第3話
発端はちょっとした嫉妬心からだった――。
故人の生い立ちが綴られた生前経歴書、『
その一行目には黒木が未練を抱いている人物が幼稚園以来の親友である「
その一方で森永はどこにでもいる普通の女の子だ。
特に優れた力を持っているわけでもなく、友達と楽しくやれればそれでいいと言った感じの女の子で黒木にはぴったりの親友と言えた。
しかし、才能ある友達を持つということは必然的に大人たちに比べられてしまう。
その場合、あきらめて「自分は平凡でいい」と納得してしまうか、「あの子に負けたくない」と対抗心を燃やすかのいずれかの気持ちを持つようになる。
――森永は後者を選んだ。
それでも黒木の一番の親友として親しく接してきた。
しかし、闘争心を持つということは、どんなに努力しても同じ努力を積み重ねる才能ある人間の前に何度も打ちのめされるということである。
何度も反発して、なおも努力し続けられる人間は結果的に秀才となる。
だが、森永には苦汁をなめて這い上がるだけの精神力はなかった。それだけに森永は徐々に才能ある黒木を恨めしく思うようになっていった。
『親友であるはずなのに』だ――。
そして、あの日。
居残った数名のクラスメイトを前に積年の思いを口にした。
それが偶然にも忘れ物を取りに戻ってきた黒木の耳に入る結果を生んだのである。きっと黒木は信じていた親友からそんな言葉が出るとは夢にも思わなかったのだろう。
その日、黒木は帰宅途中に命を落とした。
葬式には多くの参列者が訪れ、当然のことながら森永も参列した。このことは黒木本人に話していないが、森永はどこか気の抜けた表情で遺影を眺めていたそうだ。
それが邪魔者がいなくなって清々したからなのか、親友を失ったという喪失感からなのかはよくわからない。
ともかく森永歩という人物になんらかの影響を及ぼしたのは間違いない。もちろん、未練を整理して天国へと向かう黒木もきっと同じだろう。
けれども 仕事柄あまり私情を挟むべきではないのだ。深入りして、不正に未練を整理したということになれば一大事である。
だが、どうしても二人が掛け違えたまま生き別れになってしまったことに対し、俺は深い憤りを感じずにはいられなかった。
その気持ちをひた隠し、俺は黒木を連れて学校へと戻った。そして、森永のクラスへと赴き、そこから森永の様子をさぐった。
霊と言えども、霊感のある人間には発見されてしまう。そこで俺たちは廊下から教室の中をのぞき見ることにした。
すでに四時限目の授業が行われている。
森永歩は窓際二列目のほぼ中央に座っていた。
「あの子が森永歩だよね?」
「……うん」
どこにでもいそうな普通の女の子。
それが俺が窓越しから見た森永歩の印象だった。
真面目に授業を受けるフリをして、机の下では席の離れた友達とメモのやりとりをする。思春期の女子によくある風景である。
しかし、そんな姿を見て、いまの黒木はどう思っただろう?
横目で見た黒木の顔は、どこか懐かしさを含んで寂しそうな表情をしていた。
「心花」
唐突に黒木の足下から声が聞こえてくる。
よく見るとコクロが小さな背を必死に伸ばして、教室の中を覗き見ていた。
「元気出しなよ。きっとあの子と元通りになれる……ボクが保証するよ」
「うん、ありがとう」
と、コクロがまったく根拠のないことを言う。
普段は遊んでばかりで、いっさい仕事をしないコクロの励ましは一見なんの説得力もないように思える。
しかし、こういう時のコクロは力を発揮する。
人一倍甘えたがりのコクロは、そのぶん人の悲しみを知っている。だから、激しく落ち込む黒木を気遣ったのだろう。
それに未練を捨てきれない魂は、とても不安定な魂だ。故にコクロのような優しい局員が励ますことは、未練に対する考え方や向き合い方を一変させる。
その意味でコクロがこの係に配属されたのも頷ける。
いまも黒木が森永を見て、心が不安定になってる。それを考えれば、コクロの起こした行動は正しい。
