指名手配 Kiss
「キス、していい?」
イリモアネ遺跡の一角。武家屋敷じみたその家屋の中で、リアナは白い息を吐きながら真剣な表情でそう告げた。刻三は一体何のことか、と思い目をぱちぱちさせる。
リアナはそんな刻三に追い打ちをかける如く、グイッと顔を近づける。
そして再度、今度は先ほどのそれより色っぽさを増して同じ言葉を吐いた。
「キス、してもいい?」
薄花桜色の目は虚ろになっており、遠い虚空を見つめているように感じる。
「──っ。何言ってんだよ!」
ようやく言葉の意味を理解出来た刻三は、怪訝そうな表情を浮かべながら声を荒らげる。
しかし、リアナは動じることはなく更に距離を縮めてくる。
互いの距離はほとんどなくなっており、吐息が肌にふれる程までになっている。
刻三は体を仰け反らせ、迫り来るリアナを回避しようとするもすぐに砂壁に阻まれる。
パラパラと砂壁の表面が崩れ、綺麗になったばかりの刻三のスーツの上に落ちる。
そして次の瞬間──
仄かに甘い香りとともに弾力性のある柔らかなモノが刻三の唇に触れた。
刻三は目を見開き、驚きが露になる。
それにより刻三は、閉じていた口が半開きになる。
機と見たリアナは刹那に刻三の口の中に下を這わせる。
いやらしい音が空虚な武家屋敷の中に木霊する。
目をトロンとさせ、完全に乙女の顔になったリアナは刻三の首に手を回し、強く口を当てて、舌が刻三の口内をぐるぐると回る。
刻三は、反抗しようとリアナの舌を自分の舌を前方に動かすことで追い出そうとする。しかし、リアナはそれまでも利用して更に舌を絡ませてくる。
刻三は埒があかないと判断し、リアナの肩を強く押して無理矢理退かせた。
口と口が離れると同時に混ざりあった互いの唾液が伸びる。それらは糸を引き重力に逆らうことなく、地に落ちた。
「な、何だよ」
刻三は唾液まみれの口元を手の甲で拭いながら訊く。
しかし、リアナからはなんの返事も得られない。刻三はきつく絞った瞳をリアナに向けた。
そこにいたのは手脚を輝かせるリアナだった。輝く、と言っても目が細める程の強い閃光などではなく月の光と遜色ない淡い光だ。
しかしそれには圧倒的な力が感じられた。
──な、なんだ? この間の魔術とかとは少し違うし、アーカイブでもない……。ならこの力は何なのだ……。
刻三はこの数ヶ月で体験した力のそれを思い出してみても、当てはまるものが考えられず顔をしかめていた。
ほわんっと光るそれは、暫くしても止むことなく、むしろ光を届かせる範囲を広げてすらいた。
刻三は思わず目を細めた。──実際は細めるほど目映く無いのだが……。
時間にしておよそ10秒。体感時間としてはその倍近くはある。
それほどの時間を要して、ようやく光は収まり、辺りに静寂と暗闇をもたらしたのだ。
どちらも言葉を発そうとはしない。いや、実態は発せないのかもしれない。
許可を得ることをせずにキス──しかも普通のではなくもっとレベルの高いディープキスをしたリアナ。
不意打ちとは言え、リアナのディープキスを真正面から受け止めた刻三。
互いが互いに恥ずかしさと形容し難い後ろめたさを持ち合わせている。
「なっ、何!?」
張り詰めた空気を裂くように放たれたのは、リアナの悲鳴にも近い叫びだった。
刻三は間髪入れずに悲鳴の上がった方に視線をやる。
発光が収まったリアナの姿は、正直言って変化のへの字もない。刻三は頭に疑問符を浮べながら厳かな口調で訊く。
「どうした?」
「体が、体がおかしいの」
白い息と共に吐露されたのはそれだった。
「見た感じだと何の変化もないぞ?」
刻三は至って普通を装い呟くも、先ほどの感じたことのない力を思い出す。
「分かるの」
リアナの表情はふざけているようには見えない。
段々と夜は深くなっていく。辺りには白煙の如く霧が蔓延し始めている。
しかし、そんな寒さを感じないほどリアナの発言は突拍子もないことだった。
「霊力が体の中を巡り始めています」
刻三は深く意味は分からないが、おおよそは理解できている。
霊が見えるだのなんだのって言うのは、霊感であり、それを上手く使えこなせてそれを霊視という。
その上。霊を体に取り込み霊体になることや、腕や脚に霊気を集中させて通常では発揮でない力を発揮することが可能になる。これを霊力が使用可能と言える状態た。
「何でそんないきなり……」
刻三はリアナの突然の覚醒に怪訝そうに訊く。嬉しい誤差ではあるが、いきなりのそれが続けば少し不気味である。
