異界からの侵略者
10歳の刻三 encounter
飛行機の離陸時は轟音を伴っていたが、安定飛行に入った今は、轟音も揺れもない。
夜ということもあり、騒ぐ人などいるはずなく、囁くように話しても聞こえるほど静寂に包まれていた。
仄かに機内を照らし出すのは、夜のフライト用の照明、ダウン照明だ。
来るときも夜だったな、クララは静寂な雰囲気の機内を見渡し、もうちょっと騒がしかったかな、と薄らと笑みをこぼす。
「面白くねぇはなしだからな」
最後にそう置いてから、刻三は語り始めた。
***
約8年前。刻三がまだ10歳の頃の話だ。
世界情勢が不安定であちらこちらで戦争や紛争が起こっていた時期。
あごに無精髭を生やし、よれたトレンチコートに身を包む色素の薄いグレーに近い髪色の男性──
「このクソみてぇーな世界を終わらしてやるからな」
慶三は傍にいる慶三ほど色素の抜けていない、薄茶色の髪を目が隠れるほどまで伸ばした少年の頭に手を載せる。
ゴツゴツとした硬い手は、少年のぷにぷにとした柔らかな手とは全く違うものだった。
大人になればこんな手になるのかな、少年は自分のぷにぷにとした手を真摯に見つめる。
「明日から危険だから俺についてくんなよ」
慶三は不意にそんなことを言った。少年は目を見開く。
「な、なんで?」
「何でって。言ったろ? 危険だからだよ」
慶三は引き下がらない少年を宥めるように、優しく告げる。
しかし、少年は嫌だと声を張り上げる。
「はぁー……。ったく、こんなところばっかりは母さんに似やがって」
慶三はそう独りごちると、腰を上げ、少年と視線の高さを合わせる。
「いいか、刻三。俺は明日この国、リバールで一番紛争が激しい中央区域へ行く。そこは、こんな辺境の戦場とは全く違う。だから、お前は茂本のオッサンに預ける」
子どもの刻三はその言葉の意味をきちんと理解することは、出来ずにまだ言葉を返す。
「僕も……僕もそこに行って、お母さんの病気のお金を貰う!」
一気に慶三の表情が変わる。眉間にシワを寄せ、明らかに怒りのそれだ。
「ざけんな! テメェが戦場に行って出来るのは死ぬことぐらいだ! 本当に母さんが心配なら……俺の言うこと聞けよ」
語気を強め、本気で怒っているのが少年である刻三にも伝わりすぎるほど伝わった。
刻三はその勢いに気圧され、行きたいという言葉を呑み込み、代わりにうん、と呟いた。
ここは戦場。そして慶三は凄腕の百発百中のスナイパー。病気で弱っている母さんを救うために慶三は、用心棒としてリバール国に雇われた兵士。
刻三はそこへ付いてきて、妹である千佳は病弱の母の看病をしている。
「うしっ、ちょっとしゃがんでろ」
慶三は先ほどの怒った様子とは打って変わり、優しげな口調でそう告げる。
「う、うん」
目尻に浮かべた涙を拭い、刻三は慶三に言われた通りに地面に伏せる。
それを見た慶三は嬉しそうに微笑むと、自分も大地に寝そべり、前に構えたスナイパーライフルのスコープをのぞき込む。
「こんな見晴らしのいい所で……。馬鹿だな」
慶三はほそく笑み、丁寧に引き金を引く。
バンッ、という音よりも先に遠くにいる迷彩色の衣に身を包む兵士の心臓部に弾が刺さるように当たり、血を吹き出す。
そして音が耳に届く頃には、兵士は砂浜に倒れ込んでいた。
「命中っと」
慶三はそう呟き、スコープから目を離す。
「うぅーん、潮風のいい香りだ」
眼前に広がる兵士の死体を目で数えてから、立ち上がる。
「終わり……なの?」
刻三は小さく問う。
「おうよ!」
慶三は高い擬似ピラミッド型の遺跡の上で笑顔を浮かべる。
「よし、いくぞ」
薄く微笑む慶三は、立ち上がったばかりの刻三を抱き上げる。
「うんっ!」
刻三は父親に抱きしめられ、幸せそうな表情を浮かべている。
***
「へぇー、刻三のお父さんって用心棒になるほど強かったんだ」
クララが目を丸くして驚いている。
「そうなの」
