怒号の妹 progress

 海外領域前駅から西南駅間、刻三とツキノメはただひたすらに黙っていた。

 刻三は脳内で考えていたのだ。襲撃者のことを、そしてクララのことを。

 夜空には夏の大三角がはっきりと浮かび上がっている。

 街灯まで復旧できてない西区域を照らし出すのは今にも落ちてきそうな大きな満月。

 この世に狼男などと呼ばれるものがいるならば今日はもってこいだろう。

 西南駅についてからも刻三たちは話すことは無く、辺りに気を配っていた。

 襲撃は無いか、そればかりが気にかかり話す余裕など欠片もないのだ。

 そんな刻三たちの行動は全くをもって意味をなさなかった。

 襲撃はなかったのだ。

 自宅に着いた刻三は慎重に中へと入る。千佳が殺されて無いかどうか。心配なのだ。

「こらぁ!! おそーい!!」

 そんな心配をよそに千佳は怒号を飛ばした。

 頬を膨らませ顔を真っ赤に染め、怒りを露わにしている。

 ──そんな……。俺、襲撃された後だぞ?

「ってか!! 何でツキノメさんと一緒な理由わけ?」

 鋭く尖り、覚めきった目が刻三に突き刺さる。

「え、えっと……。それは……」

「もしかして……。帰るの遅くなるって、ツキノメさんのところ行ってたんじゃないでしょうね?」

 声色に凄みが増し、妹に対して恐怖すら感じる。

「行ってました……」

 千佳の怒りに圧倒され、刻三は自然と正座をする形になる。

「いや、でもな! でも……」

「でもはいらなーい!!」

 千佳の高らかな叫びは家中に木霊した。

***

 あれから30分。千佳の説教は続いた。刻三の言い分を聞くわけでもなく、途中で助け舟を出そうとするツキノメに対しても「黙ってて」と一蹴し、我が道を永遠と突き通した。

「何か反論は!?」

 まくし立てるように30分間話し続けていた千佳はようやく刻三に発言権を与えた。

「反論は無いけど……」

「けど?」

 ドスの効いた声が千佳から発せられる。

「……理由はあります」

 刻三は年下の千佳に敬語で理由わけを聞いて貰えるように申し訳なさそうに言う。

「何?」

 腕を組み、偉そうにふんぞり返って千佳は訊いた。

「クララが行方不明だ」

 声を真剣にし、刻三が放った。

 千佳は今までの偉そうな態度を崩し、驚愕を体現した。

「どういうこと?」

「昨日から一切の連絡もなく家にも帰ってないらしい」

 千佳は刻三の言葉を聞き、刻三の隣に刻三と同じように正座をしていたツキノメに視線を向ける。

「本当よ」

 首肯するツキノメの目尻にはうっすらと涙が浮かんで見える。

 千佳は弱々しいツキノメを見てそれが事実だと受け入れ、その場に崩れ落ちた。

 先程の説教なんて嘘かのように大粒の真珠の如く涙を床にポトポトと落とす。

 蛍光灯の乳白色の明かりが泣きじゃくる千佳の顔を鮮明に映し出す。

 刻三はそんな千佳をギュッと抱き寄せた。

「大丈夫だ。俺が何とかする」

「お兄ちゃん……」

 一応、千佳も刻三がときを操る能力者であることは伝えてあるが、最凶最悪と謳われるモノだとまでは伝えてない。

「安心しろ」

 1度は対峙したとは言え、クララは素直でいい奴だ。それはここ一ヶ月で身にしみて分かっている。

 そしてよく遊びに来ていたクララやツキノメは千佳とも仲良くなっていた。

「絶対だよ……?」

 千佳の涙色の声音が妙に大きく刻三の耳に届く。刻三は短く、でも強く意志のこもった声で「あぁ」と答えた。


***


 未だに崩壊したままのニホンの東区域。

 被害は少ないとは言え、山脈地帯だけあって土砂崩れなどが激しい。あちらこちらに巨大な岩石やら幹の太い倒木やらが転がっている。

 そしてその東区域の更に東、ニホンの極東。

 そこは海に面した海岸だ。比較的静かな海で水面に波は感じ取れない。

 水面に浮かぶのはゆらゆらと原形を留めない夜空に浮かぶ月の写し。

 僅かな波の揺れ、人の目では分かりにくい小さな揺れでも月はぐにゃりと形を変える。

 その沿岸部には崩壊した水車小屋のようなものとトタン仕立ての今にも壊れてしまいそうな小屋、コンテナや港の跡地ような場所からそう遠くない場所にある倉庫。

 誰もいるはずのないその場所に仄かに火がともっていた。

 破壊を免れた倉庫の一角から零れた火だ。

「またミスったか……」

 腹立たしげに声を荒らげる、赤毛の少年。瞳までもが真っ赤。

