第2話

 下界へと降りた直後。

 降車したら、いきなりコクロがどこかへ行こうと歩き始めた。

 しかし、それを見逃すわけにはいかず、俺はその襟元を掴んでコクロに仕事に連れてきたのだと言い聞かせた。



「なんだよぉ~? 睦己のケチ!」

「ケチで悪かったな」



 機嫌の悪そうなコクロの襟を持ったまま、バッグから書類を挟めたクリップボードを取り出す。

 そして、今回の未練整理の内容を改めて確かめた。



「あ、あのさ大原君?」

「なに?」

「私の未練って……」



 そう言いかけて、黒木は口を動かすのを止めた。

 まるで、自分の未練に思い当たるフシがあるような表情。その表情は、それがとても辛いことになると理解したかのようである。

 だからといって、未練整理をやめるわけにもいかない。

 俺は苦々しくと思いながらも、あくまでも本人のためだと自分に言い聞かせ、書類に記された内容の一部を読み上げた。



「――『黒木心花の未練は同じ学校に通っていた森永歩に対するモノ』、これで間違いないな?」

「……ええ。間違いわ」

「大丈夫か?」

「え……?」

「詳しい内容は君の胸の内にあるから、こちらでは未練の対象となる人物への誘導しかできないんだ。あとのことは、黒木自身が向き合って整理しなくちゃいけない」



 書面に顔を向けつつも、チラリと黒木の顔をうかがう。

 弱々しい表情が未練を整理することをためらっているかのように思える。同時に胸の内にある未練に対して、どう向き合わねばべきかと考えているようにも見えた。

 それだけに俺は黒木が未練整理を拒否しないことだけが不安だった。

 やがて、黒木はゆっくりと口を開いた。



「……わかったわ。でも、学校へ行く前に私の家に行ってみたいの」

「黒木の家に?」

「ダメかな?」

「構わないけど……」

「ありがとう。やっぱり、まだ自分が死んだなんて信じられないの。それにお母さんがどうしてるのかも気になるし」

「ああ、そういうことか」



 死者が自分のいなくなった世界のことを気になるのも無理はない。こうして未練整理の為に下界に降りてきている分、自分の周りの人間がどうしているか気になってしまう。

 特に黒木のような突然死んでしまった人間はまったく状況がわからずにいる。だからこそ、家族や友人のことを心配してしまうのだろう。

 俺は胸元の懐中時計に目をやり、帰りのバスまでの時間を確かめた。

 まだ時間はある。

 未練整理に使う時間を考えても、黒木の家はそんなに遠くはない。クリップボードをショルダーケースにしまい、俺は崩れた肩紐を直すと黒木に告げた。



「じゃあ行こうか。学校には森永と接触しやすい放課後までに帰ってくれれば問題はない」

「うん」



 黒木を先頭に道を歩く。

 途中、商店街を抜けていくことになったのだが、コクロが脱線して魚屋だの、洋菓子店だの、色々なモノに目を輝かせて動こうとしなかった。

 その様子を黒木は微笑ましく見ていたが、俺とっては厄介ごとでしかない。ことあるごとにコクロを叱らねばならないと思うと憂鬱で仕方なかった。



「なんだか猫みたいね」



 ペットをしつける主人のような俺を見て黒木が笑う。

 そんな一言を聞いてか、ケーキ屋のショーウィンドウに張り付いていたコクロが振り返る。



「え? ボク猫だよ」

「どういう意味?」

「ボクね、生きていた頃は猫だったの。でもね、死んで魂だけになったら、天国の決まりで人間の姿を模してもいいことになってるんだって」