ツキノメは厳かな口調でポツリと呟く。
1体何なんだよ、と思いながら刻三は
「続きいくぞ?」
と、呟いた。
***
今思えば、あの狙撃ポイントこそが鹿王の眠っていた場所だった思う。
あの擬似ピラミッドの中。刻三は1度来てたんだな、と全然思い出せなかったことを自嘲的に思い返す。
慶三に抱きかかえられて、その遺跡を離れる。
面白いほどに誰も襲ってこない。
「刻三。そんなに警戒しても誰も襲っちゃこねぇーぞ」
キョロキョロしながら敵を探す刻三に慶三は、挑発的な物言いをする。
「どうして? どうして言いきれるの?」
刻三はキョロキョロをやめないで、真剣な声音で訊く。
「何でだと思う?」
「分からないからきいてるんでしょ」
「はは、そりゃそーだ」
慶三は乾いた笑みを浮かべ、刻三の耳にそっと顔を近づけた。
「俺がみんなやっつけたからだ」
刻三は言葉を失った。慶三が強いのは知ってた。でも、1人で敵の部隊を全滅させられるほどだとは思っても見なかったのだ。
「尊敬したか?」
試すような口調の慶三に、刻三は思い切り首肯する。
「ふふ、そうか」
どこか嬉しそうな慶三は、刻三の頭を撫で
「あそこが茂本のジジイの家だ」
と、白いキューブハウスを指さした。
***
「待ってよ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
話の腰を折られるようで、少々ムッとしたが、刻三は至って普通に返す。
「いまさ、あの茂じぃって人が住んでるのってオークロじゃなかった?」
1度行ったことのある千佳にとっては至極普通の疑問だろう。刻三はそれを予想していたようで、いたずらっぽく笑う。
「引越したんだよ。まぁ、それは後から出てくるから待ってろ」
隣に座る千佳の頭に手を載せ、咳払いを1つする。
「ってことは、あの人は白いキューブハウスが好きなのね」
その咳払いで呆れ気味の千佳の声はかき消された。
***
しばらくは人を見ていない。慶三があれだと、白いキューブハウスを指さしてから結構の時間を歩いたが、一向に近づいてる感じがしない。
「刻三、眠かったら寝ていいんだぞ」
道は獣道と言っても過言ではない、道なき道を行っている。
ゆえに景色も変わらない。そんなものを見ているだけでは、退屈以外のナニモノでもない。
それを察したのか、慶三は語りかけるようにそっとその言葉をこぼした。
刻三は小さくかぶりを振った。だが、それも虚しく数分後にはウトウトと船をこぎ始めていた。
だから茂じぃの家がどこにあったのか、という詳しい事情までは知らない。しかし、気がついた時には真っ白な壁に覆われた、白いキューブハウスの中にいた。
***
「何で寝ちゃったのよー」
間の抜けた声でクララが訊ねてくる。
「分かんねぇ。でも、今思えば魔術的なものだったかもしれない」
刻三は強化ガラス越しに夜の空を見ながら、ポツリと呟く。
眠くなったのは本当に自発的なものだったのか。もしかしたらあそこには、魔術的な結界が張られていたのかもしれない。
それにしても家の姿形が見えてから何十分も歩くなんてことがあるのだろうか。
成長したからこそ、抱く疑問に刻三は頭を使う。
「ねぇ、刻三」
その思考を断ち切る言葉が後ろから投げかけられる。──ツキノメだ
「なんだ」
「続きを、お願い」
シンプルに告げられた言葉に刻三はこくんと頷く。
***
刻三が目覚めたのは白い壁に覆われた部屋にあった、白いベッドの上だった。
本当に目がチカチカするほどに白一色の部屋に、刻三は嫌気がさしたのを覚えている。
「お、おとう……さん」
刻三は寝起きのパサついた口を器用に動かし、慶三を呼ぶ。
「そろそろアメリカ連合が軍事介入して……っと。起きたか、刻三」
慶三は真剣な声音から一転、優しく父親の声音に変化させ声をかける。
「また後でだ」
慶三は茂じぃにそう告げると、刻三を抱えて起こした。
「ほら、挨拶は?」
