街の脅威 glacier

 刻三とリアナは襲い来る眠気を必死に堪えながら、次なる作戦を練っていた。

 結論から言うと、このままここにいるのは良くない、だ。

 行動せずにずっと同じ場所に滞在するということは、警吏に見つかる危険は動くより低いかもしれない。だが、事件解決には百パーセント繋がらない。

 それらを鑑みて、動くことを優先したのだ。


 夜のうちに動こうと決め、刻三とリアナは行動を始めた。

 リアナは霊視を駆使して、周囲の人影を確認する。

 夜、ということが幸いし人とはこれっぽっちも遭遇しない。

「これならいけるかもね」

 不意にリアナは言葉を漏らす。遺跡群を抜けて、街に入ったところだった。

 しかし刻三は、返事をしなかった。それはひとえに街だからではない。


 今日がちょうどリバール国での生誕祭ブリバースの日だったからだ。

 大司書館でリバール国の歴史を辿っていた時に偶然見つけたものだ。故に大司書館にあれほどまでに人がいなく、遺跡群に大量の外国人客がいたのだ。

「えっ……」

 先ほどまでどこか余裕のある表情を浮かべていたリアナが、途端に表情を暗くする。

 理由は簡単だ。太鼓やらの祭囃子が耳に入ったからだ。

「やっぱりな……」

 刻三は苦虫をかみ潰したような顔で、ため息混じりにそう告げた。


「やっぱりって?」

 刻三のそれを聞いてリアナは、怪訝そうな表情で訊く。

 刻三は目を丸くした。

「えっ。リバールに住んでるんじゃないのか?」

 銀髪をしっかりと目に入れ、驚きを露わにして訊いた。その言葉にリアナは笑顔を浮かべること無く、代わりに俯いて呟いた。

「リバールには住んでました。でも、12歳から20歳までの記憶がないのです」


 刻三には意味がわからなかった。だから咄嗟に思いついた、記憶障害が起こりうりそうな事例を挙げた。

「事故にでもあったのか?」

 リアナは小さくかぶりを振る。

「分かりません。でも、目立った外傷なども無いですし、恐らく違うかと」

 リアナは女中らしい綺麗な言葉遣いで返す。そこで刻三は気になっていたことを口にした。

「女中っぽい綺麗な言葉遣いと友だちと接するような言葉遣いが混じっているのもそのせいなのか?」

 別段それがしゃくに障るなどといったことはないが、交じると否応なしに気になってしまう。

「私、そんな失礼なことを!?」

 鳩が豆鉄砲を喰らったかのように表情を変えるところから見て、恐らく無意識でなっているのだろう。

「いや、別に俺はどっちでもいいんだけど」

 刻三は苦笑を浮かべながらそう言う。


 いつの間にか街の中に完全に入っていたようだ。

 広場みたいな所では妙に腐乱臭がする。足元には卵の黄身や殻があちらこちらに飛び回っていた。

 そしてその中心では、若者たちが怒号に似た咆哮を上げながら生卵を片手に笑っていた。

 そして合図であろうコングが鳴ると、若者たちは持っていた生卵を他の広場にいる人たちにぶつけ始めた。

 刻三は今日に生誕祭があると見ただけで実態を知らなかったので、度肝を抜かれた。


「こんなことするのかよ」

「そう……みたいですね」

 リアナも驚き顔で鼻をつまみながら答えた。

「ここからは離れようか」

 刻三はリアナの様子を見てそう提言すると、リアナは小さく首肯した。


 少し外れたところまで歩くと不意にリアナが反応を示した。白いレンガの道を挟むようにして、立ち並ぶビル群の間で息を潜める。

「かなりの数、います」

 刻三はフー、と息を吐き捨て、緩みかかっていた気合いの帯を入れ直す。

「敵意、とかわかるか?」

 場に緊張が走る。全神経が研ぎ澄まされ、普段からでは考えられないほどの集中力が発揮される。

 空気が僅かに揺れたのが分かる。それは、リアナがかぶりを振ったことによって生じたものだと、すぐに理解できた。


「そこは、そうか」

 苦笑でそう吐くと刻三は、鉛のように重たくなった脚を持ち上げる。

「気つけて行くか」

 慎重な面持ちで告げるとリアナは、同じような表情で首肯する。


 一瞬、警吏の格好の人が目に入り、刻三は咄嗟に物陰に隠れる。

 しかし、それは本物のそれとは似て違うものだった。

 色使いや見える糸の色は恐らく同じだろう。だが、あるべきはずのロロノアの花弁の刺繍が見当たらない。

「よかった」

 リアナは本気で安堵の言葉を洩らす。

「だな」

 刻三もため息を零しながら、その大量の人たちが集まっている方へと歩みを取り出した。


 そこにいるのは警吏の格好をした人だけでなく、ナース服に身を包む者、ニホンの伝統衣装である和服など、多岐にわたる衣装を着込む人たちだ。

「仮装大会か何かか?」

 刻三は怪訝そうな表情を浮かべながら毒づく。

 ──刹那、

 凄まじい轟音と共に大穴が穿たれた。

 仮装をしていた人たちは足場を失い、空中で泳ぐようにして、上へ上へともがくもそれが叶うことは無く、下へと落ちていく。