 見るからに攻撃的な印象を持たせるその少年は拳をギュッと皮膚と皮膚が擦れて音が鳴るまで強く握り目を見開く。

 逆立てた毛と鋭い目つきが凶暴かつ獰猛どうもうな雰囲気を助長している。

 その少年の手には対人用ライフルのような大型の銃が握られている。

 しかし、よく見ればそれは普通の対人用ライフルとは少し違う。

 艶かしい黒光りは無く、これもまた紅色あかいろだった。煌めくような紅。

 倉庫内を照らし出す蝋燭ろうそくの火ですらも器用に反射させている。

「また殺り損ねたよ。早くお前の前にアイツの屍体したいを持ってきてやりたいよ」

 高揚し上擦った声が倉庫内に響き渡る。

「んっ……!! んっ、んっ!!」

 それに反応する声があった。その声は口を塞がれているようにこもっていて言葉になっていない。

 少年は燭台しょくだいを持ち、その音を漏らした人物に火を近づけた。

「うるせぇよ!」

 少年は右手で拳を作り、椅子に座っている人物を殴り飛ばした。

 茶色の髪が宙になびき、倉庫のホコリっぽく冷たい床に倒れ込む。

 その人物は椅子ごと一緒に倒れた。どうやら椅子に縛られているようだ。

 倒れたまま顔だけを少年の方へと向ける。

 栗色の双眸がきつく少年を見据える。

 少年は倒れた人物のその態度に腹を立て、馬乗りになり拳を振り上げる。

 そしてその勢いのままその人物の顔を殴りつけた。

 拳の勢いで蝋燭の炎が揺れる。その揺れで倒れた人物の顔が明らかになった。

 昨日より姿をくらませていたクララだった。

 一ヶ月前のようなボロ雑巾のような服ではなく、白のカッターシャツに上からジージャンを羽織ってお洒落をしている。

 その白のカッターシャツも今ではもう泥がはね、ホコリがつき汚れてしまっている。

「くっそ! ごらぁ!」

 少年は何度もクララを殴りつける。

 クララの綺麗に整った顔は腫れ上がり、青紫色に変色している。

 唇からは血が滲み出てきている。

「……ぺっ!」

 クララは血の塊を倉庫の無骨な床の上に吐き出した。

 ぴちゃ、という音が妙に大きく感じる。コンクリート製の床に紅くドロっとした液体──血──が付着する。

「何をしているのかしら」

 その時また新たな声がした。倉庫の入り口付近からその声は聞こえる。

 しかし、入り口が開いたような音は全くしていない。

 アルトボイスのドスの効いた声が冷淡に少年に投げかけられる。

 少年は狼狽うろたえ、握っていた拳をほどきクララの上から立ち上がる。

「悪かったよ、ニーナ」

 少年はその声の主をニーナと呼び、クララの血がこびりついた手で頭を掻く。

「本当に思ってるの?」

 ニーナと呼ばれた人はコツコツと倉庫の中に足音を響かせながら少年のいるほうへ歩み寄ってくる。

 その足音は妙に甲高い。

 規則的に刻まれる足音は遂に蝋燭の火が灯すエリアまでやってきた。

 高いヒールを履いている。

 少年は先ほどの質問にまだ答えていない。

「ねぇ、どうなの?」

 しびれを切らしたのか少し声を荒げている。

 端正な顔立ちのゴスロリ服に身を包んだ少女――いや、どちらかと言えば幼女に近い――がむっとした表情かおで火の灯すエリアに侵入ペネレイトしてきた。

「本当に……思ってるよ」

 少年は引きった笑みでそう答える。

 クララは倒れたまま2人をにらむ。

「じゃあ、して」

 ニーナは少年に緋色ひいろ爛々らんらんとさせた瞳を向けた。

 少年はうぐっ、と少し後退する。

「ほら、早く。マゼンタ兄さん」

 ニーナはその爛々とさせた瞳をゆっくりと閉じ、一歩前へと突き進んだ。

 マゼンタと呼ばれた少年は決意を固めたように瞳に力を込めて、ニーナの顔に自らの顔を近づけた。

 吐息がかかるほどの距離まで近づける。

 その場にいるクララは見ているだけで緊張し、ドキドキするほどだ。

 顔を近づけた2人はそのままそっと優しく互いの唇を合わせた。

「それでいいのよ」

 ニーナは色っぽくそう告げ、右手をマゼンタの後ろに回し、力づくで自分のほうへと近づけた。

 そしてそのまま強引にマゼンタの唇を奪い、舌を這わせた。

 抵抗するマゼンタにニーナは強く、ただ強く熱いキスをした。

 倉庫の中に、夜空に浮かぶまん丸満月の月光が届くことはなく、ただ時折揺れるほのかな蝋燭の火だけが灯り、いやらしい音だけが木霊した。

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