慶三に促され、刻三はおぼろげな視界に茂じぃを収めて告げる。
「堀野……。堀野刻三です」
「君がきぃー坊か!」
目に光を灯し、極上の笑顔を浮かべる茂じぃは刻三の肩をビシビシと叩いてくる。
「痛いっ」
「おぉー、すまぬ! ワシは茂本だ。
悪びれる様子もなく、茂じぃは纏う白衣を靡かせ自己紹介をする。
自分で立派とか言うの? 子どもながらにそんな疑問を抱きながら刻三は名を呼ぶ。
「茂本……博士?」
「そうじゃ。茂本博士じゃー!!」
嬉しそうに胸を張り、ガハハと笑う茂じぃを見て慶三は嘆息し、刻三に耳打ちをする。
「茂本のジジイって呼べ」
「茂本のジジイ……?」
「コラァ、慶三! 純粋な子どもになんてこと言わすんじゃ!」
ふんふん、と鼻息を荒らげながら叫ぶ茂じぃに慶三はケラケラと笑う。
「まぁ、気にすんなよ。ジジイ」
「慶三がそんなんじゃから、息子までダメになふるんじゃろうが!」
と言いながらも、刻三に茂本博士と呼ばすことを諦めたようで茂じぃは立ち上がる。
コツコツと足音をたてながら、茂じぃは白い棚にあるボトルワインに手を伸ばす。
白い部屋に生える紫色のワインが、天井より照らし出されている蛍光灯を反射するガラスのグラスのに注ぎ込まれる。
「茂……じぃ。なにそれ」
刻三は注ぎ込まれるぶどうジュースのようなものを指差し、キョトンとした顔を浮かべている。
「茂じぃか。まぁ、よい。これはワインというお酒じゃ」
「そうだ。お前にはまだ早い代物だ」
注ぎ込まれたそれを、もう口に含んでいる慶三は淡く頬を赤らめ、酒臭い息を刻三に吹きかける。
「お父さん、臭いよ……」
刻三は弱々しくそう言うも、慶三には届かずガハハと笑うだけだった。
「んじゃ、最後の晩餐も楽しんだことだし、俺は行ってくるわ」
夜も深まり、刻三は完全に眠りについた時だった。永遠と呑み続けていた慶三の周りには空になったボトルや瓶が大量にある。
その真ん中に居座っていた慶三は、覚束無い足取りでドアの方へと歩いていく。
「大丈夫なんじゃろな?」
真剣な声音が部屋の中に響き渡る。
「大丈夫だろ」
どこまでいっても緊張感のない調子で言い捨て、慶三は手ぶらで外に出ようとする。
だが、何を思ったかふと足を止め、振り返ることもなく静かに放った。
「2日。2日戻らなければ、刻三を連れて逃げてくれ」
「それはどういうッ!?」
酔いがまわり、真っ直ぐ歩くこともままならない茂じぃは、慶三の言葉に喘ぐように反応する。
「そのままの意味だ。立派な博士なんだろ? それくらい察せ」
一本調子で感情が見えない言葉に茂じぃは、戸惑い以外の感情が生まれて来なかった。
慶三の言葉を要約すると恐らくこうだ。
『2日以内に戻って来なければ、俺は死んでる。だからこの地を離れろ』
それを察したからこそ、茂じぃは困惑したのだ。
「じゃあ、頼んだ」
ようやく感情の見える言葉だった。だが、その言葉には帰ってくるといった強気なものではなく、生きることを諦めたように感じ取れた。
***
「って、父さんは言ったらしい」
ちょうど機内の電光時計の表示が0時0分になった。
これで今日は10月31日となり、ニホンでは"平成"と呼ばれる時代から盛んに行われるようになった、ハロウィンの日だ。
「それで、どうなったの?」
後ろの席から体を乗り出すようにして、聞きに来るのはクララだ。
一応デリケートなところだと思うんだけどな、と思いながらも刻三は述べた。
「帰ってこなかった」
身を乗り出してきていたクララですらも、体を引き続けるべき言葉を見失っていた。
だがそれも仕方がないことであろう。
帰ってこなかった。これが意味するのは、刻三の父親である慶三がそこで死んだ、ということなのだから。
「それで俺は、茂じぃと一緒に茂じぃの第2研究所があるオークロにやって来たってことだ」
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