「キスです」
リアナは微笑で答える。その笑顔が月光と相まって、天使のように見てる。刻三は照れくささから、思わず顔を逸らしてしまう。
「な、何でキスって知ってんだよ」
それから慌てて言葉を紡いだ。
リアナは少し戸惑った様子を見せてから、嘲笑気味に告げた。
「私が気を失ってる時、見たんです」
「見た? 何を?」
刻三はリアナの訳のわからない言葉に顔を
「何か映像的なものが頭の中に流れ込んで来たのです。遠い昔であるような、そうでないような……。はっきりとは分からないのですが、年老いた男性が仕える若い女性にキスをしたのです」
真顔でそう話すリアナに刻三は苦々しい表情で吐く。
「それじゃただのエロビデオじゃねぇーかよ」
リアナは刻三の言葉に一瞬顔を赤らめる。
「そうだけど……そうじやないのっ!」
刻三はリアナの焦る顔を見て、にたっと笑うと「すまん」と告げる。
リアナはもぅ……と少しふてくされ顔になるも言葉を紡ぐ。
「それでね、キスされた女性が急に輝き出してたの」
「それで……キス、したのか?」
刻三は目を見開き、驚きを露わにしながらオロオロと訊く。
弱々しく首肯するリアナの姿は、触れるだけで壊れてしまいそうな儚くも尊い硝子のようであった。
「ごめんなさい。でも、何となく。私もできるような気がして……」
刻三は何も言い返せなかった。リアナの無垢な瞳が、刻三が何か言うことを拒んでいるように見えたのだ。
刻三が言葉を発さないが為に屋敷内に沈黙が訪れた。外で鳴いていた秋の虫たちも、寒さに耐えかねたのか既に鳴くことをやめている。
ただ蔓延する霧にたゆたう月光だけが僅かな灯りとなり、2人の顔を淡く象っていた。
***
ニホン西区域。質素な一戸建て──と言っても借り家であるのだが──の一室から僅かに灯りが洩れていた。
表札としてかがけられているのは、倒木を無理矢理引きちぎったかのようなボロボロの木だ。
形は歪で、角の部分はギザギザに尖っている。
その真ん中より少し右よりには、『堀野』と墨で書かれている。
そう、ここは堀野刻三、千佳兄妹の家なのだ。
「もうっ、食べるの早すぎっ!」
黒髪の中に映える水色の髪留めが印象的な少女──千佳は、1人分としてはいささか量が多いと思われる料理を食卓を囲んでそう叫ぶ。
その前に鎮座するのは栗色の髪をした少女──クララだ。
「えー、いいじゃんー」
クララは子どもっぽい舌足らずな感じでそう言いながら、お箸を千佳が作った料理へと伸ばす。
並ぶ料理は野菜炒めに焼き魚。それに味噌汁といった和風テイストのものばかり。
それを至って普通に食べているところを見ると、クララは完全にニホンに染まったのだろう。
「ねぇー、テレビつけてー」
クララは焼き魚の身と骨をお箸で器用に分けて、口の中へ運ぶ。
そこで醤油を掛け忘れていたことを思い出し、テーブルの端に追いやられている醤油の入った瓶を手に取る。
「自分でつけてよねー」
そう言いながらも千佳はテレビ──薄型テレビではあるが、かなり型の小さな安物をつける。
時刻は20時54分。ちょうど番組の入れ替わる時間で、その間に組み込まれているニュースをやっているようだ。
「あっ、私も醤油とって」
テレビをつけて席についた千佳は、なんとなしに内容を耳だけに通すようなスタンスでいる。
「はいよー」
それはクララも同じようで、画面に映る男のアナウンサーなど視界にも捉えずに白米を喉に通す。
「次のニュースです。昨日未明に発生したリバール国警吏隊隊長の息子であるログモル・インテグラさんが毒殺された事件で、犯人と思われるニホン人の堀野刻三さんが全世界で一斉指名手配されました」
何気なく聞いていたニュースに知っている名前が入っており、千佳とクララは同時に口の中に含んでいた物を吐き出した。
「嘘……でしょ?」
千佳は箸を置き、テレビへ詰め寄って震えた声で訊く。しかし、相手はテレビであって目の前にいるわけでないので返事は返ってこない。
「何か言ってよっ!」
遂には泣き始めた千佳がテレビをがっしり掴んで叫ぶ。
瞬間、千佳の背後から手が回された。色白でほっそりとした腕だ。
千佳はすぐに、それがクララの手だと理解できた。
「行こっ。真実をたしかめに」
クララは強い意志のこもった声で、千佳の耳元でそう囁いた。
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