「とりあえず、森永に近接した場合の黒木の魂の状態を確認できた。あとは直接接触すべきか、それとも間接的に解決するべきかをじっくり考えよう」
「大原君。未練の整理ってどうしたら完了になるの?」
「もちろん『思い残すことはない』と本人が認めるまでだよ」
「それを私が認めればいいわけ……か」
「やれそうか?」
「まだ色々不安だけど、なんとかやってみる」
「それを聞いて安心したよ」
どうやら、うまくやれそうだ。
最初に局であった際の不安は、少し杞憂だったのかもしれない。それに黒木が少しでも未練を捨て去ることに前向きになってくれたことは評価に値する。
それはそれで嬉しかったが、正直俺は黒木にとてつもないプレッシャーを与えてしまった気がしてならなかった。もしこのまま本人が認めず、未練を残すようなことになれば、不安定な魂は障気を放って地縛霊に変化してしまう。
そうなってしまったら、もう黒木を救い出すことはできない。妄執にとらわれ、きっと黒木は永遠に誰かを呪って下界を彷徨ってしまうだろう。
……絶対にそうなって欲しくはない。
俺は不安を胸の奥に押し込め、一度外に出ることにした。
放課後、俺たちはかつて黒木が所属していた陸上部へと赴いた。
なんらかの大会が近いのか、部員全員が本格的なコース練習に勤しんでいる。そんな輪の中には、件の森永歩の姿も。
トラック競技の選手らしく、スタートダッシュからピューッと駆け出して走る森永。その快走する姿はオリンピック選手さながらだ。
「凄いね! あっという間にビューって走っちゃったよ!」
と、コクロが目の前ではしゃぐ。
こんな子供がいたら、誰しもが目を疑うだろう。
しかし、その声には誰も気付かない――いや、気付かないと言うより、気付けないというのが正解だろうか。
なぜなら、俺たちの身体は人には見えない霊の姿だからだ。
地上に住まう生き物にとって、俺たちはいない存在に等しい。逆を言えば、飛んでくるボールもすり抜けて通るし、誰からも怪しまれずに立ち見できる。
それをいいことに、俺たちは陸上部の練習を眺め続けていたのである。
「――あの中に」
不意に黒木がつぶやく。
なにかを思ったのだろう。俺が問いかけると、黒木は語頭を繰り返して心に思ったことを口にし始めた。
「……あの中に私もいたの。つい先日まで」
寂しげに黒木が言う。
その目は遠くの地平線を望むような目で心ここにあらずといった感じだ。、
同時に「自分も走りたい」――。そんな雰囲気が伝わってきて、死んでしまったことを呪っているかのようだった。
「それはどういう意味なんだ?」
「うしろを見て」
指で示され、俺は反射的にその方向を見た。
そこには、好タイムをたたき出して喜ぶ森永たちの一団があった。しかし、その後方では対照的に膝を突いて息を上げながら、暗く沈む少女の姿が見られた。
そのことを言いたかったのだろう。
黒木は、自分のことのように語り始めた。
「あんな風に全力を出し切っても、思うようなタイムを出せない人がいるの」
「それはトラック競技の上で仕方のないことじゃないか」
「確かにそうね。でも、先日までの私はそうした人たちにねぎらいの言葉を掛けて、互いの健闘をたたえることで一緒にがんばろうっていう気でいたの。いま考えるとなんて無神経なことをしてたんだろうって思える」
「言いたいことはわかる。だけど、それは黒木なりのエールだろ?」
「……わかってるよ……でも、私は……なんて愚かなことを言ってたんだろう……」
黒木が胸に手を当てて、苦しそうな表情を見せる。
それは他人の気持ちを理解できなかったことを後悔しているかのようだ。だから、余計にこちらにも伝わってきて心苦しく思えてならなかった。
なにより、死んでしまったが為に誰にも謝ることができない。それだけに黒木の悔しさは、自傷行為でしか補えなかったのだろう。
どうすれば、黒木に未練を断ち切らせることができるのだろうか?
