復活の兆し shaman
まずい。そう思った瞬間には、時すでに遅しだった。
リアナは巫女の力でそれを視認し、避ける事ができたが、刻三はそうはいかなかった。
リアナに体を引かれ、直撃は避けることができたが、靡いた毛先が霧の混じった冷気に触れる。
パキッという音と共に瞬間的に毛先が凍りつき、刻三は息を呑む。
「に、逃げろー!!」
大穴に巻き込まれなかった人たちの誰かが悲鳴をあげ、それに続いて怒号に似た声が上がる。
大地が軽く揺らしながら、仮装した人たちが一様に逃げ惑う。
その姿は滑稽としか表現しようがなく、その人物にとっては、『面白い』以外の何物でもないのだろう。
高貴な服装に似合わない、下品で
「くそ愚民どもがッ! 生誕祭ごときで浮かれやがって!!」
怒りに満ちた声が、逃げ惑うリバール国の人および、生誕祭に参加している諸外国の人々に降り注ぐ。
あわてる人々は、遠くへ逃げる者や近くの建物の中に身を潜める者とさまざまである。
「くっそ、なんだよ」
刻三は、苦々しい表情で凍った毛先をいじりながら、毒づく。
かちんこちんに凍ったそれは、どれほど力を加えてもビクともせず、まるで強固な壁のごとくである。
「刻三」
苛立つ刻三に優しいささやきのような声がかけられた。――リアナだ。
表情には不安が色濃く滲み出ており、声音とは裏腹で不安に押しつぶされそうなのだろう。
「大丈夫だ」
刻三はそれを汲み取り、できる限り強さのある声と真剣な眼差しで返す。リアナは、それに弱弱しい微笑で応えた。
***
一面を白色が覆った研究室を模した監禁室。茂本博士――もとい茂じいはそこにいた。
頭がおかしくなりそうなほど白一色で統一された部屋に唯一、他色を宿す中央にある研究道具。
表紙すらまともに読むことのできない、古ぼけた薄い一冊の本と、『アーカイブ取扱説明書』と書かれた先ほどの本とは対照的に広辞苑以上に分厚い本が置かれている薄茶色の机に向かう。
「何がアーカイブだ」
茂じいは分厚い方の本を持ち上げる。総重量は10キロほだはあるだろう。
「ん?」
茂じいは独りでに間抜けな声を上げた。その声は、部屋の壁に反響して自分の耳にまで届く。その声があまりにも変であったため、思わず笑みがこぼれてしまう。
だが、その笑みをすぐに片付け茂じいは分厚い本の下から現れたA4の紙を手に取る。
「アーカイブ所持者……」
紙のトップには太く大きくゴシック体で見出し風にそう書かれていた。内容が内容だけに、茂じいは怪訝そうな表情を浮かべながらも、目で先を追った。
聖光のアーカイブ:シャグノマ・ツキノメ
「シャグノマって言えば、リバールの有名な貴族じゃったよな……」
紙にプリントされたツキノメの名を見て、茂じいは目を細め、嗄れた声で吐き捨てる。
「灼炎のアーカイブはマゼンタじゃなくてニーナって子なのか?」
灼炎のアーカイブの後に続くマゼンタの名の上に二重線が引かれ、隣に青文字で新たな名が書きたされている。
名はニーナというらしい。茂じいはそれに疑問を抱いた。
何故書きたされているのか。単にミスなら、それはそれで違和感を感じる。
新たにそこを打ち直し、その用紙自体を印刷し直せば良いものだ。しかし、それがされることは無く、敢えて二重線での修正になっている。
二重線にして書いていることに理由があるのでは……。
そう感じなから、下へ下へと読み進めていき茂じいはその名前を見つけた。
クシャッという音と共に、茂じいの手にある紙に皺が走る。その皺は段々と中央へと伸びていき、全てが繋がりを持つ。
まるで1度丸めた紙を再度開いたかのような雰囲気である。
「刻のアーカイブ、堀野刻三」
その声は自分でも驚く程に嗄れており、一瞬誰の声か分からなかった。
「何故じゃ……。何故きぃ坊の名前が……」
溢れ出る恐怖は抑えることが出来ず、その場に崩れ落ちてしまう。茂じいの顔に色はなく、顔面蒼白とはこの事なのだろう。
そしてその紙に書かれている文はこう締められていた。
