零氷の能力者 good-bye

 リバールには静寂が漂っていた。

 何者も動かない、せいの時。1面が白銀に染まり、色という色は1色に統一されている。

 その空間で動けるものは2人。

 離れていても存在を確認できる、山よりも巨大な鹿王ろくおう零氷れいひょうの能力者ログモル・インテグラだ。

 インテグラは、耳に差し込んでいる小型通信機に手を当てる。

「こちらアイス」

 発信ボタンを軽く押しながら言葉を放つ。しかし、流れてくるのは返答ではなくザザザという耳障りなノイズ音だけだ。

 インテグラは苦虫を噛み潰した顔で舌打ちをする。

「通信機、かれたのかよ」

 吐く息はとてつもなく白い。これは単に、地球寒冷化が進み夜が寒いということだけではない。絶対零度が国全体を覆い尽くしていることが原因であろう。


「ぐおおおおおおお」

 耳を劈く鹿王の咆哮は、絶対零度の氷ですらもビリビリと震撼しんかんさせた。


***


 ここは……、どこだ?

 突如として訪れた白銀の世界に刻三は、状況を捉えきれていなかった。

 死というのは案外こういうものなのかだろうか。

 体のどの部分を動かそうにも動くことはない。

 ──あれ、寒い。

 皮膚ひふに触れているモノを、意識しない内に脳が勝手にそう零している。

 眼球を動かすことすら出来ず、刻三は寒さの原因を分からずでいた。

 あちらこちらから寒いという意識が飛び交う。次第に"寒い"は表面上でなくなり、体内へと侵入してくる。


 手始めに肺がおかされる。耐え難い冷気により、肺に薄氷が張っていくように感じる。肺胞はいほうまでを凍てつかせると、胃へと進む。体内には食糧が残っておらず、空腹状態であったことを示している。

 襲い来る冷気に対抗しようと胃酸は頑張るも、結果は無残にも惨敗。胃は氷の支配下に置かれる。

 ちょう膵臓すいぞう肝臓かんぞうもあらゆる臓器を凍結させていき、残る臓器は心臓ただ一つとなった。


 ここまでは時間にしておよそ10分。雪崩などにあい、雪に埋もれた状態で助かる可能性のあるリミットはクオーター、15分だ。

 そしてそれは否応なく残り5分にして氷付けの刻三の運命は決まるということを示していた。

 動脈をたどり冷気が心臓へと近寄ってくるのが感覚として理解できた。

 刻三は氷の仮面のしたで顔をゆがめる。

 ――もうダメだ。

 そんな思考が脳内を駆け巡る。

 刹那、

『生き残るすべが知りたいか?』

 地底の奥から沈むように轟く声は、幾度か聞いたことのあるものであった。

 聞くものすべてをおびえさすようなその声は外部から漏れてくるものではなく、凍りついた自分の体のどこかから沸きあがってきている。

『またお前か』

 刻三はその声におびえた様子もなく、ただ不敵に返す。

きもわってきたようだな』

 嘲笑を交えながらそう告げ、再度同じ台詞を吐く。

『生き残る術が知りたいか?』

『あぁ』

 迷うことはない。こいつは俺の望むものをくれる――

 刻三は勝気に返すと、声は卑しい笑い声をあげる。

『我が主――永遠エターナル覇者ズィーガーの称号を冠したブライアント・ダラーがのこした力で生き長らえた道化どうけ奇術師きじゅつし、ポアリアンの援護はこれで最後だ』

 哀愁に満ちた声であるにも関わらず、どこか満足しているようにも聞き取れる。

『ポアリアン……だと』

 心の中の言葉だというのに喘ぐように必死に言葉をつむぐ。

 刻三は知っているのだ、そのポアリアンという人物を。

 声や口調はまったく違う。だが、時折見せた不敵に笑う感じはどことなく似ているような気もする。


 ピエロのような格好をした男が脳裏によみがえる。紅蓮ぐれん劫火ごうかと冷たい雨とが混在した、ニホン崩壊の夜に出会った男。

 名乗ってもいないのに名を知り、その上刻三が受け継いだばかりの刻の能力のこと、異様なまでに知っていた不審人物。

 それこそがポアリアンなのだ。

『あれ、いままで気づいていなかったのかい?』

 今までの魔王のようなドスの効いた声ではなく、腹立たしく思える初めて出会ったときのポアリアンの声で告げられる。

『気づいてなかったよ』

『そうなんだ~。まぁ、気づかれないようにしてたんだけどね』

 自嘲気味にそう告げると、ポアリアンは声音を真剣のそれにシフトさせる。

『ボクはブライアント・ダラーが遺した力で新たなる主の下で生きていた』

 刻三は寒いなどといった感覚をすべて忘れ、ポアリアンの話を聞く。

『でも、やはり限界というものは存在する。君が不死体ちかを使役しなければボクは永遠の命にも等しい時間を生きれただろうが、世の中そんなにうまくはいかない。でも、ボクは君の中から独立して行動するための力を持ち合わせていない』

『でも、あの時……』

 刻三は、刻の能力アーカイブを受け継ぎ、その力を駆使して千佳を蘇らせた後のことを思い出す。

『あの時は、試しだったんだよ』

『試し……?』

『そう。君が新たなる不死体を手に入れたから、出て行こうと思ってさ。でも、それは不可能だった。だからボクは時折ブライアント・ダラーの遺してくれた力を少し使って遊んでいたわけさ』