「……黒木」
俺はその答えが出ず、その場で名前をつぶやくことしかできなかった。
結局、それが元で黒木は「ゴメンナサイ」と叫んでどこかへと走り去ってしまった。去り際、一瞬だけ目から涙がこぼれ落ちるのが見えた。
「黒木、待ってくれ!」
なんと不甲斐ないのだろう。
俺はとっさに気付いて、慌てて黒木の姿を追った。
幽霊になっても、黒木の足は速かった。
それでも見失うまいと食らいつき、自転車置き場の前で黒木に追いついた。しかし、黒木は後ろを向いたまましばらく黙っていた。
おそらく泣くのを我慢しているに違いない。そんな現場へやってきたこと自体、間違いだったのかもしれないが、どうしても黒木を放っておけなかった。
沈黙に耐えかね、俺はゆっくりと近づいていく――――が、
「来ないで!」
と怒鳴り散らされてしまう。
森永を前に死に際の気持ちが蘇ったのだろう。震える背中には、真実を知ることが怖くて怖くてどうしようもないという気持ちがあふれ出ていた。
俺はそんな黒木を落ち着かせようと優しく語りかけた。
「戻ろう」
「……無理よ」
「未練を整理しなきゃ天国にはいけない」
「無茶言わないで。怖いのよっ!」
「…………黒木」
「やっぱり、未練を整理するなんて無理なのよ」
「それでも天国へ逝かなきゃいけないんだ。死んだオマエにもう居場所なんてないんだ」
「じゃあサッサと天国につれてって。思い出なんか綺麗サッパリ忘れさせてよ!」
「そんなこと言わないでくれ。オマエはまだ未練と向き合ってもいないじゃないか? それに陰口を叩かれたのは黒木が悪いのせいじゃない」
「違うの。歩が恨むようになったのは、きっと私のせいよ」
そう言って、黒木があきらめてしまうことをさも当たり前のように叫ぶ。
俺はあまりに身勝手な考えに黒木を怒鳴りつけてやりたかった。しかし、いま黒木を怒鳴りつけてもなんの解決にもならない。
自分の気持ちの理解者を求める黒木にとって、いま必要なのは少しでも前に進む気持ちを与えることだと思う。
「大原君、私の部屋のトロフィー見たでしょ?」
「……見たよ」
「アレを見てどう思った?」
「俺には凄いの一言しか言いようがなかった」
「それが普通の反応よ」
「どういう意味だ?」
「でもね、そんな普通の反応が言われる側には辛いことだってあるのよ」
「プレッシャーってヤツか?」
「――そう。トロフィーがいっぱいになるってことは、それだけ期待もされちゃうのよ。もうそうなったら、後は必死になって走り続けるしかない。けど、期待を裏切るような結果になったら、期待してた側は勝手な言葉ばかり並び立てるの」
「それがイヤなら言えばよかったじゃないか」
「……そんなのできっこない。両親と仲がよかった分、私には悲しませるようなことをするのが忍びなかったの」
「それが諦めてしまうようになった原因なのか?」
「そうよ。私は両親に喜んでもらうのが一番嬉しかったし」
「だったら、両親じゃない森永とはちゃんと向き合えるだろ?」
「違うわ。相手が歩みだからこそ、なおさら怖いの……」
「でも、オマエはさっきは向き合うって言ってくれたじゃないか」
「そう簡単に言わないで……。私ね、歩を目の前にしてわかったの。『ああ、やっぱり歩は私なんかがいない方が伸び伸びと生きていけるんだって』――」
「そんなことない! それに間接的に森永の口からあの時の言葉がウソだったと証明されれば、それでだっておまえの気持ち次第で未練は整理できるんだ!」
「そう言ってくれることには感謝するわ。だから、どうしても歩に一言謝りたい。でも、歩を前にしたらなにを言えばわからなくなったの」
「それで怖くなって逃げ出したのか……」
ならば、謝ることをあきらめてしまえばいい。
そんなことを心ないことをここで言うべきだろうか――いやそれでは本当に未練整理ができたと言うことにはならない。
未練整理とは、天国へ逝く者の心に悔いをいっぺんも残らずにしてやることだ。だから、面倒くさいような事柄でも、黒木の未練をすべて整理する手伝いをせねばならない。
それが俺の仕事だ。
迷いを振り切り、黒木に近づいてその手を掴む。
「もう一度――もう一度だけ森永に向き合ってくれないか?」
「無理よ、大原君」
「大丈夫、無理なんかじゃない。それに諦めるなら、いまの森永を見てから判断してもいいんじゃないか?」
「ううん、きっとダメに決まってるわ」
「とにかく、もう一度向き合ってみてくれ。そのうえでちゃんと謝れるかどうかを黒木自身で判断して欲しい」
その言葉をどう思っただろう?