「以上を以てアーカイブ保持者とし、刻のアーカイブを滅する為に行動させる」
自分の知っている人が殺害対象となっていることを知るというのは、これほどまでに恐怖であるということが分かった。
胃から逆流してくる胃酸が食道を刺激し、強烈な吐き気として口の中を酸っぱくする。
目尻が熱くなり、喉の奥から内容物がこみ上げてくる。
茂じいは手にしていた紙を取り落とし、両手で口元を覆う。
そして棒のようになった足は、ガクガクと震え、膝から力が抜けていくのが意識的に分かった。
そしてその足は棒のようになり、立つことを不可能にし、茂じいはその場に崩れ落ちた。
***
霧に揺れる月の光は妖しく、奇奇怪怪の夜を演出している。白レンガの道に白色で塗装されたビル郡は、それらを反射し異様な神秘を生み出し、さらに先に穿たれた大穴が異世界のそれを思わせる。
人の姿は消え去るも、うめき声だけはわずかにしていた。近くの建物に逃げ込んだ人々のものだと思いがちだが、それは違う。
まがいなりにも、ここはリバール国の中心に当たる場所だ。ちょっとやそっとの声が洩れてくるはずがない。
おそらくは大穴の底に落とされた人々だろう。
いったいどれほどの人がいるのだろうか。検討もつかないほどの数のうめき声が重なりあり、不協和音をなしている。
その声を断ち切るように一筋の雷光のごとく咆哮が飛んだ。
「お前の目的は何だ!! ログモル・インテグラ!」
その声が刻三のものだと理解するまでに時間を要した。
なぜなら、その声はインテグラがツキノメとの縁談時に聞いたそれとは、全く違っていたからだ。
インテグラは一瞬顔を顰めるも、すぐに不敵な笑みに置き換え、高らかに声を上げて笑った。
「何が目的だってか!? そんなもの、お前を抹殺することだよ」
潜められたその声は、聞いている者全てに怖気を与え、戦慄させる。
それほどまでにヒステリックな声音だったのだ。
「刻三が何したって言うの?」
恐怖で上擦る声を抑えながら、リアナは必死の形相で訊く。
「さぁな。だが、そいつは最凶であって最悪の存在なのだ」
インテグラは刻三を指差し、嘲笑うかのようにそう告げると空中で大気を蹴った。
物理的に見れば不可能なはずだ。しかし、それを可能にするのはインテグラの能力に有するところがある。
脚に冷気を纏い、冷気が触れたその場からそこを凍てつかせる。
インテグラの体温は常人より遥かに低く、氷点下レベルまで下がっている。
これがインテグラに擬似的な死の演出を可能にしたのだ。
体内に冷気を渦巻かせ、心臓周りに氷で薄い膜を張る。そして自分は如何にも毒を盛られたような、苦悶の表情を浮かべて倒れればそれで良い。
後は人が触れて冷たいと思えるレベルまで体温を下げる。
インテグラの計画はそれだった。
問題があるとすれば、それはどうやって毒を飲んだことにするかであろう。
もがき苦しんでいる最中、コードネームストークに口の周りに塗るように指定することによって、その問題を解決したのだ。
「なっ──!?」
刻三は喘ぐように声を洩らした。隣にいるリアナは、その様子を見て呆気にとられ、ぽかーんと口を開けている始末だ。
「私の姿が捉えられるか」
体温を氷点下にまで下げ、身体を気化し、大気中を漂う霧化したのだ。
音も気配もない。どれだけ五感を研ぎ澄ませても、霧化したインテグラを追う手立てはなかった。
「うグッ」
不意に刻三が吐血する。リアナは声に導かれ、刻三に目を向けた。そこには、腹部が押し込まれ、悲痛の表情を浮かべる刻三がいた。
「刻三ッ!!」
張り裂けそうな心をぐっと抑え、それを悲鳴に変える。
視界がぐにゃっと歪む。リアナは、それが自分の涙によるものだと気づくのに数秒かかった。
刻三は歪んだ表情のまま、口角を釣り上げ愛想笑いを浮かべる。
不気味とも言える表情を向けられたリアナは、心臓を鷲掴みされた気分になる。
別段、特別な想いを抱いている訳ではない。でも──
「目の前でやられている人を見捨てることなんてできないっ!」
