おもいでがかり

丸尾累児

Episode-01「おもいでづくり」

第1話

 ――天国の扉を叩くアナタに良き終末があらんことを。



 それは天国へ旅立とうとするすべての命に捧ぐ言葉。

 その言葉を述べる、銀行の窓口のような長いカウンター越しに立っていた男性が「ありがとう」と言って去って行った。


――もう思い残すことはない。


 そんな思いが背中越しに現れていた。

 なんだか、それだけでもうれしい……。曲がりなりにも、彼の未練を断ち切ることができたのだから。

 俺は、男性の姿が出発ゲートの向こうに消えるまで見送り続けた。

 それから、たもとに置かれたイスに腰を掛けて大きくため息をつく。ひと仕事を終えたあとは気分がいい。

 けれども、絶え間なく死者はやってくる。

 きちんと受け入れるためにも準備をしなくてはならない。そう考えると、すぐにでも書類の作成に取りかからねばならなかった。

 たもとのブックスタンドに挟まれたファイルに手をかける。



睦己むつみ



 ところが、降ってわいたような呼び声にその手を止めざるえなかった。

 幼ながらもハツラツとした元気の良い声。

 左の足下を見ると、ヒョコヒョコと動く小さな影がうごめいていた。

 ブカブカの帽子にボサボサの髪の毛。

 雑多にまとめられた三つ編みは、うなじのあたりから背中に沿って下げられている。着ている制服はサイズが大きいのか、袖口から手が出ておらず、まるで子供が大人の服を着て職場体験にでも着ているかのような愛らしさを覚える。

 そんな乱れた服装の人物、同僚であるコクロの登場に深いため息を覚えたのは言うまでもない。



「ちょっとお願いがあるんだ」

「なんだよ。仕事中だから『遊んでくれ』とか言うお願いは聞けないぞ?」

「そうじゃないってば。ちょっとね、睦己の持ってる夢入り許可証を一枚譲って欲しいんだ」

「許可証を?」



 思わぬ言葉に疑問を抱く。

 コクロが言う夢入り許可証とは、うつし世を生きる人の夢枕に立つ際に必要とする許可証のことだ。

 それを手にした者は、人の夢に介入して話をすることができる。

 おもに現世に残してきた人々に未練があるとされた死者たちのため、職員の判断を持って発行する代物だ。

 しかし、そんなモノをコクロがそんなモノを欲しがっているのはなぜだろう?

 どうせロクでもないことに使うに違いない。だから、課長もコクロにうつし世に影響を与えるような仕事道具を持たせようとはしなかった。



「さては、またロクでもないことをしようとしてるな?」

「ち、ちがうもん!」

「それなら、なんだって言うんだよ?」

「もちろん未練整理に使うに決まってるじゃないか」

「本当かよ?」



 そう言った途端、コクロが眼をそらした……怪しい。

 にらみ付けて問いただすも、コクロはあくまでもシラを切るつもりのようだ。俺の顔をちっとも見ようとはしない。

 それどころか、「本当だよ」という白々しい声を漏らした。

 まったく、こちらは相手にしてるほどヒマではないというのに。俺の同僚は、ごまんとある仕事をほったらかしにして遊び散らしている。

 そんなコクロを無視して、俺は書きかけの書類に手を付けた――が、途端に無視されたことに気付いたのか、イスの下から怒ったような声が聞こえてきた。



「またそうやって無視する!」

「あのな。オマエが嘘をついてることなんて百もお見通しなんだよ。貴重な仕事道具をくだらないことに使おうとするな」

「ブゥゥゥ~、一枚だけでもいいじゃないか!!」

「その一枚が命取りなんだ」

「睦己のケチッ!」



 

