深炎の世界 automata
刻三たちは既に布団の中にいた。
もちろん誰も寝ることなどできない。クララが拉致られ、刻三も襲撃されている。
そんな中で易々と寝ることなどできるはずが無い。
明かりの灯らない部屋を仄かに照らし出す月光。
静寂に包まれた世界は刻三たちの不安をより強く駆り立てた。
「ねぇ、刻三。起きてる?」
3枚並ぶ布団の1番左端で転がっている刻三に1番右端で転がっているツキノメが呼びかけた。
「なんだ?」
「この事件、どう思う?」
真ん中で嗚咽を漏らしている千佳を飛び越えて言葉を交わす。
「どうって?」
「私ね、この事件どうにもおかしい気がするの」
ツキノメが体を起こして真剣な眼差しを刻三に向けた。
月光に照らし出された銀髪がツキノメの美しさを際立たせる。
「どういう意味だ?」
刻三も体を起こし聞き返す。
「刻のアーカイブを狙うなら、刻三だけを狙えばいいはずなのにクララを狙うのはおかしいと思わない?」
「まぁ、そりゃあな」
刻三は曖昧な返事をする。刻三は既にその事実に気づいていたからだ。
そして刻三の中には既に1つの仮説が生まれていた。
──これは単に俺だけを狙ったものではなく、俺ら4人を狙ったものじゃないか。と。
「なぁ、前から聞きたかったんだけど……」
刻三は自分の仮説を確かめる為にある疑問をぶつけた。
「なぜ、俺を狙った?」
2人の間に沈黙が生まれ、部屋には千佳の嗚咽だけが流れる。
妖しく光る月光が部屋に届かなくなる。恐らく、雲に隠れたのだろう。一瞬で部屋は暗黒に染まる。
「どうしてツキノメはあの時、俺を狙ったんだ?」
刻三は再度同じ質問を投げかけた。
ツキノメは少し俯き、おもむろに口を開いた。
「指示されたの」
「誰に?」
その言葉は刻三の中の仮説を確かなものへと1歩近づけた。
「AAからよ」
聞いたことの無い単語に刻三は戸惑うも仮説はほぼ立証された。
「分かったぞ」
刻三は静かに言い放った。雲が通り過ぎたのか、部屋に月光が届く。部屋全体が色付く。
「何が?」
俯いていた顔を上げ、ツキノメは訊いた。
「じゃあ、そのAAってところからの刺客だろ。俺を消す、という目的に変わりはないが任務を失敗し、挙句の果てにはその暗殺対象と仲良しこよしやってるツキノメとクララを消す。ってところじゃないか?」
真摯な瞳に月光が揺れる。ツキノメは刻三の言葉を脳内でリピート再生し、理解しようとしていた。
アーカイブ・アソシエイション──通称AA──は全ての能力者を統括する総合組合。
本社がどこにあるのか。はたまた本社など無く、誰かが言い出した霧のような存在のものなのか。誰も知らない。ゆえにトップの顔も誰も知らない。
理由もなくただ通達が届くのだ。
紙などではなく、脳内に流れるように届く。
そして自らの意思は関係なく行動に移される。
ツキノメは自分がそうだったからよく覚えていた。しかし、刻三によって『亜空間』に閉じ込められ、帰還した時からはそれが完全に消えたのだ。
全てを忌み嫌う
今となっては分からないが、ツキノメはAAが自分たちを消す理由があることを理解し、こくんと頷いた。
***
マゼンタは東区域の沿岸から約15キロ離れた場所にある孤島にいた。
ニホンに住んでいる者も存在を知っている者は少ない。普段は濃霧がかかっているのだが、満月の夜だけはその霧が薄くなり、僅かに姿を見ることができる言わば幻の孤島。
彼はそこにいた。
コケの茂った岩が島の西海岸に立ち並ぶ。総面積24平方キロメートルという小さな島。
その島のちょうど中央に浮世離れした全面ガラス張りのビルが建っている。
ガラスに満月が映っている。綺麗に反射しているところから見てかなり手入れの行き届いたビルだということが理解できる。
