」

「またまたぁ~。ホントは恋人なんでしょ?」

「優依子はただの幼なじみです。というか、よくそういう話に食いつきますね」

「当たり前じゃない。恋愛はね、人間であろうとなかろうと一生の伴侶を決める大事なイベントなのよ?」

「は、はぁ……」

「人間の場合、ちゃんとしておかないと後悔するような思いになるんでしょ? 私はそういうところを見てて楽しいのよ!」

「……よくわかりません……」

「まあ、いいわ。でも、私みたいに走るだけの動物と違って、きちんと家族がいるってのは羨ましいものよ」

「やっぱり、人間に馴らされた動物でもそう思うんですか?」

「もちろんよ。ずっと仲睦まじく暮らせるってとても大切なことよ」



 と語るエミさん。

 しかし、その顔はどことなくうらやんでいるようにも見えた。どうして、そう思ったのかはよくわからないが、少なくともエミさんは人間のことが好きなんだなってことだけはわかる。

 ふと頭の中にあかねの姿が思い浮かぶ。

 必死になって、主人に会いたいと願うあかね。ならば、そのあかねもまた人間のことを家族と思っていたのだろうか?

 俺はそれが気になって、エミさんに聞いてみた。



「じゃあ、あのあかねって子も人間を家族と思っていたんじゃないですか」

「その可能性は十分にあるわね。だけど、不思議なのはなんで天国の扉の前で気づいて戻ってきちゃったかってことよ」

「俺もそれは気になります」

「たとえばだけど……もし大原君が人間のペットである日突然死んだりしたら、それで満足する?」

「状況によりますね。病死だったり、事故死だったりで救いようがあるかないかってのもあると思いますから」

「なら、病死で考えてみて」



 そう言われ、俺は黙って考え始めた。

 もし、自分がペットだったら?

 そのことは自分ではなかなか持つことのない視点である。こういうことをいえるのは、動物でなおかつ人間に馴れたエミさんだったからこそわかることなのだろう。

 人間に育てられ、自分もまたその一員だと思い、その輪の中で暮らしていく。もし俺がペットで、そうした中で最後を迎えることがあったらどんな風に死ぬんだろうか?

 そのことについて、深く思案して答えを口にした。



「満足すると思います」

「理由は?」

「大好きな家族の前で死ねるんです。首を横に振る理由なんてないじゃないですか」

「……うん、いい答えね」

「そのことと、あかねが戻ってきて未練整理をしたいと言い出したことって、何か関係があるんですか?」

「んまあ、要は未練整理の基準についての話ね」

「ああ、なるほど」

「入管局じゃルールを定めちゃってるけど、結局本人の心次第ってことじゃない? だから、戻ってきて未練整理がしたいってのも、本当は可能なんじゃないかなって思ってたの」

「じゃあエミさんが課長に抗議した理由も――」

「ええ、そういうこと。つまり、あかねちゃんは主人への愛を直前で募らせちゃったのよ。そうして、もう一度会いたいと思って入管局に戻ってきた。私が同じ立場だったら、やっぱ不満足なまま死ぬなんてまっぴらゴメンだわ」



