慶三の最期 battlefield

 周りから聴こえてくるのは、すやすやと規則正しい寝息と、カタカタとキーボードを打つ音くらいだ。

 ゆえに刻三たちのヒソヒソ話は機内によく響いていた。

「それが、今オークロに住んでる理由?」

 千佳は刻三の顔をのぞき込むようにして訊く。時刻は0時を回ったというのに、その瞳はきっちりと見開かれており、眠気を感じさせない。

「あぁ。何度かリバールに行ったりしてるらしいがな」

「そう言えば、私たちがリバールに着いたときにいたあのお爺さんは?」

 何かを思い出したかのように、ツキノメは朧気おぼろげな口調で呟く。

「あぁ、あれが茂じぃだ。って、茂じぃあの氷漬けに巻き込まれてねぇーかな?」

 不意に思い出されたリバールでの茂じぃを意識の中心にもってくるも、詳細は知る由もない。

 まぁそのうち分かるだろ、軽い考えでそれを横に置く。──しかしこれが後に世界を震わす事件となるのだが、刻三たちはそんなことを知る由はなかった。


***


 リバール国の中心区域。そこは大戦乱の中にあった。

 まだ中心区域ですら舗装された様子がないこの国、荒れ放題の草木があるくらいだ。

 背丈にして、一般男性の膝くらいまではあるだろう。

「チッ。こんなんじゃ狙撃ポイントを探す方がむずいぜ」

 慶三は舌打ちを決めてから、ゆっくりと首を回す。

 1面緑ってほどでもない。しかし、大きな建物は見当たらない。

 正直に言うと、狙撃には向かない戦場である。

 まだ日も登りきっていない、早朝。地球寒冷化が進行し始めたゆえに、冬でもないのに朝から息が白くなる。

「早めに来といて良かったよ」

 背負う狙撃ライフルを、後ろに回した左手の人差し指で軽く撫でる。

 慶三にとってこの行為は昂った感情を抑え込むためのものらしい。

「夜襲しかないよな、こうなりゃ」

 慶三は丘陵というのもはばかられるほど、小さく盛り上がった土地に狙撃ライフルを下ろし、体を寝そべらせる。


 距離にしておよそ1キロメートル先に、仄かな明かりが見える。あれは焚き火の炎で、あそここそがリバール国の反乱軍の野営地なのだ。

 ふぅー。

 スコープに目を当てる慶三は、大きく息を吐き捨て心を落ち着かせる。

 数秒。たったそれだけの間、スコープ越しに彼らを見た後、慶三は引き金を絞った。

 消音器サイレンサーのついたそれからは、音が発されることはない。しかし、跳ね返ってくる威力が減ることは無い。

 慶三は腕に痺れる一撃を受ける。

 それが神経を疾走し、肩へと伝わり慶三の体を後方へと引きずる。

「この感覚が忘れられねぇーんだよな」

 再度スコープに目を当てた慶三は、ほそくえみながら高揚感に満ちた声を洩らす。

 慶三の視界の先。そこにはテントの中から飛び出てくる迷彩色の衣を纏う兵士たちが、突如として襲ってきた弾丸を恐れている様子だった。

 野営地の中心では、1人の兵士が大の字で地面に横たわり、その腹部から大量のどす黒い赤の血を流している。

 兵士の中でも一際、ガタイのいい男が口を大きく開けている。

 慶三の位置からでは何かを言っていることが分かっても、内容までは分からない。

 だが、兵士たちが慌てて焚き火を消したりしているので、大まかな指令の内容はわかった。

「無駄だよ〜」

 不敵な笑みを浮かべ、慶三は先ほど指令を飛ばしたガタイのいい男を狙って、引き金を引いた。

 消音器の効果で音は出ない。しかし弾は空気を断ち切り、磁石のN極とS極の如くガタイのいい男へと吸い寄せられた。

 男は何かを言おうとした刹那に弾が体をえぐった。口は半開きに、目は見開いたまま、大地にひれ伏した。


 狙撃する時において大事なこと。それは相手に場所を悟られないことである。

 ゆえに、長時間同じ場所にいることは得策ではない。

 慶三は同じ地点から既に2度の狙撃を成功させている。

 1度目は完全なる奇襲であったために2度目も同じ地点で撃てた。しかし、弾の飛んできた方向などから3度目は失敗する可能性がかなり高い。

 狙撃者というのは失敗をとにかく嫌う。いや、狙撃者というよりは慶三が嫌うのだ。

 慶三は僅かな月光を浴びた狙撃ライフルを担ぎ、匍匐前進ほふくぜんしんで狙撃ポイントを移す。

 その間、反乱軍の兵士たちは来もしない銃弾を精神を割き、集中力を削る。

 見えない物は見える物以上の恐怖を与えることができる。

 慶三はそれを存分に利用し、100メートルほど離れた狙撃場所へとたどり着いてからもすぐに発射をすることはなかった。