ビルの入口には輝きを放つ大きな石に「能力統括協会─日本支部─」と達筆な文字を掘ったものが置いてある。
ここがAAの本部なのだ。
マゼンタは深紅の双眸に生い茂る木々を捉えながら、その巨大なビルの前に立った。
「顔認証……マゼンタ」
機械的な声がマゼンタの脳内に響く。
「
マゼンタはその脳内に響く声に従い親指をビルの玄関の左側に設置してある四角い箱に親指をかざした。
ピピッ、と機械的な音を響かせる。
それは脳内にではなく、耳に届く。それが合図となり、玄関のオートロックが外れる。
眠りについていた鳥たちがその僅かな音で目を覚まし、バタバタと羽を動かし飛び去る。
「ホ、ホーウ」
機械的にそう鳴いたフクロウは闇色に溶けて消え去った。
マゼンタがそれに気がつくことはなく、建物の中へと消えた。
***
夜は更け、刻三たちもようやく眠りについた。
月は沈みかけ、東からはちらりと太陽が覗き始めていた。
地球寒冷化が進行し、最近では夏であっても太陽が沈んでいる間はそこそこに寒くなる。
それはニホンも例外ではない。
東区域には海洋があることも影響してか、早朝は霧が出る。
そして今日も出ていた。
そんなニホンの西区域、刻三たちの暮らす区域に怪しげな影があった。
ドス黒い赤のドレスを身につけた幼い女の子。機械的な程に左右対称の顔した見た目年齢は5歳ほどの幼女。
そんな幼女が覚束無い足取りで西区域の中心街──スーパーや映画館など1通りの店が揃った通り──におかしな紋様を描いた。
円の中に円。その間に謎の文字を書く。
「よしっ、これで終わりっと」
妖艶な笑みを浮かべ、幼女はその絵の上に手をかざした。
「炎帝の申し子たるネスが奉る。
幼女は舌足らずにそう述べた。刹那、描かれた紋様が紅色に光始めた。
次の瞬間、西区域中心街が轟音を立てて崩れ落ちた。
辺りを覆っていた霧は一瞬にして粉塵となる。
ドス黒い赤のドレスを着込んだ幼女はその崩壊に巻き込まれ、衣装をダメにした。
上半身は完全に破れ、パレオのようになっている。
上半身がはだけた幼女は街に誰もいないからか恥ずかしがる素振りすら見せない。
もちろん体はつるんぺったんだ、しかし、胸には赤い輝きがあった。まるでそこに何かがはめ込まれているかのように……。
***
刻三たちは街の中心街から鳴る轟音とそれに伴う揺れで目を覚ました。
あまり眠れていないのだが、バッチリと目を覚ませた。
刻三は慌てて、窓から外を見た。
中心街の方に巨大な火柱が上がっていたのだ。渦を巻き獰猛に天へと昇る。そして、それに
刻三は奥歯を噛み締め、中心街へと向かって駆け出した。
妙な胸騒ぎがする。
胸のざわつきをヒシヒシと感じながら刻三は駆けた。
中心街には全力で走れば5分程でつく。しかし、寝起きということと寝不足が相まって7分程かかった。
刻三の捉えた中心街はもはや被災地だった。
肌を刺す熱波が押し寄せる。未だに轟々と立ち昇る火柱。
焦げ臭さも充満している。
復旧して間もない西区域中心街は跡形も残ってなかった。
「あら、予想に反して早かったわ」
上半身をさらけ出した舌足らずに話す幼女が刻三の前に現れた。
卑しく笑い、見下しかのような目つきで刻三を睨む。
刻三は荒れた呼吸を整えながらその幼女を見た。
切りそろえられた漆黒の髪に特徴的な薔薇色の双眸はとても幼女とは思えない大人びた厳格を持つ。
「クララはどこだ?」
刻三は低く掠れた声で訊いた。
しかし幼女はこたえた様子もなく冷笑を浮かべ、ちろっと舌を出した。
艶めかしさが滲み出てくる。その態度にやり場のない憤りを覚える。
「答えろっ!」
中心街に人は住んでいない。それが幸いして負傷者は0のはず。