 なんともエミさんらしい言葉だ。

 きっと死後であろうと生前であろうと未練はなくすべきだと考えて、エミさんは課長に抗議したのだろう。

 それを聞き、俺はなぜあかねが天国の門から戻ってきたときの気持ちがかわかった気がした。

さらに道を行く――。

 だいぶ時間は経っていたが、俺たちは大きな交差点のところで二手に分かれた。わずかばかり遅いかもしれないが、捜索範囲を広げてみることにしたのだ。

 俺たちは、もう一度別行動をすることにして、時間と場所を決めて別れた。

 エミさんは「東側の方を見てくる」と言って去っていった。俺は、その後ろ姿を顧みることなく街の北側を探し歩く。

 それが功を奏したのか。

 ほどなくして、住宅が建ち並ぶ細く入り組んだ道の途中で前方を歩く小さな人影を2つ発見した。



「コクロっ!」



 発見した際、思わず声を荒げて呼び止めてしまった。

 だが、コクロは俺の存在に気付いたのだろう。とっさにあかねの手を引いて、猛スピードで走り出した。

 当然ながら、俺もそのあとを追いかけた。

 しかし、小さな体のどこにそんな力があるのか。そう疑いたくなるほど、2匹の猫は足が速かった。

 グングンと俺を突き放していく。

 俺も見失うまいと、必死で2匹の後を追う。



「コラァ待て~!」



 けれども、検討もむなしく、コクロたちは徐々にその差を広げていく。左を曲がり、右を曲がり、また左を曲がって、さらに後を追う。

 前を行く二人は止まる様相などいっこうに見せない。それどころか俺から必死に逃げようとしている。

 これが生身の身体であったら、おそらくついて行けないだろう。

 いまは霊体であったことに幸運を感じる。

こういう場合、霊体というモノは便利なモノでまったく疲れというものを感じさせないからだ。

 だから、俺は二人を見失わずに済んだ。

 さらに小路の角を曲がって、500メートルほどひた走る。ところが、そこで唐突に状況が一変する。

とっさにあかねがコクロの手をふりほどき、ある一軒の家の前で立ち止まったのだ。

 俺はそれを見て、あかねの元へ近づいていった。そして、その体を抱きかかえるように取り押さえた。

けれども、あかねが一切の抵抗をしなかった。むしろ、家の方をじっと見たまま動かなかったのである。

 正直、あかねの行動には驚かれた。

 殴るとか、蹴るとか、そういう抵抗を予想していただけに、予想外の行動は俺にその家の存在を中止させるほどのものだった。それだけにボッーと、その家を見つめるあかねの表情が気になって仕方がなかった

 あやすようにあかねに問いかける。




「なあ、この家にいったい何があるっていうんだ?」



 だが、あかねは答えなかった。

 しばらくして、「ご主人様」という言葉が漏れた。それは、言葉にして何かを思い返しているらしかった。

 それから、あかねは言い淀むようにして答えた。



「この家の木は、初めて会ったご主人様が私を助けてくださった木なんです」

「家の木って、あの木のことか?」



 そう言って、あかねに指さしてみせる。

そこには、まだ実の実らぬ青葉生い茂る柿の木があった。幹は太く、もう何年もその家にあることがわかる。あかねはそれを見て、憧憬に目を輝かせるがごとく、ひたすら腕の中でその木を見つめ続けていた。



「まだ私が幼かった頃。お母さんからはぐれて、一人で街の中をさまよい歩いていたときにたまたまこの木に登って降りられなくなったことがあったんです」

「そのときに君のご主人様が助けてくれたのかい?」

「……はい。ご主人様は私を見つけるなり、『そんなところでどうしたんだい? 降りられなくなったのかい?』と優しそうな笑顔で問いかけてきました。それからすぐその家の人に頼み込んで、私を助けてくださったんです」



 優しい光景が絵となって、頭に浮かぶ。

 きっとあかねのご主人様は温厚でとても優しい人だったに違いない。俺はそれを思い、生前のあかねの姿を垣間見た気がした。

 不意に横から荒々しい声が聞こえてくる。



「コラァ~睦己ぃ~! あかねを返せぇ~!!」



 振り向くと、そこには先導して逃げていたコクロの姿があった。どうやら、俺があかねを捕まえてしまったことを起こっているらしい。

 足下でポカポカと細い腕を叩きながら抗議していた。

 だが、俺をにらみつけて威嚇する猫そのもの。コクロは、本気であかねの未練整理を行おうとしていたことが見て取れた。

 応じるようにコクロに言い放つ。



「あのなぁ~俺はあかねと話していただけだ」

「そんなの嘘だっ! どうせこのまま局まで連れ戻すつもりだったんでしょ?

「そりゃあ、確かにそうだが……。話も聞かずに連れ戻す訳ないだろ? とりあえず、もう逃げ回るのはお終いだ」

「お終いじゃないもんっ! 陸己からあかねを取り戻して逃げるもん!」

「オマエなぁ……。体格差のある俺にどうやって勝とうってんだよ?」

「そ、そんなの……やってみないとわかんないもん……」

「……で、何か策はあるのか?」

「むぅ~陸己のいじわるぅ~」



 といつものようにむくれるコクロ。

 その姿を見るとなんだか本気で逃げていた気がしない。なんと哀れやら悲しいやらで、俺は深いため息をついて嘆いた。

 そうした態度が気に入らなかったのだろう。



「な、なんだよぉっ!」



 コクロは俺の姿を見るなり、唐突にわめいて怒り出した。



「とりあえず、逃げるのは終わりだ。エミさんと合流するぞ」

「……こうなったら……スキを見つけて逃げてやる……」

「なんか言ったか?」

「……な、なんでもないもん……」

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