リアナは目尻に溜まる涙を一掃して、薄花桜色の瞳を淡く光らせた。
「
リアナは疾風の如くスピードで、竜の咆哮のような大穴の底に落とされた人々の呻き声だけが轟く街中を駆け抜けた。
──何……。体が凄く軽い……。
リアナは自分でも体感したことのないスピードに息を呑む。
そのスピードのおかげもあり、刻三の元へはすぐにたどり着くことができたリアナは、苦悶に顔を歪めふたつ折りになった刻三の襟を握り走り去る。
数メートル先で霧に混じって砂煙をあげ、足を止めるリアナは先ほどまで刻三が居た場所に殺気立った顔を向け、怒気の篭った声を放った。
「貴方、それでも警吏隊隊長の息子ですか!?」
刹那、リアナの視線の先の霧が自然では決して有り得ないうねりを見せ、1つの形態を取り始めた。
周りにはそれに属さないものもあり、集まったものは1つと違えず霧の中に更なる白い気体を携えている。
「何故私が見えるのか、不思議で仕方なかった。が、その瞳を見てようやく分かったよ。
──お前、巫女だな?」
親の仇を見るような双眸で霧の中から実態を現したインテグラが、つっけんどんに言い放った。
リアナはそれに答えず、次は脚に淡い光を与えた。
インテグラは片眉をピクリと動かしてから、怪訝そうな表情を見せる。
「何だそれは」
インテグラは鼻息を荒げ、軋むほど奥歯を強く噛み締めながら告げる。
リアナは聞く耳持たずで、その言葉を完全無視し、仄かに青く灯るような淡い光を纏う脚で大気を蹴り上げた。
バサッとメイド服のスカート部分が大きく捲り上がる。
リアナは女中という仕事の勤務中ならば有り得ない、盛大な舌打ちをしてからスカート部分をたくしあげる。
恐らく、スカートがはためくのが邪魔になるのだろう。
そして裾に手を当て、思い切り自分方へと引っ張った。
ビリビリ、と布が断ち切られる音が項垂れたままの刻三の耳にも届いた。
一方インテグラは、リアナが脚を上げたことにより、純白のパンティーが目に入っていた。
警吏隊隊長の息子となれば貴族も貴族、大貴族だ。
そんな大貴族の御曹司とも呼ばれるインテグラは、下着を人前にさらけだすなど
ゆえに、普段は服の下に身を潜めている下着なるものを自分のモノ以外で目にしたことがなかったのだ。
「な、な、なっ、何をしているんだァァァァ」
頬赤らめ両手で顔を覆うインテグラは、声をうわずらせながら悲鳴に近い声を上げた。
刹那、右脚に尋常ならざる痛みが走った。
インテグラは空中で大勢を崩しながら、苦りきった表情を浮かべる。
「うっ……」
インテグラは痛みの原因を探そうと視線を移動させるも、そこに何かしらの痕はない。
不可思議であるが、それを確認している時間が勿体ない。
そう考え、視線の先にリアナを持ってくる。瞬間、リアナは残像を作りその場から姿を消す。
そして、インテグラがリアナを視認する時にはもう腹部に1発をいれられていた。
女性の一撃とは思えない、重く強烈なそれは一般男性を苦痛で支配出来る程であり、インテグラは激しく咳き込んでいる。
──刹那。
恐竜顔負けの唸り声が上がった。刻三たちは一様に動きを止める。人のそれとはかけ離れたもので、聞くもの全てを恐怖で硬直させる力があるらしい。
そして、続いて大地が大きく震えた。
──地震か?
ニホン育ちの刻三は瞬時にそう思ったが、それはリバールでは決して有り得ない事象。
──地震の元になるプレートが通っていないのだ。
そして人生初となる地震もどきを体験したリアナは度肝を抜かれたような表情を浮かべている。
だが、リアナと同じくリバール育ちで地震を経験したことないであろうインテグラは、全く違う表情を浮かべていた。
──自信に満ちたような、獰猛な笑みだ。
「さぁ、今からが私たちの計画の本番ッ! 現世に
インテグラは存分に口を開き、歯から歯茎まで全開にし、猛獣の如く表情を浮かべ吼えるように言い放った。
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