「――ってことは、コクロちゃんって元は猫なのね」

「うん」

「でも、どうして管理局で働くことになったの?」

「それはね……」

「おい、コクロ!」



 とっさにコクロの口を塞ぐ。

 管理局には、他人にベラベラと労働理由を話してはならないという規定がある。つまり、いまコクロが口にしようとしたことは服務規程に当たるのだ。



「黒木スマンっ! さっきも言ったけど、これ以上詳しくは言えないんだ。ただ職員全員が個人のある理由から仕事をしているということだけ察してくれ」



 そう言うと黒木はなにが起こったのかという顔で見ていた。しかし、とっさに痛みが走り、俺はその顔を最後まで見ることをしなかった。

 右手をよく見てみるとコクロに噛まれていた。



「なにすんだよ!」



 俺は怒りにまかせ、仕返しにとばかりにげんこつをお見舞いしてやった。すると、さすがのコクロも堪えたのか、むせび泣く声を上げながら腕の中でおとなしくなった。

 そのままコクロを抱きかかえ、俺は黒木の家へ向かう。黒木の家はバスを降りた地点から十五分ほど歩いた場所にあった。

 当たり前のことだが、俺たちは霊体だ。

 そのため、インターホンを鳴らしても応答してもらえないし、鍵も開けてもらえない。だが、霊という立場を利用して玄関の戸をすり抜けることができる。

 俺たちは無断と言うことを承知しつつ、家の中へと踏み入った。

 途端にすすり泣く声が聞こえてくる。

 雨戸で家中を締め切ってるためか、廊下は完全に暗闇に閉ざされていた。しかし、その半ばにある一室から明かりが漏れており、声はそこから聞こえてくるようだった。

 声に釣られて部屋の中に入ってみる。

 すると、栗色の長い髪を三つ編みに束ねた女性が俺たちに背を向けた状態で仏壇の前に座っていた。

 黒木が女性の方へと歩み寄っていく。



「……お母さん」



 どうやら、黒木のお母さんらしい。

 黒木のお母さんからは背中越しに深い悲しみが伝わってきた。それは見ている俺ですら心を痛めてしまうほどで、思わず目を背けたくなるものだった。



「あ、心花に似ているね」



 そんな心の痛みを無下にするように、いつの間にかコクロが母親の正面に立っていた。



「おい、また勝手なことするなよ」

「いいじゃん、別に……」



 コクロがふて腐れた顔で言う。さっき怒られたことを気にしてか、ちょっと脱線しただけで怒られることが不満らしい。

 あまり怒りすぎても、ぐずるだけなのでこの場は放っておくしかない。

 それよりも黒木の方が心配だ。

 とっさに顔を横に向けると、黒木は悲しそうな目で仏壇に納められた自分の遺影を見ていた。



「ねえ大原君。遺影がここにあるということは、もうお葬式は終わってるの?」

「ああ。黒木が死んだことに気づいた時点ですでに五日は経過している」

「……そうなんだ。私五日も気付かなかったんだ」

「そういうことはよくあるんだ。生前に死を悟った人はすぐに自分の死を自覚して、死んだ直後やバスの車中で気が付くんだが、唐突に事故で亡くなった人の場合は死んだことを認識できずに何日か経って、天界の入り口に来たことに気が付くことがあるんだ」

「……そう」

「だから、黒木の場合は後者なんだ」



 それを聞いた黒木はゆっくりと母親へと近づいていき、後ろから抱きしめようとした。

 ところが、幽霊である黒木に母親が抱きしめられるはずがなかった。それでも黒木は腕からすり抜ける母親の体に形だけでも触れて、「お母さん、ゴメンね」と静かに呟いていた。