 とコクロが言った直後、矢庭にガタンと激しくイスを揺さぶられる。

 犯人は言うまでもなくコクロだ。おかげで、書きかけの書類の上にあやうく一本の長い線を描きそうになってしまった。



「おいコラ、コクロ!」



 ところが、抗議の声もむなしくコクロは別の同僚の元に去って行った。

 ――まったくアイツの不真面目さにも困ったものだ。

 生前は母親のミルクを飲む年頃の子猫だったらしい。しかし、人間の身勝手な都合で捨てられ、流行病にかかって死んでしまったと聞く。

 どうにも死に際に「人間になりたい」と願ったことが偶然神様の耳に入り、ここで働く代わりに次は人間にしてもらえる約束というのだ。

 アイツの生前を思えば、不憫にも思えなくもない。

 だが、気まぐれでやんちゃな猫の気性はどうにかならないだろうか? そんなことに思いを馳せていると、突然目の前がフ~ッと暗くなった。

 顔を見上げると、紺色のブレザーを着た同い年ぐらいの女の子がカウンターを隔てて立っていた。



「……あの」



 長身の痩せ形で胸が大きいと印象を受ける女の子。

 髪は黒くて肩ぐらいまでの長さがあり、輝く大きな双眸に勉強ができるんだろうなと思わせる縁なしの眼鏡を掛けていた。

 すぐさま立ち上がり、女の子を歓迎する。



「ようこそ、天国入国管理局へ。ここは死んだ人間が天国の扉をくぐれるか否かを審査するところだよ」

「え? じゃあ私は」

「そう、君は死んだ。帰宅途中に出会った信号無視の乗用車によってね」

「……そんな」



 残酷な事実――。

 それを伝えた途端に俺の心が痛んだ。

 最初にやってきた人々にこの事実を伝えるのは心許ない。しかし、こうでもしなければ、彼らはみな天国に逝けずに地縛霊となってしまう。

 そうならないようにすることが俺の仕事だ。それだけに不安めいた女の子の顔を見ただけで、なんとなく悪いことをしている気がしてならなかった。

 俺は心を鬼にして、入国手続きの説明に入った。



「俺の名前は大原睦己。この入国管理局で未練整理を担当している」

「未練整理?」

「ここにきた霊の未練を整理させて、安心して天国に逝かせる仕事だよ。もっとも、みんなは未練整理係なんて呼ばずに『思い出係』なんて名前で呼ぶけどね」

「……思い出係」

「よくわからないだろうけど、とりあえず名前を確認していいかな?」

「え? 私は黒木心花くろきみか

「黒木心花さんね……うん、書類には間違いないみたいだね」

「あ、あの……」

「ん? なにか不明な点でもあった?」

「これから、なにをするんですか?」

「なにをって……? もちろん係の名の通り『未練整理』だよ」

「……ってことは、私死ぬんですか?」

「そうなるね」



 うつむく黒木から重苦しい雰囲気が伝わってくる。

 自分は死んでしまった――人に言われたことを誰だって簡単に受け入れられるはずがない。だから、黒木は悩んでいるのだろう。



「現実を受け入れるのは難しいよ。でも、これが真実なんだ。君は死んでしまっていて、もう蘇ることはない」

「…………」

「残念だけど、天国へ逝くしか――」

「うん、わかった」

「…………え?」

「まだ実感はぜんぜんないけど、アナタがそういうのなら受け入れるわ」

「――いいのか、それで?」

「いいも、なにも、それが真実なんでしょ?」

「それはそうなんだけど……」

「なら、受け入れるしかないじゃない? それにアナタが嘘をついているようにも思えないし。たしかに私の中にまだまだ疑心暗鬼な部分はいっぱいあるわ。でも、本当に死んでしまったというのなら、それはそれでしょうがないじゃない?」



