黒炎鳥の覚醒 defeat
涙が込み上げてきた。倒れゆく刻三の姿がゆっくりと視界からフェードアウトしていく。
刻三の最後の台詞が父親のそれと被り、ニーナは呼吸すらマトモにできなくなる。
酸素を取り込むことが出来ず、吐き出すことしか出来ない。まるで喘いでいるようだ。
「トキガオワルカ」
無機質な声がニーナの耳に入る。表現し難い脱力感に見舞われる。
──どうすればいいの? 私もここで死ぬのかな……。
あらゆる思考は全て負の方向に歩みを取る。ニーナの頬には幾重にも涙の筋ができる。
お母さん、お父さん──。
心の中で何度も呟く。囚われているかのようにそれだけを呟くように設定されたロボットのようにとめどなく溢れ出てくる。
「マタオマエダケダナ」
ニーナの心情を煽るようにゲヘリートは言う。
死んだ魚のように虚ろになったニーナの瞳がかろうじてゲヘリートの一部を捉える。
顔に不着した刻三の血が涙筋を通り顎へと伝わり、ぽつんと地に落ちる。真っ赤に染まった瓦礫の上に液体が跳ねる音がし、波紋を広げる。
刻三の腰の部分からとめどなく血が流れ続けている。早く血を止めないと確実に大量出血で息を引き取る。
しかしニーナは動くことが出来なかった。
聖光のアーカイブも創造のアーカイブも刻のアーカイブすらも虫の息同然にした相手に対抗手段があるわけが無い、そう思い込んでいたのだ。
刹那、年にしてクララと同じくらいの水色の髪留めがアクセントとなる少女が遥か上空から空気を裂きながらやって来たのだ。
「お兄ちゃん!」
甲高い悲鳴のような声だ。半透明になりつつある少女は刻三をお兄ちゃんと呼び駆け寄る。
「刻の遣いが願い申し上げる。刻を継ぎし血脈の枝が主の助けとなる
刻の妹であり
刹那、その輝きが範囲を広げ2人を包み込んだ。その域は聖域の如く、どれほど近くに寄っても中は見えない上に入ろうとすればとんでもない力に跳ね返される。
ものの5秒ほどだった。ゲヘリートもその光景に目を奪われ、攻撃をすることすら忘れていた。
それほどにその光景は美しいものだったのだ。2人を取り巻く光は七色に光り、順々に色を変えて見ている方を飽きさせないのだ。
それは視界から攻撃の意思を奪う一種の精神攻撃のようでもあった。
そしてその光が晴れ、中が露わになる。辺りの瓦礫の上には先ほどまでと同じ赤が広がっている。しかし、倒れている刻三の脚は違った。完全に戻っていたのだ。
時間が戻ったかのように脚は綺麗に傷跡すら残さず存在している。
「大丈夫。みんな、大丈夫だから」
千佳は小さく肩を震わせるニーナにそう叫んだ。半透明だった千佳もはっきりと実体を取り戻している。
ニーナにはわけが分からなかった。しかし、その『大丈夫』という言葉に心が安らぎ自然と落ち着くことが出来た。
瞬間、
その姿はまるで禍々しいオーラを放つ魔人のようで空気をビリビリと振動させる。
穏やかな表情になったニーナとは相反する黒焔が上がり、一つに
「ゲホ」
ゲヘリートはその姿に驚きを現す声を洩らした。そして、慌てて体をうねらせ焔が一つに纏まる前に喰らおうと体を伸ばした。
最高温度を保持する蒼き炎を以てして顎を開き、黒焔の欠片を喰らった。
刹那、黒焔が蒼炎を内側から穿ち、ゲヘリートにダメージを与えた。
血反吐の代わりに蒼炎を蛇の舌の如くちろっと吐き出す。
吐き出された焔からも陽炎が上がり、大気が歪むが次の瞬間には蒼炎は霧散する。
「グヘ」
無機質な声ではあるが、炎で象られた目の辺りには皺のようなものが浮かび上がり苦悶を現す。
その間に漆黒の焔は一つに纏まり、猛禽を象った。
「
ニーナのその声に覇気は感じ取れないが、意思ははっきりしていた。呼応するかのように黒炎鳥は咆哮のような鳴き声を上げた。
ゲヘリートは龍の如く空へと駆け上がり、黒炎鳥と対峙する。
睨み合ったままどちらも動こうとしない。互いにスキを伺っているのか、それは分からないが両者の間には不可視の火花が散っていた。
空中での炎獣同士の戦闘の火蓋が切って落とされた。
迸る蒼炎と黒焔。立ち上がるそれぞれの陽炎。
その眼下で刻三はまだ眠り続けていた。そこに寄り添う千佳。刻三の手を握り、祈るように目覚めるのを待つ。
その時、刻三の瞼が僅かにピクリと動いた。
普通なら見逃してしまいそうな程小さな動きだったが、千佳は気づき声を上げた。
「お兄ちゃんっ!!」
その声に反応するかのように刻三の瞳が虚ろに開き、小さく口を開いた。
「千佳……」
「何っ!?」
千佳は取り乱すように刻三の顔を覗き込みながら叫ぶ様にして返す。
刻三は顔を
「来たのかよ……」
「これだけ派手に
千佳は真珠のような大粒の涙を目尻と目頭に浮かべながら鼻声で返す。刻三はほんの少しだけ頬の筋肉を緩め微笑を浮かべると
「ツキノメとクララを……、助けてやって……くれ」