 しばらく圧をかけたまま、待機し慎重に狙いを定める。もちろん狙いは頭、指揮官である。

 この紛争の正義はどちらか、それは余所者よそものである慶三に分かるはずがない。

 だが、慶三はリバール国軍に手を貸している。それに深い理由があるわけではなく、ただ単にビジネスだ。

 ある程度の観察を終え、慶三は指揮官であろう禿頭の筋骨隆々の男に標準を合わせる。

 迷彩色の衣であることに変わりはないのだが、1人だけ腕に金色の刺繍がしてあり、明らかに一般兵でないことがわかった。

「fuck you」

 消音器付きの狙撃ライフルの銃口から消炎があがる。

 薄紫がかかった煙は朝靄のかかる天へとかけ登っていき、それと同時に国軍が怒号をあげて反乱軍を襲った。まるでそれが勝利の狼煙であるように、戦況は国軍へと傾いた。


「俺の仕事はここまでか……」

 その様子をスコープ越しで視界に捉えた慶三は、匍匐後進ほふくこうしんをして野営地からこちらを覗き込んでも見えないだろう位置に移動する。

 それから狙撃ライフルを引っ張り、自分の方へと引き寄せる。

 草木が生い茂っているおかげで、ガリガリと大地を削る音がしなかったのは幸いだ。

 慶三は誰にも気付かれることなく、その場を離れることができる、そう思った。


「な、なんだ……」

 何かが走る抜けたような、そんな微かな轟音を耳にし、慶三は顔に戸惑いを滲ませる。

 そして、薄らと気づいた何者かが近くにいる、という事実に。

「ふぅ」

 短く息を吐き捨て、慶三は担いだばかりの狙撃ライフルを地に投げ捨て、腰にまいたホルスターから普通の拳銃を抜く。

 銃口をあちこちに振りまわしながら、慎重な声音で訊ねるように述べる。

「誰かいるなら姿を現せよ?」

 しかし返事があるわけが無い。奇襲のチャンスを自ら捨てるなど、余程の策があるかバカしかしない。それは慶三自身が1番知っていた。

 そして狙撃者の弱点、それは──

「近づかれると終わりなんだよな」

 慶三は死を悟った。生きられない、ここで殺されて終わる。

 第三次世界大戦が終わり、まだ数年しか経っていない世界では経済が上手く回っている方が珍しい。

 そんな世界に病弱な妻と、息子と娘をおいて旅立つことに気が引けない訳ではない。しかし、この状況では死以外の答えが見えなかったのだ。


「なっ……!?」

 相手の奇行にさもの慶三も驚きを隠せなかった。

 敵は姿を見せたのであった。動揺を隠せない慶三の頭の中には、得策があるのか? それともただのバカなのか? どっちなんだ?

 という答えの出ない問いが巡りに巡る。

 だが、それが無駄な考えであったとすぐに思い知らされる。

 黒髪の中に疎らに白髪が混じった、水泳選手のような逆三角形の体つきの男性が口を開いた。

「其方が腕利きの狙撃者か?」

 見た目通りから容易に想像できる嗄れた声で告げる。

「腕利きかどうかは知らねぇーがな」

 背中に悪寒が走るのを感じながらも、慶三は不敵に口角を釣り上げる。

「その態度、天晴れじゃ」

 強い眼光で慶三を睨むように見ながら、男は続けた。

「私は──」


***


 刻三は暗闇にいた。ほぼ無音なのだが、時折僅かに耳に届くものがあった。

 それが何なのか分からないが、刻三はただなされるがままでいた。

 じっとはしていない。微かに揺れている。

 グラグラという感じだ。

 んー、なんだろう。

 刻三はそんなことを思いながら、そのままでいた。

「──。き……。きざ……。刻三……」

 ようやく自分の名前が呼ばれていることに気づき、閉ざされていた瞳を持ち上げる。

「あ、起きた?」

 どうやら寝ていたようだ。刻三は小さな微笑みを零す。

 機内にはきらびやかな陽光が差し込んでおり、窓から覗いた最後の景色、満天の星空とは全く違う顔をしている。

「悪ぃ、寝てたみたいだな」

 刻三は自身を揺らして起こそうとしてくれていた銀髪の美少女──ツキノメに語りかける。

 ツキノメは小さくかぶりを振り、

「私たちも乗務員さんに起こされたんだけどね」

 どこかばつが悪そうな表情を浮かべる。

「そうか」

 刻三はおじいさんのごとく、よっこらしょ、と声を洩らしながら座席から腰を上げる。

「お兄ちゃん、いこっ!」

 機内だというのにぴょんぴょんと跳ねる、千佳に嘆息しながら「はいはい」と告げ、凍り付いていないきちんと大地のあるニホンへと降り立った。

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