リバールの最後 league

 インテグラと美紗希の自首により、刻三は逮捕を免れる事ができた。1夜限りの指名手配も取り消され、完全に一民間人となった。


「ほんとにテレビで見た時はびっくりしたよ」

 そう言うのは千佳だ。凍結した街は変わること無く、朝焼けを受けてキラキラと輝いている。

「俺もだ。まさか指名手配までされてたとは……」

 刻三は肩を竦め、おどけて笑ってみせる。

「他人事じゃなかったのよ?」

 その態度にクララは、怪訝げに返す。

「分かってるよ」

 刻三は眼前にある凍てつく警吏庁を見上げながら、優しく呟く。


 ツキノメが収容されている留置場があるのだ。そして、事件が解決し、事件と無関係であると分かったツキノメが今日釈放されるのだ。

 刻三たちは、ツキノメを迎える為にそこで待っている。

「ってか、この氷漬けはどうにかならないのか?」

 刻三は白い息を吐きながら、諦め半分で誰にということなく訊く。

「無理なんじゃない」

 答えはクララから返ってくる。

「何でだ?」

 視線は警吏庁に向けたまま刻三は訊く。

「10の術は現象を操作するんじゃなくて、現象を改変するものだから」

 クララはサラッと答える。しかし、刻三には現象を操作すると現象を改変する、の違いがよく分からなかった。

 それを察したのか、今まで黙っていたリアナが口を開く。千佳は、真剣な顔持ちで話を聞いている。

「操作、というと一時的に操るって感じだと思う。それで、改変って言うのは完全に変えてしまうってことだと思うわ」

「その通りよ」

 クララはリアナの説明を肯定し、続ける。

「だから10の術を放った瞬間から、それは私たちの手の中を越えて、制御不能になるってこと」

 ──10の刻……。俺は世界にどんな改変をもたらせるのか……

 刻三の頭にそんなことが過ぎるが、その考えは一瞬にしてシャットダウンされた。

 カツン、カツン、と前方からヒールで氷を打つ音がしたのだ。

 刻三は音に反応し顔を上げると、そこにはいたたまれない表情を浮かべるツキノメがいた。

 儚く、軽く触れるだけで崩れて壊れてしまいそうな微笑みを浮かべたツキノメに、刻三は優しく、元気を出せと言わんばかりの笑顔を見せる。

 そんな丁寧に降りる必要あるのかよ、と1段1段確かな歩みをもって降りるツキノメを見て思う。


「おかえり」

 クララは、コンビニ行って帰ってきた時くらいに普通にその言葉をこぼした。

 その言葉がクララにどんな影響を与えたのか、クララは堰を切ったように嗚咽を上げて泣き始めた。

 とめどなく溢れる涙は、凍りついたリバールの大地を温めていく。

「大丈夫か?」

 刻三は優しくそっと訊く。

 どれほど強く詰問されたのだろうか。刻三はツキノメのくしゃくしゃに潰れた泣き顔を見てそう思った。

 ツキノメは刻三の問いには小さく首肯するだけで、声は出さなかった。いや、出せなかったのかもしれない。こみ上げる嗚咽が、涙が、彼女ツキノメの声を奪ったのだろう。


***


 シャグノマ家の中に刻三たちはいた。刻三、ツキノメ、リアナはもちろんのこと、千佳とクララまでもがそこにいた。

 外見は氷で覆われている。それは中に入っても同じことで、凍てつく氷が支配していた。

 照明器具や暖房器具は氷の支配下にあり、起動すらしないため、今は貴族だろうが平民だろうが、家の中であろうが、家の外であろうが、関係はない。

 おしくらまんじゅうの如く、人が集まりその人の体温で互いを温め合う他ないのだ。

「よく戻ってくれた。ツキノメ」

 氷のソファーに腰を掛け、ツキノメの父親──シャグノマ・ココは厳格なる口調で告げる。

「はい」

 目の辺り全体を真っ赤に腫れ上がらせたツキノメは、鼻声で返す。

「まさかログモル家の御曹司がこのような真似にでるとは……」

 ココは顎を手で擦りながら、ポツリと呟く。

「世界には表と裏があるってことよ」

 ぶすっ、と鼻をすすりツキノメがハッキリと告げる。それはAAに関することである。表向きにはarchiveではなく、世界平和を謳うarticle associationという新聞社なのである。