 ……なんだか妙にあっさりしすぎている。

 俺にはそのことが腑に落ちなかった。だけど、黒木の笑った顔がその理由を十分に物語っていた。

 生きること、それそのモノのに対する諦め――。

 俺の言葉を否定もせず、意図もたやすく受け入れる。これは、そうした執着心のなさの現れじゃないかと思う。

 そんな黒木にかなり動揺を強いられたが、それでも俺は仕事を続けなければない。

 平静を装い、俺はクリップボードを手に座っていた机から立った。



「ともかく。これから未練整理をしに行こうか」

「具体的になにをするの?」

「下界に降りて生きてた頃の記憶を頼りに残してきた未練を整理して回るんだ。そうやって未練を整理することで、黒木さんが天国に逝けるよう手続きするのさ」

「だから『想い出係』なのね」

「その通り。それで、黒木さんにはこれから未練を整理してもらうことになるから」

「……未練の……整理……」

「まあ死んだことに関しては当分受け入れられないと思う。とにかく慌てずにゆっくりと未練を整理していこう」



 俺は実感のなさそうな黒木を前にクリップボードを足下に置いたショルダーバッグの中へとしまい込む。

 それから、職員通用口を通ってカウンターの外へと出た。座っていたカウンターの近くまで戻ってくると、急に黒木が疑った様子で口を開いた。



「あの、大原君――でいいのかな?」

「え、なんで?」

「なんとなく同い年かなって思ったから」

「あ、すいません。もしかして上級生でした?」

「それはわからないけど……大原君はいくつなの?」

「俺は十六です」

「よかった。じゃあ同い年だね」

「そ、そうか。よかった」

「フフフッ。私あまり気にしないから、普通にタメ口で話してくれていいのよ」

「そういうわけにはいかないだろ? というか、そこに気が回らなかった俺も悪かったけどさ」

「本当にいいのよ。私の周りの人たちは、同級生とか下級生構わず接してくれてたから」

「じゃあお言葉に甘えて」

「うん! 改めてよろしくね、大原君」

「こっちこそよろしく。それじゃあ行こうか」



 俺は肩に掛けた革製のショルダーバッグの位置を直し、黒木と共に局を後にした。





 あの世とこの世の境界線には、ルート424という一本の道路がある。

 言うなれば、国道ならぬ「あの世道」と言ったところだろう。この道には、現世うつしよと天国入国管理局を往き来する路線バスが存在する。

 あの世行き、天国か地獄かの片道切符――。

 その切符を手にした者は、下界に設置された停留所で回収されて天国の扉の前までやってくるのだ。

 俺たちは、それに逆行するように下界へと向かうバスを待っていた。



「ねえ大原君。どうしてバスが走ってるの? あの世とこの世の境界線にあるモノといえば、三途の川の渡し船だったり、虹の橋だったりするよね?」

「たしかに神話や昔話にはそういうのが出てくる。でも、いまの天国は下界に生きている魂が多様化した際にカタチそのものを変えたんだ」

「多様化?」

「そう……。つまり、天国へ送迎するにも、天国で受け入れるにも、一度に死ぬ魂の量や種類が大昔に比べて増えすぎてしまったんだ。だから、神様は天国への入国を審査する機関とそこへ向かうバスを造ったそうなんだ」