 突然の告白に刻三は言葉を失い、次につなげるべき言葉を探せなかった。

『でも、これで最後――』

 ポアリアンが息を呑んだのが分かった。覚悟を決めたのだろう。

『決して負けるんじゃないよ』

 あらゆる意味の意思のこもった言葉を遺し、ポアリアンは刻三に言葉を紡がせる余裕を与えず、矢継早やつぎばやに詠唱を始めた。

ときつかいが願い申し上げる。刻を継ぎし血脈の枝が主の助けとなる能力ちからを貸し与えたまえ! 超逆流オーバーリバース


***


 千佳とクララはようやく氷の大地に足を踏み入れた。足裏から感じられる冷たさに変わりはない。変わりがあるとすれば、それは間違いなく氷で作られた町の彫刻があるところだろう。

 クララはその尋常ならざる光景に息を呑んだ。

「な、なんなの……」

 全てが凍りつく世界に取り残された2人。正直言うと恐怖が押し寄せてくる。

「ね、ねぇ」

 弱々しい千佳の呼びかけ。ニホンでなら聞き逃してもおかしくないそれは、静寂が支配するこの空間では大きな声のように感じてしまう。

「な――」

 にと答えようした瞬間、鼓膜を破る勢いで放たれた巨躯きょくの怪物の咆哮が轟く。

「あれは――」

 千佳は喘ぐように言うと、途端に耳障りな高笑いが聞こえた。

「誰!?」

 クララはできるだけ声を張り、震える声をごまかす。

「わざわざ死にに来るとは、馬鹿だな」

 宙に浮くれたスーツを身にまとう男性――ログモル・インテグラが嘲笑うように吐き捨てる。

「あなた、誰?」

 千佳は仮にも刻の能力者の不死体だ。相手の違和感を感じ取り、厳かな口調で訊く。

 それをインテグラも感じ取ったのか、真剣な瞳を浮かべ千佳をめつける。

「私は――」

 インテグラが口を開いた刹那、数十メートル離れたところで氷付けになっていた刻三から謎の閃光があがった。


***


 刻三の凍りつきより14分が経過した所だった。刻三をかたどる氷から、目映まばゆい閃光がほとばしった。

 その閃光は、優しく暖かい。触れたものの心を氷解させる、そんな穏やかさを感じさせた。

 次の瞬間――閃光が全てを飲み込み臓器を冷やしこんでいた冷気が体内からすっと、出て行く。

 途端に通常に戻った臓器は、驚きのあまりピクピクと頼りない動きをしてから徐々に平常を取り戻していく。

 景色に色が戻り始める。

 真っ白であったそれが、白銀に覆われた世界となる。

『生きとし生きる者に生がよみがえるが、ボクの力では全ての氷を取り除くことはできないみたいだ。じゃあね』

 心の奥深くから頼りない、消え入りそうな声で語りかけられる。

「お、おいッ!」

 刻三は声に出して体内に居座っていたポアリアンに呼びかけるも返事はなく、代わりに謎の虚脱感が刻三を襲った。

『さよなら』

 そんな声が聞こえたかのように感じ、それが刻三に確信を与えた。

 完全にポアリアンは消えたんだ、と。


 脳は段々と正常に働き出す。だが、手や足の先は寒さから解放されていないようで、未だにガクガクと震えている。

「しゃーねぇ」

 とりあえずポアリアンのことは横に置き、今最優先で解決しなければならないのは自分の容疑のこと、擬似氷河期のことだ。

「お兄ちゃん!」

 そんな決意を一瞬で崩しさる声が聞こえた。この場にいるはずの無い刻三の妹にして不死体の千佳の声を耳にし、刻三は狼狽ろうばいする。

「な、な、なんで?」

「何で、は無いでしょ。指名手配犯さん」

 驚きを隠せない刻三に対し、クララは追い討ちをかけるように告げる。

「指名……手配?」

 身に覚えのない事実に刻三は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる。

「え、知らなかったの!?」

 クララはその事実に逆に驚かされる。

「そうだ。貴様は私を殺し、私を殺すために使用した毒を密売するジジイを殺した! それだけじゃ物足りず、シャグノマ家に仕える女中の誘拐までした!」

 どこまでも人を馬鹿にした言い草で天から叫ぶ。その天に浮かぶ姿は、天使とは程遠く堕天使のようである。

 刻三は軋む音を立てて奥歯を噛み締める。

「やってねぇよ、そんなこと」

 ポアリアンのそれとよく似た、ドスの効いた地底から呼び起こされるうめきのような声で放つ。

 予想だにしなかった怒りの声にインテグラは一瞬の怖気るも、すぐに自分を取り戻す。

「そうよ! 私は誘拐なんてされてない! 私が、私の意志で刻三の元へと行ったの!」

「刻三……?」

「刻三って言った──?」

 スカート丈を破り、エロティックな印象を受けるメイド服を身にまとった銀髪の美少女──リアナが、右肩に僅かに氷片を乗せた状態で声を張り上げる。


「ふ、ふはは。ここまで役者が揃うと、さぞ倒しがいがあるな!」

 刻三たちの顔を順番に見たインテグラは、両手を広げ、妙に芝居がかって声を上げた。

 刹那──

「きゃっ」

 僅かにそんな声が聞こえた。刻三はその声が何か分からなかった。しかし、次の瞬間──

 氷漬けされた元はアパートであろうそこへ叩きつけられるリアナの姿があった。

「リアッ」

 刻三は名を呼ぼうと振り返りながら声を上げていた。

 辺りは白銀が月光を反射する夜だ。しかし、その瞬間──夜から闇が訪れたのだ。

 月光すら届かず、はかない反射光すらも届かない。

 真っ暗闇とはこのことだろう。

 刻三たち、そこにいる全員が恐る恐る頭をあげる。

「──ッ!」

 言葉にならない音が吐露し、続けるべき言葉が一瞬にして消え去った。

「ぐうおおおおおおおお」

 変わりに世界を闇へと代えた張本人が、挨拶の如く咆哮を上げた。

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