炎蛇の脅威 bite

 蒼い炎を纏いしゲヘリートは大顎でクララの左腕に牙を突き立てた。

 ブチッとウインナーを噛んだ時のような音と共にクララの腕から鮮血が迸った。

 空気中へと飛散した鮮血は毒々しい華を咲かして地へと落ちていく。

 飛散した鮮血が隣にいたニーナの頬に付着する。

 生暖かく鉄臭い血は5年前の両親のことを強く刺激し、ニーナを錯乱状態へと陥れる。

「オマエハケッキョクマワリヲクルシメル」

 無機質に依然とした態度で血の付いた牙をクララの腕から引き抜く。

 牙を引き抜かれたクララの腕は止血材となっていた牙が失われ、鮮血が噴水のごとく噴き出す。

 シューっと音をたてながら溢れ出ていき、どんどんと顔色を悪くしていく。

「クララっ!!」

 刻三は名を叫ぶが、クララには返事をする余裕もないらしく吐き出される息だけが強くなっていく。

 刹那、どうすればと考える刻三の隣でバタンと人が倒れた。

 銀髪の少女──ツキノメだった。ツキノメの顔に色はなく、今まで立っていたことが不思議に思えるほどだ。大きく肩で息をし、過呼吸寸前といったところだ。

「どうした?」

 そっと腰を下ろし、訊くも返事は返ってこない。

「グハハ」

 わざとらしくゲヘリートは嗤う。そしてその勢いであぎとを開き蒼い炎──蒼炎を吐き出した。

 ジリジリと遠くに立つ建物をすす色にする高温の焔は容赦なく刻三に襲う。

 地表をドロドロにし、まるでマグマが通った後のようになり4人が固まるその場に真っ直ぐに突き進む。

 ──俺の今の術で破れるすべは……ない。


『本当か?』

 突如として刻三の体内から直接脳に語りかける声が聞こえた。

 それはツキノメたちと戦った1ヶ月前にはかなり聞いた声だった。

『どういう意味だ?』

『お前にはアレを止めるすべがある』

 どことなく自信に満ちた声だ。

『何?』

 刻三は務めて冷静に聞き返した。

『時間が無い。後に続け』


「タイム ツァイ タン テンポ オラ テンプス クロノス、7の刻。絶壁刻オーフェリド

 今までの術のような閃光が瞬くことは無く、発動したかどうかすらは自分にも分からない。藁にもすがる思いで唱えた術の不発はシャレにならない。

 ──頼む、発動してくれ……。

 刻三は両目を瞑り、最後のかけとして懇願した。

 だが、無情にも何の変化もなくただ突き進んでくる蒼炎だけが瞳に映された。


***


 ここはどこだ──。

 全身が熱く燃え上がるような感覚の中にある赤毛の少年──マゼンタは声にならない声でおもむろにこぼした。

 深紅の双眸は瞑ったままで開く気配すら感じさせない。

 時折、無機質な声が耳に届く。明らかに自分の声でないそれにも関わらずマゼンタはどこか懐かしい気分になった。

「グハハ」

 かなり遠くから無機質な笑い声が聞こえた。作り笑いのようなそんな声。

 マゼンタは周りがどんな状況で自分がどんな状況に置かれているのか全く把握出来ていない。

 だが、不思議と不安は無い。マゼンタを包む熱い何かから発される強い力が自然と安心感を与えるのだ。

 瞬間、閉じられた瞼の奥にピキッという不快な音が鳴った。

 そして同時に鮮明な声が体内を駆け巡った。無機質ではあるが、獰猛で危なかっしさを満載に感じさせる声音だ。

『ソナタノミギメ、ケンジョウセヨ』

 マゼンタは言葉の意味が理解出来ず適当に相づちを打つ要領であぁ、と呟いた。

 それを了解の意で捉えた声の主は声を荒らげて嗤った。

 瞬間、マゼンタの目は意識を取り戻したかのようにその熱く燃え上がるような空間を捉えることができた。

 そこは蒼い空間だった。時折、どこかが揺らめきほむらのような印象を受ける。

 刹那、その空間に大顎を持った蒼色の大蛇のようなはたまた龍のような姿をした怪物が現れた。