燃え盛るバチバチという音だけが辺りに響く。その中に刻三の咆哮が混じった。
強く怒りのこもった声調に幼女はたじろぐ。
しかし、すぐに調子を取り戻し嘲笑を浮かべるやこう吐いた。
「力ずくでやってみれば?」
***
東区域港倉庫内。
まだ
もう朝なのだ……。
「うっ……。うっん……」
ガムテープで貼り付けられた口からどうにか音を漏らす。
茶髪の女の子──クララ──は必死で体を動かしている。
肌を青白くしている。鳥肌も立ち、縛られた手足も僅かに震えている。
栗色の双眸に生の灯火はほとんど見受けられない。
クララは気温12度の冷気に永遠と晒されていたのだ。
「大丈夫かしら?」
その声は唐突に現れた。
どこからとも無く虚空から投げかけられた声にクララは言葉を失った。ゴスロリ服に身を包んだ端正な顔立ちの幼子が真後ろに現れたのだ。クララは入り口のほうをむいて座らされていた。ゆえに、倉庫に入ってくるものを見逃すはずがなかった。しかし、その幼子は音もなくクララの真後ろに現れたのだ。
「ん、んんん……」
クララは必死に言葉を発するもふさがれた口の中でこもるだけで、何を言っているかは伝わらない。
「何を言ってるのかしら」
幼子はアルトボイスを倉庫内に響かせる。
――この声……まさか昨日のキスの人!?
クララはただでさえ大きな目をさらにグッと見開いた。
「思い出してくれたの? うれしいわ」
喜色の色を顔に浮かべる。その笑顔がクララの胸中をかき混ぜ、恐怖を駆り立てる。
「あなたにはこれから死んでもらうわ」
顔に刻んでいた笑顔を一瞬で殺すと幼子――ニーナ――は殺意の篭った瞳でクララを
***
「うおぉぉぉぉ」
怒りに任せた咆哮を上げ、拳を振るった。
幼女はまるで紙のようにひらりと体をうねらせて避けた。
幼女はそこから反撃する様子もなくただひたすらに刻三の追撃を待った。それが余計に腹立たしく地を蹴る。
粉塵が視界を悪くする。
とっくに日が登っていてもおかしくない時間帯のはずだが、粉塵がそれを拒む。
薄茶色の世界で刻三は右足を軸に左脚で回し蹴りをする。
視界が悪いのは同じはず。ゆえにトップスピードで移動してからの回し蹴りは効くはず……。
刻三はそう考えた。しかし、幼女は難なくそれを避けた。まるでハッキリと見えているかのごとく……。
そして体勢を崩した刻三の腹部に拳を入れた。
酸素が逆流し、口から吐息が零れる。
苦しくて
「同血の信託。願いを以て業火を呼び醒ませ!
幼女は舌足らずでそう唱えるや、手のひらから火球が現れた。幼女は人差し指を立て、刻三へと向けた。刹那、火球は意思を持ったかのように刻三の方へと飛んだ。
「ま、魔術だと!?」
刻三は喘いだ。
この世界に『魔術』という概念が存在しない訳では無い。しかし、魔術を発動させるためには媒体となる魔法陣が無い限り普通は不可能なのだ。
一部の民族には身体に
これほどまでに早く魔術を展開できるのはバケモノの他でない。
そんな思考を巡らせているうちに火球は刻三に襲った。
炎が体を焼く。肉が焼けたような匂いが立ち込める。
肌が焼ける……、熱い……。
苦悶の表情を浮かべる。ドロドロと肌が溶けていくのが自分でも分かる。
熱い……、水が……欲しい……。
そんな苦痛を見てか幼女は高笑いをあげる。上半身ははだけさせたまま。
凹凸のない子どもの体の中心。刻三は焼かれながら胸のあたりに赤い眩い輝きを見た。
な、なんだ……?
刻三は瞼が焼け溶けて落ちて視界が狭まる中で思考を駆け巡らせる。
「刻三ーー!!」
瞼の皮膚が完全に溶け落ち、視界が暗転した時だった。
聞き慣れたツキノメの断末魔に似た叫びが轟いた。
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