 一部が通常新聞の倍以上する世界の新聞社であるがゆえに、このことを知るのは各国の貴族ほどだ。

 そんなことを欠片も知らない刻三は、小さく首を傾げる。

「そうか。あまり危険なことに首を突っ込むなよ」

 時すでに遅し、の忠告をしたココはツキノメから視線を外し、リアナに向ける。

「リアナ。良くやってくれた」

 小さくかぶりを振りながら、いえ、と呟く。

「だが、勝手にいなくなられて焦ったぞ」

 ココは真剣な瞳をリアナに向け、宥めるように述べる。


 南の空を通る太陽が凍りついた窓に差し込み、家に強い明かりを与える。

 陽光には心を温める熱量が含まれており、その場にいた全員の表情を和らげる。

「すみませんでした」

「あぁ、だが……。本当に良くやってくれた」

 朗らかな表情でそう告げ、次は刻三に視線を向ける。

「キミには色々と迷惑を掛けた。すまなかった」

 そしてリバール有数の貴族の長が頭を下げた。

「あ、いえ。あの、えっと、大丈夫です」

 それに対してどう対処すればいいか分からず、刻三は会話として成立しているのか分からない答えを返す。

「ははは」

 とても安っぽく薄い笑みは、誰かからの借り物のように感じられる。だが、それは紛れもなくココのものであり、安い笑顔ではなかった。

 それは、ココの次の言葉でわかった。

「娘のことに関しては謝礼以外の言葉が見当たらん。そこで、だ。私と手を組まないか?」

「手を……組む?」

 あの微笑みは交渉用の──業務用のものだったのだ。そして、その言葉の意味を真意を見抜けず、刻三は身の毛がよだっていた。

「そうだ。キミの……いや、刻三くんの来歴は警吏の人と一緒に調べさせて貰った。刻三くんは、茂本博士と知り合いらしいね?」

「え、あっ、はい」

 突然出てきた茂じぃの名前に驚きを隠せず、言葉が詰まる。

「茂本博士って、あの時の人?」

 そこへ千佳が耳打ちで訊く。刻三は少しだけ顔を千佳の方へ寄せ、首肯する。

「茂本博士は世界的にも権威のある方だ。それに娘が言った世界には表と裏があるってことも気になる。刻三くんは恐らくそれを知っている。そうだね?」

 ココの試すような口調に刻三は、どう答えるべきか悩む。悩んだ末に小さく首肯する。「やはり。今すぐそれを教えろ、とは言わん。その様子だと、全てを知っている様子ではないだろうしね。だから、だ。私と手を組んで、一緒に謎を解明しないか?」

 ココの提案は刻三にとって悪いものではない。しかし、信頼に値するほどココとの時間を共にしていない刻三は、どうも踏ん切りがつかない。

「刻三、お父様は信頼に足りる方よ」

 そこへ助け舟を出したのはツキノメだった。刻三は項垂れていた頭をあげ、ツキノメを見る。ツキノメはハッキリと強い意志のこもった瞳を据えて刻三を見ている。

 刻三にはそれで充分だった。

「分かりました」

 刻三はココより差し出された手を握り、正式にココと手を組んだのだ。


***


 その日の夜のうちに飛行機は飛ぶようになった。

 刻三たちは、シャグノマ家の名前を借りて強引に飛行機の席を取って頂き、その日のうちにニホンへ帰るための飛行機に搭乗できるようになった。


「さすが貴族よね」

 搭乗口に立つクララは、大きな飛行機の車体を見上げながら、感嘆の声を洩らす。

「ほんとにね」

 呆れ半分に紡ぐのはツキノメだ。

「それツキノメが言うか?」

「私だから言うのよ」

 嘲笑しながら飛行機の中へと姿を消す。

「何だかな……」

 自分が一緒にいる人物がある国での大貴族だなんて、思ってもみなかった。まさかその事で事件に巻き込まれるなんてことすら、想像の埒外である。

 刻三は後ろに控える千佳にちらりと視線をやり、飛行機から下ろされた階段を上ってきているのを確認する。

「さぁ、帰ろうか」

 刻三は誰にも聞かれないように小さく呟く。

「刻三!」

 叫ばれる名前に目を見開き、刻三は声がした方を見る。

 メイド服を身に纏うリアナだ。

「また来てね!」

「おう」

 笑顔を振りまくリアナに、刻三は口角を釣り上げ右手を掲げる。

「お兄ちゃん、デレてる」

「で、デレてねぇーよ」

 千佳の物言いに刻三はどこかいたたまれなくなり、早足で階段を駆け登る。


 機体の中に入るや、暖房の熱波が押し寄せる。

 一瞬にして寒さを忘れ、どんよりとしていた思考が、恐るべき速さにまで進展する。

 ココいわく、インテグラや美紗希の処罰は3日後程にはでるらしい。

 ただAAが露見する可能性は極めて低く、彼らが重い罪を課されるのは火を見るより明らかだろう。

 それほどまでのことをしたのだ。

 幾度となく陥れたが、最後は共に敵を討った者だ。死刑や無期懲役にならない事を祈っている。


 刻三は天井の低いために背を丸めながら、細い通路を歩き自席に腰をおろす。

「千佳、来たか」

 後ろを付いてきているはずの千佳に声をかける。

「うん。来てるよ」

 それを合図にしたかのように、間もなく離陸するという旨のアナウンスが流れる。

 刻三たちはしっかりとシートベルトをしめ、空の旅が始まるのを待つ。


 機体が轟音をたてる。離陸準備に入ったのだろう。

「ねぇ、刻三」

 その時だ。ツキノメが、気を抜けば聞き逃してしまいそうな弱々しい声で名前を呼んだ。

「どした?」

 刻三、千佳が横に並び、ツキノメとクララはその後ろの席に座っている。

「お父様の言ってたこと……」

 そこまで言うや体が刹那の浮遊感に襲われる。飛行機が離陸したのだ。激しい轟音が耳をつんざき、すぐ側にいるはずの千佳の声ですらまともに聞くことができない。

 下へと引っ張られる感覚が全身を襲い、重力を肌で感じられて不思議な気持ちだ。

 だがその感覚は、長くは続かない。すぐに安定飛行に入る。シートベルトを外し、自由に動ける時間だ。


「ねぇ、さっきの続きなんだけど」

 そこにツキノメの言葉が耳に入ってきた。

「だからそのココさんの話ってなんだよ」

 何のことを言っているのか分からず、刻三は頓狂な顔を浮かべる。

「だから……」

 言い淀むツキノメに千佳が救いの手を伸ばす。

「お兄ちゃんの昔話だよね」

 ツキノメはそれに小さく首肯する。

「俺の昔話?」

「うん。あの茂じぃ? って人となんで知り合いなのか、とか」

「そんな話聞きたいか?」

 聞かれることが以外すぎて刻三は、声が裏返る。

「うん、私も聞きたい」

 クララも合わせて呟く。

「後で面白くないって言ったって知らねぇーからな」

 刻三はそう前置きをし、安定飛行をする飛行機の中でポツリと語り始めた。

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