黒木は、しばらく背中を向けたまま黙っていた。しかし、考えを改める気になってくれたらしく、わずかして「わかったわ」という小さな声が漏れて聞こえてきた。
快諾とはほど遠い――。
けれども、黒木が前向きになってくれただけでも喜ばしいことだ。俺は、小さな喜びを噛みしめ、再びグラウンドへ向かうことにした。
「睦己。ボクを置いてどこ行ってたんだよ」
校庭に戻ると、コクロが半べそを掻いて怒っていた。いつの間にか、俺たちの姿が無かったことに寂しさでも感じていたのだろう。
コクロはやんちゃでわがままでやりたい放題遊び好きだが、人一倍寂しがり屋だ。それゆえに周囲に誰もいなくなってしまうと、迷子の子供のように半べそをかき始める。
しかし、そうしたことをいいことに甘やかしてしまっては仕事にならない。
それに少しでも管理局の局員としての自覚を持たせなければ、毎日遊びほうけて仕事をしなくなるだろう。
俺は太もものあたりに手を打ち付けて抗議するコクロを適当にあしらい、再び陸上部の練習風景をうかがうことにした。
ところがそこに森永の姿はなかった。
「あれ? どこいったんだ?」
「たぶん、教室にタオルを取りに行ったんだと思う」
「タオル?」
「歩はいつも教室のロッカーにタオルをいっぱい入れてるから」
「わかった、行ってみよう」
と黒木の言葉に従い、校舎へと移動する。
日中、チラリとのぞき見た教室は校舎二階の端にある。
俺たちは階段を使って、そこまでの道のりを歩いた。すると、教室の中には先ほどまで校庭にいた2人の陸上部部員と森永が輪を作って立ち話をしていた。
俺たちは教室の外から三人の会話に耳を立てた。
「今日の歩って凄く好調じゃない」
「そう?」
「あ~私もそう思う。なんか吹っ切れたって感じ?」
「だよねぇ~? もしかしてさ、黒木さんがいなくなったおかげ?」
突然、黒木の名がやり玉に挙げられる。
同時にその名前が出た途端、手に温かななにか触れる。
俺はすぐに視線を手の方へと移した。すると、そこには黒木が絡まるように手を差し出していた。
そこから、ゆっくりと上方へ目線を移す。目に飛び込んできたのは、三人を見つめたままおびえた表情で立ち尽くす黒木の顔だった。
きっと、死んだ日に見た光景を思い出したのだろう。
差し出された手は、まるで俺に向かって「離さないで」と言っているように思える。
それだけ黒木には、あの日のあざけりが信じられないモノだったに違いない。おびえる黒木の不安を取り除いてやるべく、俺はその柔らかな手を握り返した。
目の前で森永たちの会話が続く。
「違うわよ。たしかに心花は凄かったけど、私はそんな心花に負けまいと一生懸命頑張ってきただけよ」
「え~、ウソぉ? マジで?」
「マジよ」
目の前で森永たちがおどけて笑い合っている。
どうやら、黒木の陰口はないらしい。
そのことに安堵したのか、顔を見合わせてみた黒木の表情にはホッと表情が見受けられた。
「よかったな、黒木」
「うん。なんか思い過ごしをしてたかもしれない」
「言っただろ? なにもオマエのせいじゃないって」
「ただの思い違いだったのね……。歩が陰口を叩いたと思った私が馬鹿みたい」
「まあ死んでしまったのはどうしようもないからな」
「うん、ここまで付き合ってくれてありがとう」
安堵した表情を浮かべる黒木。
唐突に俺の前で目を閉じて、もう通じ合うことのできない大切な親友に向けて想いだけでも送ろうとしていた。
これなら、未練を断つことができる――――はずだった。
「正直に言っちゃいなさいよ。マジのところ、どうだったのさ?」
「マジなところって……」
「もうっ、じれったいなぁ~正直に言っちゃなさいよ!」
「そうだよ。言っちゃえ、言っちゃえ!」
「でも……」
「ちゃんと言わなきゃ、天国の黒木さん報われないよ?」
「…………」
「ホラ早くっ!」
「言えっ、言えっ、言えっ!」
「――うん、本当はイヤだった。親友としては大好きだったけど、心花はなんでもできるし、そんなの目の前で見せられたら正直嫉妬もするよ。私なにやっても上手にはできないから、心花がいなくなったのはラッキーだったかもしんない」
突々に飛び出た言葉。