 ゆらゆらと実態を定かにしないその姿はマゼンタが使役する自身の炎獣によく似ていた。

 そして次の瞬間、その大きな顎が開かれた。まるで自身を呑み込むように──。

 グチャっ。穢い音と共にマゼンタの右眼から鮮血が迸った。

 蒼の空間の中に咲く華の如く飛散した血は付着すると同時に呑み込み、蒼へと変える。

 右眼を喰いちぎられたマゼンタは悶え叫ぶ。しかし、声は微々たりも発せられない。まるで誰かに口を塞がれているように──。

 眼から溢れ出す血は止まることを知らず、ダボダボと出てくる。

「チニクトナレ」

 悶えるマゼンタの耳に届いた最後の言葉は無機質な声で放たれたそれだった。

***

 蒼炎は勢いをつけ更に進む。ビチビチと空気を焼き、焼かれなかった空気は熱を含み膨大し、息をするのも苦しくする。

 刻三の眼前3メートルの位置まで来た蒼炎は突如として動きを止め、その場で燃え盛り、遂には完全に消失した。

「な、何だ……」

 体力が尽き倒れたツキノメとゲヘリートに左腕を噛みちぎられ倒れたクララを庇うようにして立つ刻三はその光景を目の当たりにして喘いだ。

『これが能力ちからだ』

 瞬間、心底で声がした。地響きがしそうな程低い声だ。

『絶壁刻は目の届く範囲で不可視の壁を作り上げる。術を発動させたその時で刻を止め璧を穿つ。破られることのない刻超の防御壁だ』

 地表より1メートルほど浮いた場所にいるゲヘリートから目を離さない刻三の体内に巣食う何者かはそう告げた。

「ヤルナ」

 無機質な声が投げかけられる。ゲヘリートは機械のように一本調子で話してくる為、感情の起伏を読み解くのはかなり難しい。故に、攻撃のタイミングなどを読むのも容易ではない。

 ──まだか……。どのタイミングだ……。

 いつくるかも分からない攻撃に精神を研ぎ澄ませることにより、精神ダメージは見た目以上に大きい。

 刹那、ゲヘリートが体をうねらせながら直進してきた。

 刻三は直感的に絶壁刻は既に解除されていると感じ体を左方向へと投げ出す。

 鋭利な瓦礫が左肩を掠め、僅かな出血を許す。

 それに伴い一筋の血が傷口からゆっくりと流れ出す。

 刻三はそれを意にも介さず立ち上がり、少し奥で肩を震わせているニーナの元に急ぐ。

「大丈夫か?」

「……うん」

 頼りない声が返事として返ってくる。それでもまだ返事ができるということは意識は定かであると判断し、刻三はゲヘリートへと向いた瞬間──

「ヨソミトハイイドキョウダ」

 起伏が無い物言いでも怒りが含まれているのは手に取るように分かった。

 大顎をめいっぱいに広げたゲヘリートは眼前まで攻めて来ており、完全に避けることも術を使うことも出来ない距離だ。

 そんな思考を巡らせた間にもゲヘリートは刻三に迫り、大顎を閉じようとする。

 ガジュッ。怪奇な音が炸裂し、宙には刻三の両脚が舞い上がった。

 夥しい鮮血が霧のように噴き出し、辺り一面を真っ赤に染めた。

 脚を失った刻三は刹那に視線ががくんと落ちる。支えを失った上半身が重力に引っ張られ地に落ちたのだ。

 一瞬すぎて痛みなど感じず、ただただ熱いとしか感じない。

 横向きに転がっている状態から真っ直ぐに向き直ることすら出来ない。

 そして時間差で強烈な痛みが襲ってきた。声を上げることも出来ない正真正銘の死に値する痛みだ。

 刻三はどうにか顔の向きだけを変えて刻三の脚から噴き出した鮮血を顔に受けたニーナを見る。

 視点が合わず、虚ろな視線を彷徨さまよわせながら途切れ途切れの言葉を紡ぐ。

「ニー……ナ……。逃げ……ろ」

 奇しくもその言葉はニーナが父親の最後の台詞として聞いたものと同じだった。

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