「へえ~。そういう理由があったのね」

「それ以上の詳しいことまではわからないけど、俺たち職員が知っているのはそれぐらいかな」

「もう一つ、聞いてもいいかな?」

「どうぞ」

「大原君は人間……だよね?」

「ああ、そのことか」



 黒木の率直な疑問――いや、これはここへ来た誰しもが思うことだ。

 それは、つまり自分の目の前にいる相手が天使なのではないかと。

 もちろん、神様の使いである天使がこの場にいてもおかしくはない。しかし、入国管理局にはある特別なルールが敷かれている。

 それを黒木に説明しなければ、物事は進まないだろう。



「それにはきちんと理由があるんだ――と言っても、それを話すのは神様との契約で口外してはいけない決まりになってるから、これ以上は話せない」

「そうなんだ」

「質問に答えてやりたいのは山々なんだが、こればっかりは話せないから……ゴメン」

「ううん、そんな大事なこと話せなくて当たり前だよ。私の方こそ、うかつに聞いてしまってゴメンナサイ」



 黒木が押し黙る。

 おそらく不安な気持ちから、俺との距離を縮めたくて質問したのだろう。それを考えると、神様との契約とはいえ、同い年の黒木に話せないことは忍びなかった。

 そんなとき、急に大きな声が聞こえてきた。



「お~い、睦己~!」



 コクロだった。

 大きめ帽子から植物みたいに伸びた長い猫毛の髪をかき乱しながら、こちらに向かって走ってくる。



「誰?」

「コクロって言うんだ。同じ係のヤンチャで、はた迷惑な俺の同僚だよ」



 遠目に見える子供のような小さな体をしたコクロに局員としての違和感を覚えたのだろう。

 黒木は、俺と身長も年齢もまったく違う猫みたいにピョコピョコ飛び跳ねながら動く小さな女の子が物珍しいといった表情で見ていた。

 しばらくして、コクロが目の前までやってきた。



「こんにちは、コクロちゃん」

「こんにちはぁ~」

「アナタも思い出係なの?」

「そうだよ? ボクも睦己とおんなじ仕事してるんだ」



 そうコクロが猫なで声で答える。

 しかし、そんな声はよそ行きの声だ。コクロは同僚の俺に対して、なにか甘えてわがままを聞いて欲しいような仕草を見せ始めた。



「睦己、いまから下界に行くの?」

「見てわかるだろ。下界で未練整理をしてくるんだ」

「ボクも付いてっていい?」

「あのな、これは仕事なんだぞ? 毎回、毎回、オマエは自分の仕事をしろ」

「えぇぇ~っ!?」

「……『えぇぇ~』じゃない!」

「だって睦己と一緒がいいんだもん」



 とっさにコクロがシュンとなってうつむく。

 そうやって、コクロは毎回わがままを突き通そうとするのだ。言われる方の身からすれば、コクロは自由奔放すぎだ。

 仕事をしたくないときは、他の職員に押しつけるし、遊びたいときは誰かを巻き込む。

 いい加減にその辺のことを直して欲しいと思うのだが、一向にコクロが改める気配はない。

 むしろ、甘やかせば甘やかすほど付け上がる。かといって、本気で怒ってしまうと、いまみたいに気落ちしてグズり始めるのだ。

 正直、俺もコクロの対応には困っていた。未練整理を通して、死へと向かう魂を救ってやりたいという気持ちは俺以上に強いヤツではある。

 しかし、それ以外の面となるとまるで子供だった。

 まったくもって、どうしたいいやら……?



「……いいんじゃない?」

「え?」



 そんなことに頭を悩ませていると、突然黒木がそう言ってきた。

 なにやら、その顔はなんの疑問もないような顔。まるで俺の悩みが杞憂であるかのように語っているみたいだ。

 俺は困惑しながらも、黒木に言葉の意味を確かめた。



「いいのか、黒木? オマエの半生を覗き見されるんだぞ?」

「別に構わないわよ。私は私の想い出を誰かに隠したいと思うような事柄ってないし、むしろ私がどんな人生を送ってきたかを知ってもらえるんだもの。その分、幸せだわ」



 その発言は、とても同い年の女の子とは思えないほどに前向きで大人びいている。

 俺なら「絶対イヤだ」と言って、コクロの同伴を断っていただろう。しかし、黒木は自分の人生をひけらかして、さも一緒に振り返って欲しいと言わんばかりの口調で話したのである。



「……わかった。俺もコクロの同伴を認めるよ」



 俺がそう言うと、目の前でコクロが嬉しそうに飛び跳ねた。

 そして、すぐに黒木の手を取って礼を言い、バスの到着が待ちきれないかとばかりに周囲をうろつき始めた。

 バスが来たのは、それから二十分後のこと。

 俺たちはやってきたバスに飛び乗り、下界へと降りた。

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