俺がもっとも一番出て欲しくないと願っていた言葉だった。その言葉に慌てて黒木の様子を確認しようとすると、急に握った手が異様に冷たく感じられた。
その異変にパッと顔を横に向けると、黒木の表情に浮かんでいたうれしさが完全に消え去り、ある種の絶望に捕らわれた表情が現れた。
「しっかりしろ、黒木!」
急変した黒木に何度も呼びかける。しかし、黒木は黙ってばかりで、俺の呼びかけに応じてはくれなかった。
なんて俺はバカなんだろう。
未練を整理させる? 黒木の心を救う? これが俺の仕事――違う。
これじゃあ、俺が黒木を破滅させるために連れてきたようなものだ。
わずかなミスが霊を下界に留めてしまう。そうならないために正しく導いて未練を捨てさせることが未練整理の本質。
俺はそのことをわかっていたつもりだった。なのに、どうしてこんな結果になってしまったんだろう。
胸の内で後悔と悲しみがわき起こる。
気づけば、黒木は目の前で見たことがないようなドス黒い気をまとっていた。その気はまるで霧のように目に見える形で吹き出しており、黒木を中心に渦巻いている。
同時に肉が腐ったのようなひどい臭いが立ちこめてきた。
おそるおそる黒木に話しかける。
「く、黒木?」
しかし、俺はあまりの異臭と恐怖感からとっさに黒木から離れた。そして、すぐに黒木を渦巻くモノの正体を知り、最悪の結果を招いたことを知った。
黒木が未練を怨念に変え、地縛霊に変容しかけていたのだ。
「……ほら? やっぱり結果は一緒だったでしょ?」
「あきらめるな! まだ謝ってもいないじゃないか」
「……ううん。大原君、それはもういいのよ……」
「いいって、そんなわけあるか!」
「もういいの。歩があんな風に思っていたんだから、もういいのよ……」
「やめろっ! それ以上、憎しみを増やしすんじゃない」
「……憎い。歩が憎い」
黒い霧が竜巻のように渦を巻き始める。
俺は状況を打破しようとコクロに支援を求めた。けれども、後ろに立っていたはずのコクロは強烈な匂いと黒木が放つ威圧感に弱り切っていた。
「コクロ、大丈夫か?」
「も、もうダメかもぉ……」
「弱気になるな! 地縛霊の対処法はマニュアル通りにやれば大丈夫だ」
「う、うん……」
「それより黒木を早く説得しないと。完全に地縛霊になってないんだ、いまなら間に合う」
黒木に近づこうと一歩前に出る。しかし、触れるだけでこちらも地縛霊にされそうなまがまがしい霧が目の前を阻んでいた。
俺はできるだけ霧を吸わないようにと口元に手を当て、黒木に近付いていった。
「やめろ、黒木。怨みを抱いても、なんの得にはならないんだぞ?」
「うるさい、アナタが連れてきたんじゃない!」
「たしかに連れてきたのは俺だ。だからと言って、オマエを絶望させるために連れてきたんじゃない。俺はオマエを天国に連れて行くために連れてきたんだ!」
「天国に連れてくですって……馬鹿じゃないの? いまの言葉が真実なのよ?」
「その真意を確かめるためにここに来たんだ。まだ絶望するには早すぎる」
「それをどう解釈しろって言うのよ!」
「無理に解釈する必要なんてないんだ。ちゃんと落ち着いてゆっくり考えれば、きっと森永の本心だってわかるはずだ」
「そんなに気を持てるほど、私は強くなんかない!」
「最後まで話を聞け」
「いやっ!」
「耳をふさぐな、黒木!」
「もういいの、もう天国なんか逝きたくない……終わった人生なんてどうでもいい!」
「まだあきらめるな。最後まで森永を信じろ!」
黒木に向かって必死に呼びかける。
一歩たりともあきらめるわけにはいかない。 黒木には最後まで幸せな終わりを迎えて欲しいから、未練を抱えて悪霊として地上にとどまって欲しくないから、俺は同じ人間として傷ついた心を癒したかった。
けれども、俺の言葉は黒木には届かなかった。
「いやよ、やめてよ! 私は――」
黒木の口が止まる。
その後の言葉が出ないのだろう――いや、出ないというよりも出せないというべきか。
とにかく、黒木にとってはその一言は何よりも受け入れがたい事柄だったのだろう。
「――私は、望んで死んだわけじゃないッ!」
その叫びに黒木の『いま』が現れていた。
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