 人で見えなかったが集まっている人たちの中心には、大きなライトが設置されていたようだ。

 それがバキバキと音を立てながら、文字通り木っ端微塵になる。


 そして瞬間、天から異様な音が聞こえた。

 ヒュー、と空気を切り裂く音で何かが落ちてくるような音だ。

 僅かにそれをキャッチした刻三は、天を仰ぐ。

「──っ!?」

 通常の自然現象では起こり得ない状況がそこにあり、刻三は言葉にならない声を洩らす。

 それは隣にいるリアナも同じようで、顔全体を強ばらせ、硬直しているようにも見える。


「伏せろッ!!」

 刻三はしゃがみ込みながら、全身全霊で声を上げた。

 大穴に巻き込まれなかった仮装した人たちは、アタフタしながらも刻三の真剣の色を読み解き、その場に伏せ始める。

 先端の尖った月光を妖しく反射する氷塊は、白レンガの道に触れるや否や、脆いガラスの如く粉々になる。


 幾つかの氷塊が降り、しばしの間隔があく。刻三はその隙に顔を上げた。

「おまっ──!」

 刻三はここ最近で1番驚いていた。

 ボサボサになった銀髪とは、似つかない高級感のあるスーツ。きりっとした鋭い双眸が特徴的なその人物は、刻三もよく知っており、生きているはずのない人だったのだ。

「何かな。ミスター堀野」

 昨日言葉を交わした時とは、まるで別人のような冷淡でおぞましい声音だ。

「な、なんで……。なんで貴方が生きているの?」

 リアナの反応も刻三のそれと違わない。

 この反応から見て、リアナもこの事実を知らなかったのは確かだろう。刻三は瞬時にそんなことを考えながら、宙をフワフワと漂うその人物に目をやる。


「そんなに不思議なことか?」

 その人物は不敵に笑い、右手人差し指を天に掲げる。

「いい時代になったものだ」

 刹那にそんなことを言い出すために、刻三は怪訝そうな表情を浮かべて訊く。

「何が言いたい」

「なーに、よく考えろ。この地球寒冷化ほど、私の零氷れいひょうのアーカイブが活躍できる環境はないだろ」

 妙に芝居ががって放たれる言葉に、刻三は苦々しい表情を浮かべる。

「刻三。彼は霊体ではありません。確実に生命いのちある身です」

 そこにリアナの潜めた声が聞こえた。巫女の力を使い調べたのだろう。


「ってことは、あの時死んでなかったってことなのか?」

 刻三が喘ぐように訊くと、リアナは弱々しくかぶりを振る。

「わかりません」

「何ごちゃごちゃ言ってんだよっ!」

 獰猛な笑みと共に咆哮を上げるや、その人物は天に掲げた人差し指を一筋に刻三たちへと振り下ろした。


「月下に咲く氷結の華。慈愛を込めし、天使の羽を模す怪傑の牙を打ち砕かんとす零下の真髄、百鬼の凍土、絶対零度の力を我が身に宿せ!」

 空気に声が振動し波を起こす。それが波長となり、刻三とリアナの耳にまでそれを届かせた。

「アイス グラセ イエロ グラキ パゴス。5の術、大気凍結フリーズンエア


 その人物の振り下ろした人差し指の先から薄氷のような、冷気を纏う。辺りを漂う霧と遜色なく、一度ひとたび空気中に出てしまうと冷気か霧か見分けることはほぼ不可能だろう。

「何が起こってるんだ」

 刻三は可能な限りで瞳を見開き、目を凝らすも何が起こっているか理解出来ない。

「こっちです!」

 リアナに押されて体が揺らめく。

「な、なんだ……」

「道が出来てます」

 リアナは薄花桜色の瞳に淡い光を灯しながら、真剣な口調で告げる。

「み、道?」

「はい。この薄い霧に混じって冷気の道が出来ています」

 刹那、刻三の右耳の真横をパキパキという何かが凍りつくような音が通り過ぎた。


***


 ニホン国際航空場。ここに2人の人物の姿があった。

 千佳とクララだ。

「行くよ」

 クララが消沈気味の千佳を励ますように告げる。

 千佳は力なく黙って項垂れる。

 クララは大きなキャリーバッグを引きながら、航空場を奥へと進む。

 その後ろをトボトボという効果音がピッタリ合う雰囲気で千佳がついてくる。


「リバール国行きの便、席空いてますか?」

 クララは受付嬢に真摯の眼差しを向ける。

 その目に気圧される様に受付嬢は、慌てて設置してあるキーボードを打ち始める。

「あ、ありますよ」

 受付嬢は声を上ずらせながら、パソコンに向けていた視線を上げる。

「いくつありますか?」

 間髪入れず、クララが訊く。

「全部で5つあります。A-2とE-4、E-5、L-6、M-1です」

「では、E-4とE-5お願いできますか?」

 クララは体を乗り出してそう述べる。

「は、はい」

 受付嬢は慌てた様子を見せながらも、カタカタとキーボードを打ち、航空チケットを発行した。

「こちらを持って3番搭乗口までお越しください」

 受付嬢は取り戻したいつもの営業スマイルでそう告げ、発行したばかりの航空チケットを手渡した。

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