途切れ途切れにそう紡ぎ、刻三は力を無くしたかのように持ち上げていた腕を地面に叩きつけた。
ゲヘリートは舌のような焔をちろっと見せる。先の裂けた舌のような焔は一瞬でゲヘリートの口の中へと戻っていく。
ゲヘリートはそれを器用に体をうねらせて避ける。
そしてその避けた反動を利用して黒炎鳥の鉤爪へ体を回し、締め付ける。
ゲヘリートはこれで鉤爪での攻撃を防いだとでも言いたげに一層の力を加えた。
刹那、悲鳴を上げたのは締め付けているゲヘリートだった。
巻き付けていた体から漆黒の煙が上がっている。最熱を誇る蒼炎をも焦がしているのだ。
「ナ、ナゼダ」
ゲヘリートは無機質な声で戸惑うようにして洩らす。
会話を可能としない黒炎鳥から言葉の返事は返ってこないが、黒炎鳥は代わりに咆哮を上げた。
離れた場所にいるニーナたちの鼓膜を破ってしまいそうなほどの強い叫びがニホン中央区域に響いた。
焦げた体を修復しようとゲヘリートの体内の蒼炎が巡り巡る。しかし、失った炎が多すぎるのかその量は圧倒的に足りなかった。
その時だ。ゲヘリートは瞬間的に動きを止めた。うねりもせずに、循環していた蒼炎ですらも動きを止めたのだ。
***
『ソナタノミギアシヲモラウ』
蒼い空間に閉じ込められたマゼンタが右眼を奪われてからおよそ3分後。また悪魔の囁きがマゼンタの脳に直接流れてくる。
本来右眼がある場所に深淵の穴が穿たれているマゼンタは畏れをなして勢いに任せてかぶりを振る。
しかし、蒼い炎を纏ったゲヘリートに良く似たそれはマゼンタの意見など聞こうとせずに右脚へと牙を立てた。
「うっ……アァァァァァァァァ」
蒼い空間にマゼンタの断末魔の叫びが木霊し、鮮血が飛散する。
四方の蒼に鮮血の紅が付着する。それを蒼の内側から出てきた蒼が飲みこみ、紅など存在しなかったかのように空間を元通りの蒼で染める。
『ソウエンハフッカツナリ』
無機質な声の中に僅かな獰猛さを感じさせ、マゼンタの脳に流れる声はフェードアウトしていった。
***
再度動き始めたゲヘリートの動き出しは驚くべきことに蒼炎の噴き出しだったのだ。
失われた焔が失われた量以上の焔を復活させ、咆哮を上げた。
より濃度を濃くした蒼炎を纏いしゲヘリートは
吐かれた炎はうねることも螺旋に回転することもせずに、一直線に走った。
黒炎鳥はその場で小さく旋回してから急上昇し、炎を回避。その勢いのまま今度は急降下し、炎を吐いたばかりのゲヘリートへと向かった。
ゲヘリートはそれを見るのではなく、感じ前方へと移動をとった。
黒炎鳥のゼロ戦の如く突っ込みは空を切り、失敗に終わる。
そこへ再度、ゲヘリートは蒼炎を吐く。
黒炎鳥はそれを回避しようと試みるも急降下時に体勢を崩していたことも原因となり、全てを避けきることができず蒼炎が黒炎鳥の腹部を抉った。
濃度を増した蒼炎に打ち勝つことの出来なかった黒炎鳥は腹部に穴を穿たれ、キュイーンという鳴き声を上げた。
それを機と感じとったゲヘリートは体を伸ばし、
蒼炎に象られた獰猛な牙が陽炎を伴い、禍々しさを感じさせる。
そしてその牙は黒炎鳥の左鉤爪に突き立てられた。
音もなく黒炎鳥の左鉤爪はポキッと折られた。
黒炎鳥の顔に厳しさが滲み出ているような気がする。
「お願いっ!! 私を助けてッ!!」
その時だった。遥か下、地上からゴスロリ服を着た少女──ニーナが悲鳴のような叫びを上げた。
願いのようであって、命令のようでもあるその声に反応して黒炎鳥はクゥオーンと先ほどの情けない声とは打って変わった力のある声を上げた。
穿たれていた腹部から怪しげな黒煙があがり、穴が塞がれ始めた。それはまるでゲヘリートが蒼炎を取り戻した時の様によく似ていた。
黒焔は吹き荒れ、宙で演舞の如く優雅に舞っている。
そしてそれらが黒炎鳥にと取り付き、より黒く実体に近いものとする。
先ほどまでの3倍近くの黒焔濃度になった黒炎鳥は強気に口を開き、両翼をばっと開き見せびらかすような格好を取る。
刹那、その黒炎鳥から漆黒の閃光が放たれた。
禍々しい色とは逆にその閃光から感じられるモノは穏やかなもので全身を閃光が覆うや黒炎鳥は大気を蹴るようにして勢いよくゲヘリートへと向かった。
黒炎鳥の通った場所には黒い雲のようなものが広がる。
ゲヘリートはそれを見てもなおその場を動くことが出来なかった。それが何故なのかは分からない。しかし、確実にこれだけは言えた。
圧倒的焔の出力に怯えていた、と。
僅かにも動くこと無く、黒炎鳥の衝突攻撃を受けたゲヘリートは黒の閃光に巻き込まれ、蒼炎の輝きを失い生気を薄くしていく。
そして遂にゲヘリートは蛇の形が維持出来なくなり、纏っていた全ての蒼炎が霧散した。
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