 とても胸が締め付けられる思いがした。

 唐突に死に別れ、こうして母親と再会するなんて思っても見なかっただろう。

 俺はこれ以上ここにいてはいけないという判断から黒木の肩を叩いた。



「もう行こう」

「……うん。でも最後に一つだけ」

「なんだ?」

「お母さんと話がしたい」

「悪いが、それは無理な相談だ。黒木には母親に対する未練は認められない。未練の対象となる人間以外の接触は天国の法律でしちゃいけないことになっているんだ」

「……そう……ありがとう……」

「行こう。未練が増えて、成仏できなくなってしまう。黒木のお母さんなら、きっと哀しみを乗り越えて生きていけるよ」

「うん」

「じゃあ行こうか」

「あのさ、代わりに私の部屋を見て行きたいんだけど――いいかな?」

「いいよ」



 黒木に求められ、付き従って二階へと上がる。

 その右奥にある黒木の部屋に入った途端、俺は部屋の雰囲気に飲まれた。

 そこには、男の部屋には絶対にない可愛らしい壁紙や清潔に並べられた品々があって、現実感のないある種のファンタジーめいたものを感じずにはいられなかった。



「どうしたの?」

「い、いやなんていうか、こう面と向かって女の子の部屋に入るなんて初めてだからさ」

「へえ~ちょっと意外。大原君も結構ウブなところがあるのね」

「しょ、しょうがないだろ? 幼馴染はいるけど、アイツの部屋にも出入りしたことねえんだし」

「へぇ~、幼馴染がいるんだ」

「小学校の頃からの腐れ縁だけどな」



 不意に近寄ってきた黒木に顔をのぞき込まれる。動揺していることを見透かしているのか、黒木は不敵な笑みを浮かべていた。



「じゃあキスでもしてみる?」

「え? あ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「……フフフッ、冗談よ」



 黒木がおどけて笑う。

 すぐにいたずらだと理解し、俺はため息を漏らした。なんだか疲れがどっと体に押し寄せてきた気がする。



「やめてくれよ。冗談でも、やっていいことと、悪いことぐらいあるぞ」

「ゴメン、ゴメン。でも、大原君にもそんな一面があるんだね?」

「男なんだからしょうがないだろ」

「てっきり仕事してるから、もっと大人びいてるのかと思ったわ」

「仕事してるからって、それが大人だってことじゃないさ。俺だってそういう相手がいれば、普通に恋をしてみたいと思うよ」



 ふと視界にコクロがいないことに気が付く。

 さっきまで俺の横でキョロキョロと部屋の中を見回していたのに、忽然と姿を消してしまったようだ。



「コクロ、どこ行ったんだ?」

「なあに?」



 声のする方向へと目線をやる。

 すると、コクロは遠慮も知らずに押し入れの中を漁っていた。



「おいコラッ!」



 慌てて近付き、目にしていたアルバムを取り上げる。すぐにコクロが手を伸ばして泣きついてきたが、俺はその手を振り払って押し入れの中に戻した。

 無用な罪悪感が体を襲う。



「……スマン、黒木」

「ううん。大丈夫だよ、見られても恥ずかしくないモノしか入ってないし」



 黒木はそう言って許してくれたけど、やっぱり下界にコクロを連れてくるべきじゃなかったと反省せざる得ない。


 そんな俺の気を知ってか知らずか、またコクロがいなくなっていた。

 すぐさまその姿を見つけると、今度は机の上のモノをいじり回していた。俺は再びコクロの暴走を止めようと、今度は体ごと掴んで宙づりにしてやった。



「イヤだ~、離してよぉ~」



 元が猫だけにヤンチャなところだけはそのままだ。だから、仕事でコクロと一緒に下界へ降りるときは気が滅入る。

 バタッ――不意に暴れるコクロの足下でなにかが倒れた。

 見れば、机の上にあった写真立てが倒れていた。俺はコクロを片手で抱え込んだまま、机の上の写真立てを元に戻した。

 しかし、その写真立てに納められていたモノを見た瞬間。

 俺は注視せざるえなかった。なぜなら、そこには黒木が未練を抱いている相手『森永歩』が映っていたからだ。ある程度書類に目を通していた為、俺は森永の顔を知っていたが、こんな形で見ることになるなんて思っても見なかった。

 他にも、机の上には森永との思い出の写真が飾られていた。

 途端に写真立てを奪われる。写真立てが消えた方向を向くと、黒木が大事そうに抱えたままうつむいていた。



「……ゴメン……これだけは……」

「黒木。もしかして、オマエは森永に会いたくないんじゃないのか?」



 そう問いかけても、黒木は無言だった。

 思い返してみれば、下界へ来てからの黒木の様子はおかしかった。

 局に来たときも黒木は簡単に自分の死を受け入れた。だけど、一方で黒木は親友の歩に会うことを拒絶している。

 一方であきらめてしまって、もう一方では拒絶している。

 この矛盾めいた行動は中途半端に死を受け入れることをしてしまった黒木の迷いなのかもしれない。

 不安はあるが、黒木を学校へ連れてってみよう。

 ……そう思った。

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